『神符大戦 ──世界大会決勝で負けて底辺に堕ちた男、TCGの勝敗が全てを決める異世界で美少女達を調教しながら盤面制圧を目指す──』 作:シキセ
遠見市の路地の奥に、看板のない符商がある。
知らなければ通り過ぎる。扉の上に小さな符紋が彫ってあるだけで、屋号も値札も貼っていない。訊いた者にだけ場所を教える、そういう種類の店だ。英稟の家の書庫で傍証を見つけて、自分で足を運んで確かめた。
俺がここに来るのは三度目だった。
目当ては「天眼の使符」だ。
相手の動線を一手だけ強制停止させる効果を持つ。今の遠見市の環境で多く見るコンボルートへの回答として機能するが、発動タイミングの制約が厄介で、使い手を選ぶ。上手く扱えるかどうかは、それまでの動線の設計次第だ。設計が甘いと手札で腐る。だから相場が安い。環境対応カードとして認識されていない分、誰も高く買わない。
俺には、使える確信があった。
棚の端から順番に確認していくと、中ほどのスリーブなしのまとめ売りの中にあった。一枚取り出してテキストを読んだ。読んだことはあるが、実際に手で持つと重さが違う。このカードを採用するなら前後の動きはこう変わる、という思考が動き始めるから重く感じる。そういうものだ。
扉が開いた。
入ってきたのは、女だった。
俺の注意を引いたのは最初、色だった。銀白の髪が、昼過ぎの薄い店内の光の中で妙に落ち着いて見えた。白というより、光を返さない白だ。目立つはずの色なのに、入ってきた瞬間から店の空気の中に溶けるようだった。
次に、線の細さだった。背は高くない。肩は薄い撫で肩で、袖口から出た手首は折れそうに細い。胸元にも腰にも起伏がほとんどなく、服の布が身体のどこにも引っかからず、そのまま下へ落ちている。ちゃんと食っているのか、と余計な心配が先に立つような薄さだった。なのに、立ち姿に頼りなさがない。細いだけの人間は棒のように立つが、この女は水のように立っていた。
外套はない。帽子もない。符士が符商に来る時の一般的な格好というものがなんとなくあるが、その女はそのどれでもなかった。ただ来た、という服装だった。
女は入ると俺の隣の棚の前に立った。足音がしなかった。板張りの床で、だ。俺を確認するでもなく、棚をぼんやりと眺めた。淡い灰銀の瞳は半分ほど瞼に隠れていて、眠そうなのか、元からそういう目なのか、判別がつかない。表情というものが、顔の上でほとんど動いていなかった。
欠伸をした。口元に手を当てるでもなく、ただした。細い顎がわずかに上がって、また戻った。店の外の音が一拍、聞こえた気がした。
俺が手に持っていた「天眼の使符」を、女の視線がちらりとかすめた。一秒に満たない、本当にそれだけの視線だった。
「それ、使いにくいわよ」
低くも高くもない声だった。静かな声だ。
俺は何か言う前に、言葉の続きを待った。批評するなら根拠がある。根拠を聞いてから判断する。
「でも嫌いじゃない手ね」
それだけだった。
女は棚から一枚だけ抜いて、カウンターへ向かった。俺が「どういう意味ですか」と言おうとした時には、女はもうレジで小銭を出していた。顔を向けた時には扉が閉まる音だけが残っていた。
俺は手の中の「天眼の使符」をしばらく眺めた。
使いにくい、というのはその通りだ。だが「嫌いじゃない手」という言い方は、カードへの評価ではない。それを使う人間の思想への言及だ。打ち手の言い方だ。
なんだ、あの女。
棚の前でそう思って、俺は「天眼の使符」を四枚買った。
———
一週間後、また会った。
久我家の三男との符闘は、五回戦で終わった。
相手が扱う「風断」軸の速攻型は、序盤の押しつけが強い。一回戦は手札の巡りが悪くて落とした。二回戦は対応策を試した。三回戦以降は相手のパターンを読みながら崩した。五回戦目に相手の山札が尽きた。
拍手はまばらだった。この観覧場は小さい。
俺は頭を下げて、場を離れた。
振り返ったのは癖だ。出口を確認する、という名目を自分につけているが、実際は周囲の反応を把握するためだ。誰が見ていたか。誰の目が動いていたか。この符闘が星宮の名を通した工作の一環であるなら、観客の中に利害関係者がいる可能性を常に考える。
観客席の端に、人影があった。
座っていなかった。端の柱に背を預けて、立っていた。腕を組んで、欠伸をしていた。さっき終わった五回戦への感想が身体に出ているとすれば「まあ、そうね」程度の感想だった。
銀白の髪。
あの符商の女だと、記憶が一致した。
俺は近づいた。数歩の距離だ。女がこちらを向いた。目が合った。
「面白い動線だった」
俺が「あの符商の——」と言いかけた瞬間、女は横を向いた。一秒後には柱の陰にいた。もう一秒後に、そこに人がいなかった。
去った、というより、そこから省かれたようだった。
俺は観客席の端をしばらく眺めた。
面白い動線だった。
さっきの五回戦で、俺が工夫を入れたのは四回戦の中盤だけだった。相手の次の手を二手先まで読んで、本来不利な局面から盤面を組み替える一手を選んだ。他の観客が反応した場面だ。だが、そこに気づくには、その時点で相手の手牌の可能性を並行して読んでいる必要がある。ただ見ているだけでは追えない。
いつからいたのか。
少なくとも四回戦の中盤には、あの柱の場所に立っていたはずだ。その間、俺は気配を感じなかった。気配を感じなかったことに、今の今まで気づいていなかった。
何を見に来て、何を見ていたのか。
俺には判断する情報がなかった。
———
三度目は、茶屋だった。
英稟に関する調整が少し長引いた日の帰り道で、特に疲れているわけではなかったが、腰を落ち着ける場所があるなら使う。旧街道沿いに安い茶を出す店があって、そこに入った。
隅の卓に、銀白の髪があった。
俺の中で何かが識別するより先に、足がそちらに向いていた。
女は一人で座っていた。茶碗を両手で包んで、ぼんやりしていた。細い指が茶碗の熱を集めるように添えられていて、両手で包むと茶碗の方が大きく見えた。眠っているのではない。ただそこにいた、という座り方だった。卓の上には何もなかった。
俺は一つ離れた卓に座った。特に意図はなかった。
茶を頼んで、それぞれの時間を過ごした。
俺は「天眼の使符」を符叢に組み込んだ後の動線を頭の中で確認していた。前後の動きを変えた場合の分岐が何通りかある。問題ない、という結論が出て、気が散った。
女が動いたのは、俺の茶が来てから少ししてだった。
懐から符束を出した。卓の上に置いた。手のひらで押し広げるように、カードを数枚取り出した。横に並べた。整えた。細い指の一連の動きに、迷いも装飾もなかった。
顔を上げて、俺を見た。
「やる?」
申し込みでも確認でもなかった。そういう問いだった。ここに場があるという指定のような問いだった。
俺は自分の符束を取り出した。女の卓に移って、向かいに座った。
「符闘ではなく?」
「ただのゲーム」
女は言った。先攻の初手のようにカードを二枚並べた。
符闘ではない。神秘存在が実体化することも、魔力のラインが地を走ることもない。卓の上にカードがあって、互いに手を打つ。元から、ゲームとはそういうものだ。
序盤の女の手は、素直だった。
素直、というより——無駄がなかった。効果を積み上げてフィニッシュに向かう標準的な動きで、奇抜ではない。だが一手ごとに、余分な動きが一切ない。テキストの効果をすべて把握した上で、最も少ない手数で局面を進める動きだ。
俺は相手の手を読みながら返した。
数手目で、違和感に気づいた。
読めない、ではない。読めるが——読んだ通りに来ない。こちらの対応策をAとBで考えていると、Cが来る。Cを想定してABCを準備すると、Aが来るが微妙に文脈が違う。「外れる」のではなかった。どちらでもある、という打ち方だった。
こういう打ち方を俺は知っている。元の世界で、長年のキャリアの中で数人だけ遭遇した打ち方だ。世界の頂点を争う卓で、ごく稀に。「どちらでもある」のは、どちらを選んでも最善という局面を作り続けているからだ。一手の選択に結果が依存しないように盤面を設計する。だから読まれても構わない。
読み合いを放棄しているのではない。読み合いの一段上に座っている。
ここまでやる人間が、なぜ茶屋の片隅で名乗りもせず符束を広げているのか。
俺が考えながら中盤に差し掛かった時、少し意地悪な手を選んだ。相手の次の選択肢を一つ潰すために、この局面では本来使わない動きをした。現行の環境メタの外側から来る一手で、環境を知らなければ意図が見えない。
女が手を止めた。一呼吸分だけ。
「ああ、こういう感じだったのね」
独り言のような声だった。
俺は手を止めずに聞いた。「何が?」
「昔のこと」
それだけだった。女は遠くを見た。卓の上ではなく、もっと遠い場所を見た。一呼吸して、また手を打った。何事もなかったように、次の局面に入った。
昔のこと。
その言葉の続きを引き出す隙を、女はくれなかった。
俺はカードを動かした。茶屋の外で、遠見市の昼の音がしていた。日が傾いてきたころ、どちらが先ということなく、互いに符束をしまった。どちらが勝ったかわからないまま終わった対戦だった。どちらも、それでいいと思っていた。
立ち上がりながら、俺は気づいた。
名前を聞いていなかった。
そしてもう一つ。この数刻、俺は星宮家のことも、早雲家のことも、盤面の外のことを何一つ考えていなかった。この世界に来てから、初めてのことだった。
———
気づいたら、定例になっていた。
説明はない。ある日から、茶屋に行くと女がいた。同じ席に、同じようなぼんやりとした顔で座っていた。茶を持って、符束はまだ出していない状態で。俺が来るのを待っていたのかどうかも分からない顔で、そこにいた。
俺の側にも変化があった。英稟の調整の予定を組む時、あの茶屋の前を通る帰り道を、意図的に選ぶようになっていた。誰に指摘されたわけでもない。ただ、予定表の中にその時間が確保されるように、他の用事の方が動いていた。
自覚したのは、雨で茶屋に寄れなかった日の夜だ。妙に一日が収まりの悪いまま終わった気がして、原因を探したら、それだった。
俺は苦笑した。この世界に来てから、勝つための時間と、地盤を固めるための時間しか使ってこなかった。ただ打つためだけの時間が、いつの間にか俺の一週間の中に居座っていた。
悪くなかった。認めるのに、少し掛かったが。
勝敗は、つけるようになっていた。数えてみると、俺の分が悪い。三回やって一回取れるかどうか。元の世界の全盛期を含めても、こんな相手は片手で足りる。いや——正直に言えば、いなかったかもしれない。
負けて、こんなに愉しい相手は。
俺が少し遅れた日があった。
向こうは特に何も言わなかった。俺が座ると符束を出した。いつも通りに始まった。
対戦しながら、女が言った。「最近、環境が変わった?」
「早雲家が動きました。土属性の守備型が増えています」
「ああ」
「知っていますか、早雲家」
「名前だけ。聞いたことがある」
どこで、とは聞かなかった。
今日の女の手は、いつもより一手遅かった。理由は分からない。気が乗らないのかもしれないし、俺が知らない事情があるのかもしれない。そもそもこの女の「調子」というものを、俺はまだよく知らない。会うたびに同じような顔をしているから、調子という概念があるのかどうかも分からない。
中盤に差し掛かって、女が手元の一枚を眺めた。自分が出したカードだった。
「このカード、昔は違う効果だったのよ」
「違う効果? 絶版ではなく、現役のカードですが」
「今の効果になったのは、制度が整備されてから。それ以前は別のテキストがあった」
「どんな効果だったんですか」
「ひどい効果」
女は少し口の端を上げた。笑っているのかどうかわからない動きだった。
「相手の山札を根本から組み替える効果があった。今の競技ルールなら禁止になるでしょうね。ゲームが壊れるから。でも——」
「でも?」
「ただ遊ぶためにやるなら、面白いと思う」
俺は手を打ちながら考えた。制度が整備される前、というのはいつの話なのか。神符帝国の式符制度の歴史は、千年をゆうに超える。元の世界の日本史に匹敵する厚みだ。文献で読んだことのあるカードのテキスト変遷は、それだけの幅がある。俺のアニメ知識は現代の制度を前提にしているから、制度以前の話は情報がない。
「文献に記録されているんですか、そのテキスト」
「残っていないわね」
「では、どうやって——」
「覚えているだけ」
俺の手が一瞬だけ止まった。
覚えている。文献で読んだのではない。
「あなたは——」
女が一手打った。
俺の盤面に、想定していなかった穴が開いた。
「——そこか」
言いかけていた問いが、局面の把握に押しのけられた。女が欠伸をした。小さく、口元に手も当てず。
俺は次の手を考えた。
聞こうとしていた問いは、次の手を考え始めた瞬間に、少し後回しになった。そういうことが、何度かあった。今にして思えば、あれは偶然ではなかったのだろう。問いが核心に近づくたび、盤面の方が急に面白くなった。
———
その日は、対戦が終わって、茶が運ばれてきた。
符束を片付けながら、俺は気づいた。
何度もここで向かい合っていて、名前を知らない。
知らないことは知っていた。ただ、それが変だと思ったことがなかった。ゲームが始まれば名前はいらなくて、ゲームが終わればそれで充分だった。俺は普段、人と接する時に情報を集める。名前、所属、家の格、符士としての実力。最低限の情報は最初に揃える。それが俺の動き方だ。
なのにこの女に対して、一度もそれをしていなかった。
考えて、少し分かった気がした。この女について、そういう情報が役に立つ気がしなかった。名前を知っても、所属を知っても、目の前にいるこの人間への理解が増える気がしなかった。それより卓の上の手の動きの方が、この女について何かを教えてくれる気がした。
そう感じていたことを、今気づいた。
「名前、聞いていませんでした」
女は符束をしまいながら、顔を上げなかった。
「白陽」
「しらひ、ですか」
「そう」
「苗字は?」
「ないの」
俺は少し間を置いた。「なんで」
白陽は符束をしまい終えて、顔を上げた。茶碗を両手で包んで、窓の外を見た。遠見市の夕方の路地に、傾いた日が伸びていた。
「苗字が生まれる前から生きてるから」
俺は半笑いになった。「冗談ですか」
白陽は笑わなかった。
窓の外を見たまま、少しの間だけそこにいた。俺の笑いが収まるのを待っているような間ではなかった。ただそういう間だった。それから、また俺の方を向いた。
「もう一回やる?」
符束を卓の上に置いた。
俺は自分の符束を取り出した。
——冗談だと思いたかった。
ただ「思いたい」という気持ちは、「そう思えない」という感触と一緒に来る。この女がカードを打つ時の速度に、千年単位の蓄積を感じるような気が、以前からしていた。根拠はない。そう感じる、というだけだ。
俺はカードを切りながら、その名前をもう一度だけ頭の中で確かめた。
白陽。しらひ。
苗字が生まれる前から。
俺は黙ってカードを並べた。
———
季節が一つ動いた。
その日の対戦は、序盤から俺のペースだった。
白陽の初手が珍しく、俺の予測より一手遅かった。気が乗らないのかもしれない。相変わらず、白陽の調子というものは読めない。
中盤に差し掛かって、白陽が手元のカードを一枚、手番でもないのに持ち上げた。
「これ、昔は違う効果だったのよ」
「また昔の話ですか」
「また、って」
「前にも聞きました。絶版になった効果があるって」
「そうね。でもこっちは別の話。今も現役のカードだけど、テキストが変わった」
俺は盤面を確認しながら聞いた。「いつ変わったんですか」
「制度ができた頃」
「符闘のルールが整備された時期」
「その少し前。整備するために変えたの。遊びのルールを競技のルールにする時に、ルールから外れる効果を整理した」
俺は手を止めた。「遊びのルールを競技のルールにする」
「符闘は最初、遊びだったの」
白陽はカードを卓に戻した。自分の手番に、一枚打った。
「ルールはあったけど、今みたいに制度として固まっていなかった。もっと自由だった。面白いことが出来た。だから時々、あの頃のことを思い出すわね」
「あの頃」
「うん」
あの頃、という言い方だった。文献で読んだ過去の話をする時の言い方ではなかった。経験の言い方だった。
俺は返しながら聞いた。「それはどれくらい前の話ですか」
「どれくらい、って——」白陽は少し考えた。「帝国が建って、どれくらいになるか知ってる?」
「およそ二千年、と言われています」
「その帝国が建った時には、もうその整理は終わっていたわね。だいぶ前の話」
二千年。それよりも、前。
「あなたはそれを文献で——」
「いたから」
白陽はさらっと言った。盤面に目を落としたまま、次の手を考えながら言った。
俺はカードを手に持ったまま、止まった。
いた。文献で知っているのではない。現場に。二千年以上前の、式符制度が整備されようとしていた時代の、現場に。
「……どういう意味ですか」
「そのままの意味よ」
白陽は一手打った。俺の山札が三枚削れた。
俺は盤面を見た。確かに三枚削れていた。盤面は続いていた。
「あなたは——」
「もう一手よ」
俺の番だった。
確かに俺の番だった。
俺はカードを選んだ。選びながら、頭の中で白陽の言葉と、ここ数ヶ月の白陽を重ねていた。苗字が生まれる前から生きている、という言葉。覚えている、という過去のカードの効果。あの頃のことを思い出す、という言い方。遊びだったから、という言い方の中にある当事者性。
どういう年数の話をしているのか、俺には計算できなかった。
ただ——カードを選びながら俺が思ったのは、それよりも別のことだった。
この女がここに来て、毎回向かいに座って、カードを打っている。それは何のためなのか。俺を値踏みしているのか。何かを確認しているのか。それとも本当に、ただゲームをしたかっただけなのか。
答えは出なかった。
代わりに、盤面の方が答えを急かしてきた。さっき開いた三枚の穴が、三手先で致命傷に化ける形が見えた。正面から受ければ負ける。受けずに逸らせば、二手後に別の負け筋が立ち上がる。
だったら。
俺は手札の端の一枚を抜いた。「天眼の使符」。最初の日にあの符商で買った、使いにくい四枚のうちの一枚だ。本来ここで切る札ではない。この局面での採用例を、俺は見たことがない。だが白陽の「どちらでもある」打ち方は、一手の選択に結果が依存しないよう盤面を設計することで成立している。なら、その設計ごと一手だけ止めてしまえばいい。
打った瞬間、自分でも笑っていた。
理屈はついている。だが半分は、ただやってみたかっただけだ。この札がこの女に通るのか、見てみたかった。勝ち筋の計算より先に、手が動いていた。こんな打ち方をしたのは、いつ以来か思い出せない。
白陽の手が、止まった。
一呼吸ではなかった。二呼吸、三呼吸。白陽は俺の打った一枚を眺めて、それから俺の顔を見た。
初めて見る顔だった。
感情の読めない、いつもの静かな顔ではなかった。目元が緩んで、口元がわずかにほどけていた。遠いところにあるものを、すぐ近くに見つけた時の顔。強いて言葉にするなら、懐かしい、という顔だった。
「そうよ」
白陽は言った。
「元は、こういうものだったの」
それから白陽は、俺の「天眼の使符」への返し手を打った。俺の想定のさらに外から来る一手だった。盤面が音を立てて組み変わった。
「……容赦がない」
「面白い手には、面白い手で返すのが礼儀よ」
その日の対戦は、俺の負けだった。過去一番の大差で、過去一番、愉しい負けだった。
日が落ちて、茶屋の主人が行灯に火を入れた。符束をしまいながら、白陽が言った。
「また来週も、来るの?」
初めてだった。次の約束めいたことを、白陽の方から口にしたのは。
「ええ。来ますよ」
「そう」
白陽は茶碗の残りを飲み干して、立ち上がった。それだけだった。それだけの返事が、なぜか妙に耳に残った。
俺の向かいに、銀白の髪の女がいた。二千年いたかもしれない女が、今日も変わらず、卓の上のカードを見て、次で俺がどんな手を打つのかだけを楽しみにしていた。
問いは保留になった。ただ、今日のところはゲームを続けることにした。それで充分だった——と、少し後になって気づいた。
白陽といる時間は、いつもそういう時間だった。