『神符大戦 ──世界大会決勝で負けて底辺に堕ちた男、TCGの勝敗が全てを決める異世界で美少女達を調教しながら盤面制圧を目指す──』 作:シキセ
試合が終わった夜、宿の廊下で苑子に呼び止められた。
「どちらへ」
「散歩だ」
「お供します」
「要らない」
苑子が止まった。何か言いたそうだったが、言わなかった。
私服に着替えて屋台街へ出た。
大符闘祭の期間中、皇京の下町には屋台が立ち並ぶ。符士だけでなく各地から見物客が流れ込み、夜でも通りが人で埋まる。符の香、焼き肉、甘酒、符闘解説の呼び込み声。子供が走り、老人が茶を飲み、どこかで太鼓が鳴っていた。
(アニメでもこういうシーンがあったな)
第一部の中盤。燎が屋台街をうろつくエピソード。安い肉串を食いながら英稟の道場前を通り過ぎる場面だ。帝都の屋台のうるささの描写が細かいと思った記憶がある。
実際に来てみると、あの描写は正確だった。
屋台をいくつか通り過ぎた。
——ざわついた声が聞こえた。
通りの隅、屋台二軒分の路地。灯りの届かないところで、三人の男が一人の女を囲んでいた。
「独立枠で帝都まで来るとはご苦労なことだ」
「可愛い顔してるのに、何が悲しくて符闘なんかやってる」
男たちの服は粗いが、腰の符叢は分厚い。中堅符家の傍流あたりか。大会に出られなかった——あるいは出る気もない——連中だ。
囲まれた女が答えた。
「退いてください」
声が平坦だった。怯えていない。ただ——三人だ。
「退く理由がどこにある」
「ここは通りです。あなたたちが塞いでいる」
「俺らは休憩してるだけだ。どけというなら符闘で証明してみせろ」
俺は路地に入った。
三人が振り返った。
「なんだお前」
「三人がかりか」
声を上げたつもりはなかった。ただ言った。
三人が俺の目を見た。
一瞬の間があった。男の一人が仲間の袖を引いた。
「……行こうぜ」
男たちが去った。
女が俺を見た。
銀がかった短い髪。引き締まった体格。目が細く、警戒心が強い。腰には無駄のない薄い符叢。
(……風音か)
アニメ第一部の予選ブロックで登場した独立符士。燎と熱戦を繰り広げ、敗れた後も燎の活動に関わった。帝都の大符闘祭に来ているということは、独立符士枠で出場しているのだろう。
「……ありがとう、ございます」
言いにくそうに言った。礼を言い慣れていない人間の顔だ。
「いや」
「見ず知らずの方に助けていただくのは不本意ですが」
「そうか」
「でも——助かりました」
女が頭を下げた。素直じゃないが、誠実だ。
「あなたも大会の参加者ですか」
「そうだ」
「……独立符士の枠?」
「違う」
「……そうですか」
それ以上は聞いてこなかった。詮索しない性分らしい。
「千歳 風音といいます」
「世一だ」
風音が頷いた。名前をそれ以上掘り下げなかった。
風音の表情が一段だけ和らいだ。警戒が溶けたわけではないが、硬さが落ちた。
屋台のそばに出た。風音がついてきた。
「さっきの三人——ああいう連中がいるとは思っていませんでした」
「大会の外は別のゲームだ」
「……知っていれば立ち回りを考えていた」
俺は屋台で肉串を一本買った。
「風属性の一撃離脱は一対一の符闘では強い。しかし路地の問題に符叢は出せない」
風音が止まった。
「……なぜ私が風属性だとわかったんですか」
「符叢の重さと符入れの薄さから。速攻型は符叢が薄い。代償コストを最小に抑えて高回転する」
「……そうです」
「高速展開の代償コスト——今大会では、どこで負担している」
風音がまた止まった。
「……一撃離脱で稼いだアドバンテージで回しています」
「タイミングが合っているか」
「……少し遅い気がしています」
「風属性の実体化は、毎手が二択だ。相手の布陣が整う前に一手早く入るか——相手の除去に合わせて、一拍遅らせて空振りさせるか。お前は速さに頼って、早く入る方しか使っていない」
「……遅らせる、という発想は——なかったです」
「速攻型ほど、遅らせる一拍が効く。相手はお前の最速だけを警戒しているからだ」
風音が俺を見た。
「……なぜそこまで」
「研究はするものだ」
「……」
風音がしばらく黙った。それから「ありがとうございます」と言った。今度は言いにくそうではなかった。
屋台の縁台に、二人で腰を下ろした。風音が串をもう一本、律儀に自分の銭で買った。おごると言ったが、断られた。
「……独立符士枠は、今年から登録料が倍になったんです。ご存知ですか」
「聞いている」
「倍になって、そのうえ予選の組も、貴族符家の練習相手のような組ばかり当てられます。それでも出るのは——」
風音が、串を見たまま言った。
「勝てば、名前が残るからです。後援なしの独立符士でも、帝都の大会で上まで行ける——一度でも記録に残れば、後に続く者の扱いが、少しは変わるかもしれない。重税も登録制限も、『独立符士は勝てない』という前提の上に組まれているので」
「制度と戦っているのか」
「……そんな大層なものじゃないです。自分の名前で仕事を取れるようになりたい。それだけです。誰かの家の看板じゃなくて」
風音が串を食い終えて、立ち上がった。
「……明日、三回戦です。今日の二択の話——使うかどうかは、盤面を見て私が決めます」
「そうしろ」
「……使ったら、報告します」
風音が雑踏に消えた。
────
夜も更けてから、屋台街の外れで——視線を感じた。
視線というより——欲望だ。飢えた獣の目。俺の手元の肉串に向けられている。
角を覗いた。
ぼろいマントを羽織った、小柄な少女がいた。濃い陰の気配。腰に短刀型の符入れ。裏路地に身を潜め、俺の肉串を涎を呑んで見つめていた。
(……小夜じゃないか)
アニメ第三部「侵略編」のヨモツイクサ帝都工作員。暗殺者として颯爽と名乗りを上げたはいいが、主人公・燎が屋台で買った下町の安肉串の匂いに抗いきれず、一本と引き換えに帝都の爆破ルートを全部喋ってしまったあのキャラだ。
(本物か)
小夜が俺に気づいた。目が合った。
凄まじい速度で殺気を纏った——が、俺の手元の肉串から目が離せていない。
俺は肉串を差し出した。
小夜が動かなかった。喉が鳴った。それでも、手は出さなかった。
「……施しは、受けません」
声が低かった。暗殺者らしい声だった。腹の鳴る音が、その直後に響いた。
「なら、買え」
「……銭は、ありません」
「銭以外で払えるものがあるだろう」
小夜の目が、初めて肉串から俺の顔へ動いた。値踏みの目だった。この男が何者で、何を欲しがるのか——それを数えている目。
「……あなた、符士ですね。それも、上の方の」
「そう見えるか」
「見えます。……大符闘祭の時期に、供も連れずに屋台街を歩く上位符士。しかも、路地の奥の気配に気づいて、逃げも呼びもしなかった」
小夜が、一歩だけ前に出た。
「……そういう人が、路地裏の子供から買いたいものなんて、一つしかありません」
「言ってみろ」
「……情報です。表を歩いていては、手に入らない類の」
(値踏みの筋は悪くない)
飢えた餓鬼が、串一本の前で頭を回している。売れるものを自分で見つけて、値をつけようとしている。買ってやる価値はあった。
「……取引です」
小夜が言った。今度は、自分に言い聞かせるような声だった。
「食べ物と引き換えに情報を売ります。これは取引であり、屈服ではありません」
「わかった」
「取引です」
「わかっている」
小夜が肉串をひったくった。音を立てて食った。
俺はもう一本追加注文した。
小夜が二本目に手を伸ばした。
「帝国神廟の夜の警備——知りたいですか」
「聞こうか」
「肉串三本と、あそこの甘栗ひと袋が対価です」
「いいだろう」
小夜が三本目を口に咥えながら、神廟の警備体制を淡々と話し始めた。
小夜が甘栗の袋を開けながら、「あなたの麾下に入る気はありません、念のため」と言った。
「誘っていない。俺は買っただけだ」
「……ならいいです」
「ただ、売り手の名前は聞いておく」
「……小夜です。取引の相手の名前ぐらいは教えます」
「そうか」
知っている名前だった。ヨモツイクサの帝都工作員。だが、それを言えばこの餓鬼は消える。串を売る相手が、自分の正体を知っている——そう気づいた工作員が、次も路地で待っているはずがない。
(腹を空かせた子供のままにしておけ)
小夜が甘栗を食いながら神廟の話を続けた。
俺は甘栗をもう一袋注文した。
帰りは遅くなった。
宿の入り口で苑子が待っていた。
「お帰りなさいませ」
「ああ」
「……収穫はありましたか」
「まあまあだ」
苑子が何か言いたそうだったが、言わなかった。
────
翌日の夕方、再び小夜が来た。
昨夜と同じぼろいマントを羽織り、宿の裏口のそばに立っていた。俺が出てきた時、一瞬だけ殺気を纏って——それからすぐに戻した。
「神廟の続きがあります」
「聞こうか」
「肉串二本と、おすすめの惣菜を二品が対価です」
「昨日より上がった」
「私の情報の価値を正確に評価した結果です」
俺は屋台街の方を向いた。
「今夜は宿に来い」
小夜が止まった。
「……宿、ですか」
「神廟の詳細は人に聞かれない場所で話すべきだ。お前も暗殺者なら、路地での情報交換の危険さはわかるだろう」
「……それは」
「それと——部屋で食事を出す。惣菜二品とは言わない」
小夜の目が、ほんの一瞬だけ揺れた。
「……取引の場所を選ぶ理由は、暗殺者にはありません」
「そうだな」
「これは任務の延長です。宿に行くことと任務は矛盾しません」
「矛盾しない」
「念のため、確認しておきますが——追加の取引が目的であり、それ以上の意図があるなら応じません」
「わかった」
小夜が頷いた。
「……では参ります」