『神符大戦 ──世界大会決勝で負けて底辺に堕ちた男、TCGの勝敗が全てを決める異世界で美少女達を調教しながら盤面制圧を目指す──』 作:シキセ
猶予の三日目の夕方、律也に指示を出した。
「エリナに伝えろ。今夜、外に出る」
「……どちらに」
「遠見市の地下だ」
律也が少し止まった。
「……エリナ様を——連れて——ですか」
「支度をさせろ。部屋に荷物を届けてやれ」
────
内室に届けたのは——黒い布地の娼婦ドレスだった。
肩を落とし、胸の谷間を深く開いた、体の線を隠さない作りのもの。首輪は——もとから着けている白金のそれで足りる。
エリナが——箱を開けて、しばらく黙っていた。
「……世一様」
「着ろ」
「……この格好で——外に——」
「そうだ」
「……」
エリナが——ドレスを着た。体の線が、くっきりと出た。黄金色のセミロングが、肩に流れた。白金の首輪が、鎖骨の上で光った。
エリナが——鏡の前に立った。
自分の姿を見た。
「……」
深紅でも白銀でもない。黒いドレスに、白金の首輪。騎士服を脱いだだけで、立ち姿の意味がこうも変わる。
「……この格好で——歩けと——」
「歩け。誰もお前を騎士だとは思わない。それを体で知っておけ」
「……知って——どうなるのですか——」
「肩書きで立てない場所で、どう立つか。騎士団は教えてくれなかっただろう」
エリナが——鏡の中の自分と、もう一度目を合わせた。
「最後にこれを被れ」
薄い布を渡した。
エリナが広げた。
「……これは——」
「シスターベールだ」
「……聖職者が——神前で使う——」
「被れ」
エリナが——ベールを頭に被った。半透明の薄い布が、顔の上半分を覆った。目の輪郭が、透けて見える。青い目が、ベール越しに揺れていた。
「……」
鏡の中の自分を、エリナはしばらく見ていた。
「……聖教の騎士の象徴を——こういう使い方を——するのですか——」
「出るぞ」
首輪にリードを繋いだ。
「——っ♡」
エリナが、小さく息を飲んだ。
────
夜の遠見市は、明るかった。
符闘賭場の灯りが、路地の奥まで届いていた。
エリナが——俺の半歩後ろを歩いていた。
首輪から、薄く陽気が流れ続けていた。俺がリードを握る手に力を入れるたび、出力が一段、変わる。
「……っ——」
エリナが、声を殺して歩調だけを保っていた。一歩ごとに、息がわずかに乱れる。
「……っ——歩くだけで——っ——」
「静かにしろ」
「……っ——はい——っ——」
路地を曲がった。
すれ違った男が——エリナを見た。ベール越しの青い目。首輪。リード。
男が——連れに何か囁いた。
エリナが、聞こえていたはずだった。顔が、ベールの下で赤くなった。
「……っ——見られています——っ——」
「当然だ」
「……こういう街に——聖職者の格好で——来る女が——いるのですか——」
「いる。聖都の裏通りにもいる。表の顔と裏の顔を分けて生きる人間は、どこの国にもいる」
「……騎士団では——教わりませんでした——」
「教わらないだろうな。円卓は、表しか見せない」
すれ違う酔客が、また一人、エリナを振り返った。
「……っ——」
「胸を張れ。俯くと、余計に見られる」
エリナが——背筋を伸ばした。騎士の姿勢だった。娼婦のドレスの上に、騎士の背骨が通った。
(悪くない)
その不釣り合いが、この女の今を、そのまま形にしていた。
地下への階段を降りた。
カジノの貴賓室区画に入った。
照明が落とされた、静かな空間だった。符闘の賭けを扱う古参の符家が集まる場所だった。
────
貴賓室区画の奥、個室に通された。
世一と同年代の男が一人待っていた。黒い羽織。金の符印。遠見市で賭場を束ねる符家の棟梁——桔野という男だった。
「……符侯様」
「久しぶりだ」
「噂は聞いていましたが——本当に連れてきましたか」
桔野が——エリナを見た。ベール越しの顔。黒いドレス。首輪とリード。
「……聖旗の騎士を——この格好で——たいした御趣味で」
「座れ」
エリナが——隣に座った。
座った瞬間、首輪の熱が体の芯に沈んだのだろう。エリナが、わずかに背を強張らせた。
「……っ——」
「今夜の賭場の動きを聞かせろ」
「はい。ヴァンダリア系の符家が三組入ってきています。大きな手を打つ前触れかと」
「どこに張っている」
「東側の盤面です。ヴァンダリアの符士が——クラウス殿と同じ、式符技術管理局の筋で、遠海の動きを追っているようで——」
俺はリードを手に持ったまま話を聞いた。
エリナが——隣で、ちゃんと座っていた。静かに。背筋を伸ばして。
(なかなかやるな)
首輪の陽気を流されたまま、外交の話を聞いている。
俺はリードを——軽く引いた。首輪に流す陽気の出力が、一段上がる。
「——っ!♡♡」
エリナが、声を上げた。
桔野が——チラリとエリナを見た。
エリナが——口を押さえた。顔が赤かった。
「……失礼しました——っ——」
「気にするな」と桔野が言った。「符侯様のお連れは、いつもそういう反応をされる」
「……っ——」
「続けろ」と俺は桔野に言った。
「はい。東側の賭場では、遠海の『三旗』に金が集まり始めています。符侯様が聖教・帝国学術院・マギニアの三方から人を取った——その筋書きに張る客が増えました」
「配当は」
「まだ薄い。ですが、聖戦決議が通るかどうかの賭けは——今、荒れています。取りまとめ役が票を止めている、という話が、賭場にまで流れましてね」
「誰が流した」
「さて。……ただ、噂の出どころを辿ると、聖教の内部に行き着くと言う者もいます」
(先手を打ってきたか)
俺はリードを握り直した。
俺はまた、今度は陽気の出力を二段上げた。
「——っ!!♡♡♡」
エリナが——腰が浮いた。膝が内側に向いた。
「……っ——世一様——っ——話の最中に——」
「静かにしろ」
「……っ——っ——はい——っ——!♡♡♡♡」
桔野が、肩を揺らした。笑っていた。
「……変わらない御人ですね、符侯様は」
「土産に、今の話の裏付けを紙で寄越せ。近く、遠海の茶を返礼に送らせる」
「これは。……次も良い話を仕入れておきましょう」
桔野が頭を下げた。商人の礼だった。賭場の主は情報の値段を知っている。だから、信用できる。
────
個室を出た。
エリナが——俺の後ろを歩きながら、少し足元がおぼつかなかった。
「……っ——世一様——話の最中に——首輪を——」
「何か問題があったか」
「……問題が——ありすぎます——っ——!」
「桔野は慣れている」
「……っ——そういう問題では——!」
廊下に出た。
すれ違う男たちが振り返った。ベール越しの青い目。首輪。リード。
「あのシスター——」
声が聞こえた。エリナの耳にも届いたはずだった。
「……っ——」
エリナが——唇を一度噛んだ。それだけで、前を向いたまま歩き続けた。
(意地を張っている)
それでいい。その意地が——あと何日保つかを、俺は数えている。
階段を上った。
夜の街に出た。
盛り場の大通りではなく、脇の路地に入った。
「……世一様、こちらは——」
「見せたいものがある」
灯りの数が減った。屋台の油の匂いが、煮売り屋の湯気に変わった。狭い長屋の並ぶ一角に、小さな酒場があった。
酒場の女将は、片腕がなかった。
「符侯様。お珍しい」
「客を連れてきた」
女将が、エリナのベールとリードを一瞥して——何も言わずに、席を作った。慣れた店だった。
「あの女将は」と俺はエリナに言った。「元は聖教系符家の、託宣を担う修道女だ。神託の力が弱ったと判定されて、『静養』の名目で塔に移された。本人は勤めを続けたいと言ったが——彼女のためだ、という理由で、聞かれなかった。塔を出るのに十年かかった。出た時には、名前も職も残っていなかった」
エリナが——女将の背中を見た。
「……修道女としての名は」
「捨てさせられた。今は店の名で呼ばれている」
隣の卓で酒を飲んでいる年配の男を、俺は目で示した。
「あれは元・騎士団の従卒だ。戦傷で足をやられて、騎士団の保護院に入れられた。院の暮らしは清潔で、飯も出た。だが、外に出る許可が下りなかった。危険だから——本人のためにならないから、という理由でだ。塀を乗り越えて逃げて、ここに流れ着いた」
「……保護から——逃げた——」
「保護から逃げてきた人間が、この盛り場には大勢いる。教会の規範から外れた者。騎士団に守られなかった者。守られすぎて、名前を失った者」
エリナが、黙った。
酒場の喧噪が、二人の間を流れた。笑い声。杯の音。誰かの下手な歌。
「……ここにいる人たちは——幸福、なのですか」
「知らない。本人に聞け」
エリナが——女将を見た。女将は客と笑いながら、片腕で器用に杯を並べていた。
「一つだけ確かなのは」と俺は言った。「あの女将を塔に入れた人間も、あの男を院に入れた人間も——悪人じゃなかった、ということだ。全員、本気で『本人のため』だと思っていた」
エリナの手が——膝の上で、強く握られた。
「……私が——ルクシエル様に言ったことと——」
「同じ形だ」
エリナは、それきり何も言わなかった。
酒が来た。女将が自ら運んできた。
「お連れさん、飲めるのかい」
「……いただきます」
エリナが杯を受けた。女将が、ベール越しの顔をしばらく見て——笑った。
「いい目だ。うちに来る娘は、だいたい二種類でね。目が死んでる娘と、目が尖ってる娘。あんたは、どっちでもない」
「……どういう目、ですか」
「迷ってる目だ。一番いい目だよ。迷わなくなったら、人間おしまいさ」
女将が片腕で徳利を置いて、戻っていった。エリナが、杯を両手で持ったまま、その背中を見ていた。
「……迷っていることを——褒められたのは——初めてです」
「ここはそういう場所だ」
「……騎士団では——迷いは、罪でした」
「円卓の外では、迷いは値打ちだ。迷える人間だけが、選び直せる」
エリナが、杯を少し傾けた。強い酒だった。ベールの下で、小さくむせた。
「……っ——これは——」
「遠海の芋酒だ。慣れろ」
「……慣れる——ものですか——これは——」
それでも、エリナは杯を空けた。騎士の律儀さで、最後の一滴まで。
店を出る時、女将が言った。
「お連れさん。またおいで。今度は——自分の足で」
エリナが、振り返った。リードは、俺の手の中にある。女将は、それを見て言っていた。
「……はい」とエリナは答えた。「いつか——自分の足で、来ます」
酒場を出るまで、ベールの下の目は、ずっと女将の片腕を追っていた。
────
帰り道。
夜の路地に、二人分の足音だけが響いた。
「……世一様」
「何だ」
「……今夜も——最後までは——なさらないのですか——」
「しない」
エリナが——少し止まった。
「……」
「言いたいことがあるか」
「……言いません——」
「そうか」
「……言いません——けど——」
「けど何だ」
エリナが——ベール越しに、俺を横目で見た。
「……前が——ずっと——濡れています——」
「知っている」
「……知っていて——」
「お前が自分から言うまでは入れない」
エリナが——また歩き始めた。
「……悔しい——です——」
「そうか」
「……絶対に——勝ちます——訓練場で——」
「楽しみにしている」
エリナが——小さく鼻を鳴らした。
怒りとも、笑いとも取れない音だった。
しばらく歩いてから、エリナがもう一度、口を開いた。
「……世一様」
「何だ」
「……今日の街を——忘れないように、します。あの女将の目も——あの酒の味も」
「覚えておけ。お前がこれから守ると言った「本人の意思」とやらは——ああいう場所に落ちている」
「……はい」
遠見市の夜灯が、並んで歩く二人の影を、路地に長く伸ばしていた。