『神符大戦 ──世界大会決勝で負けて底辺に堕ちた男、TCGの勝敗が全てを決める異世界で美少女達を調教しながら盤面制圧を目指す──』 作:シキセ
星宮邸の敷地外。帝国先導警護の重装兵たちが路地を封鎖する中、黒塗りの魔導特馬車がひっそりと佇んでいた。
車内は外光を拒絶するように遮光のカーテンが引かれ、防音と認識阻害の結界ルーンがかすかな青白い光を放っている。
その窮屈な空間のただ中に、二つの霊体が顕現していた。
霊的聴取のため、免紙の抑制は一段だけ緩められている。実体化には遠く及ばない、発言のみを許された霊体顕現だった。
ルクシエルは、目を閉じたまま座していた。
背の白金の可変翼は、免紙の抑制の下で静かに畳まれている。囚われの身でありながら、その姿勢には乱れの一つもなかった。祭壇に座す聖像のように、ただ静かに、そこに在った。
「……お姉様。このような場所にまで引き据えて、彼らは何のつもりなのでしょう」
隣で、魔導の戒めを腕に嵌められたアルギメルが硬い声で言った。紅い瞳が、対面に座る三人の特使を正面から睨んでいる。
「アルギメル」
ルクシエルが目を開けた。金色の双眸が、妹をやわらかく見た。
「お客様の前です。棘を仕舞いなさい」
「……はい、お姉様」
アルギメルは唇を引き結び、背筋を伸ばした。それでも紅い瞳の光は消えなかった。
馬車の座席には、三国査察団の代表たちが並んでいる。
マギニア特使のエリナ・ソルベルクは、胸元に手を当て、真摯な、そして悲痛とも言える表情でルクシエルを見つめた。
「ルクシエル、アルギメル。私たちはあなた方を、あの独立符士の支配から解放するために来ました」
エリナの声には、一片の疑いもない善意が満ちていた。
「式世一は、あなた方を自らの欲を満たすための道具として扱っている。それは神聖なる使役式の尊厳に対する冒涜です。どうか目を覚ましてください。あなた方は、あのような男に付き従っていい存在ではないのです」
ルクシエルは、静かに聞いていた。
聞き終えてから、微笑んだ。責めるでも嘲るでもない、聖堂の高窓から差す光のような微笑みだった。
「エリナ様」
声は、鈴を転がすように澄んでいた。
「あなたは千年、封じられて待ったことがおありですか」
エリナが、言葉に詰まった。
「私はございます。光の届かない場所で、祈りの声だけを遠くに聞きながら、目を閉じて。……その永い夜の果てに、扉を開けてくださった方が、ただお一人だけ、いらっしゃった」
ルクシエルは畳まれた翼を、確かめるようにわずかに動かした。
「選んだのは、私です。お傍にあると決めたのも、私。あなた方が案じてくださるようなことは——何ひとつ、ございません」
「し、しかし……あなたはあの男の命令で、戦わされて——」
「はい。あの方の御手で、戦わせていただいております」
さえぎりもせず、張り上げもしない声のまま、ルクシエルはエリナの言葉を裏返した。
「それが私の喜びです。私の願いは、あの方にお会いした日から一つきり。……どうか、地に満ちてください——そう祈り続けることです。あなた方の言葉では、これを『支配』と呼ぶのですね。私たちの言葉では、違う名で呼びます」
「……何と、呼ぶのですか」
「祝福、と」
エリナは息を呑み、言葉を失った。
その様子を、聖華教皇国のセレスティーナ・ヴァル・アストラが穏やかな微笑みを崩さぬまま、静かに見守っていた。
セレスティーナは聖教のシンボルが刻まれた錫杖を優しく握り直し、諭すように口を開いた。
「ルクシエル。あなたのその言葉こそが、陽気支配の霊理によって精神が歪められている証左です。正しい秩序を外れた力は、使役式の回路そのものを融解させ、狂わせる。元の正しい秩序へ帰還せねばなりません。教皇国は、あなた方の意志を元に戻す用意があります」
「秩序、と仰いましたか」
答えたのは、アルギメルだった。
戒めを嵌められた腕を膝の上で揃えたまま、それでも声だけは一歩も引かなかった。
「先に申し上げておきます。私は、あの男を主と認めた覚えはありません。異教徒です。日々の振る舞いには、天軍の一員として言いたいことが山ほどあります」
「では——」
「ですが」
アルギメルは、セレスティーナの言葉を切って続けた。
「盤上のあの男の手筋に、偽りは一つもありません。私はこの目で、間近に見てきました。あなた方は、見てもいない。見てもいないものを『歪み』と呼ぶのなら——あなた方の秩序とやらは、ずいぶんと目の粗い網なのですね」
「……妹の申しよう、ご容赦くださいね」
ルクシエルがやわらかく言い添えた。言葉は詫びていたが、微笑みは何一つ詫びていなかった。
「ですが、申していることは、私と同じです」
「自発的な忠誠……いいえ、自己同一性をその対象に完全に委ねている状態か」
ヴァンダリア王国のクラウス・フォン・シュタッヘルが、感情の消えた声で呟いた。
彼は手元の魔導デバイスに表示される霊力数値を冷静に走査し、データを記録している。
「式世一という個体に接続されている現状、出力の兵器価値は跳ね上がっていると見るべきだ。契約者の精神崩壊に伴う暴走のリスクを除けば、これほどの自己接続型デバイスは稀少だな」
「クラウス、あなたは何を……! これは兵器の価値ではなく、魂の救済の問題です!」
エリナが声を荒らげたが、クラウスは目線をデバイスから外さなかった。
「論理的な帰結だ、エリナ。彼女たちは現状、被支配者としての苦痛を感じていない。それどころか、式世一の敗北を望んでもいない」
「……ええ。あの方は、敗けません」
ルクシエルが言った。断言の熱はなかった。朝が来ることを口にするような、当たり前の調子だった。
「あなた方は私に免紙を貼り、あの方から杖を取り上げたおつもりでいらっしゃる。ですが——ご覧なさいませ。あの方は必ず、あなた方の思いも寄らない場所から盤面を組み直して、この封を解きにいらっしゃいます」
金色の目が、三人の特使を順に、ゆっくりと巡った。
「その日を、楽しみにお待ちくださいませ」
脅しの響きは、どこにもなかった。だからこそ、車内の空気が一段、冷えた。
「そこまでにしましょう」
セレスティーナが穏やかに、しかし絶対的な拒絶を含んだ声で制した。
「これ以上の対話は無益です。免紙の出力を最大にし、本戦が終わるまで二人の精神を沈黙させなさい。式世一が早雲冬子に敗北し、その後に身柄を確保すれば、すべては正常化されます」
「計測終了。霊体の強制沈黙プロセスを開始する」
クラウスがデバイスのキーを叩く。
青白い光が馬車内に満ちていく。
ルクシエルは抗わなかった。静かに目を閉じ、最後まで微笑みを湛えたまま、光の粒子となって原符へと溶けていった。その微笑みが何を待っているのか、読み取れた者は車内に一人もいなかった。
アルギメルは最後まで、特使たちを真っ直ぐに睨んだままだった。紅い瞳の光が消える寸前、その口元がわずかに動いた。声には、ならなかった。
二つの霊体が原符へと引き戻され、馬車の中には冷たい静寂だけが残された。
程なくして、免紙の貼られた二枚の式符は、査察手続きの定めの通り、使いの手で星宮邸へと返された。
星宮邸の門の向こう側、世一が新たな戦術の牙を研いでいるとも知らず、特使たちはただ、来るべき決戦の日を静かに待ち始めていた。