『神符大戦 ──世界大会決勝で負けて底辺に堕ちた男、TCGの勝敗が全てを決める異世界で美少女達を調教しながら盤面制圧を目指す──』 作:シキセ
帝都からの文には、近ごろ決まって、同じ愚痴が書いてある。
近侍の手跡で、公文書の体裁で、要するに愚痴だ。
——宰相閣下、本日も御前にて申し上げらる。「陛下、遠海への行幸は今月三度目にございます」と。陛下の御答え「月一の協定があります」。宰相閣下、協定の相手方と法的根拠を問うも、陛下は御口を閉ざされ、ただ御機嫌うるわしくあらせられ候。
協定の相手は元暗殺者の娘で、法的根拠は団子の献立である。宰相が知ったら卒倒するだろうから、俺も口を閉ざしている。
内乱の後始末は、おおむね形になった。
煉十郎の公判は帝都で開かれ、律令に則って裁かれた。首は刎ねられなかった。空夜が最後の裁可で減じたからだ——「この者の帳簿の才は、獄で腐らせるには高くつきます」。廃立派の資産清算と、式符化された兵たちの治療の調べ。その二つを、監視付きの終身の役務として課した。合理主義者は「……効率的な判決です」と一言だけ述べて、深く頭を下げたという。
甲号たちは、病人の名簿のまま、帝都の施療院にいる。ヴァンダリアの術式を解く手がかりは、まだない。聖教の奇蹟か、符皇時代の古符の技術か——白陽は「宿題ね」とだけ言って、茶を啜っていた。
ヴァンダリアは兵を退き、三年の不干渉を呑んだ。クラウスは国境で一度だけ振り返り、随行の記録官に何かを書き取らせたそうだ。内容は分からない。分かりたくもないが、たぶん俺の観測値だろう。
そして帝国の新しい語り草は、戦の話ではない。
行幸の話だ。
即位このかた玉座から動かなかった符帝が、月に何度も、東の遠海領へ行く。名目は毎回同じ。「内乱鎮定の功労者・式符侯への論功、ならびに遠海領の視察」。三度目あたりから誰も名目を信じなくなり、五度目あたりから誰も気にしなくなった。符帝が息災で、政務が回り、裁可が速い。文句の出どころがなかった。
────
行幸の日の遠見には、決まった手順がある。
昼、行列が着く。俺は符侯として街道まで出迎え、君臣の礼を交わす。空夜は御衣で輿を降り、完璧な符帝の顔で論功の口上を述べる。周囲に諸家の目がある間は、一分の隙もない。あの娘の「表」は、この数か月で恐ろしく上達した。
夕、奥殿に入る。
そこから先が、儀式だ。
苑子が預かっている衣装箱には、書記見習いの普段着が、洗って畳んで仕舞ってある。空夜は奥の間で御衣を脱ぎ、九柱の紋を衣桁に掛け、木綿の着物に袖を通す。髪を解いて、簪を一本だけ残して、最後に、押し花の栞を胸元に差す。
戸を開けて出てくるのは、栞だ。
「——ただいま、もどりました」
廊下の先では、毎回、夜長が待っている。猫は行列の到着ではなく、この戸が開く音にだけ反応する。あの獣の帳簿では、輿で来るのは知らない偉い人で、この戸から出てくるのが飼い主なのだろう。正しい帳簿だと思う。
「おかえり」と風音が言う。
「おかえりなさい」と小夜が言う。「今夜は秋刀魚です。献立表の、三十七番」
「……っ、はい!」
それだけで、符帝の顔が終わる。
────
今回の行幸の昼下がりは、庭が騒がしかった。
「——全力って言ったよね!? 今の絶対手加減したでしょ!」
「し、してません! 建御雷はちゃんと出しました!」
「出しただけで殴ってこなかった!」
「だ、だって風音さんの符叢、あと三枚で……殴ったら終わっちゃうから、もったいなくて……」
「符闘で相手に同情するな——!」
約束の全力符闘は、これで四戦目になる。戦績は空夜の四連勝。ただし風音は毎回、確実に何かを掴んで帰る。今日は建御雷の攻撃独占の癖を突いて、二度も本体に風を通した。九柱相手に二度通れば、独立符士としては勲章ものだ。
「次! 次こそ勝つ!」
「ふふ……いつでも、受けます。朕は逃げも隠れもしません」
「朕って言うほど追い詰めてるってことね。よし」
縁側では、英稟が大きくなった腹を抱えて、目を細めて観戦していた。臨月が近い。藩屏の武人は産休を命じられて、命じた符帝に対して初めて「不服です」と言い、符帝に「却下します」と返されて、しぶしぶ従った。
「……蹴りました」と英稟が言った。
途端に、符闘が中断された。符帝が転がるように縁側へ来て、独立符士と元暗殺者がそれに続いた。
「さ、触っても……!」
「どうぞ」
御手が、臣下の妻の腹に、恭しく当てられた。周囲の女官が今日も卒倒しかけていたが、慣れというのは恐ろしいもので、卒倒しかけただけで済んでいた。
「……動いてます……! 英稟さん、この子、符気が強いです。もう、脈が符士のそれです」
「陛下にそう言っていただけるなら、星宮の千年も安泰です」
「生まれたら、わたしが符名を——あ、いえ、それは親が……で、でも、お祝いの式符を贈るのは、いいですよね? 九柱に相談して、いい札を——」
「陛下」俺は言った。「うちの子の初符叢を勝手に組むな」
「せ、政務です! 次代の藩屏の育成は、国家の政務です!」
朔と澄は、その騒ぎの足元を、つかまり立ちと高速の這い這いで通過していった。生まれて十月になる。澄は夜長を追い回すのが日課で、夜長は追われるのが仕事だと諦めた顔をしている。朔は誰に似たのか、転がっている式符を無言で集めて積む遊びを覚えた。冬子は「帳簿の才です」と言い、俺は否定できなかった。
────
夜話は、今夜も長かった。
俺は廊下の柱の陰で、いつも通り、聞くともなしに聞いていた。もはや誰も咎めない。先週など苑子が黙って座布団を置いていった。
「——で、宰相がまた小言なわけ」
「はい……『陛下、御裁可が速すぎます。諸卿が追いつきませぬ』って……ど、どうしろと」
「遅くても速くても怒られるんだ、偉い人って」
「大変ですね、符帝」と小夜。「はい、秋刀魚のわた。一番おいしいところです」
「……っ、いただきます……。あ、あのですね、それで帝都で、神廟の調べが始まったんです。最奥の封印の。ルクシエル様が昔『何か封じられている』って仰った——」
「出た。次の宿題」
「九柱も、あそこのことになると、歯切れが悪くて……『古い約定』としか。……白陽さんは何か知ってそうなんですけど、聞くと『そのうちね』って笑うだけで」
「そのうち、っていつ」
「白陽さんの『そのうち』は……たぶん、十年単位です」
笑い声。それから、献立表をめくる音。
「三十八番、年越しの蕎麦。……栞、年末は」
「——来ます。絶対、来ます。朕の名において」
「はい、朕いただきました」
「今のは公式です」
障子の中の灯りが、柔らかく揺れていた。三人の夜話が四人になって、四人の夜話が、この家の一番いい時間になった。
俺は柱を離れた。今夜は、この後に予定がある。
────
夜半、俺の部屋の戸が、小さく叩かれた。
入ってきたのは、栞の服のままの娘だった。木綿の着物に、解いた髪に、胸元の押し花。
「……せいちさん。今夜の、その……ご予定は」
「お前だ」
「……っ♡ ……ご、ご予定に入れていただけて、光栄です……」
「今日はどっちを抱く」
聞くと、娘は少し考えて、悪戯を思いついた顔をした。
「……今夜は、栞を。……明日の朝、帝都に発つ前に——空夜を。……両方の予定を、入れてください」
「欲張りになったな」
「……契約なので。履行は、たっぷりが良いかと」
「言い方をどうにかしろ」
木綿の帯は、御衣よりずっと簡単に解ける。簡単に解けるのが、栞の服のいいところだ。
「……んっ♡ ……ふふ、月に三度も来てるのに……毎回、最初の夜みたいに、どきどきします……」
「毎回、あれを考えてるからだろう」
「——っ♡」
図星の音がした。
「……だ、だって……『今日かな』って……毎回、思うんです……仕込む日……。教えてもらえないから、毎回、体が勝手に、覚悟して……っ♡」
「いい覚悟だ。今夜も教えん」
「……極悪です……っ♡ ……極悪で……すき……♡」
灯りをひとつ落として、押し花の栞だけ、文机の上に丁寧に避難させた。それから、たっぷりと履行した。
腰を進めるたび、娘の声が丁寧語を脱いでいく。三月かけて剥いた声は、何度聞いても、俺の帳簿のどの頁にも記載できない音がする。
「……せいちさん……せいちさんっ……♡♡ ……きょうも……なかに……っ♡♡♡」
「ああ。……いつも通りだ」
「……いつもどおりが……いちばん、すき……っ♡♡♡」
九柱の封は、今夜は帝都の宝物殿だ。それでも、事が果てた瞬間、文机の押し花が、ほんのかすかに香った気がした。神々の帳簿にも、今夜の分が記帳されたのだろう。
腕の中で、娘はすぐに寝息を立てた。月に三度の強行軍で、いつも寝不足のまま来る。寝不足のまま来て、ここで一番よく眠る。
窓の外の庭で、桜の若木が、季節外れの蕾を一つだけ、ほどいた。
去年の狂い咲きの木から採れた種を、苑子が植えたものだ。狂い咲きはもうしない。ただ、主が悦んだ夜にだけ、一輪か二輪、こっそり咲く。庭師は首をひねっているが、この家の人間は、誰も理由を聞かなくなった。
────
翌朝、空夜を抱いてから(予定は履行された。両方だ)、行列を見送った。
街道の途中まで、風音と小夜と夜長が付いていき、いつもの角で手を振って別れる。簾の隙間から小さい手が振られて、行列は花のない普通の街道を、普通に遠ざかっていった。
普通に、また来るからだ。
その足で、茶屋に寄った。
白陽はいつもの席で、いつもの顔で、茶碗を包んでいた。俺が座ると、符束が出てくる。内乱があろうと、神遊びがあろうと、この卓の上だけは何も変わらない。
「行った? お姫様」
「行った。月末にまた来る」
「まめねえ、お互いに」
数手、静かに進んだ。白陽の手は今日も無駄がなく、そのくせ時々、遊びとしか言いようのない札を混ぜてくる。神遊びを見てから、この女の打ち筋の意味が、少しだけ分かるようになった。全部、あの原型の名残なのだ。
「ねえ」と白陽が言った。「いい時代になりそうよ」
「そうかい」
「そうよ。符帝が笑って、庭で桜が咲いて、軍鑑符闘の記録が四百年ぶりに更新されて。……あなたのおかげ、と言ってあげてもいいけど、言うと調子に乗るからやめておくわ」
「もう言ってる」
「あら」
白陽は一手打って、俺の布石を一枚剥がした。それから、手を止めずに、なんでもないことのように言った。
「……そのうち、あなたには古い話を、ひとつしないといけないわね」
「古い話」
「南の海の、大きな蛇の話。私と、符皇と、それから——まあ、いいわ。まだ先の話よ。たぶんね」
「たぶん、というのは」
「南の水が、少しだけ温くなってきた、という程度の話。……今は、まだいいの。あなたは月末のお姫様の相手と、生まれてくる子の名前でも考えていなさい」
白陽は茶を啜って、盤に目を戻した。
「もう一手よ」
俺の番だった。確かに、俺の番だった。
大きな蛇。神廟の封印。南の水。……宿題の頁が、また一枚増えた気配がしたが、俺は言われた通り、今は目の前の盤に戻ることにした。この女の「そのうち」は十年単位だと、うちの符帝も言っている。
────
屋敷に戻って、俺は執務室の帳簿を開いた。
内乱からこっち、つけ続けている私的な帳簿だ。貸しと借り。読みと結果。望んだものと、望まなかった経路。——最後の頁だけが、ずっと白いままになっている。
手駒にしたのか、取り込まれたのか。
答えを書くための頁だが、今日も書く気にならなかった。代わりに俺は、文机に避難させたまま忘れていった押し花の栞を——あの娘はまた置いていった。わざとだろう——手に取って、白い頁の間に、挟んだ。
帳簿は、これでいい。
数字で書けない収支は、花で挟んでおくに限る。