『神符大戦 ──世界大会決勝で負けて底辺に堕ちた男、TCGの勝敗が全てを決める異世界で美少女達を調教しながら盤面制圧を目指す──』 作:シキセ
調整八日目の朝、苑子が資料を携えて俺の自室に来た。
前夜、符闘の後で依頼しておいた内容だ。「三国干渉の経緯と、七耀陣の返還嘆願の扱いがどうなっているかを調べてくれ」——それだけを告げて、俺は苑子を返した。
「お早いですね、世一様」
「お前の方が早い」
苑子の目元には、薄く隈が差していた。着物の襟は寸分の乱れもないが、袖口に墨の跡がある。一晩、机に向かい続けた者の手だった。
「寝ていないな」
「仮眠は取りました」
嘘だろう、とは言わなかった。この女は聞かれたことにしか答えない。そして、聞かれなければ自分の消耗を数に入れない。
苑子は薄い束の資料を机の上に置いた。符帝国の外交文書を取り扱う書式ではなく、彼女自身の筆による整理メモだった。
「符帝家の内部に、直接の伝手はございません。ですが——書記局に紙を納めている問屋、預かり式符の保管庫に出入りする指物師、外交文書の写しを運ぶ飛脚。亡き夫が残した糸が、まだ何本か生きております。今夜はそれを、まとめて手繰りました」
一晩でここまで辿り着く諜報網を、この家宰は静かに維持し続けてきたわけだ。陣という男が遺したものは、符叢だけではなかったらしい。
「三国の調査書が発行されたのは、調整三日目です。しかしその調査書に含まれる情報——ルクシエルの『現実的符闘力の推算値』が、外部から供給されたものと見て間違いありません」
「根拠は」
「三国の査察団は、ルクシエルが符闘場で実際に力を行使するのを見たことがない。それにもかかわらず、調査書には具体的な戦力値と、幻影体でない実体化の持続時間が記述されています。誰かが情報を渡さない限り、あの精度の数値は出てこない」
俺は資料に目を落とした。
(情報源がある。遠見市でルクシエルの実力を実際に目撃できた勢力が、三国に橋渡しをした)
「七耀陣の方は」
「星宮家は先代の代から、返還の嘆願を符帝家に出し続けています。直近の嘆願が『審査保留』とされたのは——調整一日目です」
俺は顔を上げた。
「先か」
「はい。三国の動きより早い。しかも、保留の理由が一行も付されていません。符帝家の書式としては、異例です」
テーブルの上の資料を閉じた。
(整合する)
冬子が星宮邸に来たのは調整五日目だ。三国の調査書は三日目に出ている。七耀陣の嘆願が凍結されたのは一日目。
(全部、冬子との符闘が決まった直後から動いている)
俺は白紙を一枚引き寄せ、時系列を書き並べた。
挑戦状の受諾——調整一日目、七耀陣の返還嘆願の凍結。三日目、三国の調査書。五日目、冬子来訪。六日目、査察団の急襲と観察封印。そして十日目が、東境戦だ。
一手ずつが、符闘の局面のように整然と並んでいた。準備局面で駒を仕込み、行動局面で圧をかけ、戦闘局面に入る前に相手の主力を場から消す。教科書に載せたいような、盤外の動線だった。
「もう一つ、気になることが」
苑子が続けた。
「先日お伝えした、倉橋家との文の往来です。日付を洗い直しました。最初の文は——挑戦状より、前です」
「前?」
「三月ほど前から、続いています。挑戦状も、嘆願の凍結も、すべてその後です」
俺はペンを止めた。
(順番が逆だ)
戦いを決めてから情報を集めたのではない。倉橋家と何かをやり取りした後で、冬子は戦いを決めている。
(星読みの一族、と言ったな)
そこから先は、まだ材料が足りなかった。俺は倉橋の名を時系列の一番上に書き、丸で囲んだ。答えの出ない札は、伏せたまま覚えておく。それが盤面の作法だ。
「保留を具申した者は誰だ」
「符帝家の内部文書には名前が出ていません。ただ——保留の裏付けに添えられた意見書の形式が、東方符家の様式です」
東方。早雲家の領地は遠見市の東方に接している。
(あの女が訓練場の隅を見た)
あの一瞬が——合った。
冬子は来訪前に既に、七耀陣が星宮家へ還る道を凍らせ、三国の調査書を動かす情報を流していた。星宮邸に来たのは、最後の確認のためだ。ルクシエルが本当に存在するかどうか——その気配を直接確かめに来た。
「条件次第では崩せる」。
あいつが言った「条件」は、俺の盤面ではなく、俺の駒の状態のことだった。ルクシエルが封印され、英稟が七耀陣を持たない——それが冬子の用意した盤面だ。
「解体できますか」
苑子が静かに聞いた。
「今からじゃ間に合わない」
三日で七耀陣を取り戻す外交的手段はない。三国の封印を解く材料も、この短期間では準備できない。
「では、どうされますか」
俺は窓の外を見た。
朝の遠見市が、いつも通りに動いていた。市場へ向かう荷車。学院へ歩く生徒。この街の誰も、盤の外で何が動いたかを知らない。
(見事なものだ)
皮肉ではなく、そう思った。冬子は一度も俺と盤を挟まないまま、俺の最強の駒と英稟の奥義を、両方とも場から消した。ルールの内側で、ルールの外の勝負を仕掛けてきた。
元の世界にも、こういう連中はいた。会議室で決まる制限改定。役員の一声で覆る評価。盤面でどれだけ正しく打っても、盤そのものを傾けられれば意味がない——あの頃の俺は、それに歯噛みすることしかできなかった。
(だが、今回は違う)
奇妙なほど、腹の底は静かだった。観察封印の夜のような震えは、もうない。
理由は分かっている。あの夜の俺は、失ったものだけを数えていた。今の俺は、残っているものを数えている。エーデルガルトの八色。律也の炎。英稟の甕星。四日で積み直した動線が、指の中にある。
「符闘で返す。それだけだ」
苑子は何も言わなかった。
「俺たちがルクシエルなしで、七耀陣なしで、早雲家に勝てるかどうかを——冬子は計算に入れていないんだろう。あいつの算盤には、『条件が整った状態での早雲家の勝率』しか乗っていない」
「……それを覆す、と」
「冬子は盤面の外で先手を打った。盤面の中でそれを覆すのが符闘だ」
資料を苑子に返した。
「調整八日目は英稟との盤面合わせだ。この話は英稟には伝えるな——あいつが七耀陣を取り戻そうと動き出す。今は盤面に集中させる」
「わかりました」
苑子が頭を下げて立ち上がった。
扉に向かう背中に、一つだけ付け加えた。
「よくやった」
苑子の足が止まった。一瞬だけ、その肩が動いた。
「……世一様のご期待に応えるのが私の仕事ですから」
静かな声だった。扉が閉まった。
俺は机の上の白紙に符叢の動線を書き始めた。
冬子の堅牢土公。土偶を四体並べ、約定を完成させ、城壁と化した盤面で攻撃のたびに返しの刃を浴びせてくる要塞型。単色構築の極致だ。攻めれば削られ、待てば固められる。並の符叢なら、挑む前に勝ち筋が存在しない。
紙の上に、八つの色を書いた。
翠で土偶を消す。黒で補充を断つ。黄で守り、蒼で引き、灰で早業を戻し、金で符叢を積み直す。緋で約定そのものを砕き、白で仕留める。
(問題は燃料だ)
色衣の装備には、墓地の早業二枚を符叢の底へ戻す代償がいる。長期戦になれば、早業の巡りが細くなる。冬子の要塞戦はまず間違いなく長期戦だ。灰衣と金衣の回しを一手でも誤れば、八色の回転そのものが止まる。
(要塞を崩す前に、こちらの糸が切れるか。糸が保つうちに、城壁を食い破れるか)
七耀陣なしの英稟と、千装魔女の色衣で——三日でその要塞を崩せるかどうか。
答えは出ない。
しかし——出さなければ、始まらない。
────
調整八日目の午後、俺と英稟は訓練場で向き合っていた。
律也は外周の自主練に回した。今日の目的は英稟との盤面合わせだ。
「準備はいいか」
「いつでも」
英稟が符叢を構えた。今日の英稟には制約を一つ課してある。七耀陣は使わない。符帝家に預けている以上、練習で使えるはずもない——が、俺は内心でもう一つの理由を知っていた。
(これが——実戦で英稟が戦う、本当の盤面だ)
先攻は英稟。甕星を序盤から展開し、陰属性の手札操作で俺の符叢をじわりと押さえに来た。
俺はエーデルガルトを顕現させ、翠衣を構える。
(律也の炎武者には翠衣先行で機能した。甕星にも同じ動線を)
翠衣を英稟の甕星に差し込む。甕星が霊体化し、盤面から消えた。一手の余裕が生まれた。
しかし——英稟の次の手で、陰属性の布石が起動した。
符叢から三枚が直接墓地へ落ちる。甕星の「重圧」だ。霊体化で実体を消しても、置いていった効果の布石は残っている。
(これが、約定型との違いか)
律也の炎武者は翠衣で止まる。だが天津甕星は一体で二つの圧力を持つ——実体と、場にいる間に仕掛けた布石。翠衣で実体を消しても、布石は消えない。
次の色衣を迷った。緋衣で布石を潰すか。黄衣でエーデルガルトを守るか。
黄衣を先に張った。エーデルガルトが保護に入る。
英稟が甕星を再召喚した。
(再建が早い——)
甕星が二度目の重圧を置き、直接攻撃に来た。黄衣でエーデルガルトが守り切る。しかし蒼衣のドローが一手遅れた。符叢の消耗がじりじりと進んでいた。
「止めましょう」
英稟が符叢を下ろした。
「……一手、順番が合っていません」
「黄衣の前に蒼衣を打つべきだったか」
「いいえ。黒衣です」
俺は手元の色衣一覧を確認した。黒衣——相手の手札一枚を墓地へ。
「甕星が霊体化した直後、相手の手札から再召喚のための式符を落とす。それができれば、二度目の展開を一手遅らせられた」
「……堅牢土公に置き換えると」
「土偶を霊体化した直後に、冬子の手札から補充の土偶を剥奪する。翠衣だけでは足りない——黒衣と組み合わせて初めて、土偶を永続的に霊体化させ続けられます」
翠衣→黒衣→黄衣→蒼衣→緋衣→白衣。
「もう一度やる」
「……はい」
二本目の対戦は、最初より短かった。
翠衣で甕星を消し、黒衣で英稟の手札から再召喚の式符を墓地に落とす。英稟が一拍だけ止まった。手札が薄くなった。その間に黄衣でエーデルガルトを守り、蒼衣でドローを繋ぎ、緋衣で布石を壊す。
甕星が戻れないまま、盤面が空になった。
白衣を装備したエーデルガルトが、直接攻撃に入った。
「……」
英稟が符叢を置いた。
「これで行けます」
英稟が静かに言った。
「冬子の土偶は四体いる。翠衣の回数が増える分、黒衣のタイミングも増える。消耗のペースは速くなります」
「黒衣を外す手はないか」
「外せません。黒衣なしでは、霊体化した土偶が戻ってきた時に止める手がなくなる」
「……そうだな」
英稟が符叢をホルダーに収めながら、ふと手を止めた。
「……甕星の側で受けていて、思いました。あと一手、手数があれば——世一様を、押し切れていた」
独り言のような声だった。
俺は何も言わなかった。
英稟はすぐに続けた。
「いえ。今の私の甕星流では、ここまでです」
そのままホルダーを腰に戻した。迷いを引きずらない動作だった。
(あいつはそれを言わなかった)
その「あと一手」の正体を、英稟は知っている。七耀陣だ。あれが手元にあれば、甕星流はトークンで手数を継ぎ足し、一手足りない今の盤面が、埋まる。要塞役として俺を押し切れなかったのも、明日の浅葱を三ターンで畳めないのも、根は同じ——欠けた一枚だった。
(言っても戻らないから、言わないだけだ)
英稟はそういう女だ。
俺は机の上の動線メモを畳んだ。
「明日は英稟の浅葱戦対策を詰める。狐リソースは持久型だ——甕星の速度で仕留められるかを確認する」
「わかった」
英稟が訓練場を出た。
俺は残った動線メモを眺めた。
翠衣→黒衣→黄衣→蒼衣→緋衣→白衣。
これで——崩れるかどうか。