※この作品はR-18です。

『神符大戦 ──世界大会決勝で負けて底辺に堕ちた男、TCGの勝敗が全てを決める異世界で美少女達を調教しながら盤面制圧を目指す──』   作:シキセ

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第百話 神遊び

退避は、間に合った。人の足で逃げられる速さの災害だったことだけが、唯一の救いだった。

 

白原の中央に、光の柱が立っている。

 

九本の光背を広げた小さな体が、その中心に浮いていた。御衣の裾が重力を忘れて漂い、目は開いたまま、何も映していない。柱の周囲二町は、もう人の立てる場所ではなかった。桜の吹雪が暴風の密度で渦を巻き、昼の空に星が増え続け、大地が低い和音で鳴り続けている。

 

「陛下ァ——ッ!」

 

英稟が柱に向かって歩こうとして、三歩で膝をついた。物理の圧ではない。格の圧だ。九柱の神格が全開で泣いている場所に、人間の霊格は近づくことすらできない。英稟の背後で天津甕星が地に伏せたまま、慰めるような星光を明滅させていた。

 

「符で抑えるのは」と浅葱が叫んだ。「土公の結界で——」

 

「やめておきなさい」

 

声は、静かなのによく通った。

 

白陽だった。

 

桟敷から降りて、暴風の縁を、散歩の足取りで歩いてくる。銀白の髪が嵐の中でそよ風程度にしか揺れていない。花弁が、この女の周りだけ、避けて流れていた。

 

「土公の結界ごと吹き飛ぶわよ。格が三つ違う。……それに、あれは抑えるものじゃないの」

 

「白陽さん」俺は言った。「あれは、何が起きてる」

 

「見ての通りよ。心があふれて、神が応えてる。……あの子、今夜まで蓋の中に何年分溜めてたのかしらね。勝った安堵。友達が倒れた痛み。初めての誇り。あなたへの――まあ、いろいろ。全部いっぺんに堰が切れて、九柱が全部に、律儀に、全力で応えてる」

 

「止め方は」

 

「蓋の閉め方なら、あの家が千年かけて磨いたわ。重石を載せて、心を殺して、神を黙らせる。……でも今さら蓋をしても、もう入りきらないでしょうね。あれだけ開いたら」

 

「なら、どうする」

 

白陽は俺を見た。淡い色の目が、珍しく、まっすぐだった。

 

「あなた、符闘の原型が何だったか、覚えてる?」

 

「……あなたと符皇の、遊びだ」

 

「そう。じゃあ、なんで神様と遊べたと思う?」

 

答えを待たずに、白陽は続けた。

 

「神様はね——遊んでもらうと、帰るの」

 

暴風が、一段強くなった。白陽は気にも留めなかった。

 

「あふれた力に、器をあげるのよ。律令っていう器を。どういう条件で力を出せるか、何を代償にするか、どうなれば決着か。……枠のない力は災害だけど、枠の中の力は、遊戯。神様は遊戯の申し込みを断らない。断れないの。あの子たちの一番古い記憶が、遊びだから」

 

「——符闘を申し込め、と」

 

「九柱まとめて相手にすることになるけど」

 

白陽は俺の帯の、二つの符叢箱に目をやった。いつから気づいていたのか、たぶん最初からだ。

 

「勝算、あるんでしょう? そのために組んだ札なら」

 

「……ないとは言わないが」

 

「なら行きなさい。立会いは私がしてあげる。数百年ぶりにね」

 

白陽は嵐の中心に向き直って、古い言葉で何かを唱えた。意味は分からなかった。だが暴風の渦が、わずかに——聞き耳を立てるように、乱れた。

 

「賭けるものは古式でいくわよ。勝者は敗者に、願いをひとつ言える。……昔の神遊びは、それだけだったの。国も、位も、命も賭けない。願いひとつ。一番重い賭け方よ」

 

────

 

嵐の中へは、一人で入った。

 

白陽が道を作ってくれた——わけではないらしい。「申し込む意思のある人間は通るわよ。遊びたい客を、神様は吹き飛ばさない」とのことだった。実際、暴風は俺の三歩手前で割れ続けた。花弁が頬を掠めていく。掠めるだけで、切らなかった。

 

柱に近づくほど、声が聞こえた。

 

九重の和音の中に、破片のような言葉が混ざっていた。

 

——たのしかった。

 

——ずっと、ここに。

 

——まもる。まもる。まもる。

 

——かえりたく、ない。

 

栞の声だった。九つの声が、栞の心の欠片を、譫言のように繰り返していた。神々は暴れているのではなかった。願いを、増幅しながら、抱え込んで、放せなくなっているのだった。

 

宙に浮いた娘の前まで歩いて、俺は足を止めた。

 

「栞」

 

反応はない。光のない目が、俺を素通りしている。

 

「聞こえてなくてもいい。先に言っておく。——よく勝った。文句なしの、符帝の符闘だった」

 

和音が、わずかに揺れた。

 

「その上でだ。お前は今、俺の女を九人がかりで連れて行こうとしている。……それは、看過できない」

 

俺は帯から、二つ目の符叢箱を抜いた。

 

誰にも見せていなかった四十枚。天使と魔女の、正気を疑う束を。

 

「皇祖の九柱に、式世一が申し込む。——符闘だ。神遊びの古式に則り、賭けるものは願いひとつ」

 

九本の光背が、一斉に、こちらを向いた。

 

圧が来た。息が三拍止まる圧だった。それでも、これは殺気ではなかった。値踏みだ。遊び相手になり得るかどうかの、九柱ぶんの値踏み。

 

白陽の声が、嵐の外から涼しく届いた。

 

「立会い、古符人白陽。両者、初期指定式符の公開を」

 

暴風が、渦を巻いたまま円になった。円の内側だけ、凪いだ。凪いだ地面に、光でできた盤が敷かれていく。九柱が自分たちで作った盤域だった。遊ぶ気だ。遊ぶ気にさせた時点で、白陽の言った理屈の半分は、もう証明されていた。

 

空夜の——九柱の初期指定式符が、宙に浮かんだ。天命宝典・万象詔録。

 

俺は自分の一枚を、盤に置いて表にした。

 

「——初期指定式符、"黄金鎖の天使"ルクシエル」

 

円の外が、どよめいた。

 

「天使——」「黄金鎖の天軍か」「符侯の隠し札は聖教式だったのか……!」

 

エリナが目を見開いているのが見えた。円卓にいた女には、あの札の型の意味が分かる。セレスティーナが口元を袖で覆った。元枢機卿には、もっと分かる。

 

金色の光が、俺の隣に降りた。

 

「——お待ちしておりました、世一様」

 

ルクシエルが、静かに翼を畳んだ。戦えない天使。不可侵の聖性。三日のあいだ切り札のまま帯の中で待たされて、文句ひとつなく——むしろ満ち足りた顔で待っていた天使だ。

 

「相手は九柱の神と、栞だ」

 

「存じております。ずっと、聞こえておりましたから」

 

ルクシエルはほんわりと微笑んで、光の柱を見上げた。

 

「あの子の神様たちが、あの子を放してくれないのですね。……いけない神様たち。あの子は、世一様のものですのに」

 

微笑んだまま言うことか、それは。

 

「取り返すぞ」

 

「はい。——そのための、私です」

 

先手は、九柱だった。

 

万象詔録が光を放ち、神々の手札が組み上がっていく。初手から御門。皇城の結界が盤を縛る。返す手で御璽守。ちょうど一体の恵み。稽古で娘が百手かけて覚えた最適の立ち上がりを、神々は二手で、当然のように敷いた。

 

「……開幕から完璧か」

 

人の迷いが、一切ない。あの符叢の唯一の弱点だった「使い手の判断」を、九柱の自動が埋めている。符帝宝庫の理論値——煉十郎を破った盤より、二段は速い。

 

こちらの初手。

 

「ルクシエル。手札の天使を一枚、破壊する」

 

「はい。……おやすみなさい。また符叢で会いましょうね」

 

金色の鎖が、手札の従天使を光に還した。ルクシエルの権能が起動する。符叢から、別の天使を呼ぶ——

 

「符叢より特殊実体化。——天使の書記官、ビブリエル」

 

光が、降りた。

 

降りて、転んだ。

 

「わわっ、わわわわっ——」

 

巨大な聖典を三冊抱えた天使が、顕現の勢いそのまま盤の縁につまずいて、聖典を一冊、二冊、三冊、盛大に取り落とした。丸眼鏡が鼻先までずり落ちる。三つ編みが跳ねる。書記官のローブの胸元が、抱え直した聖典に押し上げられて、布地の限界に挑んでいた。

 

「も、申し訳ありませんっ、記録官として最悪の登場を——あっ、眼鏡、眼鏡……」

 

嵐の真ん中で、円の外の数千人が、毒気を抜かれた顔をした。九柱の暴威と滅びの気配の中に、場違いなほど柔らかいものが一つ、落ちてきた形だった。

 

浅葱の「……なんですか、あの子」という呟きが、やけに通った。

 

ビブリエルは眼鏡を押し上げ、聖典を拾い、居住まいを正した。

 

正した瞬間——声が、変わった。

 

「天使の書記官ビブリエル、着任いたしました。職掌に基づき、手続きを開始します」

 

慌てた娘の声ではなかった。千年の帳簿を預かる者の、静かな声だった。羽根ペンが宙に浮き、開いた聖典の頁が自動でめくれていく。

 

「権能起動。符叢より早業符を二枚、墓地へ記帳します」

 

俺の符叢から二枚——魔女の早着替えと、剛力付与が、光の文字になって墓地に流れた。

 

「記帳完了。続きまして——」

 

羽根ペンが、聖典の余白に降りた。

 

「符叢より、種属に天使を持たない使役符を、一枚」

 

円の外が、ざわついた。天使の符叢が、天使でないものを探している。エリナの声が聞こえた。「……待って。天使の符叢が、なぜ天使以外を——」

 

俺は言った。

 

「サーチするのは、天使じゃない」

 

ビブリエルの羽根ペンが、聖典の余白に、新しい名前を書き込んだ。

 

「——聖典追記。異端名、エーデルガルト」

 

「記録します。光は、陰へ接続されました」

 

「来い、エーデルガルト」

 

盤の上に、陰の魔女が立った。

 

千年の魔女は、自分の立っている場所を確認するように盤を見て、隣のルクシエルを見て、その隣のビブリエルを見て——最後に俺を見た。

 

「…………正気ですか、世一様」

 

「正気だ」

 

「天使の光で、私の名を引いたのですね。この……ふふ。悪い子」

 

エーデルガルトは笑った。滅多に笑わない魔女が、嵐の中で笑った。

 

「不本意の極みです。よりにもよって、この金ぴかの隣とは」

 

「ふふ。私はうれしいですよ、魔女どの」ルクシエルはほんわりと返した。「あなたの衣が世一様を守って、私の鎖があの子を繋ぎ戻す。……良い分担だと思いませんか」

 

「…………調子が狂う」

 

「二人とも」俺は言った。「盤の上では味方だ。仲良くしろとは言わん。仕事をしろ」

 

「言われなくても」と魔女が言い、「はい」と天使が笑った。

 

仲は悪いままでいい。この符叢は、仲の悪いまま回るように組んである。

 

円の外——捕虜の列で、紅炉煉十郎が身を乗り出しているのが見えた。降伏した男の目が、盤に釘付けになっていた。当然だ。陽の天軍と陰の魔女。属性思想の上でも、神格の相性の上でも、混ざるはずのないものが、同じ四十枚の中で回り始めている。

 

再現性なら、世界で一番低い符叢だ。俺以外の誰にも、二度と組めない。

 

九本の光背が、初めて、全員でこちらを向いた。

 

九柱が、盤の上の敵を——遊び相手を、認識した音だった。和音の音色が変わる。譫言の繰り返しの中に、初めて、別の音が混ざった。

 

好奇、だった。

 

「……ようやく、こっちを見たな」

 

俺は手札を広げた。

 

「教えてやる。お前たちの主が、この三月、誰と遊んでいたかを」

 

エーデルガルトが半歩前に出て、ルクシエルが金色の鎖を鳴らし、ビブリエルが新しい頁を開いた。

 

「世一様。……長い夜になります」

 

「望むところだ」

 

────

 

最初に思い知らされたのは、御門の重さだった。

 

天岩戸御門は、両方の符士を縛る。実体化は一手番に一体。俺の天使循環は横に並べてこそ回る設計で、九柱は初手で、その蛇口を閉めに来ていた。

 

自分の主の符叢で、主の教師の戦い方を、開幕から的確に殺しに来る。

 

「……嫌なところを突く」

 

しかも迷いがない。人間なら「御門は自分も縛る」と一拍考える。神々は考えない。九柱の盤には最初から、迷いという項目がなかった。

 

返す手番で、勅封が飛んできた。黄泉の勅命が、エーデルガルトを縛りにかかる。

 

「——っ、この……主の札で、私を縛りますか……!」

 

魔女が霊体に落とされた。次の敵手番の終わりまで、色衣は動けない。その隙に九柱は御璽守を立て、恵みの引きを回し始める。完璧な手順だった。憎らしいほど、稽古で見た通りの。

 

「ルクシエル。回す」

 

「はい。——帰天を。そして、再臨を」

 

手札の天使を鎖が光に還すたび、符叢から次の天使が降りる。破壊された天使は墓地ではなく符叢に還って、札を一枚連れてくる。御門に一体ずつしか出せないなら、一体を何度でも入れ替えればいい。縦に回す天軍と、横に縛る皇城の、我慢比べになった。

 

そこへ、建御雷が来た。

 

九柱の切り札が、九柱自身の手で、最速で盤に立った。実体化の全体破壊は、使ってこなかった。使えば御璽守ごと、恵みの引きが死ぬ。神々は神々で、勘定ずくだ。

 

雷をまとった武神が、まず狙ったのは——ビブリエルだった。

 

「わ、私ですかっ? た、確かに一番弱いですけどっ、書記官は非戦闘職ですけどっ——」

 

雷の腕が振り下ろされる。ビブリエルは聖典を盾に構えて、当然のように吹き飛ばされた。

 

「記帳は済んでますからねー——っ!」

 

言い残して、光が散った。散った光は墓地に落ちず、符叢に還り、俺の手札を一枚増やした。天使の共通権能。あの書記官は、破壊されるたびに帳簿を締めて、次の頁を連れてくる。

 

「次はもう少し保ってくださいね、書記官どの」と、縛りの解けたエーデルガルトが言った。

 

「善処しますっ、でも約束はできませんっ」

 

魔女の色衣が、ようやく回り始めた。

 

「エーデルガルト、蒼滴」

 

墓地の早業二枚が符叢の底へ還り、蒼い使い魔が色衣になる。札が一枚。続けて黄堡。土の使い魔が鎧になり、魔女の体を建御雷の雷から守る壁になった。

 

雷の一撃が来た。黄衣が軋んで、耐えた。俺の命運が音を立てて削れる。耐えた、というより、削られながら立っている、が正しい。九柱の理論値は、一撃一撃がこちらの想定の一段上を来る。

 

手番の合間、嵐の和音の中から、また声の破片が落ちてきた。

 

——ずっと、いっしょがいい。

 

盤を挟んだ光の柱の中で、空っぽの目の娘が、唇だけ動かしていた。

 

「……ああ」

 

俺は手札を整えながら、声に出して答えた。

 

「だから、迎えに来てる」

 

和音が、揺れた。九柱の攻め手が、ほんの一拍、遅れた。

 

——届いてはいる。届いて、まだ、放せないだけだ。

 

「水鏡が来ますよ」とエーデルガルトが低く言った。「私の読みでは、次の早業に」

 

「だろうな。餌を投げる」

 

囮の早業を切った。案の定、宝命水鏡が鏡面を開いて呑みに来る。九柱は代償の手札二枚を、惜しげもなく墓地に払った。神々に「もったいない」はない。あるのは俺の側だけだ。天使の枚数。墓地の早業。色衣の継ぎ目。黄金鎖の代償に残す十枚。数え物のどれを一枚違えても終わる。

 

いいだろう。——数えることなら、俺の庭だ。

 

「白陽さん。立会いとして聞くが、休憩はあるのか」

 

「ないわよ」桟敷代わりの岩の上で、白陽は頬杖をついていた。楽しくてたまらない、という顔を隠しもしなくなっていた。「神遊びは、終わるまでが一局。……ふふ。いいわね、こういうの。何百年ぶりかしら」

 

「そうかい」

 

「頑張りなさいな、挑戦者。——九柱、笑い始めてるわよ」

 

言われて、気づいた。

 

嵐の和音の音色が、また変わっていた。譫言の繰り返しの底に、弾むような拍が生まれている。楽しんでいる。九柱の神が、盤の上の遊びを、楽しみ始めている。

 

それは、白陽の理屈で言えば「帰り道の入り口」で。

 

同時に——ここからが本当の本気だという、開幕の鐘でもあった。

 

九本の光背が、盤の上に一斉に翳された。星と桜が渦を巻く。神々の手番が、加速し始めた。

 

神遊びは、まだ序盤だった。

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