※この作品はR-18です。

『神符大戦 ──世界大会決勝で負けて底辺に堕ちた男、TCGの勝敗が全てを決める異世界で美少女達を調教しながら盤面制圧を目指す──』   作:シキセ

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第百一話 黄金鎖

夜半を過ぎた頃には、俺は自分の符叢の残数より先に、天使の数を数えるようになっていた。

 

符叢に眠る天使、十三。

 

九柱の焼き討ちが俺の符叢を上から五枚焼くたび、その中の天使が墓地に落ちる。落ちた天使は帰ってこない。破壊された天使は符叢に還るが、焼かれた天使は還らない。この差を、九柱は理解して撃っている。

 

「また符叢を直接焼きに来ますよ」とエーデルガルトが言った。「三度目です。……あちらは、世一様の勝ち筋を読んでいます」

 

「だろうな。俺があいつらでも、そこを焼く」

 

黄金鎖解放の代償は、符叢の天使十枚。十を切れば、この符叢の勝ち筋は消える。九柱はどこかの手番からそれを察して、俺を殺しにではなく、俺の符叢の中の天軍を殺しに来ていた。

 

神が相手でも、符闘は符闘だ。読み合いが成立している。成立してしまうことが、この夜の一番の恐ろしさだった。

 

「翠衣」

 

緑の蔓が建御雷に絡んで、雷の武神を霊体に落とす。武神に握られた多々良の太刀が、攻撃の独占権ごと空を切った。最強の宝具は、持ち手が眠れば、ただの重りだ。

 

「緋爪」

 

赤い爪が、その多々良を砕いた。宝具が場を離れる——外れた神刀の反動で、九柱の符叢が三枚、自分の墓地に崩れ落ちる。

 

「……自分の札で、自分を削らせる」円の外で、誰かが呻いた。

 

そうだ。九柱は間違えない。だが札に刻まれた衝突は、間違いではなく仕様だ。建御雷と多々良は最初から食い合う。常世苗と勅封は最初から同居できない。俺は三月かけて、あの符叢の衝突の全部を、栞と一緒に一枚ずつ数えた。

 

数えた衝突を、外から一つずつ、指で弾いていく。

 

不協和の操縦。あの娘に教えたことの、教えた本人による実演だ。

 

「見事なものだ」

 

声は、円の外の捕虜の列から聞こえた。紅炉煉十郎が、監視の兵も忘れて盤に見入っていた。

 

「陽の天軍と陰の魔女。属性思想が禁じ、神格の相性が禁じ、構築論が禁じる混成——それを人間一人の管理能力だけで回している。……再現性、皆無。教本に、一行も書けない」

 

負けた男の声には、怒りも未練もなかった。あるのは純度の高い、観測の愉悦だけだった。

 

「書けないものを見るのは、いつ以来か」

 

────

 

夜が深まるにつれ、盤は、綱渡りの精度を要求し始めた。

 

「蒼衣」

 

蒼い使い魔が色衣になって、札が一枚。引いた札を確かめる間もなく、九柱の返し手が来る。焼却の火を黄衣で受け、受けた反動で墓地に落ちた早業を——

 

「灰環」

 

灰色の使い魔が拾い上げる。墓地の早業が手札に戻る。戻した早業は色衣の起動コストに消え、消えた分をまた蒼衣が引いてくる。墓地と手札と符叢の底を、三つの色衣がぐるぐると回り続ける。

 

「金羽」

 

金色の使い魔が、墓地に散った天使の亡骸を四枚まとめて符叢の底に還した。焼かれて死んだはずの天軍が、符叢の勘定に帰ってくる。黄金鎖の代償十枚——その勘定を、羽の一枚ずつで守っていく。

 

天使の枚数。早業の墓地。色衣の継ぎ目。命運の残り。四つの数を同時に数えながら、俺は間違いなく、生涯で一番集中していた。

 

「……あれを人間がやるのか」円の外で英稟の声がした。掠れていた。「四つの資源を、全部、同時に……」

 

「英稟様、あれ、一手間違えたら」と浅葱。

 

「死にます。どの勘定が狂っても」

 

エリナは何も言わなかった。ただ聖印を組んだ両手に、額を押し当てていた。祈りの形は、もう隠していなかった。

 

そして——九柱も、進化していた。

 

神々の手番。光の手札から、見覚えのある札が閃いた。生まれてから、まだ一日と経っていない札。

 

世一の指南書・不協和の操縦。

 

「——使うのか、それを」

 

九柱は使った。自分たちの手の中のUR一枚を、迷いなく墓地に捨てて、二枚を引き、次の神の代償を軽くした。最強札を捨てる勇気。教えた覚えのない相手が、教えた通りの手つきで、俺に向けて切ってくる。

 

「……ふ」

 

笑ってしまった。この期に及んで、誇らしかったのだ。あの娘の三月は、神々の中にまで根を張っている。

 

「笑いごとですか、世一様」エーデルガルトが色衣の下から唸った。

 

「笑いごとだ。……いい弟子を持った」

 

九柱の連携は、手番を追うごとに滑らかになった。常世苗が墓地を耕し、勅封がこちらの動線を縛る——二柱は本来同居できない。できないはずの二柱を、九柱は時間差で回し、陰の気配が場に残る寸前に常世苗を眠らせて衝突を躱す。俺が外から衝突を弾けば、内から衝突を捌き直してくる。

 

不協和の操縦合戦だった。教師と、教え子の符叢に宿る九柱の。

 

ビブリエルが三度目に呼ばれて、三度目に砕けたとき、書記官は散り際に律儀に頭を下げた。

 

「記帳、継続中です——通算、百六十二手——」

 

「まだ数えてるのか」

 

「書記官なので——っ」

 

光が散って、符叢が一枚厚くなる。その一枚が、次の天使を連れてくる。

 

だが、削り切れない。

 

九柱の符叢は百枚ではない。四十だ。四十を削り切る前に、こちらの命運が尽きる——その計算が、夜明け前に、はっきりと形になった。

 

一度だけ、九柱が悪手を打った。

 

悪手というより——打ってみなければ分からない手を、打った。建御雷の雷撃が、盤の後ろで鎖を畳んで待つルクシエルに向かったのだ。

 

雷は、天使の三歩手前で、金色の紗にかき消えた。

 

不可侵。聖性。戦いに参加しない者には、戦いの理が届かない。九柱の理論値をもってしても、あの金色には、指一本触れられなかった。

 

「……ふふ」ルクシエルは、ほんわりと微笑んだだけだった。「私に触れていいのは、世一様だけですよ。神様でも、だめです」

 

九柱は二度と、そこを狙わなかった。神々は学習が速い。速いが——手番を一つ、確かに無駄にした。俺はその一手番分、長く生きた。

 

俺の命運、残り三。

 

水鏡に二度呑まれ、奉火に三度焼かれ、符叢の天使は十一。黄金鎖の下限まで、あと一枚の余裕しかない。

 

そして九柱の盤には、二度目の建御雷が立っていた。

 

「黄衣ッ」

 

土の使い魔が魔女の鎧になる。雷の一撃が黄衣を正面から叩いた。防ぎ切る——はずだった。理論値の出力は、色衣の防護の上から、中身を軋ませた。

 

エーデルガルトが、片膝をついた。

 

千年の魔女が。俺の盤の要が。初めて、膝を。

 

「……申し訳、ありません」魔女は自分の膝を見下ろして、信じられないものを見る目をした。「膝が。……初めて、です。これは」

 

「よく立った。もう充分だ」

 

「いえ——立ちます。まだ」

 

「立たなくていい。……ここからは、俺の手番が長い」

 

俺は手札を置いた。

 

そして、符叢の帯から——札ではないものを、抜いた。

 

紙を折って綴じた、小さな栞。桜の花弁が一枚、漉き込まれている。決戦前夜、あの娘が「名前だけ連れて行ってください」と寄越したもの。

 

それを、盤の縁に置いた。

 

「約定の追加だ」

 

九本の光背が、揺れた。

 

「式符じゃない。効果もない。ただの紙だ。——だがお前たちの主が、自分の名前をつけて、俺に預けたものだ」

 

盤の上の押し花が、嵐の中で、静かに香った。

 

「聞け、九柱。お前たちが抱え込んでいる願いの目録に、俺も載っているはずだ。なら、これも読めるはずだ。……この栞は、貸し出し中の名前だ。勝ったら、利子をつけて返しに行くと、約束してある」

 

光の柱の中で。

 

空っぽだった娘の唇が、動いた。

 

「……かえして、……ほしい……」

 

破片の繰り返しではなかった。始まりから終わりまで形のある、あの娘自身の、一つの文だった。

 

九柱の猛攻が——一拍、揺らいだ。

 

その一拍を、俺は三月分の読みごと、掴んだ。

 

「ビブリエル」

 

金の光が降りて、今度は転ばなかった。書記官は着地して、眼鏡を押し上げ、静かに聖典を開いた。

 

「——最終頁を、開きます」

 

「符叢に眠る天軍、十翼。全員、起こせ」

 

「聖約奥義——」

 

俺は最後の早業を、盤に叩きつけた。

 

「——黄金鎖解放」

 

符叢が、内側から金色に燃えた。

 

十枚の天使が、一斉に破壊される。従天使が、鎖使いが、騎兵が、書記官の同輩たちが——砕けながら、それぞれの権能を置き土産に発動していく。符叢が切り直され、札が引かれ、引かれた札がまた次の天使を送り出す。破壊と再生の連鎖が、金色の竜巻になった。

 

その中心で、ルクシエルが目を開けた。

 

「……ようやく、私の出番ですね」

 

戦えない天使。不可侵の聖性。触れることすら許されない存在が——十翼の帰天を薪にして、初めて、戦うことを許される。

 

黄金の鎖が、天使の背から翼のように展開した。一本、二本——数え切れない鎖が、夜明け前の空を格子に区切っていく。

 

「世一様」

 

ルクシエルは、ほんわりと笑った。この状況で、いつも通りに。

 

「あなたが選ぶなら、私はその道を否定しません。天軍を薪にすることも、魔女と轡を並べることも、神様と喧嘩することも。……ぜんぶ、あなたの選んだ道ですもの」

 

「ああ」

 

「それでは——お仕事をしますね」

 

鎖が、放たれた。

 

九柱の盤面へ、九本の光背へ、金色の格子が殺到する。雷の武神が鎖に巻かれ、皇城の結界が鎖に縫い止められ、水鏡が、勅封が、常世苗が——一柱ずつ、丁寧に、絡め取られていく。

 

破壊ではなかった。

 

拘束ですらなかった。

 

繋がれていくのだ。九つの、行き場をなくして荒れていた神格が、一本ずつの鎖で、確かな場所に。

 

「鎖は、縛るためだけのものではありません」

 

ルクシエルの声が、嵐の和音を割って通った。

 

「——繋ぐためにも、あるのです」

 

最後の一本の鎖が、光の柱の中心へ、まっすぐに飛んだ。

 

九本の光背ごと、小さな体を、ふわりと絡め取った。

 

引き倒すのでも、締め上げるのでもない。迷子の手を引くように、金色の鎖は御衣の娘を、ゆっくりと地上へ、俺の方へ、手繰り寄せた。

 

円の外で、紅炉煉十郎が、長い息を吐くのが見えた。

 

「……三十年」

 

男は誰にともなく言った。

 

「三十年、再現できるものだけが帝国を支えると信じてきた。……今夜のあれは、二度と再現されない。あの符叢も、あの盤も、あの——約定の追加も。一度きりで、消えるものだ」

 

捕虜の男は、降り始めた花弁を見上げた。

 

「一度きりのものが、国を救うことも、ある。……計算し直すことが、また増えました」

 

白陽の声が、静かに夜を締めた。

 

「——勝者、挑戦者。神遊び、これまで」

 

嵐が、終わった。

 

暴風だった桜が、ただの花吹雪に戻って、白原の上に雪のように降り始めた。昼のように満ちていた星が、一つずつ、夜明けの空に溶けていく。九本の光背は、翼を畳むように細くなって、娘の背中に還っていった。

 

俺は手札を放り出して、落ちてくる体を受け止めた。

 

四十枚の札が夜明けの風に散るのを、生まれて初めて、惜しいと思わなかった。

 

────

 

腕の中で、栞は長いこと、目を覚まさなかった。

 

呼吸はある。熱もある。九柱の封は、漆箱の中で寝息のような音を立てている。降り続ける花弁が、御衣の上に静かに積もっていく。

 

夜が明け切る頃、睫毛が動いた。

 

「……せいち、さん」

 

「おう」

 

「……わたし……勝てましたか」

 

「勝った。——二回ともな」

 

「……にかい……?」

 

栞は不思議そうに瞬きをして、それから周りを見た。降る桜。夜明けの白原。遠巻きに膝をつく数千の兵。斜めに傾いだ光の盤の残骸と——盤の縁の、押し花の栞。

 

「……あの……わたし、煉十郎さんに勝ったところまでは、覚えて……それから……」

 

「あとで全部話す。長い話だ」

 

「……はい」栞は素直に頷いて、俺の腕の中で、もう一度目を閉じかけて——閉じる寸前、小さく言った。「……これ、夢じゃないなら……おろして、ください……みんなが、見て……」

 

「見せてる」

 

「……えっ」

 

「黙って抱かれていろ。これも政だ」

 

「……ま、政……」

 

栞が真っ赤になったまま固まった。九柱の封が、漆箱の中で、笑うように一度鳴った。

 

────

 

始末は、夜明けの光の中で進んだ。

 

白陽が古式に則って結果を宣した。神遊びの勝者・式世一。敗者・皇祖の九柱。賭けは願いひとつ。

 

「で、願いは?」白陽が聞いた。「今言うの? 神様相手の願いなんて、滅多に言えるものじゃないわよ」

 

「預けておく」

 

「……預ける?」

 

「期限なし、利子つきだ。言いたくなったときに言う」

 

白陽は目を丸くして、それから、心底おかしそうに笑った。数百年もので初めて聞く、声を立てた笑いだった。

 

「神様相手に貸しを作るの、あなた。……ふふ、ふふふ。面白い男ね、ほんとうに」

 

漆箱の中で、九つの鈴が、了承のように一斉に鳴った。九柱は律儀だ。貸し借りの数は、神の側でも数えているらしい。

 

それから俺は、全軍の見ている前で、栞——符帝空夜の前に膝をついた。

 

完全な、臣下の礼だった。

 

「式符侯 式世一。陛下の御身の平癒を寿ぎ、変わらぬ忠誠を誓います」

 

円がどよめいた。当然だ。たった今、九柱の神を符闘で下した男が、その神々の主に、誰よりも深く頭を下げている。

 

これでいい。表の形は、これで完璧だ。

 

暴走した符帝を唯一鎮められる忠臣符侯。帝国の誰もが、これからそう呼ぶ。呼ばせておく。

 

裏の形は——これから、ゆっくり決める。預けてある願いと一緒に、な。

 

「……せ、世一さん、あの、頭を上げて……」栞が慌てて、それから周囲の視線に気づいて、慌てるのをやめて、息を一つ吸った。

 

「——面を、上げてください。式符侯」

 

朕でも、わたしでもない声だった。震えの芯に、確かに支柱の通った、符帝の声。

 

「此度の働き、帝国千年の記録に残します。……あなたには、いずれ、褒美を」

 

「望みのままに」

 

俺は顔を上げて、笑ってみせた。栞の耳が、御衣の襟の上で赤かった。

 

────

 

撤収の喧噪の中で、エーデルガルトとルクシエルが、盤の残骸の前に並んで立っていた。

 

「……不本意ですが」と魔女が言った。「良い鎖でした」

 

「あなたの衣も、良いお仕事でした」と天使がほんわり返した。「殿の膝を守った黄色の衣、とても綺麗でしたよ」

 

「……守り切れずに膝をつきましたが」

 

「あら。膝をついても守るのが、守り手でしょう? 私、見ていました」

 

「…………調子が狂う」

 

魔女は原符に戻り際、一度だけ振り返った。

 

「二度とやりたくありませんが。……二度目があるなら、また、この並びで」

 

「ふふ。記録しておいてもらいましょうね」

 

ビブリエルが、聖典を抱えて頷いた。

 

「記録、完了です。神遊び全二百十四手、一手残らず——あっ、いけない、インクが袖に……わわ……」

 

書記官の慌てる声を最後に、三枚の札は、朝の光の中で静かに眠りについた。

 

白原の上では、まだ、桜が降り続けていた。

 

もう、誰も脅かさない降り方で。この地の主の、目覚めを祝う降り方で。

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