※この作品はR-18です。

『神符大戦 ──世界大会決勝で負けて底辺に堕ちた男、TCGの勝敗が全てを決める異世界で美少女達を調教しながら盤面制圧を目指す──』   作:シキセ

41 / 118
第二十八話 黄金鎖、ふたたび

だが、エリナは膝をつかなかった。

 

崩れた盤面の只中で、彼女は——盤ではなく、ルクシエルを見た。

 

「ルクシエル! あなたに、問う!」

 

符闘の最中だった。手番を投げ捨てるような、異例の振る舞いだった。だがエリナは、もう勝敗を見ていなかった。彼女がここへ来た、ただ一つの理由——それだけを、見ていた。

 

「あなたは、天使だ! 神の言葉を伝える、尊い存在だ! それが——なぜ、人間の符叢に囲われている! なぜ、一人の男の号令で、戦場に立っている!」

 

聖旗を失った手が、震えていた。

 

「私は、あなたを解放しに来た! 誰の道具でもない、誰の命令も受けない、自由な天使に戻すために! ——だから、応えてくれ! あなたは本当は、こんなところから、出ていきたいのだろう!?」

 

それは、混じり気のない叫びだった。

 

勝利のためでも、任務のためでもない。ただ、天使を憐れみ、救おうとする——純粋すぎる理想。文化も、文脈も、相手の心も読まずに、それでもまっすぐに信じてきた、一人の騎士の祈りだった。

 

ルクシエルが、ゆっくりと、エリナに向き直った。

 

その碧い瞳に、はじめて——全肯定の笑みとは別の、静かで深いものが宿った。

 

「エリナ・ソルベルク」

 

鈴を転がすような、けれど芯のある声だった。

 

「あなたの優しさは——本物ですね。誰かのために、ここまで本気になれる人を、私は嫌いではありません」

 

「だったら——!」

 

「ええ。だからこそ、ちゃんと、お答えします」

 

ルクシエルの翼が、ゆっくりと、大きく広がった。白金の光が、闘技場の隅々まで、満ちていく。観覧席の英稟も、冬子も、立会席の三国も——その光の中で、息を詰めて、天使の言葉を待った。

 

「解放——? いいえ、エリナ」

 

ルクシエルは、微笑んだ。

 

「私は、ここにいたくて、ここにいるのです」

 

闘技場が、静まり返った。

 

「閉じ込められているのでは、ありません。命じられて戦っているのでも、ありません。この方の符叢を選んだのは、私自身。この方の隣で戦うことを望んだのも、私自身。——誰かに、そうさせられたのでは、ないのです」

 

「……そんな……それは……陽気支配で、歪められた……心だ……あなたは、本当の自分を——」

 

「そう思いたいのは」

 

ルクシエルの声が、静かに、エリナの言葉を遮った。

 

優しく。けれど、刃のように。

 

「あなたの方では、ありませんか?」

 

エリナの喉が、鳴った。

 

「天使に自由を、とあなたは言う。けれど——その天使が『今ここにいたい』と望むこと。それは、あなたの言う"自由"には、含まれないのですか? 私の意志が、あなたの理想と違うというだけで、それを『歪み』と呼んで、否定する。——それは」

 

白金の光の中で、天使が、憐れむように、微笑んだ。

 

「あなたこそが、私から、自由を奪おうとしている。違いますか?」

 

エリナの、聖旗を握っていた手が、だらりと垂れた。

 

理想主義者の信念が、根元から——音もなく、崩れていった。彼女が信じてきた「解放」が、当の天使にとっては、ただの押しつけだったという事実。憐れんでいた相手が、憐れまれることなど、一度も望んでいなかったという事実。それが、彼女の足元を、根こそぎ崩していた。

 

「私、は……」

 

「エリナ」

 

立会席で、セレスティーナが、静かに名を呼んだ。

 

師の声だった。

 

「見届けなさい。あなたが救おうとしたものが——本当は、何を望んでいるのかを。それを見ようとしなかったことが、あなたの過ちです。けれど、今からでも、遅くはありません」

 

エリナの手から、力が抜けた。

 

盤面はとうに決していた。あとは、彼女がそれを受け止めるのを待つだけだった。

 

「ルクシエル。終わらせる」

 

「はい。——喜んで、世一様」

 

最後に残った白金の光が、エリナの空になった盤面へと、静かに、しかし容赦なく振り下ろされた。

 

エリナの符叢が、尽きた。

 

聖旗が、闘技場の床に、音を立てて倒れた。

 

決着だった。

 

────

 

長い、沈黙が落ちた。

 

最初に動いたのは、クラウスだった。

 

魔導計器の列が、一斉に低い駆動音を止めた。クラウスはモノクルの奥でいくつもの数値を読み取り、それから、いつもの感情のない声で告げた。

 

「計測、完了。URクラス神秘存在『ルクシエル』の、完全な出力データを取得しました。——加えて、興味深い記録が複数」

 

クラウスが、一枚の記録紙を掲げた。

 

「召喚主の号令に先んじた、自律的な効果発動。三回。盤面状況に応じた、独立した判断。複数回。これは——主の命令系統の"外"で、神秘存在が自らの意志で行動した、明白な記録です」

 

クラウスは、記録紙を卓に置いた。

 

「観察封印の根拠は『天使が一個人の命令に従う状態の是正』。だが、この符闘で記録されたのは、その逆だ。命令に従うのではなく、自らの意志で動く天使。——封印の前提は、計測によって否定されました。ヴァンダリアは、出力データの取得をもって任を終えます。これ以上、封印を支持する理由は、我が国にはありません」

 

一人目が、退いた。

 

次に、セレスティーナが立ち上がった。

 

深紅の枢機卿服が、闘技場の光に揺れる。彼女は、倒れた聖旗のそばに膝をつく弟子を、一度だけ見てから——立会人として、口を開いた。

 

「私が、この目で見届けたもの。それは——天使が、自らの意志で在り、自らの意志で戦い、自らの意志で『ここにいたい』と告げる姿でした」

 

セレスティーナの声は、静かだった。

 

「天使の言葉は、神の言葉の媒介。その天使が、自らの意志で言葉を発し、行動する。それを、外交の都合で縛ること——それは、信仰に反します。私はすでに、聖座へその旨の書簡を送りました。そして今日、その正しさを、この目で確かめました」

 

聖印を結び、セレスティーナは告げた。

 

「聖華教皇国は、観察封印の解除に——異を唱えません」

 

二人目。

 

闘技場が、ざわめいた。観覧席で、律也が小さく拳を握った。冬子の細い目が、わずかに見開かれている。

 

三国のうち、二国が退いた。そして、最後の一国——マギニアの代表たるエリナは、もう、戦う理由を失っていた。

 

封印を支える大義名分は、三国すべての前で——崩れ去った。

 

────

 

闘技場の中央で、エリナは、倒れた聖旗のそばに膝をついたまま、動かなかった。

 

俺は、彼女に歩み寄った。

 

「お前の善意は、嘘じゃなかった」

 

エリナが、顔を上げた。青灰色の目に、涙が滲んでいた。

 

「だが、お前は——救うつもりの相手が、何を望んでいるかを、確かめなかった。憐れむことと、相手の意志を聞くことは、違う。お前に足りなかったのは、それだけだ」

 

「……私は」エリナの声が、掠れた。「ずっと、天使を憐れんでいた。誰の命令も受けず、自由であるべきだと。けれど——彼女は、憐れまれることなど、望んでいなかった。私の理想は……ただの、傲慢でしたか」

 

「傲慢だけなら、ここまで本気にはなれない」

 

俺がそう言うと、エリナの目が、揺れた。

 

そこへ、白金の光が、静かに降りた。

 

ルクシエルが、エリナの前に立っていた。床に倒れた聖旗を、その細い手で——そっと拾い上げる。

 

「エリナ」

 

ルクシエルが、聖旗を彼女に差し出した。

 

「あなたの優しさは、いつか、本当に救いを求める誰かのもとへ、届きます。今日のことを、その日のための糧になさってください。——あなたのまっすぐさは、間違いではないのです。向ける先を、見極めればよいだけ」

 

エリナが、震える手で、聖旗を受け取った。

 

長い、沈黙のあと。

 

彼女は、ルクシエルに向かって——深く、頭を垂れた。騎士が、敗北と、己の過ちを認める礼だった。

 

「……ありがとう。そして、すまなかった。あなたの意志を、聞こうとしなかったことを」

 

ルクシエルは、ただ、ほんわかと微笑んだ。

 

「ふふ。気にしておりません♡ ——あなたとは、また、どこかでお会いしたい気がします。今度は、盤を挟まずに」

 

セレスティーナが、弟子のそばへ歩み寄り、その肩に、そっと手を置いた。師弟が、別々の岸から——同じ岸へ、戻ろうとしていた。

 

────

 

クラウスが、最後の手続きを淡々と進めた。

 

「三国合意により、ルクシエルおよびアルギメルに対する観察封印——これを解除する。再封印は、行わない。以後、両神秘存在の符闘場における召喚を、何ら制限しない」

 

俺の手の中で、ルクシエルの原符が、温かく脈打っていた。

 

もう、あの冷たい免紙は、貼られない。

 

長い、喪失が——終わった。

 

三国の前で、堂々と。命令によらず、自らの意志で在る天使として——ルクシエルは、還ってきた。

 

「世一様」

 

ルクシエルが、俺の隣に立った。白金の翼が、ふわりと畳まれる。

 

「迎えに来てくださって、ありがとうございます」

 

「お前が、自分で扉をこじ開けたんだ。俺は——その扉の前まで、盤を整えただけだ」

 

「ふふ。では、二人で果たした、ということにいたしましょう。——それが、いちばん嬉しいですもの」

 

闘技場に、白金の光が、静かに満ちていた。

 

観覧席から、英稟が、冬子が、律也が、苑子が、それぞれの表情で、その光を見ていた。

 

ルクシエルを失ってからの長い喪失が、ようやく——閉じようとしていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。