『神符大戦 ──世界大会決勝で負けて底辺に堕ちた男、TCGの勝敗が全てを決める異世界で美少女達を調教しながら盤面制圧を目指す──』 作:シキセ
宿に戻ったのは夕刻だった。
早雲家から用意された宿は、石張りの廊下が続く地方符家らしい落ち着いた造りだった。律也は風呂に消え、苑子は夕食の手配に動いた。英稟は自室で符叢を見直していた。
俺は一人、部屋に入った。
扉を閉めた瞬間、ノックがあった。
「……式世一殿」
声を確かめるまでもなかった。
扉を開けると、冬子が立っていた。侍女も供も連れていなかった。負けた後の袴のまま、首元だけを小さく正している。
「負けは、盤面だけのものではございません」
冬子が言った。
「入れ」
冬子が部屋に入った。扉が閉まった。
机の前に立ち、俺は振り向かなかった。冬子の気配は部屋の真ん中で止まった。
「三国の観察封印——お前が動かしたか」
冬子は即座には答えなかった。
「……はい」
「三国に依頼した」
「はい」
「なぜ言わなかった」
「符闘場で言うべきことではありませんでした」冬子の声は変わらなかった。「ここで申し上げることにしておりました」
「その前にルクシエルが動いた」
一拍、間があった。
「……存じております」冬子が言った。「あの御方が出てきたことは——計算に入れておりませんでした」
「計算外か」
「はい」
冬子が初めて、かすかに目を伏せた。
「それだけは——読めませんでした」
俺は振り向いた。
冬子は立ったままだった。正座をするつもりなのか、それとも俺が選ぶのを待っているのか。細い目の奥が、今日一日と同じように静かだった。
「お前が観察封印を三国に動かした理由を聞く」
「……」
「正直に言え」
冬子が、小さく息を吸った。
「あなたを測るためです」
「俺を」
「式世一殿。あなたが——星宮英稟殿の従者として遠見市に現れた時から、私は調べました。異郷の出身。世界大会に出た実績がある符士。ルクシエルを召喚し、主と認めさせた」
冬子が続ける。
「しかし私が知りたかったのは、そこではありませんでした」
「……何を知りたかった」
冬子の目が、今日初めて遠くを向いた。
「神符帝国に、危機が来ます」
「知っている」
「……ヨモツイクサだけではありません」
俺は何も言わなかった。
「深淵海国が動き始めています。帝国の南方の封鎖が、ここ三年で薄くなっている。正式な戦報には出てきません——符帝家が公表を止めているからです。しかし兆候は複数の国境筋に出ています」
「どこで聞いた」
「星が——教えてくれました」
静寂が落ちた。
「倉橋家と申します」
冬子が言った。「私の母方の血筋です。古くから星宮家と関わりを持ってきた、星読みの一族」
「星読み」
「未来が見える、というほどのものではありません。方角が分かる——というのが正確なところです。どちらから来るか、誰がどこへ向かっているか。星の動きの中に、薄く見えることがある」
俺は冬子を見た。
「お前はそれで俺を見た」
「はい」
冬子が俺に視線を戻した。
「三年前から——あなたが見えていました。異郷の符士。星宮家の近くへ来る人間。倉橋の星読みが、ここまで具体的に人を指したのは、私が知る限りなかったことです」
「だから試した」
「だから——確かめたかった」
冬子の声が、初めてわずかに揺れた。
「ルクシエルなしでどこまで戦えるか。七耀陣を失った英稟様と、それでも盤面を作れるか。私が三国に動いてもらったのは、それを確かめるための手順でした」
「ずいぶんと手の込んだ確かめ方だ」
「はい」冬子が頷いた。「そして——確かめたうえで、負けました」
「お前が負けた意味を聞く」
「……」
「お前は自分の身を差し出すことを、最初から計算に入れていた」
冬子が黙った。
「入れていたか」
「……はい」
静かな一言だった。
「式世一殿が勝てば、符闘の慣わし通り、私はあなたのものになります。それが——私の目的の最後の手順でした」
「目的の最後の手順」
俺は繰り返した。
「倉橋の星が見せた未来には、神符帝国に嵐が来ます。その嵐の中で動ける人間が——あなただった。ならば私は、その人間の手の届く場所に自分を置く必要があった」
冬子の声は最後まで落ち着いていた。
「自分から負けた、と言いたいのか」
「違います」
冬子が即座に言った。
「私は——全力で戦いました。あなたに届かなかっただけです」
目の奥が、今日一番の強さで光った。
「私が負けた理由は、私の読みが外れたからです。符闘の結果に、計算はありません」
「しかし結果として——お前の計画通りになった」
「……はい」
冬子が一歩、前に出た。
「今夜、あなたに届けるべき情報はすべてお伝えしました。深淵海国の動向。三国の内情。倉橋家が過去三十年で記録した星読みの記録——持参しています」
「情報源になる、ということか」
「それが、今の私にできることです」
部屋が静かだった。
俺は冬子を見た。
計算の上で来ている。全部分かっている。この女は今日一日、盤面の外でも盤面を動かし続けている。
それでも。
「冬子」
「……はい」
初めて名前で呼んだ。冬子は動じなかった。しかし瞳の奥で、何かが止まった。
「三年、見ていたというなら——どんな風に見えていた」
「……」
「星読みで見る俺は、どんな人間だった」
冬子が黙った。
長い沈黙だった。計算ではない——思い出している、という沈黙だった。
「……小さく見えました」
「小さく」
「星の中の人は、動くまで分かりません。あなたは——ずっと止まって見えた。でも動いた瞬間、大きかった。それだけ、です」
俺は冬子に近づいた。
冬子は下がらなかった。
「符闘の勝者に従うと言った」
「はい」
「分かった」
俺の手が——冬子の衿に触れた。
冬子が目を閉じた。
(この女も、堕とす)
今日の符闘場の光が、まだ指先に残っていた。ルクシエルの声。金色の呼吸。封印の向こうから届いた、確かな気配——それだけで、震えは止まっていた。
(計算の上に来た女。今夜——盤面ごと、塗り替える)
衿に手をかけた。
「自分で脱げ」
冬子が、一瞬止まった。
「……はい」
自ら帯を解いた。着物が落ちた。下着も、自分の手で引いた。
脱がせるより——自分で脱がせる方が、よかった。
正座したまま、俺を見ていた。裸になっても姿勢は崩れなかった。符闘場で盤面を読む目のままだった。この女の城壁は、外から崩す前に——まず中から音を立てさせる必要がある。
「今夜は調教だ」
「……調教」
「俺の従者として何をすべきか。体に教える。分かったか」
冬子が、わずかに目を伏せた。
「……はい」
計算していた。まだ、計算の中に自分を置いていた。
(それでいい。計算が崩れていく過程を——俺は見る)