『神符大戦 ──世界大会決勝で負けて底辺に堕ちた男、TCGの勝敗が全てを決める異世界で美少女達を調教しながら盤面制圧を目指す──』 作:シキセ
冬子の体が、静かになった。
大波のあとの、深い凪だった。
俺は冬子を見た。
目が——開いたままだった。遠くを見ていなかった。ここにいた。
冬子が息を整えた。一つ。二つ。三つ。長く、時間がかかった。
「……世一様」
「……」
「陽気で——星読みの回路を、開かれましたね」
「ああ」
冬子が目を閉じた。しばらく、黙っていた。
「……私が口にしたことは、すべて——本当に見えていたことです」
「知っている」
「三年間、見ていました」
冬子の声は静かだった。怒りではなかった。確認だった。
「星の中では——言葉にできませんでした。言葉にすれば現実になると、分かっていたから」
「今夜、現実になった」
「……はい」
一拍、間があった。
「あなたの陽気が、私に言わせました」
「そうだ」
「しかし——」
冬子が、わずかに目を開けた。
「言えて——よかったと、思っています」
俺は答えなかった。
冬子の手が、俺の腕に置かれた。
名前を呼びながら掴んでいた手と、同じ手だった。今度は——静かだった。確かめる手でも、計算の手でもなかった。
ただ——置いた。
(置いた、か)
自分が誰のもので、誰に孕まされると——自分の声で告げた女が、その腕に静かに手を置いた。
それだけのことだった。それ以上の意味を、今夜の俺は必要としなかった。
しばらく、二人とも動かなかった。
「……一つだけ、申し上げてよろしいですか」
「言え」
冬子が目を開けた。
「符闘で敗れた時——決まっていました」
静かな声だった。感情がなかった。事実だけがあった。
「星読みで見えていた時——決まっていました」
一拍。
「今夜、声に出した時——刻まれました」
「……」
「二度と、覆せません」
冬子が、わずかに目を伏せた。
「私自身が——今夜、そう刻みました」
俺は何も言わなかった。
「これは——報告です」
冬子の手が、俺の腕の上で微かに力を持った。
「あなたの手駒が、二度と逃げないことの——確認です」
(そうか)
計算の女が、最後に一つだけ計算した。自分の逃げ道を——自分で塞いだ。
符闘の盤面で負けた。星読みで見えていた。今夜、口に出した。
三つが揃えば——運命は、書き直せない。
それがこの女の知っている法則だった。だから言った。言うことで、確定させた。
それが、早雲冬子の従い方だった。
────
しばらく、沈黙が続いた。
「使える」
俺は言った。
「……はい」
「夜伽だけで終わらせる気はない」
冬子が、わずかに目を向けた。
「ルクシエルを取り戻す手を聞かせろ。今夜のうちに」
「……今夜」
「そうだ」
冬子が、一拍置いた。
「……承知いたしました」
俺は冬子を起こして向きを変えさせた。四つん這いに——後ろから。
「……ぁ——、」
「しゃべれ」
「……は——い——っ」
「ルクシエルを取り戻す手だ。聞いている」
冬子が息を整えた。
「……まず——三国の構造から申し上げます——ぁっ——」
「続けろ」
「三国の観察封印は——三者の合意が前提です。一国でも——ぁ——一国でも賛同を——失えば、封印の法的根拠が崩れます——」
「どこを切り崩す」
「……聖教を——ぁあっ——」
俺は動きを一度、止めた。
「落ち着いて言え」
「……っ——はい——」
冬子が深呼吸した。
「聖教です。セレスティーナ殿が——今日の符闘場でルクシエル様の声を聞いた。あの方は——聖印を、切りました」
「体が動いた、ということか」
「はい。教理の反射です——ぁっ——」
また動いた。
「……ぁあ——続け——ます——聖教の立場では——自発的に発言した天使に——封印を維持する神学的正当性が——薄い——っ——!」
「薄くなった、とセレスティーナも知っている」
「……は——い——だから今日、符闘場で——腰が引けました——あれは迷いです——ぁっ——!——迷っているうちに——押せます——」
「押す手段は」
「倉橋の——記録を——渡します——ぁあっ——」
「星読みの記録か」
「三十年分の——深淵海国の動向です——ぁっ——聖教は深淵海国を——遠呂智の残滓と——認識しています——その証拠を——示せば——ぁあ——!——帝国と協力する大義が——立ちます——!」
「封印を解く代わりに、情報を売る」
「……そうです——ぁっ——交渉の入口は——私が——作れます——ぁあ——っ——!」
俺は動きを変えた。
「……ぁっ——!——ま、待って——」
「マギニアとヴァンダリアは」
「……っ——エリナ殿は——騎士です——ぁっ——聖教が抜けた後では——大義名分が——ぁあ——っ——彼女に大義を——失わせれば——動けません——」
「ヴァンダリアのクラウスは」
「クラウス殿は——最初から——ぁっ——利害だけで動いています——ぁあ——っ——!——聖教が崩れれば——三国の合意という——枠組みごと——手放します——ぁあっ——!!」
一度、波が来た。
「……ぁっ——っ——!!」
「続けろ」
「……は——い——っ——」
荒い息の中で、冬子が続けた。
「符帝家については——ぁっ——深淵海国の情報を——先に見せるべきです——符帝家の内部に——ぁあ——南方の危機を知る者が——います——そこから——崩します——ぁっ——!」
「燎か」
「……あのお方は——野に下っています——ぁっ——符帝家の内部ではない——ぁあ——っ——しかし——符皇の封印技術を——託されているなら——!!」
「世一様がキーマンになることを——星が示したのと——同じように——あのお方も——ぁあっ——!!——見えていると思います——!!」
また、震えた。
俺は止まらなかった。
「整理しろ。優先順位をつけて言え」
「……っ——は——い——」
冬子が呼吸を整えた。震えながら、整えた。
「第一手——聖教への——ぁっ——倉橋の記録の提供——私が直接——セレスティーナ殿に——ぁあ——っ——接触します——」
「第二手は」
「深淵海国の情報を——符帝家内部の——ぁっ——危機派に流す——三国封印の根拠を——政治的に——崩す——」
「第三手」
「ルクシエル様——ぁあ——っ——!——あのお方は——今日も——自ら——動かれました——次に——符闘場に立てば——ぁあっ——!!——また——動くかもしれない——それを——公式な記録に——ぁっ——させる——!!!」
三度目の波が来た。
「……ぁあっ——!!!」
冬子の腕が、畳を掴んだ。震えながら——それでも倒れなかった。
「……以上——です——」
俺は動きを緩めた。
「……」
「使えるか」
冬子が、荒い息のまま答えた。
「……全部——使います。私が——動きます」
「そうだろう」
俺は冬子の背に手を置いた。
今夜最初の、静かな手だった。
「夜伽と軍師の両方を——同時に使う。それがお前の使い方だ」
「……はい」
冬子の肩が、わずかに下がった。
力が抜けた——ということではなかった。
置かれた——という感触だった。自分の場所に、置かれた。
────
夜が深くなった頃、冬子が静かに身を起こした。
衿を直し、帯を結ぶ。一つ一つが、淀みなかった。
「深淵海国の文書は、朝に届けます」
「ああ」
「……一つ、聞いていいですか」
「なんだ」
冬子がこちらを向いた。今日一日で、最初で最後の問いのような顔をしていた。
「ルクシエル殿と——あなたの符叢に見えていたあの存在と、最終的にどちらを優先されますか」
俺は天井を見た。
「質問の意味が分からない」
「……そうですか」
冬子が立ち上がった。
「私の星読みでは——その問いが、いずれあなたの前に置かれます。今は分からなくて構いません。ただ、その時が来た時に——私の名前を思い出してください」
「覚えておく」
「……はい」
冬子が一礼した。扉の前まで来て、振り返らずに言った。
「今日の符闘——楽しかった」
それだけ言って、出ていった。
廊下に足音は残らなかった。
俺は天井を見たまま、しばらく動かなかった。
(星読みの一族、か)
符叢が机の上にあった。エーデルガルトの原符が先頭に。その横の護符入れに——ルクシエルの原符が、まだ封じられたまま眠っていた。
「いずれあなたの前に置かれる」——か。
俺には、今はその問いが何かを言語化することができなかった。
ただ一つだけ分かることがあった。
冬子は今日から、俺の手駒になった。しかしその手駒は——はじめから俺を使うつもりで来た女だ。
どちらが使っているのかは、当分分からないだろう。
それでよかった。
深淵海国が動き始めているなら、下手な手駒よりも——こういう女の方が役に立つ。
灯りを落とした。
(待っていろ、ルクシエル)
闇の中で、符叢の気配だけが残った。