※この作品はR-18です。

『神符大戦 ──世界大会決勝で負けて底辺に堕ちた男、TCGの勝敗が全てを決める異世界で美少女達を調教しながら盤面制圧を目指す──』   作:シキセ

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第五十一話 空の隣

翌朝、隣が空だった。

 

枕に頭の形が残っていた。温度はもうなかった。

 

律也が部屋を確認して、戻ってきた。

 

「手紙が残っています」

 

受け取った。封は個人印だった。聖教の紋章ではない。

 

  聖都へ戻ります。

  これは聖教と、私自身の問題です。

  どうか追わないでください。

        セレスティーナ

 

短かった。いつもの書状にある、要件と手順の欄が、一つもなかった。

 

「港の記録は」

 

「……昨夜のうちに、聖教の小舟が一艘、着いています。お一人で、それに乗られたと」

 

俺は手紙を、もう一度見た。

 

(何も、書いていない)

 

何のために戻るのか。誰と合流するのか。いつ戻るのかすら、書かれていない。今までのセレスティーナなら、必ず手順を並べる女だ。それが、この短さだ。

 

「聖都から、何か届いているか」

 

「……いえ、まだ」

 

「届いたら、すぐに持ってこい」

 

 

二日後、ダンテからの親書が届いた。

 

聖座枢機卿会議の正式な封印。丁寧な文語。

 

要約すれば——「セレスティーナ・ヴァル・アストラは、自らの意志で聖都へ帰還し、聖教内部の審問を受けている。符侯 式世一殿との敵対は望まない。天使のご所持、遠海領のご統治、すべて追認する。本件は聖教内部の手続きであり、貴方には一切の不利益が及ばない」。

 

合理的だった。

 

俺が動かなければ、何も失わない——そう読める文面だった。だが、読めば読むほど、粗が見えた。

 

(「自らの意志で」——誰に確認させた)

 

セレスティーナの署名は、どこにもない。ダンテの文言だけで、彼女の意志を語っている。

 

「返書は」と律也が聞いた。

 

「必要ない」

 

律也が少し間を置いた。

 

「……それが——返答ということですか」

 

「そうだ。だが、動くのは動く」

 

「……何をお命じに」

 

「英稟に、出立の支度をさせろ。すぐにでも動けるようにだけしておけ。まだ、船は出さない」

 

 

その二日後の夜、密報が届いた。

 

天声派の連絡網を経由した、短い符だった。開くと、一枚の写しが浮かんだ。手早く書かれた、震えた筆致だった。

 

  セレスティーナ様は、正式な法廷へ出されておりません。

  枢機卿印を奪われ、外部連絡を封じられました。

  非公開の地下拘束区画へ移されています。

  公開審問より前に、処分される可能性があります。

        イゾルデ

 

俺は、その写しを、二度読んだ。署名の名前に、覚えはなかった。

 

(帰還したんじゃない)

 

連れ去られている。

 

「英稟」

 

「……はい」

 

「出す。今夜だ」

 

英稟が息を止めた。

 

「……準備は——」

 

「今夜出す準備を、今から始めろ」

 

英稟が頷いた。すぐに動いた。

 

「ルクシエル」

 

白金の光が来た。

 

「……お呼びとあらば、いつでも」

 

「お前も来い。アルギメルも連れる」

 

「……はい。世一様が望むなら、あの子も」

 

出立前に、残るものを集めた。

 

冬子が最初に来た。腹がもう膨らんでいた。それでも背筋は真っ直ぐだった。

 

「……同行します」

 

「しなくていい」

 

「世一様——」

 

「お前の腹の中にいるものが生まれるまで、ここにいろ。命令だ」

 

冬子が——一礼した。深く。

 

「……わかりました」

 

雪は何も言わなかった。来た時から、もう返事をしていた。ただ英稟の顔を見た。長い間。

 

英稟が「行ってくる」と言った。

 

それだけだった。雪が頷いた。

 

苑子に奥殿の管理を任せた。律也に遠海の全権を渡した。

 

「何かあれば」

 

「……はい。お任せください」と律也が言った。

 

エリナが廊下に立っていた。

 

「……連れて行ってください」

 

「マギニアとの糸はどうする」

 

「書状の中継は律也殿に頼みました。向こうからの便りは月に一度。往復の間に、戻れます。……それに」

 

エリナが、まっすぐ俺を見た。

 

「あの卓で、私の役目を決めたのは世一様です。証言者を守れ、と。——証言の場は、聖都でしょう」

 

正論だった。

 

「乗れ」

 

「……はい」

 

白金の首輪が、廊下の燭台の光を受けた。

 

リタニアは、聞くまでもなかった。港に、先に立っていた。旅装で、手帳を三冊抱えて。

 

「……ヴァンダリアの観測者として、聖教の審問を記録できる機会は、百年に一度もありません。同行の許可を」

 

「三条件は仕上がっているか」

 

「仕上げてあります。誰が使っても、同じ結果が出ます」

 

「なら、お前の観測に付き合ってやる。乗れ」

 

 

ダンテの盤面は合理的だった。俺が動かなければ何も失わない——それは、文面の上だけの話だ。

 

俺の手駒の使い道を決めるのは、俺だけだ。

 

組織に切り捨てられた人間がどうなるか、俺は知っている。連れ去られた人間がどうなるかも、これから見に行く。

 

窓の外に、遠海の港が広がっていた。

 

今夜、船を出す。

 

────

 

 

遠海の港を出た夜、英稟が言った。

 

「……本当に行くのですか」

 

「行く」

 

「……勝算は、ありますか」

 

「盤面次第だ」

 

「……そこまで言い切れる根拠が——」

 

「ない」

 

英稟が黙った。

 

「ないが——行く。それだけだ」

 

英稟が少し間を置いた。

 

「……わかりました」

 

それだけだった。

 

ルクシエルとアルギメルが、甲板に顕現していた。二体が並んで、夜の海を見ていた。

 

 

三日目の夜、ルクシエルが来た。

 

「世一様」

 

「なんだ」

 

「……聖都に近づいています」

 

「わかっている」

 

ルクシエルが少し間を置いた。

 

「……私は——千年前、あの都市にいました」

 

俺はルクシエルを見た。

 

「封印される前か」

 

「……その前から。あの都市は——私が初めて人間と言葉を交わした場所です」

 

「それが今どうなっている」

 

「……変わっていないと思います。変わったのは——私が、意志を持ったことだけです」

 

「変わっていなければ都合がいい。盤面を知っている」

 

ルクシエルが——少し目を細めた。

 

「……そうですね」

 

「セレスティーナの気配は、何か拾えるか」

 

ルクシエルが、少し目を伏せた。

 

「……遠すぎます。海の上からでは、何も。ただ——」

 

「ただ何だ」

 

「……アルギメルが、落ち着きません。何かを感じ取っているようですが、言葉にはできないと」

 

「わかった」

 

甲板に夜風が流れた。

 

「怖いか」

 

ルクシエルが——俺を見た。

 

「……千年間——意志を聞かれたことがありませんでした」

 

「それが答えか」

 

「……はい」

 

 

七日目、白い都が見えた。

 

海の向こうに——聖都ミルフォリアが建っていた。

 

尖塔が何本も空に伸びていた。白い石造りの都市。至聖の紋章が至る所に見えた。港に入るだけで、空気が変わった。甘い、少し重い香りが漂っていた。香が焚かれているのだろう。

 

「あの建物です」とルクシエルが言った。

 

都市の中央に、他より高い建物があった。白い石の壁。高い尖塔。千年前と、変わっていないように見えた。

 

「かつて——私への処遇が決まった場所です。今も同じ用途だと、セレスティーナ様から伺いました」

 

港に着いた時、使いは待っていなかった。ダンテからの召喚状も、まだ届いていない。

 

「……法廷は、まだ開かれていないようです」と英稟が言った。

 

「当然だ。ダンテは、俺がここへ来ることを知らない」

 

英稟が少し間を置いた。

 

「……知らないまま——動くのですか」

 

「知られる前に、取り戻す」

 

────

 

夜、宿に来客があった。

 

頭巾を目深に被った、若い女だった。英稟が符叢に手をかけたが、女が頭巾を下ろす方が早かった。

 

二十代半ば。理知的な目。副大聖堂の助祭服。

 

「イゾルデと申します。セレスティーナ様の——補佐をしていた者です」

 

「天声を待つ者たちか」

 

「……その呼び名を、ご存知でしたか」

 

「セレスティーナから聞いた。座れ」

 

イゾルデが座った。懐から、油紙に包んだ束を出した。

 

「セレスティーナ様から預かったものと、私どもで集めたものです。いずれ法廷が開かれた時——符侯様に、使っていただきたい」

 

英稟が束を開いた。一枚ずつ、卓に並べていく。

 

「……これは」

 

「神使監察の記録台帳の写しです。正確には——記録が『ない』ことの記録。台帳は千年分ありますが、天使の意志確認の項目は、全ての頁で空欄です」

 

「よく持ち出せたな」

 

「写本です。三人がかりで、五日かけて写しました」

 

イゾルデが、次の紙を示した。

 

「これは、歴代の神使監察報告の写し。ここ二十年分には——提出時と公示時で文言の異なるものが、十七件あります。改竄の形跡です。改竄後の文面は、いずれも第九条の適用を支持する方向に揃っています」

 

「ダンテか」

 

「……公示側に、第三枢機卿の署名があります」

 

英稟が、紙の束を手早く整理していった。副将の手つきだった。リタニアが横からそれを検分し、頁ごとに番号を振っていく。

 

「……法廷で引用できる形に、整理しておきます」

 

「それと——枢機卿は近年、『洗浄』の名目で、十七体の天使の原符を法廷の地下へ移しています。セレスティーナ様は、その原符と同じ区画に囚われています」

 

「十七体」

 

「改竄された報告の数と、同じです。偶然ではないと、私どもは見ています」

 

イゾルデが、最後の一枚を置いた。古い写本だった。

 

「……これが、一番古いものです。第九条の、原案。五十年前——起草者は、ヴィクトル・ダンテ。当時はまだ、一介の司祭でした」

 

俺は写本を手に取った。

 

「五十年前に、何があった」

 

イゾルデが、少し間を置いた。

 

「……『白翼の日』と呼ばれる事件があります。教会は公式には語りません。記録そのものが封印されていて——私が確認できたのは、周辺の断片だけです」

 

「断片でいい。言え」

 

「五十年前、聖都の西区画で、天使に関わる惨事がありました。百人を超える負傷者。……それを三日三晩かけて収束させたのが、当時一介の司祭だったダンテです。多くの命を救った者として——彼は枢機卿への道を歩き始め、そして」

 

「中で何があったかは」

 

「封印記録の中です。……開けられるのは、おそらく——当事者だけです」

 

イゾルデが、第九条の原案を目で示した。

 

「……この条文を書きました。本人の意思より、管理された安全を優先する。あの日の聖都には——確かに、必要な条文でした」

 

「必要だった、か」

 

「五十年前には。……ですが枢機卿は、条文を書いた日から、一度もそれを疑わなくなりました。危険かもしれない者。自分と違う判断をする者。管理を拒む者——その全てを『自由意志を失っている』と認定する条文に、五十年かけて、育ててしまった」

 

(過去の成功に囚われた管理者、か)

 

偽善者なら、崩すのは簡単だ。本気の男は——厄介だ。

 

「セレスティーナの捕縛の経緯を、知っているか」

 

イゾルデの顔が、初めて揺れた。

 

「……申立ての書類は、提出できました。受理印も取りました。その帰り道に、聖堂騎士が来ました。……セレスティーナ様は、逃げられたはずなのです。私どもが、隠れ家を用意していました。ですが——」

 

「残ったか」

 

「……騎士団は、匿った者も同罪に問うと布告していました。セレスティーナ様は、私どもの名簿を胸に抱えたまま、正面から騎士団の前に出て——『協力者はいない。全て私一人の行いだ』と」

 

イゾルデの声が、詰まった。

 

「……名簿は、その場で燃やされました。ご自分の手で。私どもが今夜ここに来られるのは——あの方が、燃やしてくださったからです」

 

英稟が、目を伏せた。

 

(判断を誤って捕まったんじゃない。あの女は——守る側を、選んだ)

 

「法廷が開かれたら、証言台に立てるか」

 

「……立てと、おっしゃるなら」

 

「立て。改竄の十七件は、写した本人の口から語られた方が重い。だが、その前にもう一つ聞く」

 

イゾルデが、姿勢を正した。

 

「セレスティーナが今どこにいるか、正確な場所はわかるか」

 

イゾルデの目が、揺れた。

 

「……法廷の地下に、拘禁区画があります。ですが——正確な位置までは。神使監察でも、限られた者しか立ち入れません」

 

「見取り図はあるか」

 

「……古いものなら。私が助祭になった頃、清掃の割り当てで一度だけ、その階まで下りたことがあります」

 

「描け」

 

イゾルデが、少し戸惑った。

 

「……法廷の判決を、お待ちにならないのですか」

 

「待たない」

 

「……ですが、正式な手続きを踏まなければ、符侯様が——」

 

「手続きより先に、連れ去られた人間がいる。手続きは、後からでも直せる」

 

イゾルデは、しばらく黙っていた。それから、懐から白紙を取り出し、記憶をたどりながら、線を引き始めた。

 

「……ここが、法廷の地下への入り口です。警備は、聖堂騎士が常時二名。奥へ進むと、結界の間があります。石を操る法儀を修めた守護職——聖堂石守の一団が管理していると聞きました」

 

「戦力は」

 

「……正確には、わかりません。ただ、地下は普段、人の出入りがほとんどない区画です。守りは、厚くはないはずです」

 

「十分だ」

 

俺は見取り図を折りたたんだ。

 

「英稟」

 

「……はい」

 

「今夜、行く」

 

英稟が、短く息を吸った。それから、頷いた。

 

「……承知しました」

 

イゾルデが立ち上がった。

 

「私も、道案内としてお供します」

 

「危険だぞ」

 

「セレスティーナ様のためです。危険は、承知の上です」

 

俺は、しばらくイゾルデを見た。

 

「来い。だが、俺たちの後ろにいろ」

 

「はい」

 

窓の外を見た。

 

聖都の夜が広がっていた。白い尖塔に、月が当たっていた。

 

法廷の判決を待つ気は、なかった。

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