『神符大戦 ──世界大会決勝で負けて底辺に堕ちた男、TCGの勝敗が全てを決める異世界で美少女達を調教しながら盤面制圧を目指す──』 作:シキセ
「……最低だな、あんた!」
掠れ切った、それでも間違いなくあの男の声だった。
「洗脳されてる最中に、こんな激マズな盤面見せつけられたら——目が覚めるに決まってんだろ!」
「起きたか。窓が閉じるぞ」
「わかってんだよ——偽帝式:鳳凰強襲令ッ!」
残った手札が代償に叩きつけられ、符叢の上から札が燃料に呑まれる。前借りに前借りを重ねた、後のない一枚。還ったばかりの鳳凰の翼が、命令で膨らんでいた時とは別の色で燃え上がった。灰の混じらない、真っ直ぐな橙。
翼が引き絞られる。狙いはエーデルガルト。真っ直ぐ来れば白で迎えて終わる——その拍を、俺は待った。
来なかった。
半拍、遅れた。
黄から白へ、纏いの裏返る継ぎ目。衣がどちらでもないその一瞬に、炎の翼が突き刺さった。読み合いの外から来たのではない。俺の呼吸を読み、読んだ上で、半拍殺して差し込んできた。期待値の表を破り捨てた男にしか打てない、残しておいた一筋そのものだ。
白鋼になり切る前のエーデルガルトが、正面から呑まれた。
黒いローブが炎に包まれ、輪郭が崩れて、原符が墓地へ落ちる。今夜——いや、この大会に入ってから初めて、俺の場からエーデルガルトが消えた。
続けて鳳凰が俺へ直接抜けてくる。受け手のいない一撃が符叢を大きく抉り、束が目に見えて薄くなった。二十を切った。逸れた熱風が右の肩口を舐め、外套ごと肌を焼く。焦げた匂いが自分の肩から立った。痛みは、後で数える。
笑っていた。俺が。
「そうだ——そうやって、手札から道を作って来い!」
「うるっせえ……! 誰のせいで、こんな薄い符叢で打たされてると思ってやがる……!」
「お前の符叢だろう。文句は薪にして焚べろ」
「言われなくても燃えてんだよ……!」
口が、回っている。読んだ端から吐き出して、吐き出した分だけ翼の火が伸びる。半分しか燃えていなかった盤面が、声を取り戻した途端に倍の熱で回り始めた。しかも今夜の薪は怒りだけではない。焼き急がされた体の痛みも、乗っ取られていた時間への腹立ちも、全部まとめて火にくべている。炎育の火が、命令で積まれていた頃とは別物の伸び方をした。感情で伸びる符叢が、ようやく本来の設計で回っている。
これだ。この火と打つために、俺は今夜ここまで来た。
────
俺の手番。エーデルガルトは墓地。場は空。普通なら、ここで折れる。
「金衣は使えないぞ、あんた。着る本体が落ちてる」
「よく回る口だ」
原符は落ちた。だが色衣の理は、原符とともに墓地で眠っているだけだ。金の理は墓地から拾う理。拾う先に、拾うべき本体がいる。
「金衣は、着る前に使う色でもある」
墓地の早業を二枚、符叢の底へ沈める。その対価で、金の理が墓地から一枚を引き上げた。引き上げたのは——エーデルガルト自身の原符だ。
「げ……」
「実体化。エーデルガルト」
八色の気配が広間に満ち直した。黒いローブが灰の中で立ち上がり、「……お手数を、お掛けしました」と静かな声がした。落ちて、拾われて、声の温度が変わらない。千年を生きる魔女は肝が太い。
「蒼衣」
引く。手が伸びる。
「緋衣」
鳳凰の脇に立て直されかけた低い盾を、爪が焼き払う。
「で、白衣だろ……! 読めてんだよ、その回しは!」
「読めるなら受けてみせろ」
白鋼の腕が鳳凰へ届く寸前、燎が最後の焰迅を切った。翼の火が膨らみ、正面衝突の数字が拮抗へ寄る。押し合いの中で、鳳凰の爪が白鋼の肩を裂き、白鋼の拳が翼の付け根を軋ませた。決着は出ない。双方が一歩ずつ下がる。
「……っは。やっと符闘らしくなってきたじゃねえか」
「最初からそう打て」
「打てなかったんだよ……! 全部、見えてんのに、指が動かねえんだ。あんたの色替えも、伏せの臭さも、詰みの筋も、全部見えてた。見えてるのに、俺の手が、俺のじゃなかった」
翼が唸る。声に熱が乗るほど、火が伸びる。
「だからな——この一戦は、俺の符闘だ。取り返した分まで、まとめて全部、ここで打つ……!」
そこから数手は、今夜の白眉だった。
燎は速かった。命令の速さではない、読みの速さだった。俺の色替えの拍をずらし、ずらした拍をさらにずらし、翼の一撃ごとに符叢を削りに来る。俺は八色を回した。翠で翼の勢いを殺し、黒で残り少ない手札を覗き、蒼で引き、金で拾い、緋で焼き、灰で墓地を組み替え、黄で受け、白で殴り返す。一色ごとに盤面の意味が裏返り、裏返した端から燎が読み直してくる。読み直しの速さと、回しの速さの、削り合いだった。
手札は互いに痩せていく。痩せた手札の中から、互いに次の道を探し続ける。これでいい。これでなければ符闘ではない。配られた札に文句を言う暇があるなら、その札で通る筋を探す——盤の上の正解は、いつの時代もそれ一つだ。
「二度目だな、その半拍」
翼が再び継ぎ目を狙って遅れた、その瞬間に言った。
速度型の弱点は速さではない。同じ速さを、二度見せることだ。
半拍遅れの一撃が届く先に、エーデルガルトはいなかった。翠衣——自分の霊体化。実体を失った衣を、炎の翼が素通りする。空振りの硬直へ、霊体のまま纏いを白へ。実体化。振り向きざまの白鋼が、追撃の形のまま伸び切った翼の付け根を、今度こそ完全に折った。
熱と光が弾けた。
鳳凰の巨躯が、二度目の灰になって崩れていく。墓地の熱も、今度は残らなかった。二度目の翼は、もう還らない。この札の持っていた最後の一手まで、正面から使わせ切って、正面から折った。
燎の手が符叢に掛かり——止まった。
引く札が、もうなかった。強襲令と孵化槽が前借りした利子を、最後の数手が払い切っていた。
祭祀殿の紋様が、燎の周りだけ、すっと光を失った。四つ数えられていた符叢の気配が、三つになった。旧式の結界は、飾り気のない裁定だけを刻んだ。
燎、符叢消耗により敗北。勝者、式世一。
「……くっそ……」
燎が膝をついた。灰の積もった床に拳を打ちつけて、それから——笑った。灰を吸って掠れた、ひどい笑い方だった。あの夜と同じ笑い方だった。
「覚えてろ……次だ。次は必ず、頭から、俺の意志で、俺の火で……あんたに勝つ……」
あの夜の負けには、あの男の言葉が付いていた。今夜の負けにも、付いた。悪態と、次の約束。負けに自分の言葉を付けられる符士だけが、次の盤面に戻ってくる。
「待っている。利子を付けて焼き返してやる」
「……はっ。言ってろ……」
言い切って、糸が切れたように、燎は前へ崩れた。
「……刻印は、燃え尽きています」ルクシエルが読んだ。「彫られた溝ごと、ご自分の熱で。……昏倒されているだけです。息は、あります」
自分の火で焼き切ったか。なら世話はない。
────
左の暗がりで、風の音が細くなっていた。
「風音さんの刻印は——冷え切りました」ルクシエルが続けた。「読み口を塞がれたまま、燃料を断たれて。……もう、起動の力は残っていません。彫りだけです。彫りは、外せます」
「小夜。締めて、終わらせろ」
「——はい」
影の網が閉じた。錘に打たれた槍が影に釘付けになり、脱出の鈴は尽き、薄い影の幕が最後の風を封じる。締めの一針が走って、風音の場の札はすべて止まった。それでも命令は体を前へ押し続ける——その足元の影を、最後の一枚が関節の要ごとに縫い止めた。
「——影縫い・封」
風音の体が、走る形のまま止まった。符叢は削られていない。命運も尽きていない。ただ、動けない。そして首筋に、もう赤い光はなかった。餓えて冷えた刻印は、彫りの跡だけを残して沈黙している。爆ぜる火は、最初から取り上げてある。
「ルクシエル」
「はい。——外します」
ルクシエルが符叢の外に実体化し、白い指が風音の首筋に触れた。冷え切った彫りが、端から細かい灰になって剥がれていく。骨の際まで彫られた線が浅くなり、薄くなり、消えた。焼け残りの跡だけが、皮膚の下にうっすらと影を引いている。
命令の支えを失った風音の体が、前へ崩れた。小夜が縫いを解きながら滑り込んで、細い体を受け止める。
「……生きてます。息、深いです。……寝てます、これ」
「上出来だ」
「……報酬の交渉をします。後日」
「受けて立つ」
軽口が出るなら、大丈夫だ。
────
符帝家の警護が来た時、俺は立っていた。符闘の轟音は神廟の外まで届いていたらしい。駆けつけた一隊は、焦げた柱と灰に埋まった広間と、昏倒したままの燎と、小夜の腕の中の風音を順に見て、何から問えばいいのか分からない顔を並べた。
「……符侯殿、そちらの方は——」
「俺の符士だ。今夜のこの場での活動は、俺の指示に基づく私的任務だ。符侯の領域には符士を登録する権限がある。今夜の任務を以って、この者は俺の符士だ」
無理筋の理屈だった。大会規程と符侯権限を強引に結んだ、怪しい処理だ。だが、警護が神廟の内部に侵入者を通したという事実がある。そこを突かれれば符帝家も強くは出られない。無理筋を通せる立場を先に作っておく——地位というのは、こういう夜のためにある。
「……通ります。符帝家の判断として、本日の件は」
「広間の男は引き渡す。丁重に扱え。手当てを先にしてやってくれ。体に外から刻まれた符の、焼け跡がある。娘の方と同じ手口だ。あの男も、運ばれた側だ」
「承知しました。符侯殿のお名前は」
「出さなくていい」
小夜が「……世一さん。肩、焼けてます」と言った。
「わかっている。宿に戻る」
────
宿に戻った時には、右腕が上がらなくなっていた。
戸口で迎えた苑子は、俺の顔を見て、それから肩を見て、何も聞かずに湯と晒しの支度に回った。風音は客間へ。小夜には食事と寝床。差配の声だけが静かな宿に短く通っていく。
ルクシエルが白いドレスアーマーのまま俺の前に立った。
「……傷を、見せてください」
「大したことは——」
「世一様」
声が違った。俺は黙った。右肩に当てられた手が柔らかく光る。ただ、痛みが引く前に体の芯から熱が上がってきた。
「鳳凰の火は、普通の火傷では済みません。それに——八色を、あの速さで回し続けた反動が来ています。色衣は、着るたびに使い手の芯を通します。今夜の回しは……人の速さでは、ありませんでした」
「傷は塞がるか」
「塞げます。ですが——熱と、腕は。……明日の符闘は、無理です。指先が、符を保てません」
試しに右手で符を一枚摘んだ。指の腹から札が滑り落ちた。もう一度摘んで、三呼吸だけ保って、また落ちた。符闘は、指先で札を保てない符士に席を用意しない。単純な話だった。
(——ここまでか)
夜のうちに終わらせて朝には戻る。そのつもりで組んで、そのつもりで勝った。それでも体の勘定だけは、俺の組んだ表の外で払わされていた。
今夜の帳簿を付ける。
符闘。洗脳の殻を詰みで割って、目を覚ました燎と正面から打ち合った。大会の表を五日勝ち上がって、あれほどの盤面は一度もなかった。釣りが来る。
女。客間で一人、俺の符士として眠っている。爆符は起動すらさせずに枯らし、刻印は剥がした。目を覚ましたら登録の件で騒ぐだろう。騒がせておく。抗議で始まる交渉を、終わる頃には本人がこの居場所を欲しがっている取引に変える——卓の運びは、こちらの領分だ。
地位。明日の決勝の席は失った。だが空けた席には、俺の駒が座る。
「苑子。棄権の手続きを。理由は負傷でいい。……それと、預けた言葉を英稟に渡せ」
「今夜のうちに、お知らせしますか」
「朝でいい。決勝の日の朝に渡してくれ。今夜あいつに要るのは、情報じゃなくて睡眠だ」
「……承知しました。お預かりした通りに、お渡しします」
英稟が一位を取るなら、それは俺の育てた駒が帝国の表を獲るということだ。星宮の名で取る一位は、星宮ごと俺のものになった家の一位でもある。俺の席で取る一位も、駒に取らせる一位も、帳簿の上では同じ欄に入る。悪くない夜だった。肩の焼けた分を差し引いても、まだ黒字だ。
寝台まで苑子に肩を借りた。ルクシエルは手を離さなかった。
帯からエーデルガルトの原符を外して、枕元に置いた。札が一度、薄く光った。
「……今夜の回しは、この纏いの千年でも五指に入ります」と静かな声がした。「腕が癒えるまで、無茶な回しはお控えください。——お見事でした、我が主」
「世辞は要らん」
「世辞は申しません」
千年を生きる魔女は、褒め方も肝が太い。
横になった。天井が遠かった。熱の膜の向こうで明日の決勝の刻限をもう一度だけ数え、数え終わる前に数字が溶けた。
指先に、ルクシエルの手の温度だけが残っていた。
「……世一様。あの夜、あなたが最後の一枚を諦めずに引いてくださったから、私は千年ぶりに外へ出られました」
小さな声だった。眠りかけの主に聞かせるつもりのない、独り言に近い声だった。
「……ですから、今夜も、私が見ています。安心して、お眠りください」
答えようとして、口が動いたかどうかは自分でもわからなかった。
(……人生で一番の引きだったよ、お前は)
床が遠くなった。