『神符大戦 ──世界大会決勝で負けて底辺に堕ちた男、TCGの勝敗が全てを決める異世界で美少女達を調教しながら盤面制圧を目指す──』 作:シキセ
聖教からの返書が届いたのは、翌日だった。
「三日以内に応じる、と伝えたはずだが」
「……先方が急いでいるようです」と律也が言った。「セレスティーナ・ヴァル・アストラ本人が、すでに遠海領に入っているとのことです」
「使節より先行したか」
「はい。単身です」
(そこまで急ぐか)
俺は少し考えた。
「今日の午後に通せ」
「承知しました」
────
セレスティーナ・ヴァル・アストラは、三国干渉の構成員の一人だった。
俺はその顔を知っている。観察封印の交渉の席で、向かいに座っていた女だ。
あの時は、こちらが守勢だった。
今は違う。
応接間の扉が開いた。
白い法衣を纏った女が入ってきた。三十代の半ばだろうか。肩にかかるくらいの銀灰色の髪が、ゆるやかに波打っている。目が静かだった。感情を内側に整理してから表に出す習慣のある目だった。
三国干渉の時と同じ顔だった。
しかし——一人で来ていた。随行が一人もいない。
「久しぶりだな、セレスティーナ」
「……お久しぶりです、符侯殿」
一礼した。丁寧だが、頭を深く下げていない。
「座れ」
「はい」
セレスティーナが椅子に座った。背筋が真っ直ぐだった。
「単身で来た理由を聞こうか」
「随行を連れてくると、話の内容が帝国側に漏れます。今日の話は、まず貴方にだけ聞いていただく必要がありました」
「どんな話だ」
セレスティーナが俺を見た。
「聖戦派が動きます」
静かな声だった。しかし——その静けさの下に、切迫したものがあった。
「時期は」
「早ければ、今年の冬。遅くとも、来年の春には聖教国内で聖戦決議が採択される可能性があります」
「教会は、何をそんなに急いでいる」
「……南方の深淵の気配が、濃くなっています。西方の古い記録で——タルタロスと呼ばれた脅威です。外の脅威が近づくほど、教会は内側の『歪み』を放置できなくなる。聖戦派が急ぐ理由は、そこにもあります」
「内部を抑えられないか」
「私一人では、もう限界です」
セレスティーナが少し間を置いた。
「聖戦派の中心は誰だ」
「……第三枢機卿、ヴィクトル・ダンテ。お手元の書状に、副署があったはずです」
「知っているのか」
「私の師です」
セレスティーナの声は、変わらなかった。変わらないように、整えてから出した声だった。
「十九の歳に、あの方に拾われました。……そして、貴方がたが問題にしている第九条は——あの方が起草した条文です」
「師の条文を、お前が調べに来たのか」
「師が動く前に、自分の目で確かめに来ました。……それだけです」
俺は少しの間、セレスティーナを見た。師の名を出す声だけが、他のどの言葉より慎重に置かれていた。
「預言者派は、貴方を千年ぶりの預言者として教義的に承認する方向で動いています。それが実現すれば、聖戦派への最大の抑止になります。ただ——」
「ただ、何だ」
「承認には、条件が必要です。天使たちの現状が、教義的に説明できる形でなければなりません」
「千年ぶり、というのは」
「千年前、西方に一人だけ、神秘を従えた者がいたと伝わっています。銀の髪の預言者。教会は聖女として祀りました。……貴方がその再来か否か——預言者派の論点は、そこです」
俺は少し考えた。
「天使たちの現状が、どう見えているか言ってみろ」
セレスティーナが、俺を真っ直ぐ見た。
「陽気支配の霊理により、本来の意志を歪められた神の使いが、異教徒の命令に従わされている——と見えています」
「ルクシエルの意志は歪んでいない」
「それを証明できますか」
俺は少し間を置いた。
「見せてやる」
────
ルクシエルを呼んだ。
白金の光が部屋に満ちた。
ルクシエルが顕現した。白金の翼が広がり、碧眼が俺を見た。それから——セレスティーナを見た。
「……セレスティーナ様」
ルクシエルが言った。
セレスティーナの顔が、かすかに動いた。
「ルクシエル……」
「お久しぶりです」
ルクシエルが静かに言った。恨みも哀しみも、その声にはなかった。
「……貴女は、ここにいて……苦しくはないのですか」
セレスティーナが問うた。
「苦しくありません」
「しかし——」
「世一様は私の主です♡」
ルクシエルが、俺の隣に立った。
「私が望んで、ここにいます」
「陽気支配で歪んだ意志では——」
「セレスティーナ様」
ルクシエルが穏やかに言った。
「千年、教会の倉の中にいました。私が自分の意志を持っていたとすれば——その千年間、誰かに会いたかった。誰かと話したかった。誰かのために戦いたかった。教会は私にそれを許しませんでした」
セレスティーナが黙った。
「世一様は——私に、それを全部くれました♡」
「それは陽気の作用です。貴女の認識が侵食されている——」
「侵食されているなら」とルクシエルが言った。「侵食された私は、今、幸福です。教義的に正しくても幸福でなかった千年と、どちらが——神の望む姿でしょうか」
セレスティーナが、口を開きかけた。
「その教義は」
ルクシエルが、先に続けた。
「誰が定めたものですか」
「……聖典に記された、神の御意志——」
「違います」
穏やかな声のままだった。しかし、揺るがなかった。
「ヨハンナ様が最初に結ばれた約定は、一つだけです。『私を守り、相応しい方の到来を待つこと』。それだけでした。天使は道具に非ず、陽の気に触れた意志は歪んでいる——そのような条文を、ヨハンナ様御自身が書き残されたものが、貴女の手元にございますか」
セレスティーナが、答えなかった。
答えられなかった。
「下がっていていい」
「はい、世一様」
ルクシエルが一礼して、消えた。白金の光が引いた。
部屋が静かになった。
セレスティーナが、ゆっくりと息を吐いた。
「……見事な弁ですね」
「本人の言葉だ」
「……わかっています」
セレスティーナが俺を見た。
「しかし——ルクシエルだけでは、聖戦派を抑えられません。問題は、もう一体の方にあります」
「アルギメルか」
「はい」
俺は少し間を置いた。
「見るか」
「……見なければ、話が進まないと思っています」
セレスティーナの声が、わずかに固くなっていた。
────
アルギメルを呼んだ。
白銀の光が来た。
ルクシエルの白金とは違う、少し鈍い光だった。
アルギメルが顕現した。
白銀の槌を持った天使だった。ルクシエルに似た顔立ちだが、ルクシエルより少し幼い。かつて拘束していた黄金鎖の痕跡は、白銀の翼にもう残っていない。今日、この場に持ち出すつもりもなかった。
アルギメルが俺を見た。
「……呼び出して、何ですか」
「客だ」
「客?」アルギメルの紅い瞳が、部屋を一瞥した。「……異教徒の客に、私が用がある理由が——」
セレスティーナの姿を見た瞬間、アルギメルの言葉が止まった。
「……」
紅い瞳が、わずかに動いた。答えを探すように、俺を見た。
「セレスティーナ・ヴァル・アストラ。神使監察枢機卿——天使たちの管理を監督する立場の女だ」
「……ああ」
アルギメルが、小さく頷いた。
「名前だけは、お姉様から聞いたことがあります。直接言葉を交わした覚えはありません。私を含めた窓口は、もっぱらお姉様がされていましたので」
「……そう、でしたか」
セレスティーナの声が、少し落ちた。
「アルギメル、あなたは——」
「言っておきますが」
アルギメルが遮った。
「この異教徒を認めたわけではありません。今も、気に入らないことは山ほどあります」
セレスティーナの顔に、わずかな希望が差した。
「……では」
「ですが」
アルギメルの視線が、ちらりと俺に向いた。それからすぐに逸れた。
「……ここが、今は私の居場所です。あなた方の倉の中よりは、ずっと」
「アルギメル——それは——」
「聖教の管理下では、私は何もできませんでした。ただ眠らされているだけの、飾りでした。ここでは違います。槌を振るう場があります」
セレスティーナが息を飲んだ。
「……それは——陽気の作用では」
「作用かどうかは、私が決めます」
アルギメルが、俺の方を見ずに言った。
「私の意志です。きっかけが異教徒の陽気だったのだとしても——選んだのは私です」
セレスティーナの顔から、血の気が引いていくのがわかった。
「……これは」
「本人が言っている通りだ」と俺は言った。
「……アルギメルは」
「俺のものだ。だが、お前が思っているような形じゃない」
「同じでは——ないと」
セレスティーナの声が、初めて固くなった。
「……今の言葉が、本心からのものだという保証が、どこにあるのですか。陽気に浸された状態での証言に、どれほどの——」
「本人に聞け。ここにいる」
セレスティーナがアルギメルを見た。
アルギメルは、しばらく黙っていた。
「……聖教の管理下にあった時より、今の方が、まだ自分の意志が持てます。悔しいですが」
「アルギメル……」
「同情はいりません。私はあなたのことを、よく知らないので」
アルギメルが、つんと顔を背けた。
「では——用は済みましたか。私は戻ります」
「まだ話は——」とセレスティーナが言いかけた。
「私から話すことはありません。管理担当が誰であろうと、関係のないことです」
アルギメルが言い切った。それから、俺の方を見た。形だけの伺いだと、目が言っていた。
「下がっていいですか、異教徒」
「下がれ」
「——聞くまでもなかったですね。言われなくても下がります」
アルギメルが消えた。
セレスティーナがそれを見ていた。
その目に——怒りではなく、複雑な何かがあった。怒りと、悲嘆と、そして——何か別のものが混ざっていた。
しばらく、静寂が続いた。
「……符侯殿」
「何だ」
セレスティーナが、ゆっくりと俺を見た。
「貴方は——」
言いかけて、止めた。
言い直した。
「……聖戦派を抑えるために、私に何かを渡せますか」
「何が欲しい」
「聖教圏への出向です。貴方が天使たちを連れて聖地に来て、預言者派の前に立てば——その一事で、聖戦決議を三年は止められます」
「三年だけか」
「三年あれば、教義の改訂ができます。それが実現すれば、半永久的に抑えられます」
俺は少し考えた。
「検討する」
「……いつ頃、お返事をいただけますか」
「マギニアとの交渉が終わってから」
セレスティーナが、小さく頷いた。
「……わかりました」
立ち上がった。一礼した。今度は——少し、深かった。
「最後に、一つだけ聞かせてください」
「何だ」
セレスティーナが俺を見た。
「……アルギメルは、今——幸福ですか」
俺は少し間を置いた。
「聞いたことがない」
「……そうですか」
セレスティーナが、扉に向かった。
振り返らなかった。
────
夜半、俺は一人で、アルギメルの原符に陽気を薄く通した。
白銀の光が立ち上がり、槌を負った天使が顕現した。
「……こんな時刻に、何ですか。異教徒」
アルギメルの声には、昼間の警戒は残っていなかった。代わりに、隠しきれない何かが滲んでいた。
「今度は、客はいませんね」
「いない」
「……そうですか」
紅い瞳が、一瞬だけ期待を見せて、すぐに引っ込んだ。眉を寄せた。警戒の顔を、慌てて被り直したような動きだった。
「お前は今——幸福か」
紅い瞳が、まばたきを一つした。
「……昼間の女の、受け売りですか」
「そうだ」
「正直ですね。腹が立つほど」
アルギメルは、すぐには答えなかった。戦いの命令なら即答する天使が、この問いには時間を使った。
「……分かりません」
「分からないか」
「幸福というものを、比べる相手がありません。倉の中の千年に、幸福も不幸もありませんでした。あれは時間ではなく、ただの保管でしたから」
槌の柄を、アルギメルは握り直した。
「ただ——一つだけ、分かることがあります」
「言え」
「倉へは、戻りたくない。それだけは、はっきり分かります」
「……それは幸福とは違うのか」
「分かりません。ですが、嘘でもありません」
アルギメルが、つんと顔を背けた。
「……用件はそれだけですか。なら、戻ります。こんなことを聞くために天使を呼び出す符士は、あなたぐらいのものです」
「悪かったな」
「別に、嫌だとは言っていません」
アルギメルが、まだそこに立ったままだった。戻ると言った割に、槌を負った肩は動かなかった。
「戻らないのか」
「……戻ります。戻りますが」
紅い瞳が、俺を睨むように見た。
「幸福かと聞いたのは、命令ではありませんでした。……戦えとも、従えとも言わず、ただ聞かれたのは——初めてです」
アルギメルが、一歩詰めた。
「聞いておいて、それで終わりですか」
紅い瞳が、揺れていた。強がりの下で、何かを持て余している目だった。
「……分かりません、と言った時点で、戻ればよかったんです。なのに——まだ、ここにいます」
「なぜ戻らない」
「それが、分かれば苦労しません」
アルギメルが、俺の胸元をきつく睨んだ。それは拒絶の目ではなく、答えの出ない自分自身に苛立っている目だった。
俺はアルギメルの手を取った。振り払われなかった。
「——っ」
槌が、音を立てて床に落ちた。
「今、それは要らないだろう」
「必要な時に、すぐ握れないと困ります」
「握らせない」
アルギメルの頬に、初めて色が差した。
「……減らず口ですね」
俺はアルギメルを抱き寄せた。白銀の鎧の合わせを探ると、思いのほか呆気なく緩んだ。
「……手慣れていますね。腹立たしいくらいに」
「文句があるなら止める」
「……止めるとは言っていません」
鎧の下は、思ったより柔らかかった。槌を振るう腕の硬さとは裏腹に、胸元は豊かに手のひらへ収まった。
「——っ……」
アルギメルが、小さく声を漏らした。それだけで、つんとした顔が一瞬崩れた。
「今の声、もう一度聞かせろ」
「……いち、いち——命令しないでください」
「命令じゃない。頼んでいる」
アルギメルが、目を逸らした。逸らしたまま、耳だけを赤くした。
「……頼まれても、断る権利はあります」
「断るか」
「……断りません。今回だけ、です」
ベッドに横たえると、アルギメルが自分から膝を開いた。慣れない仕草だと、すぐに分かった。
「見るな、とは言いませんが……あまり、じっと見ないでください」
「見る。お前の顔だ」
指で触れると、もう十分に潤んでいた。
「……っ、ぁ——」
「もう濡れているぞ」
「……知っています。言わなくても」
ゆっくりと、指を沈めた。
「——っ! あ——ぁ——」
「狭いな」
「……言わないで、ください——っ——分かって——います——っ」
「事実だからな」
指を二本に増やすと、アルギメルの腰が浮いた。
「……っ、ぁ、あ——そこ——」
「ここか」
「……言わせないで、ください——っ」
槌を握る手が、シーツを強く握り締めた。
俺は指を引き、代わりに自分のものを宛てがった。
「……本当に、するのですか」
「嫌なら止める」
アルギメルが、少しの間、俺を見た。それから、目を閉じた。
「……止めなくて、いいです」
ゆっくりと、進めた。
「——っ!! あ——ぁ——っ」
「きついな。久しぶりだからか」
「……そんなに——間を——空けた——覚えは——っ——あります——けど——っ」
最奥まで、収めた。
「——っ……あ、ぁ——奥まで——」
「そのままでいろ」
「……言われなくても、動けません——っ」
少しずつ、動き始めた。
「——っ! あ——あ——っ」
「声、我慢しなくていい」
「……我慢、なんて——っ——あ——ぁ——だめ——おかしく——なる——っ」
槌よりも先に、その手が俺の背に回った。
「……っ、あ——もっと——お願い——だから——もっと——っ」
「言えたじゃないか」
「うるさい——です——っ——あ——ぁ——んっ——気持ち、いい——それだけ——っ」
腰の動きを速めると、アルギメルの声が跳ねた。
「——っ! あ——ぁ——ん——っ」
「いい声だ」
「……お兄様——っ——あ——ぁ——お兄様——気持ちいい——奥、すごい——っ♡」
「異教徒じゃないのか」
「今は——それ、どうでも——いい——です——っ♡」
「出すぞ」
「……中に——ください——お兄様の——熱いの——全部——っ♡」
止めなかった。
「——っ!! あ——ぁ——っ!」
深く、注いだ。
「……っ……熱い……あったかい——お兄様ので——満たされて——る——っ♡」
アルギメルが、ぽつりと言った。それだけだった。
しばらくして、アルギメルが槌を拾い上げ、白銀の光の中へ戻っていく間際——一度だけ振り返った。
「……次に呼ぶ時は、幸福かどうかなんて聞かなくていいです。ただ——呼んでください。こんなに間を空けるのは、性に合いません」
「わかった」
「……それだけです」
白銀の光が引いた。
原符を符叢に収めてから、俺はしばらく動かなかった。
幸福かと聞いて、幸福だとは返らなかった。それでいい。だが、「戻りたくない」だけだったあいつが、今夜は「もっと呼べ」と言った。分からないなりに、欲しいものが増えている。
セレスティーナへの答えは、これで出た。
(幸福かは知らない。だが、あいつは今、俺に何かを望んでいる)