『神符大戦 ──世界大会決勝で負けて底辺に堕ちた男、TCGの勝敗が全てを決める異世界で美少女達を調教しながら盤面制圧を目指す──』 作:シキセ
番外編十三 降ること
守屋家は北疆道にある。
星宮家の直属ではない。しかし英稟様の呼びかけに応じて遠見市に出向き、親衛隊として仕える——そういう形で、私はずっと英稟様の傍にいた。
英稟様は、男装をしていた。
私は、英稟様が女性だと知らなかった時期の方が、長い。
「星宮英稟」として名を馳せていた符士は、私にとって——最初は憧れだった。符家の娘として符闘を学ぶ中で、北疆道から遠見市の英稟様の噂を聞いた。強くて、美しくて、揺るがない——そういう人だと。直接仕える機会を得た時、私はすでに英稟様に決めていた。この人の傍にいる、と。
それが次第に愛情に変わっていったのは、自然なことだと思っていた。
英稟様を愛していた。
英稟様が女性だと、私は知っていた。親衛隊筆頭として傍にいる以上、知らないでいることの方が難しかった。
知っていたから——余計に、この感情をどう呼べばいいかわからなかった。
しかし——英稟様は英稟様だった。
それだけは変わらなかった。
式世一という男が現れた時、私は最初、ただの侵入者だと思った。英稟様の傍に近づく男を、私は好まない——という単純な理由で。
しかし英稟様の目が変わっていった。
それが怖かった。
英稟様の目が世一様に向かうたびに、私の中で何かが焦げた。焼けた、という方が正しいかもしれない。水属性の私の中に——他の属性の熱が入ってくるような感覚だった。
符闘で世一様に挑んだのは、そういう気持ちがあったからだと思う。
敗けた。
英稟様が説得した。私は世一様の手駒に加わった。
英稟様を守るために傍にいる。それだけだ、と思った。
男が英稟様に触れる、ということを——私は、想像したことがなかった。
英稟様の傍にいる間、私はずっとそういうことを考えてこなかった。符闘を学び、親衛隊として戦い、英稟様の隣に立つことだけを考えてきた。男に触れられることも、男を愛することも——そういう感情が、私の中に場所を持ったことがなかった。
式世一が英稟様の傍に入り込んだ時、怒りと嫌悪が同時に来た。
(この男が——英稟様に触れる)
それだけで、喉の奥に苦いものが上がった。
符闘で挑んだのは「英稟様を守るため」だと思っていた。しかし——今思えば、もっと単純な、醜い動機があった。
男に英稟様を渡したくなかった。
それだけだ。
しかし私は——その時すでに、自分に嘘をついていたかもしれない。
初めての夜のことを、うまく言葉にできない。
今でも。
夜の別邸、主室に三人が揃った。
英稟様の隣に立ちながら、私は世一様を正面から見た。
(嫌だ)
胸の中で、それだけが繰り返されていた。
男が英稟様に触れた。英稟様が変わった。その事実が、まだ喉に刺さっていた。そして今夜——私も、この男に触れられる。
「雪、世一様を怖がらなくていいです」
英稟様が言った。
(怖くない——嫌なのだ)
怖いのではない。この男が英稟様に触れることが嫌だった。英稟様が世一様の前で変わってしまうことが嫌だった。そして——私が今夜、世一様に触れられることが、嫌だった。
「英稟が選んだ方だ。それでも、決めるのはお前自身だ」
世一様が言った。私は英稟様を見た。英稟様が小さく頷いた。
「……英稟様が選んだ方なら」
それが私の答えだった。嘘ではなかった。しかし——胸の奥では、まだ嫌悪が燃えていた。
英稟様が私の手を取った。
「大丈夫です、雪」
「……はい」
世一様が近づいてきた。
(来るな——)
瞬間的に、そう思った。しかし逃げなかった。英稟様のためだから。それだけだ。
世一様の手が、首筋に触れた。
「んっ——」
声が出た。
それと同時に——嫌悪の下から、何かが滲んだ。
(なんだ、これは)
体の奥から、熱いものが上がってきた。男に触れられたことへの反発が皮膚の下に走ったのと同時に——体の芯が、反応していた。
「陽気支配だ。俺が触れると身体が反応する」
「……そんな術が……っ♡」
嫌だった。
体が反応していることが。自分の意志と関係なく、世一様の手に溶けかけていることが。
「私も、最初はそうでした」
英稟様の声が、隣から聞こえた。
(英稟様も——こうなったのか)
その声を聞いた瞬間——体が、さらに反応した。英稟様への感情が、世一様の陽気と混ざった。どちらが原因かわからなくなった。
「英稟様に……言われると……っ♡ 余計に……っ♡♡」
「今は世一様に集中しなさい」
「そんな……っ♡ 英稟様が傍にいて……こんな声……っ♡♡——嫌なのに……っ♡♡」
(嫌だ)
まだ、そう思っていた。
しかし「嫌だ」という思考と、声と、体の反応が——ばらばらになっていった。
英稟様の手が私の手を強く握った。世一様の指が腰の奥に触れた。すでに溢れていた。嫌だと思っているのに——溢れていた。
「あっ……なかに……!♡」
「反応が正直だ」
「……正直だから——っ♡——嫌なんです……っ♡♡」
「ならもう少し嫌がれ」
できなかった。
「んぅぅっ……!!♡♡ あっ……あっ……世一様のが……っ♡♡♡」
(嫌だと——思っていたのに)
体は、もう、そう感じていなかった。嫌悪があった場所を、快楽が上書きしていた。男に触れられることへの反発が——溶けていた。
「英稟より早い」
世一様が言った。英稟様が隣にいる前で言った。
英稟様の手が——ずっと、私の手を握ったままだった。
最後に世一様が私の中に熱を注いだ時——嫌悪の記憶が、どこかへ遠ざかっていた。
代わりに残ったのは——体の奥の、熱だった。
翌朝、一人で天井を見上げた。
(私は——男が嫌いだったはずだ)
しかし体は、昨夜のことを覚えていた。熱として。陽気として。嫌だと思っていたのに溶けた感覚として。
嫌悪は消えていなかった。ただ——快楽の下に沈んで、取り出せなくなっていた。
どう呼べばいいか、わからなかった。
世一様はそれを「実験」と呼んだ。
「水属性と陽気支配の相性を確かめる。何度か必要だ」
「……何度か、というのは」
「終わりが来るまで」
終わりがいつ来るか、世一様は言わなかった。
次の夜も呼ばれた。
(また)という思いがあった。しかし——拒む気持ちが、最初の夜より薄かった。
それが嫌だった。
体が覚えてしまっていた。世一様の手の感覚を。陽気が魔力回路に流れ込む感覚を。嫌悪があった場所に、別の何かが根を張り始めていた。
「お前の回路は陽気を吸収する速度が早い」
世一様が言いながら、私の体に触れた。
「……っ♡——また——実験、ですか……っ♡」
「そうだ」
「……何を——確かめているんですか……っ♡♡」
「孕むかどうか」
「……っ——」
(嫌だ)
思った。英稟様への愛情しか知らなかった私が——男に孕まされるかどうかを確かめられている。
しかし——体の奥が、嫌だとは言わなかった。
「ぁ……っ♡——世一様……また……っ♡♡——魔力回路が……っ♡」
「水が陽気を引き込んでいる。お前の体は覚え始めている」
「……覚えて……っ♡——そういうことに、なって……っ♡♡」
「なる。触れられるたびに、深くなる」
嫌だと言いたかった。
しかし声が、そう言わなかった。
「っ♡♡♡——は……っ♡——奥に……世一様の陽気が……っ♡♡♡」
世一様が種を注いだ。私はそれを——受け入れた。
何度目かの夜、私は気がついた。
世一様に呼ばれる前に——体が、準備していた。
(いつ呼ばれるだろう)という思いが、意識の端に浮かんでいた。
気づいた瞬間、顔が熱くなった。
(私は——何を)
英稟様を愛していた。英稟様だけを。男には興味がなかった。それが自分だと思っていた。
なのに——世一様に仕込まれるたびに、何かが変わっていった。世一様の精が、私の中に積もっていった。嫌悪は沈んだまま浮かんでこなくなり、代わりに——世一様の陽気が、私の魔力回路の一部になっていた。
ある夜、世一様が言った。
「今夜は実験ではない。孕ませるために来た」
「……っ——」
「わかるか」
「……わかります……っ♡」
わかった。体でわかった。「確かめる」夜と「孕ませる」夜の、世一様の動き方の違いが。
「ぁあっ……っ♡♡——世一様……もっと奥に……っ♡♡」
声が自分でも止められなかった。
(嫌では——ない)
いつからか、そうなっていた。
嫌ではない、ということが——また、嫌だった。しかし体は正直だった。
「……っ♡♡♡——世一様の……なかに……奥まで……っ♡♡♡」
世一様が深く押し込んで、熱を注いだ。
私の体は——それを、受け入れた。
受け入れながら——英稟様の手の感覚を、思い出した。
最初の夜、握ってくれた手。
英稟様への気持ちは——変わっていない。
ただ——体が、世一様のものになっていた。
それが共存することが、不思議だった。しかし——そういうものなのかもしれなかった。
気づいたのは、しばらく経った頃だった。
月のものが、来なかった。
否定したかった。しかし守屋家の娘として、自分の体のことくらいわかる。医師に診てもらった。
「おめでとうございます」
と医師は言った。
私は「ありがとうございます」と言った。
その帰り道、一人で少し泣いた。
なぜ泣いたのか——喜んでいなかったわけではない。ただ、守屋家の娘が符侯の子を身ごもるということが、どういうことなのか——これからどうなるのかが——まだ整理できていなかった。
世一様に報告した。
「懐妊を確認したか」
「はい。三日前に医師に診てもらいました。確かだと」
世一様が、少し間を置いた。
(何を考えているのか、わからない)
世一様の内心は、いつもわからない。
しかしその沈黙の後に言われた言葉は——予想していなかった。
「守屋雪。お前を守屋家から召し上げる。妾として星宮邸に入れ」
「……」
「守屋家には相応の処遇をする。お前の家格に傷はつけない。しかし今後守屋家に戻ることはない」
私は少し間を置いてから、「……わかりました、世一様」と言った。
その夜、一人で守屋家への手紙を書いた。
(お父様)
書き出しだけ書いて、止まった。
守屋家に戻ることはない。お父様にも、お母様にも、もう会えるかどうかわからない——そういうことだ。
子供が生まれたら、会わせてもらえるだろうか、と思った。
わからなかった。
(これが、符侯の妾だということだ)
私は手紙を書き直した。「元気でいます。子ができました。世一様のものになります」と書いた。それだけ書いて、封をした。
封をした後で、また少し泣いた。
守屋家の庭に咲いていた白梅を思い出した。毎年冬になると咲いて、春が来ると散る。私はその花が好きだった。もう見られないかもしれない。
(でも——英稟様がいる場所に、私はいられる)
それは変わらない。
それだけで、十分なのかもしれなかった。
星宮邸に入った翌日、英稟様が来た。
廊下ではなく、私の部屋に。
「話がある」
そう言って、入ってきた。
英稟様は——相変わらず、きれいだった。男装をしていた頃も美しかったけれど——今の英稟様は、隠していたものを全部出したような、別の美しさがある。
しばらく沈黙があった。
「体の具合は」
英稟様が最初に言ったのは、それだった。
「……はい」
「よいです」
「そうか」
それだけ言って、英稟様は黙った。
私は英稟様の横顔を見た。
(英稟様も——世一様のものになった)
正妻として。星宮領の統治のために。
英稟様が世一様のものになった、と知った時——私は複雑だった。英稟様を守りたくて手駒に加わったのに、英稟様はすでに守られる必要のない場所にいた。
「……英稟様」
「何だ」
「英稟様は——世一様のことを、今はどう思っているのですか」
英稟様が少しだけ間を置いた。
「訊く必要があるか」
「……ありません。すみません」
「……」
沈黙が続いた。
私は「あの」と言った。
「言っていいですか」
「言えばいい」
「……私は今も、英稟様のことが好きです」
英稟様の目が、わずかに動いた。
「……馬鹿なことを言うな」
「馬鹿なことではないです」
「お前は世一様の妾だ」
「それは、そうです」
「なら——」
「それとこれとは別です」
英稟様が、今度こそ私を見た。
(男装していた頃と——目が、変わっていない)
私が愛していた英稟様の目は、今もここにある。
「……私は世一様の正妻だ」
「知っています」
「私もお前も——もう、あの人のものだ。それでも、構わないのか」
「構いません」
「……なのに——」
「英稟様があの人のものになったことと、私が英稟様を好きなことは、別です」
英稟様が、しばらく何も言わなかった。
「……お前は相変わらず、直情的だな」
「昔から、そうです」
「それは知っている」
英稟様が、窓の外を見た。庭の松が、風に揺れていた。
「……お前が懐妊した」
英稟様が呟いた。誰に言うでもない声で。
「はい」
「私は——まだだ」
(ああ)
そういうことか、と私は思った。
英稟様は正妻だ。格は私より上だ。しかし私が先に世一様の子を身ごもった。英稟様にとって、それは——。
「英稟様」
私は言った。
「英稟様が世一様の子を産んだ時、私が一番に祝います」
「……余計なことを言うな」
「余計ではないです。本当のことです」
「……」
英稟様が立ち上がった。部屋を出る前に、一度だけ振り返った。
「……体を大事にしろ」
それだけ言って、出ていった。
私は英稟様が消えた引き戸をしばらく見ていた。
(英稟様は、今——複雑なんだ)
当たり前のことが、やっとわかった。
英稟様は世一様の正妻になった。私は妾になった。英稟様は私の上司だった。私は英稟様を愛していた。世一様が来て、全部が変わって——変わっていないものもある。
お腹に手を当てた。
(この子は、世一様の子だ)
世一様は「守屋家の娘が身ごもった」という事実として私を召し上げた。愛情とは違う。それはわかっている。
でも——
(英稟様も、世一様のものになった)
(私も、世一様のものになった)
同じ場所にいる。それだけは、本当だ。
守屋家の白梅は、もう見られないかもしれない。
でも——英稟様の傍にいられる。
それで、十分だ。
雪は降って、積もって、春が来れば溶ける。
溶けても——水は残る。
形が変わるだけだ。