『神符大戦 ──世界大会決勝で負けて底辺に堕ちた男、TCGの勝敗が全てを決める異世界で美少女達を調教しながら盤面制圧を目指す──』 作:シキセ
調整五日目の午後。
星宮邸の広い訓練場には、乾燥した土埃の匂いと、火の魔力の熱が漂っていた。
俺と律也が向かい合い、数時間におよぶ練習符闘の最終盤を迎えている頃、それは唐突に訪れた。
「炎武者・骸火、召喚! 追加の早業『火事場の馬鹿力』を発動します!」
律也が鋭く指を突き出す。
彼の足元の魔力回路から、泥の混じった火柱が吹き上がり、焦げた鎧をまとった骸骨の兵が実体化した。その突撃速度は、調整初日とは比較にならないほど鋭い。
俺は手札から金属性の早業『錆びゆく鉄鎖』を静かに提示し、その炎を無力化した。
「攻め急ぎすぎだ、律也。桔梗の『夜猫』が墓地に置かれた時、お前の第二使役式が霊体化していれば、今の連鎖は逆転の引き金になった。もう一ターン引き付けろ」
「……はい」
律也が額の汗を拭い、符叢を腰のホルダーに戻す。
その時、訓練場の重い板戸が、何の魔力警告も発することなくスライドした。
苑子が先導している。その後ろに、見慣れない外套を羽織った少女が立っていた。
少女はフードを外した。
細い糸のような目。小柄で、丸みを帯びた輪郭。一見すると、おっとりとした大和撫子と呼ぶにふさわしい、物静かな佇まいだった。星宮家の軍服とは異なる、土属性の重厚な織り模様が入った格調高い和衣を着こなしている。
「失礼を申し上げます、式世一殿」
少女が小さく頭を下げた。その所作には、一切の無駄がない。
「早雲家長女、冬子と申します。突然の参入、お許しいただきたく存じます」
律也の背筋が、目に見えて強張った。
律也の中で、何かが繋がったのが分かった。早雲家の長女——桔梗の姉。顔も知らない相手のはずだが、名を聞いただけでそれだけの重さを感じ取ったのだろう。
それが早雲家の格だった。
英稟が息を呑み、即座に俺の前に出ようとした。
「早雲冬子……! いかに当主代理であろうと、星宮の邸に単身で踏み込むとは、無礼が過ぎるのではないか」
「英稟様」
冬子は、笑んでいるとも閉じているともつかない細い目元をそのままに、英稟の方へ向き直った。その声には棘も怒りも含まれていない。ただ、静かな湖面のような平坦さがあった。
「星宮家が我が早雲家との東境の帰属を巡る組み符闘を受諾されたこと、重々に感謝申し上げます」
冬子の身体から、目に見えない圧がじわりと滲み出た。
それは、重く、びくともしない大陸の岩盤のような圧力だった。天津甕星の鋭い星力とも、ルクシエルの白金の光とも違う。ただそこに『在る』だけで、あらゆる攻撃を泥の中に沈めて無力化するような、重粘な土属性の霊理。
俺の皮膚が、かすかにピリピリと震えた。
(……堅牢土公。こいつが、早雲家の当主か。噂通り、守備に特化した鉄壁の符叢を象徴するような気配だ)
燎の炎とも、鬼瀬の陰とも質が違う。攻めてくる圧ではない。ただそこに立っているだけで、周囲の空気を沈めていくような重さだった。
(動く前から、これか)
俺は英稟の肩を軽く叩き、彼女を一歩下がらせた。
余裕を崩さない「策士」の仮面を被り、冷淡な笑みを浮かべて冬子を見据える。
「わざわざ当主様が自ら足を運ぶとはな。偵察にしては、少々無防備が過ぎるのではないか?」
「偵察などという姑息な真似は、早雲の家風にはございません」
冬子は静かに手を合わせ、格調高いやまとことばで淡々と告げた。
「ただ、我が弟・浅葱と妹・桔梗を率いて戦う前に、星宮家の新たな『主』となられたあなた様のお顔を、直に拝見しに参りたく存じた次第にございます」
冬子の視線が、一瞬だけ律也へ向いた。
「三神様。桔梗と、五日後に相まみえることになります。どうぞ、お手柔らかに——とは、申し上げません」
律也が黙って頭を下げた。それだけの短いやり取りに、何か測るような間があった。
冬子の視線が、俺へと戻った。
「俺の顔を見て、何か分かったか?」
「はい」
冬子の目元が、わずかに撓んだ。閉じているようにさえ見える瞼の、その細い隙間から覗いた光は——冷徹な符士のものだった。
「あなた様は、この世界の論理の外側に立っておられる。英稟様を隷属させ、三神の子供らを手駒とし、盤面を嘲笑うように操る」
冬子はそこで一息置き、訓練場の隅へ視線を流した。人のいない場所だった。しかし彼女はそこを確かめるように見て——また正面へ戻った。
「侮りであれば、お伝えに来る必要はなかった。あなた様であれば——条件次第では、私の要塞を崩せる」
俺は眉を動かさなかった。
「大きく出たな」
「事実の確認を、大きく出たとは申しません。あなた様のお顔を直に拝見し、確かめたかった。それだけのことにございます」
「顔を見に来ただけ、というわけでもあるまい。手順の話が、まだだ」
「これは、失礼をいたしました」
冬子は懐から折り畳まれた奉書紙を取り出し、両手で差し出した。苑子が受け取り、俺の手元へ運ぶ。開くと、格式ばった書式で対戦次第が記されていた。
「五日後の組み符闘、三本勝負にございます。第一戦、三神律也様と我が妹・桔梗。第二戦、英稟様と我が弟・浅葱。そして第三戦——」
冬子の顔が、真っ直ぐに俺へ向いた。
「式世一様と、この冬子が相務めます」
「当主自らが、最後に出るか」
「早雲の門は、当主が閉じるのが習わしにございます」
つまり、先の二戦を落としても、最後に冬子が立っていれば早雲は崩れない——そういう構えだ。守備の家系らしい、嫌になるほど堅実な布陣だった。
(いいご身分だな)
内心で、古い泥のような感情が頭をもたげた。生まれた瞬間から城壁の内側にいる人間の、この揺るがない立ち姿。元の世界で俺を顎で使った連中と、同じ側の生き物だ。
(だが、この世界では話が違う。その城壁ごと、盤の上でひっくり返してやる)
「盤面以外で語ることは、私にはできません。五日後、東境の符闘場にて——すべては明らかになりましょう」
冬子はもう一度、静かに頭を下げた。
「英稟様。五日後、正面から相まみえましょう」
「冬子……」
英稟が短く声を落とした。
冬子は音もなく背を向けて立ち去った。
その去り際の後ろ姿すら、動かない城壁のようだった。
律也が詰めていた息を、ゆっくりと吐いた。
「……すげえ圧でしたね、今の」
「格が違う。今のお前じゃ、まともに向き合うだけで竦む」
「うっす……」
英稟は何も言わず、冬子が消えた扉を見つめていた。その横顔には、単なる警戒以上の——何か古い記憶を探るような色があった。
苑子が静かに口を開いた。
「……早雲家が、これほど早く動くとは。何か急いている理由があるのやもしれません」
「調べておけ」
「はい」
俺は腕を組んだまま、彼女が去った扉を見つめていた。
(早雲冬子……)
あいつが訓練場の隅を見た瞬間が、頭から離れなかった。
(あそこには、誰もいなかった。だが——まるでそこに誰かがいることを知っているような目だった。あいつは、何を確認した?)
(——現在を見ていない目だった。盤面でも俺でもなく、もっと遠い何かの座標を確かめていた目。)
「条件次第では崩せる」と言った。「条件が整えば」ではない。「次第」だ。すでに条件を数えている者の言葉だった。
(符闘だけを見ているわけじゃない、あいつは——)
答えが出ないまま、俺は腕を組んでいた。
冬子の残していった霊圧の余韻は、ただの土の重圧ではなかった。盤面の外で、すでに駒を動かした者の——静けさだった。
────
その夜遅く、英稟が書斎を訪れた。
「世一様。少し、よろしいですか」
「言え」
英稟はしばらく言葉を選ぶように黙っていた。
「……冬子とは、学院の交流試合で二度、当たったことがあります。二度とも、私が勝ちました。ですが」
「ですが?」
「あの人は、負けても顔色一つ変えませんでした。まるで——最初から負けることも、計算に入れていたかのように」
英稟は一度言葉を切り、記憶を辿るように視線を落とした。
「二度目の試合のことは、今でも覚えています。中盤で私が優勢を取り、冬子の敗色は誰の目にも明らかでした。ですがあの人は、残りの手番を、勝ちには繋がらない手に使ったのです。崩れかけた壁を、わざわざ組み直すような手に。観客は見苦しい粘りだと笑っていましたが——今思えば、あれは」
「試していたんだろう。自分の要塞が、天津甕星の何手目まで持つのか」
英稟が小さく頷いた。
「試合の後、あの人は私に一言だけ、『良いものを見せていただきました』と。……勝ったのは私のはずなのに、何かを持って行かれたような心地がしました」
英稟の目に、微かな影が差した。
「今日も同じ目をしていました。何かを——確かめに来ただけだと」
「気にするな。お前は浅葱だけを見ていればいい」
「……はい」
英稟は一礼して下がりかけ、扉の前で振り返った。
「世一様。冬子は、侮れない相手です。学院時代から、そうでした」
「知っている」
英稟が静かに部屋を出ていった。
────
程なくして、苑子が書斎に来た。
「早雲家について、分かったことを」
「言え」
「冬子様の来訪、通常の使者を挟まない直接訪問は異例中の異例です。早雲家ほどの格式を持つ家が、格式を無視してまで急いだ理由——伝手を辿りましたが、はっきりとは掴めませんでした」
「手がかりは」
「一つだけ。冬子様は最近、倉橋家の者と頻繁に文を交わしているとの噂があります」
「倉橋家……」
聞き覚えのない名だった。
「星読みの一族、と言われています。詳しいことは、私もまだ」
「引き続き調べろ」
「はい」
苑子が下がった後、その名前だけが、しばらく頭に残っていた。
(倉橋、か)
聞いたことのない家名が、当主の異例の直接訪問と、どこかで繋がっている——根拠はないが、そういう座りの悪さがあった。盤面で言えば、相手の場に一枚だけ、用途の読めない札が伏せてある感覚だ。
俺は椅子の背にもたれた。
いずれにせよ、やることは変わらない。第一戦の律也を、桔梗の夜猫に食い潰されない形へ仕上げる。第二戦の英稟に、浅葱の狐を捌き切らせる。そして第三戦——俺が、あの動かない城壁を正面から崩す。
(当主自らが門を閉じに出てくるなら、都合がいい。頭を落とせば、城は一度で落ちる)
冷たい愉悦が、腹の底で静かに熱を持った。名門の当主が、わざわざ俺の顔を見に来た。元の世界では履歴書一枚で弾かれていた男を、この世界の「持つ者」が、危険手として数え始めている。
(そうだ。もっと警戒しろ。もっと備えろ。——その全部の上から、ひっくり返してやる)
────
その夜、俺は煙銀亭に律也を連れて行った。頭を冷やす時間が要ると思ったからだ。
「律也くん、今日はいつもより早いですね」
紬が水を出しながら言った。律也の顔色に、何かを察したように瞬きをする。
律也はしばらく黙って水を飲んでから、ぽつりと言った。
「今日、すごい人を見た」
「すごい人?」
「早雲冬子——桔梗の姉貴だ。ただ立ってるだけで、息が詰まった。あんな圧、初めてだ」
紬は律也の顔を覗き込んだ。
「怖かった?」
「怖かった」
律也は素直に認めた。俺の前でそれを隠さなくなったのは、悪くない兆候だった。
「昔なら、ここで諦めてた。『どうせ勝てない』って。でも——」
「でも?」
律也がちらりと俺を見た。
「世一様が、平然と受け流してた。あの人の前じゃ、あの圧も、ただの空気でしかなかった。だから俺も、竦んでる場合じゃないと思った」
紬は微笑んだ。
「律也くん、また強くなったね」
「まだだ。まだ全然、足りない」
律也は水を飲み干し、真剣な目で符叢に触れた。
「五日後までに、もっと速くする」
俺はそれを、黙って見ていた。