『神符大戦 ──世界大会決勝で負けて底辺に堕ちた男、TCGの勝敗が全てを決める異世界で美少女達を調教しながら盤面制圧を目指す──』 作:シキセ
決勝トーナメント初日。会場に入って、正面広間の掲示板の前で足を止めた。
名門符家枠の対戦表の隣に、独立符士枠のトーナメント表が貼り出されている。俺の出番は午後だ。それまでに見ておくつもりだった。
風音の名前があった。前の試合では勝っている。昨日の試合——相手の名前と、結果の欄に「棄権」と記されていた。
(棄権)
コンディションの問題ではないはずだ。数日前、屋台の通りで別れた時、あの女は次に聞きたいことがあると言っていた。また会う前提で話す顔をしていた。
登録料が倍になっても出ると言った女だ。勝てば名前が残るから、後に続く者の扱いが少しは変わるかもしれないから——そう言って、屋台の縁台で串を自分の銭で買った。おごると言ったのを断った女が、体調が悪い程度で降りるわけがない。
掲示の紙を、もう一度見た。
結果の欄の「棄権」は、他の欄と同じ筆で書かれていた。同じ墨、同じ大きさ。昨日の夕刻に急な報せが入って書き足した字ではない。落ち着いて、順番に書かれた字だ。
(——用意されていた)
係の者に聞いた。
「千歳風音選手は——昨日の夕刻から、連絡が取れていない状態です。所在の確認も取れておりません」
「連絡が取れないのに、棄権の処理がされているのか」
「棄権届が、提出されておりますので」
「見せろ」
「……閲覧権限が」
「貴族符家の代理閲覧だ。手続きは済ませてある」
風音の登録原本を見るために取った代理権が、まだ生きていた。係の者が奥に引っ込み、しばらくして一枚の紙を持ってきた。
棄権届だった。
日付。管理番号。事由の欄には「体調不良」。そして末尾に——千歳風音の署名。
「写しを取る」
「……どうぞ」
────
宿に戻って、二枚の紙を並べた。
棄権届の写し。それから、風音が「自分でも持っておきたい」と言って受け取っていった登録書の写し——それを取る時に付いていた、風音本人の受領の署名。
苑子が二つの署名を見比べた。長く見た。
「……別人です」
「わかるか」
「『千』の一画目です。ご本人は打ち込んでから横に流す癖があります。棄権届の方は、最初から横に置きにいっている。それと『音』の最後の一画。本人は止めますが、こちらは撥ねています。……形は似せてあります。ですが、書き癖までは似せられていない」
「管理番号は」
苑子が棄権届の番号欄を指した。
「——『予二百二十六』。予備番号の方です」
正規の番号ではなく、本人が存在すら知らなかった番号で、本人が書いていない署名の棄権届が受理されている。
「大会の記録上、風音はどうなっている」
「棄権により登録抹消。会場の出場者名簿からも、今日付で外れています。入退場の記録を確認しました——昨日の夕刻、『予二百二十六』の番号で、西門から退場したことになっています」
「本人は西門から出たのか」
「……門番は、顔を覚えていません。番号札を見て通しただけだと」
記録の上では、千歳風音は自分の意思で大会を降り、自分の足で会場を出て、帝都のどこかへ消えた。
紙の上だけで、一人の符士の輪郭が、綺麗に消してあった。
「西門へ行く」
「私が参ります」と苑子が言った。「符侯様が直接お運びになるようなことでは」
「お前が聞いた話をもう一度聞きに行くんじゃない。お前が聞かなかったことを聞きに行く」
────
西門は、競技場の裏手にある。
出場者と関係者だけが使う門で、表の観客用の大門とは造りが違う。屋根がなく、番小屋が一つ置いてあるだけだ。夕刻を過ぎると人通りが絶える。
門番は二人いた。年嵩の男と、若い方。
符侯の名を出すと、若い方が慌てて背を伸ばした。年嵩は伸ばさなかった。長く同じ場所に立っている人間の落ち着き方だった。
「昨日の夕刻、独立符士が一人ここから出た。番号は予二百二十六」
「……番号までは、控えを見ませんと」
「見なくていい。顔を覚えているかを聞いている」
年嵩が少し考えた。
「独立符士の方は、日に何十人も通られます。棄権の方も珍しくはありません。……申し訳ありませんが」
想定通りの答えだった。ここまでは苑子が聞いた話と同じだ。
聞きたいのはこの先だった。
「昨日、番小屋にいたのは何人だ」
「二人です。私と、こいつで」
「二人とも、その時刻にここにいたか」
年嵩の口が、わずかに止まった。
「……いえ。私は、少しの間、外しておりました」
「どのくらい」
「四半刻ほどかと。……交代の刻限が来る前に、詰所へ呼ばれまして」
「誰に呼ばれた」
「詰所の記録係です。前日の入退場の控えに、書き損じがあるとかで。……行ってみましたら、探しても見つからず。人違いだったようだと言われて、戻りました」
若い方が、その間ずっと落ち着かない顔をしていた。
「お前は、その四半刻、ここに一人でいたのか」
「……はい」
「何人通した」
「……七、八人だったと思います。番号札を見て、控えに写して、通しました」
「その中に、女はいたか」
若い門番が黙った。黙ってから、年嵩の顔を一度見た。見てから答えた。
「……わかりません。皆さん、外套を着ておられたので」
夕刻に、外套。この季節の帝都で、夕刻に外套を着る理由はない。
「顔は見なかったのか」
「番号札を見ました。番号が合っていれば、通すのが決まりですので」
決まりは正しい。正しい決まりを、正しく使われている。
「その七、八人は、どういう順で通った」
「……固まって、来られました。前後して、ほとんど続けて」
「歩き方に、おかしなところは」
「いえ。普通に」
若い門番が、そこで一度言葉を切った。
「……ただ。真ん中あたりのお一人が、二人がかりで支えられていました。具合が悪いのだろうと思って、お声を掛けようとしたのですが。……連れの方が、酔っているだけだと」
「大会の日に、酔うか」
「……そう、ですね」
若い方の顔が、初めて青くなった。自分が何を通したのかを、今この瞬間に理解した顔だった。声を掛けようとして、掛けなかった。その一度の迷いが、この男の中に残っている。
年嵩の方は理解していた。理解した上で、言わずにいた。呼ばれた四半刻の意味を、この男は自分で気づいている。気づいて、口に出せる立場ではないというだけだ。
「記録係の名は」
「……存じません。詰所の者だと名乗られただけで」
そうだろう。
「今の話は、誰にもするな。聞かれたら、番号札を見て通したと答えろ。それだけでいい」
年嵩が、初めて頭を下げた。
「……ありがとうございます」
礼を言われる筋合いはない。この二人を守るためではない。今、詰所の内側に「符侯が西門を調べている」と伝わるのが困るだけだ。
────
帰り道、来た筋を並べ直した。
年嵩の門番だけが、狙って外された。書き損じという口実で、四半刻。その四半刻に、外套の一団が固まって通り、真ん中の一人が支えられていた。
若い門番の記憶には、通した人数と外套しか残っていない。番号札を見て通す決まりを守ったからだ。
(同じ形だ)
白峰の当主も、そうだった。毎日入場し、誰の記憶にも残らなかった。門番も記録係も、顔は知っていると言う。どこにいたかは、思い出せないと言う。
見た者がいないのではない。見せる必要のあるものだけを見せて、通っている。
番号札を見る決まり。顔を確かめない運用。人を呼び出せる詰所の権限。どれも会場の内側にある仕組みだ。外から破ったのではない。
(——内側から使われている)
大会の外の連中が忍び込んだのではない。大会の仕組みを動かせる位置に、誰かがいる。
────
小夜を呼んだ。
「千歳風音という独立符士が消えた。偽造の棄権届が出ている。予備番号つきだ」
「……知らない名前です」
「知らなくていい。手口を知っているかを聞いている」
小夜の顔から、いつもの緩みが消えた。
「……いつからですか」
「昨日の夕刻」
小夜がしばらく黙った。指先が、油紙に包んだ通行証の上に置かれていた。
「……前にも、あったと思います」
「何がだ」
「組織の先輩で——三年前の大符闘祭に出た独立符士の人がいました。腕が立つ人でした。大会の途中で急にいなくなって、組織の中では『任務で抜けた』と言われて——それきり、戻ってきませんでした」
「その者の大会記録は」
「……調べたことがあります。棄権、になっていました」
「なぜ調べた」
小夜が、油紙の上の指を動かした。
「……あたしに、飯の食い方を教えた人です。任務の外で、口をきいてくれた数少ない一人でした。いなくなったと聞いて、どこへ行ったのか知りたかっただけです」
「見つけたか」
「棄権の二文字だけ見つけました。それ以上は、調べようとしたら止められました。……止められた時に、わかりました。これは、調べてはいけない種類のいなくなり方なんだと」
小夜の口調は淡々としていた。淡々としているのが、かえって長く飲み込んできた形に見えた。
「本人はどこへ行った」
「わかりません。ただ——その少し後に、南の廃坑で大きな『事故』がありました。組織はその話を、しませんでした。聞いた者から順に、遠い任務に回されました」
腕の立つ独立符士が、大会の帳面から棄権の二文字で消え、消えた先で「事故」が起きる。
三年前に一度、使われた手口だ。
「あたしも、同じ順番に並んでいます」
小夜が言った。顔を上げずに言った。
「腕が立って、後ろ盾がなくて、いなくなっても誰も帳面をめくらない。……先輩と、条件が同じです」
だから餌付けが効いた。この女が肉串一本で口を割ったのは、腹が減っていたからだけではない。自分の名前を覚える人間が、一人もいなかったからだ。
覚えておく。この女を繋いでおく紐は、金でも脅しでもない。そこにある。
「風音の行き先の当たりは」
「……独立符士を『運ぶ』なら、大会の資材搬入路が一番です。検めが緩いので。搬入路は北に抜けます。北に抜けて、荷を検められずに入れる大きな建物は——」
小夜が、そこで止まった。
「——神廟です」
────
夜、部屋で一人、盤面を組み直した。
風音の身に起きたことを、順に並べる。
一つ。大会の記録から、偽造の署名で消された。紙の上では、あれはもう帝都のどこにもいない。
二つ。おそらく今、ヨモツイクサの手の中にいる。工作の駒として使われる位置に置かれている。
三つ。あれは俺が目をつけた駒だ。
そこが気に食わない。
初めて見た日に、符叢の穴を教えてやった。登録書の件で頼ってきた時も、突き放さずに置いた。正体を聞かれて、はぐらかしたまま次を待たせた。手をかけて、寄ってくるようにして、頃合いを待っていた。
その頃合いに、横から攫われた。
(俺のものにするつもりだった)
ヨモツイクサに義理はない。まして、俺が唾をつけた札を勝手に引き抜く筋合いもない。取り返して、俺のものにする。独立を掲げていようが、名前で仕事を取りたかろうが、拾われた側に交渉の材料はない。
紙の上で消せるものは、紙の上で戻せる。棄権届が偽物である以上、記録は書き換えられる。だが記録を戻したところで、廃坑の底に運ばれた後では意味がない。三年前の先輩がそうだった。帳面の上では、あの男も今日まで「棄権」のままだ。
今は——居場所と、刻限だ。
小夜の知る計画では、決行は決勝の夜。地下貯蔵庫。五人。
はっきりした数字だ。場所も、人数も、刻限も揃っている。
(潰しやすいものが置いてある時は、潰した先を疑え)
窓の外で、決勝前夜の帝都が、静かに灯りを落とし始めていた。