※この作品はR-18です。

『神符大戦 ──世界大会決勝で負けて底辺に堕ちた男、TCGの勝敗が全てを決める異世界で美少女達を調教しながら盤面制圧を目指す──』   作:シキセ

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第二十五話 七耀陣、還る

三日後。

 

俺は再び、北端の修道施設を訪ねた。

 

冬子は同行しなかった。審判官への接触のために、別に動いている。第三手——ルクシエルが動いた事実の公式記録化。その手続きの実務を、冬子が先に進めていた。

 

俺が会うのは、セレスティーナだけでよかった。

 

────

 

同じ応接の間に通された。同じ嵌め込みの燭台。同じ朝の光。

 

だが、座っていたセレスティーナは——三日前と、違っていた。

 

穏やかな微笑みは、なかった。

 

「式世一殿」

 

声は静かだった。しかし、前のような柔らかい余裕は消えていた。何かを徹夜で考え続けた人間の、削られた静けさがあった。

 

「書簡は」

 

「昨日、聖座へ発ちました」

 

「内容は」

 

「観察封印の根拠について、再検討を求める——私の名で」

 

俺は黙って、続きを待った。

 

「倉橋家の記録を添えました。深淵海国の動向と、封印執行の時期の符合についても、私の所見として記しました」

 

「第一手は、動いた」

 

セレスティーナが、わずかに眉を寄せた。

 

「あなたにとっては、手の一つなのですね」

 

「そうだ」

 

「……正直な方だ」

 

セレスティーナが、視線を膝に落とした。それから、ゆっくりと上げた。

 

「三日前、あなたは私に問いました。覚えていますか」

 

「覚えている」

 

「ルクシエルが私に聖印を切らせた——あれは、私にとって正しい信仰の形だったか、と」

 

「ああ」

 

セレスティーナは、答えなかった。あの時は。

 

今は——答えるために、ここにいた。

 

────

 

「三日、考えました」

 

セレスティーナの声は、静かだった。

 

「結論から申し上げます。あれは——正しかった」

 

「ほう」

 

「天使は、神の言葉を人に伝えるもの。天使の言葉に従うことは、信徒として正しい。あの瞬間、私は枢機卿としてではなく——一人の信徒として、天使の言葉に従いました。それは、正しい」

 

「だが」

 

俺がそう言うと、セレスティーナの顔が、苦しげに歪んだ。

 

「……ええ。だが——です」

 

長い、息を吐いた。

 

「もし、あれが正しいのなら。天使の言葉に従うことが信仰なら——」

 

「その天使を封じている観察封印は」

 

「間違っている」

 

セレスティーナが、初めてはっきりと言った。

 

「私が署名した封印は、間違っています。天使が——自らの意志で言葉を伝えようとするのを、外交の都合で縛る。それは、信仰に反します」

 

部屋が、静かになった。

 

燭台の炎が、揺れた。

 

「三日、それと向き合いました。枢機卿としての立場と、信徒としての信仰が——正面から、食い違っている。私は……どちらかを選ばなければならなかった」

 

「選んだから、書簡を出した」

 

「はい」

 

セレスティーナの目に、迷いはなかった。削られて、削られて——最後に残った一本の芯のような目だった。

 

「信仰を、選びました」

 

────

 

俺は一歩、近づいた。

 

「もう一つ、頼みがある」

 

「……何でしょう」

 

「あの符闘場で、ルクシエルが自分の意志で動いた。お前に語りかけ、聖印を切らせた。あれを——正式な符闘記録として、証言してほしい」

 

セレスティーナが、俺を見た。

 

「天使が、人間の命令によらず、自ら言葉を伝えた。その事実を、聖教の枢機卿として記録に残す」

 

「……それが何を意味するか、お分かりですか」

 

「分かっている。観察封印の前提——天使が一個人の命令に従う状態の是正——その前提が、事実によって崩れる」

 

セレスティーナは、しばらく黙っていた。

 

それから、静かに頷いた。

 

「証言します」

 

「いいのか」

 

「天使が自らの意志で言葉を伝えた。それは——事実です。信仰に誠実であろうとするなら、私はその事実を曲げられない。曲げれば、それこそが信仰への裏切りになります」

 

「助かる」

 

「ですが」

 

セレスティーナが、顔を上げた。

 

その目に——初めて、刃のようなものが戻っていた。

 

「一つ、申し上げておきます」

 

「言え」

 

「私は、あなたのために証言するのではありません」

 

「分かっている」

 

「いいえ。お分かりではない」

 

セレスティーナが、静かに、しかしはっきりと言った。

 

「天使が自らの意志で言葉を伝えた——その事実を、私は認めます。ですが、もう一つの事実については、私はまだ、認めていません」

 

「もう一つ」

 

「ルクシエルが、あなたに従っている。その従属が——本当に、天使自身の意志によるものなのか」

 

俺は、黙った。

 

「あなたが何をしているか、聖教は知っています。神秘存在の意志を、肉の力で塗り替える——陽気支配の霊理。古い文献に、記録があります」

 

「……」

 

「もしルクシエルの従属が、その力で歪められたものであるなら。あなたがしているのは、信仰でも自由でもない。ただの——蹂躙です」

 

セレスティーナの声は、穏やかだった。穏やかなまま、刃だった。

 

「今日、私が証言するのは、天使が自ら動いたという事実についてだけ。その先——ルクシエルの心が、本当に自由なのかどうか。それは、いずれ別の場所で、問われることになります」

 

「聖座が動く、ということか」

 

「いつかは。ですが、それは今日の話ではありません」

 

セレスティーナが、わずかに目を伏せた。

 

「今日のところは——あなたの手を、貸します。私自身の、信仰のために」

 

────

 

修道施設を出た。

 

朝の光が、石畳に長く伸びていた。

 

(信仰を選んだ女が、信仰のために、俺の手を取った)

 

第一手と第三手が、同時に動いた。セレスティーナの書簡は聖座へ。証言は符闘記録へ。観察封印の前提が、二つの方向から崩れ始めた。

 

だが——あの女は、最後に一線を引いた。

 

「ルクシエルの心が、本当に自由なのか」

 

(問われることになる、か)

 

俺は空を見た。三日前と同じ、抜けるような朝の空だった。

 

ルクシエルが自分の意志で俺に従っているのか——その問いは、いつか聖教との間で、正面から争われる。今日の証言は、その大きな対立の、入り口に過ぎなかった。

 

それでも。

 

今は、奪い返す。それが先だ。

 

(待っていろ、ルクシエル。もうすぐだ)

 

石畳を、歩き出した。

 

────

 

岳見宗典が再び訪れたのは、約束より二日早かった。

 

「布告が、下りました」

 

着座するなり、そう言った。一週間と言っていた男が、五日で戻ってきた。手には符帝家の紋章を捺した書状と——もう一つ、漆塗りの細長い箱があった。

 

「読みます」

 

岳見が書状を開いた。

 

「一つ。星宮家家伝式符『七耀陣』を、星宮家当主・星宮英稟へ返還する。預かりを解き、所領安堵の証としてこれを認める」

 

俺は黙って聞いていた。

 

「二つ。星宮領および早雲領の統治の実態について、式世一を両領の後見人として符帝家が公式に認める。両領に関わる符闘・外交の決定を、式世一に委ねるものとする」

 

岳見が書状を畳んだ。

 

「主流派は最後まで渋りました。ですが——深淵海国の記録が効いた。南方の危機を前に、内側の担保を温め続ける愚を、さすがに無視できなかった」

 

「お前が通したんだろう」

 

岳見が、わずかに目を細めた。否定はしなかった。

 

「南方参与として、こういう布告に名を連ねる日が来るとは思っていませんでした。長く——証拠の薄さに泣いてきた立場です」

 

「これからは泣かずに済む」

 

「……そうあってほしいものです」

 

岳見が、漆の箱を畳の上に置いた。

 

「七耀陣です。当主にお渡しください」

 

────

 

英稟を呼んだ。

 

部屋に入ってきた英稟は、漆の箱を見て——足を、止めた。

 

一目で分かったのだろう。家のかたちをした、その箱が何かを。

 

「……それは」

 

「お前のものだ。符帝家が返した」

 

英稟が、箱の前に膝をついた。すぐには手を伸ばさなかった。震える指を一度握り直してから——蓋に手をかけた。

 

中に、一枚の式符があった。

 

『星宮七耀陣』。七つの星を象った古い文様が、淡い陰の光を帯びている。星宮家の始祖が天津甕星と交わした約定の証。甕星流符術の、根幹をなす一枚。

 

英稟が、それを両手で取り上げた。

 

「……戻って、きた」

 

声が、掠れていた。

 

「数年前までは、この手にありました。父から継いで、ようやく使いこなせるようになった矢先——私の些細な失態が理由で、符帝家へ『預け』の形で召し上げられました。それきり、戻らなかった。半分の力で戦い続けさせてしまったのは——私です」

 

英稟の指が、七耀陣の縁をなぞった。

 

「これで、甕星流が——完成します。天津甕星と、七耀陣。二枚が揃って、初めて」

 

俺は、英稟を見ていた。

 

家の悲願が、今、この女の手の中に戻っている。星宮英稟という符士が、ようやく本来の力を取り戻す瞬間だった。

 

だが——英稟の頬を、一筋、涙が伝った。

 

それは、純粋な喜びの涙では、なかった。

 

「……世一様」

 

英稟が顔を上げた。

 

「星宮家の悲願が、叶いました。私自身が失った家宝を——今日、取り戻すことができました。ですが、それは——あなたが私を破り、私を従えたからです」

 

英稟の声が、震えていた。

 

「私が符士として星宮を背負って取り戻したのではない。あなたのものになった私に、あなたが与えてくださった。家の名誉が回復するこの瞬間に、私は……自分がどこまであなたのものか、思い知らされています」

 

俺は英稟の前に膝をつき、その手の中の七耀陣を、一緒に握った。

 

「お前が取り戻したんだ、英稟」

 

「……世一様」

 

「俺は布告を引き出しただけだ。その七耀陣で甕星流を完成させるのは、お前自身だ。誰にも代われない」

 

英稟の目が、揺れた。

 

「お前は俺のものだ。それは変わらない。だが——俺のものになった星宮英稟が、半分の力でいるのは、俺が許さない。お前には全部の力で戦ってもらう」

 

「……全部の、力で」

 

「お前を使い潰すほどにな」

 

英稟の頬に、また涙が伝った。今度のそれは——さっきとは、少し違う色をしていた。

 

「……はい」

 

英稟が、七耀陣を胸に抱いた。屈従と、誇りと、家の悲願が——一つの涙の中で、混ざり合っていた。

 

「ありがとう、ございます。世一様」

 

────

 

英稟が下がった後、俺は一人、机に向かった。

 

七耀陣が、星宮に戻った。二領の後見も、符帝家が認めた。盤面が、また一つ、俺の側に傾いた。

 

そして——いよいよ、本丸だ。

 

聖座へはセレスティーナの書簡が届いている。ルクシエルが自発的に動いた事実は、符闘記録に証言として残った。深淵海国の危機は、符帝家の中枢にまで届いた。

 

三つの圧力が、揃った。

 

三国は、再交渉の席に着かざるを得ない。観察封印の前提は、もう崩れている。

 

俺は符叢の先頭に手を伸ばした。エーデルガルトの原符。指先を、隣の懐へ伸ばした。仕舞ったままの——ルクシエルの原符。

 

指先で、その一枚に触れた。冷たかった。免紙が、まだ魔力を凍らせている。

 

(もうすぐ、迎えに行く)

 

灯りを、落とした。

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