『神符大戦 ──世界大会決勝で負けて底辺に堕ちた男、TCGの勝敗が全てを決める異世界で美少女達を調教しながら盤面制圧を目指す──』 作:シキセ
第五十九話 産声
冬子が産気づいたのは、明け方だった。
符治師が三人、夜のうちから準備を整えていた。苑子の手配だ。俺が何かを言う前に全部終わっていた。
廊下に出るよう言われた。
「世一様、これより産室は——」
「入る」
符治師が固まった。
「……産室は、お方様方のための場でございまして、主君様が——」
「俺が入ると言っている」
苑子が符治師に目配せをした。符治師が口を閉じた。
「……どうぞ」と苑子が言った。声に何も乗せていなかった。
中に入った。
冬子が床に横たわっていた。几帳が半分下りている。額に汗が光っていた。枕元に符治師が一人ついて、低い声で何かを言い続けていた。
俺は冬子の頭の横に座った。
冬子が目を開けた。
「……世一様」
「ここにいる」
冬子が小さく笑った。
「……苦しいですか、と聞いてくれないんですね」
「見ればわかる」
「……そうですね」
冬子がまた目を閉じた。しばらく息を整えた。
「星が——にぎやかなんです」
冬子は苦しい時、空が見えると言う。産気づいてから、ずっとにぎやかで。星が多すぎて何が見えているのかわからないくらい、と言っていた。
「何が見える」
「……わからないんです、にぎやかすぎて。でも——来る気がします。元気に」
俺は冬子の手を握った。
冬子が少し驚いた顔をした。
それからもう笑わなかった。笑う力を全部、別のことに使い始めた。
符治師たちが動いた。
冬子はほとんど声を出さなかった。呼吸に集中するタイプだった。苦しそうに見えないわけではなかった。ただ、星読みに慣れた体が、別の集中の仕方を知っていた。
夜明けの最初の光が障子に差し込んだ頃────
産声が上がった。
小さくて、しかし確かな声だった。
「——男のお子様です」
符治師が振り返って言った。
俺は息を吐いた。
冬子が目を閉じたまま、小さく頷いた。
「……そうですか」
「名前は」
冬子がしばらく黙っていた。
「……朔、と——つけてもよいですか。月の始まり、という字です」
「良い名だ」
「……世一様が言うと、決まった気がします」
冬子が目を開けた。顔色はまだ悪かった。しかし目だけが、澄んでいた。
「見てもよいですか」
子を受け取った。
軽かった。
異様に軽くて、こんなに小さいのかと思った。顔が赤い。目がまだ閉じている。
「……朔」
声に出してみた。
子が——目を開けようとした。開ききらなかった。しかしそこに何かが動いた。確かに動いた。
俺は少しの間、その顔を見ていた。
何も考えていなかったわけではない。ただ、考えたことが何もまとまらなかった。
――
雪が産んだのは、それから二刻後だった。
隣の間で、こちらより少し短く、しかし同じように確かに産声が上がった。
「——女のお子様です」と苑子が廊下から告げた。
俺は朔を冬子に返して、隣に移った。
雪は泣いていた。
産んだ後で、顔をぐしゃぐしゃにして、子を胸に抱いたまま泣いていた。
「……ごめんなさい」と雪が言った。「なんか——なんかわからなくて——」
「泣いていい」
「……世一様も来てくれてたんですか」
「隣にいた」
雪がまた泣いた。
雪が抱いた子が、泣き声に反応して顔をしかめた。
「名前は」
「……澄、って——英稟様に聞いたら、澄はどうかって言ってくれて」
俺は英稟を見た。
英稟は部屋の隅に立っていた。副将の顔をしていた。何も言わなかった。
「英稟が決めたのか」
「……雪が決めました」と英稟が言った。「聞かれたので、答えただけです」
「澄か」
「……はい」
英稟の目が、ほんの一瞬——澄の顔に向いた。
向いて、それから戻った。
また副将の顔になった。
俺は何も言わなかった。英稟も何も言わなかった。
――
三日が経った。
朝の授乳が終わった後の短い間、俺は朔を抱いた。
冬子がうとうとしている。符治師に「産後三日は動かぬように」と言われている。星読みの能力が産後に過敏になるらしく、横になっているだけでも星が見えてしまうと言っていた。「うるさいんです、少し」と冬子が言った。星が、という意味だった。
朔は軽かった。三日経っても軽い。慣れない。
抱いているうちに、廊下に気配がした。
「……入っていいですか」
ルクシエルの声だった。
「入れ」
ルクシエルが入ってきた。いつもの白のドレスアーマーだったが、足音を殺して動いていた。珍しかった。
朔を見た。
「……小さい」
「三日前よりは大きくなった」
「三日前、世一様は私に来るなと言いました」
「産室に人を増やさない方がいい」
「わかっています。でも——」ルクシエルが朔に顔を近づけた。「産まれたての人間を、見たことがなかったので」
「見たことないのか」
「天使にとって、人間の時間は——どうしても、遠くから見るものになってしまって」ルクシエルが朔の頬に指先を近づけた。触れる手前で止めた。「触っても、いいですか」
「朔が嫌がったら止めろ」
ルクシエルがそっと、朔の頬に指の腹を当てた。
朔が顔をしかめた。
ルクシエルが手を引いた。
「……ごめんなさい」
「嫌がっただけだ。怒っているわけじゃない」
朔がぐずり始めた。俺は軽く縦に揺らした。しばらくして、声が止んだ。
ルクシエルがそれを見ていた。
「……世一様は慣れているんですね」
「三日だ」
「三日で慣れるんですか」
「慣れてない。揺らすと少し黙る、ということがわかっただけだ」
ルクシエルが少しの間、朔の顔を見ていた。
「この子は——世一様に似ていますか」
「わからん。誰かに似ているかどうかも、まだわからん」
「そうですか」ルクシエルが視線を上げた。「……私には、世一様に似ているように見えます」
「どこが」
「眉間が少し険しいところ」
朔の顔を見た。
「……そうか」
「はい」
ルクシエルが立ち上がった。
「……邪魔しました」
「邪魔じゃない」
「でも——冬子様が起きそうです。私がいるより、世一様と二人の方がいいと思うので」
ルクシエルが廊下に戻った。足音を殺したまま。
朔を抱いたまま、ルクシエルが去るのを見送った。
あいつなりの、気遣い方をしている。
そういうことは、言わなくていいと思った。
――
夜、廊下を歩いていると、奥の間に灯りがあった。
澄の部屋だ。
扉が少し開いていた。
英稟が、澄を抱いていた。
立ったまま抱いていた。座る気のない抱き方だった。誰かに見せるためではない、自分だけのための抱き方だった。
気づいていない。
俺が廊下に立っているのを、気づいていなかった。
英稟が澄の顔を見ていた。
何も言わなかった。
ただ、見ていた。副将の顔ではなかった。何かもっと古い、形にならないものが、英稟の顔の中にあった。
俺はそのまま廊下を通り過ぎた。
声はかけなかった。
────
自室に戻る廊下で、一度だけ足を止めた。
生まれて三日の子が、二人。この家には、これから育っていくものが増えた。
家というものは、守るものが増えるほど——外から見れば、突きやすくなる。
(守り方を、変える時期だ)
そういう予感だけが、あった。