『神符大戦 ──世界大会決勝で負けて底辺に堕ちた男、TCGの勝敗が全てを決める異世界で美少女達を調教しながら盤面制圧を目指す──』 作:シキセ
旧市街の下町にある路地裏。酒場「煙銀亭」の看板娘、小鳥遊紬は、買い物帰りにたちの悪い不良符士たちに絡まれていた。
「おいおい、可愛いお嬢ちゃん。ちょっと俺たちと遊ぼうぜ。カードを賭けた符闘で負けたら、大人しく言うことを聞くってのはどうだ?」
「や、やめてください! 私、符士じゃありません! 通してください!」
紬は必死に身をすくませて抵抗するが、不良たちはせせら笑いながら、彼女の華奢な腕を掴もうと手を伸ばす。
「そこまでだ」
鋭い声とともに、符士見習の修練服を身にまとった若い男が路地裏に現れた。
紬には見覚えのない顔だった。ただ、その声の静けさと、符叢をさりげなく抜いた手の落ち着きが、素人目にもただ者ではないと感じさせた。
「お前たち、女相手に無粋な真似をするな。相手が欲しいなら、俺が受けて立つ。賭けるのは、この俺の符叢だ」
不良たちは律也の若さを見て、小馬鹿にしたように笑った。
「へえ、三神家のガキか。いいぜ、遊んでやるよ! そのナメた態度、後悔させてやる!」
路地裏の狭い空間に、光のフィールドが展開される。簡易符闘の開始だ。
不良符士は威勢よくカードを召喚するが、律也の目は冷静だった。彼は華麗な手さばきでカードをドローし、流れるようなコンボでフィールドを制圧していく。
「これで終わりだ! 『火車』、攻撃!」
律也の指示とともに、炎をまとった強力な式符が不良の守りを一気に粉砕した。
「う、嘘だろ……! なんだこの強さは!」
山札を削り取られた不良たちは、捨て台詞を残して這う這うの体で逃げ出していった。
フィールドが消え、静けさが戻る中、律也は式符を素早く片付けて紬のもとへと駆け寄った。
「怪我はないか? 怖かっただろ」
「あ……っ、はい。大丈夫、です。ありがとう、ございます……すごく、格好よかったです」
紬は赤くなった顔を隠すように俯いた。律也は少し照れくさそうに頭を掻いた。
「それはよかった。父さんの遺してくれた符叢が、役に立ったんならいい。……危ないから、店まで送っていくよ。どのへんだ?」
「すぐそこの——煙銀亭、です。私、そこで働いていて」
「知ってる。旧市街じゃ名前の通った店だろ。じゃあ行こう」
並んで夕暮れの街を歩き始めて、しばらくして律也が口を開いた。
「俺は三神律也。甕星流の修練生だ。あんたは?」
「小鳥遊紬、です。……律也さん、って呼んでもいいですか」
「律也でいい。……紬、か。覚えた」
紬は俯いたまま、胸の奥がじわりと温かくなるのを感じた。
(律也、さん——)
———
翌日、律也は煙銀亭に来た。
理由は特に言わなかった。「腹が減ってた」と一言だけ。紬は「いらっしゃいませ」と言って、頬が赤くなるのを誤魔化しながら奥の席へ案内した。
それから、律也は週に何度か顔を出すようになった。
昼前の空いた時間帯、紬が片付けをしながら話しかけると、律也は短く、しかし誠実に答えた。
「修練って、どんなことするんですか」
「基礎はひたすら手順の反復だ。ドローの精度と展開の速さ。あとは対人戦で読む力を磨く」
「難しそう……」
「やっていれば慣れる」
「楽しいですか?」
律也は少し間を置いてから答えた。
「好きだ。父さんが使っていた符叢を持って戦うのは——理屈じゃなくて、意味があると思ってる」
「……陣さん、ですか。有名な方だったんですね」
「強かった。俺はまだそこまで遠い」
淡々とした口調だったが、律也がそれを語る時だけ、少しだけ声のトーンが変わった。紬はそれに気づいて、何も言わなかった。代わりに、いつもより少し多めに飯を盛った。律也は何も言わずに全部食べた。
———
ある昼下がり、紬は修練場の外まで来た。
「来るとは思わなかった」
律也は驚いた様子もなく、ただ少し目を細めた。
「邪魔でしたか?」
「……別に」
迷惑そうではなかった。修練場の端の石段に紬が腰を下ろすと、律也は何も言わずに対戦相手の修練生と向き合い、続きを始めた。
紬は初めて間近で見る符闘を、じっと眺めた。
難しいことはわからなかった。式符の種類も、戦術の意味も。ただ、律也が符叢を操る手つきには、不思議な静けさがあった。場が荒れていても、相手が勢いよく攻めてきても——律也の動きは変わらない。揺らがない。
一本取ったあと、律也は石段の傍まで来て水を飲んだ。
「どうだった」
「……すごく、静かだと思って」
「静か?」
「戦ってるのに、全然慌てないじゃないですか」
「慌てたら負けるから」
「そういうもんなんですね」
「まあ、本当に強い相手と当たると慌てるが——父さんとやると、いつもそうだった。一手先を読んでもさらに先を行かれる。まだ追いついてない」
律也は水筒を持ったまま、ふと遠くを見た。
紬はその横顔を眺めながら、(いつもそうだ)と思った。律也は紬と話している時でも、どこかもっと遠い場所を見ている。父親の背中か、誰かが立っている舞台か——紬にはわからなかったが、それがこの人だと思っていた。遠くを目指している人の顔だと。
「俺のこと、見てどうするつもりだ」
「え」
「修練場まで来て」
「……応援、しようかと思って」
律也は少し間を置いてから、「そうか」と言った。それだけだった。しかし帰り際、石段を離れる紬に向かって、律也は短く付け加えた。
「また来てもいい」
紬は後ろを向いたまま、「はい」と言った。顔が赤くなっているのを見られたくなかった。
———
選抜が決まった週、律也が煙銀亭に来て言った。
「予選を勝ち抜いた。遠海学園代表として全国大会に出場できることになった」
「……全国大会!」
「甲種の頂点だ。出られるのは各学園から一人だけ」
「すごい……すごいです、律也さん」
律也は少し照れくさそうに視線を逸らした。
「まだ出場するだけだ。勝つまでは自慢できない」
それから律也の来る頻度が減った。修練に費やす時間が増えたのだろう。紬は何も言わなかった。ただ、久しぶりに顔を出した夜、いつもより少しだけ多く飯を盛った。律也は気づかない様子で食べていたが、帰り際に一度だけ振り返った。
「旨かった、今日も」
「……ありがとうございます」
「なんか言いたいことがあるなら、言っていい」
紬は顔を上げた。律也はドアのところで、いつもより少しだけ真剣な目でこちらを見ていた。
言いたいことはたくさんあった。応援してます、とか、絶対勝てます、とか。でも全部どこか軽い気がして、うまく出てこなかった。
「……勝ってきてください」
しばらく間があった。
「それだけか」
「……それだけです」
律也は何も言わなかった。ただ、出口に向かう前にもう一度こちらを見て——少しだけ、眉を下げた。笑顔ではなかった。でも、紬が今まで見たことのない顔だった。
「待ってろ」
たったそれだけ言って、律也は夜の旧市街に出ていった。
紬はカウンターの布巾を握ったまま、しばらくその場に立っていた。
(待ってろ——)
胸の奥がじわりと締め付けられて、顔が熱くなった。
(知ってた。ずっと、知ってた——だから、怖かった)
———
律也は全国大会に出た。そして——負けた。
詳しいことは紬には聞こえてこなかった。ただ、その後、律也が煙銀亭に来なくなった。誰かから聞いた話では、修練場にも顔を出していないらしい。父親の符叢を、半分手放したとかそうでないとか。噂はいくつも届いてきたが、紬には確かめる手段がなかった。
(待ってろ、って言ってたのに)
夕暮れの路地裏を通るたびに——あの夜のことを思い出した。炎をまとった式符が不良符士の守りを打ち砕いた瞬間。初めて名前を呼ばれた時。遠くを見ていたあの横顔。
好きだった。
ちゃんと好きだった。
だから——
(早く、帰ってきてください)
これが、二人の始まりの話。彼らがまだ何も失っていなかった頃の——そして、律也だけが何かを失ってしまった頃の、夕暮れの街の話。