『神符大戦 ──世界大会決勝で負けて底辺に堕ちた男、TCGの勝敗が全てを決める異世界で美少女達を調教しながら盤面制圧を目指す──』 作:シキセ
三日目の朝、熱が少し下がった。
ルクシエルが「……よかった」と言った。声が掠れていた。
「何度沈んだ」
「……三日で、七度です」
数えていた通りに答える。隠す気がないのか、隠すのが下手なのか。おそらく後者だ。実体を解いて力を汲み直しては、また枕元に出てくる。それを三日で七度。人の疲れ方とは違うが、律儀さの度合いは同じだ。
「休め、と言っても聞かんな」
「……もう少し、このままでいさせてください」
俺は答えなかった。
ルクシエルが、手を離さないまま、低い声で続けた。
「……世一様。あの夜、神廟へ向かうことになったのは、私の事情でもあります。私が封印を見たいと言わなければ、あの場所を調べる用など、最初からなかった」
「行かなくても、風音は運ばれていた。連中の狙いは最初から神廟だ。お前の物見が理由で動いた夜じゃない」
「……そうかもしれません。ですが、右肩は——」
「鳳凰の火と、八色の回しだ。どっちも俺が選んで払った。お前の勘定に付ける項目じゃない」
ルクシエルの指が、俺の肩の傷の縁で止まっていた。
「それでも、私は——調査を続けたいと思っています。中のものが何なのか。私の忘れている千年に、何が繋がっているのか。世一様を危ない目に遭わせたのに、まだ、知りたい。……身勝手です」
「身勝手でいいと言った」
「……はい」
「封印の様子は、お前が一番よく読める。次の正式な調査では、お前が証言しろ。天使の言葉なら、聖教も帝国も無視できない」
ルクシエルが、少しの間、黙った。
「……はい。証言します。それが、私にできる償いなら」
「償いじゃない。仕事だ」
ルクシエルが、かすかに笑った気配があった。
苑子が水を持ってきた。それから「風音様が、お目にかかりたいと——」と言った。
「通せ」
「……世一様、まだ」
「通せ」
苑子が「承知しました」と言って、部屋を出た。
ルクシエルが少しだけ離れた。符叢の中に半分引いた。気を遣ったのだろう。
────
扉が開いた。
風音が入ってきた。
白い内着を借りている。自分の着物は、刻印を剥がす時に襟を裂いた。体はまだ本調子ではないはずだが、立ち方は真っ直ぐだった。
俺を見た。
俺の右肩を、見た。
「……怪我、しましたね」
「そうだ」
「……私のせいですか」
「燎の鳳凰にやられた。お前は関係ない」
「……でも、私を連れ出すために、あの場所にいたんですよね」
「符闘で負った傷だ。相手は燎で、俺が受けると決めて受けた。お前の勘定に入る項目はない」
「……でも——」
「知らなかった、それはわかっている」
風音が黙った。しばらく、扉の近くに立ったまま動かなかった。
「座れ」
「……はい」
椅子を引いて、遠めの位置に座った。俺から目を逸らさなかった。
「聞きたいことがあるんだろう」
「……はい」
「一つずつ言え」
風音が少し間を置いた。
「……なぜ、助けたんですか」
「見捨てる理由がなかった」
「……それだけですか」
「それだけだ」
風音の目が、少し揺れた。
「……嘘をついていますか」
「俺は嘘をつかない」
「……そうですか」
また黙った。膝の上で手を組んでいた。
「……もう一つ」
「言え」
「……最初から——私のことを、知っていたんですか」
俺は少しの間、考えた。
「知っていた」
「……なぜ」
「それは今は言わない」
風音が「……」と口を閉じた。言葉を探しているようだった。
「屋台で——符闘のアドバイスをくれた時から、知っていたんですか」
「そうだ」
「……なぜ、教えてくれたんですか。符侯なら——わざわざ独立符士の私に関わる必要はないはずです」
「面倒を見たかったわけではない」
「……では」
「気になった。それだけだ」
風音が「……気になった」と繰り返した。意味を咀嚼しているような顔だった。
しばらく、二人とも黙っていた。
「……自領の符士として、登録したと聞きました」
「そうだ」
「……私に、選択の余地はありますか」
「今は問わない」
「……今は、というのは」
「体が治ってから、もう一度聞く」
風音が「……」と言いかけて、止めた。
「もう一つだけ」
「言え」
「……大会に——棄権扱いで私の名前が残っています。成績は、消えますか」
予想外の問いだった。
「消えない。記録は残る」
「……そうですか」
風音が少しだけ、目を伏せた。
「……頑張ったんです」
「知っている」
「……知っているんですか」
「試合を観た」
風音の手が膝の上で止まった。
「……準々決勝も、ですか」
「そうだ」
また黙った。今度は長かった。
「……世一様」
「なんだ」
「——符侯、なんですよね」
「そうだ」
「……独立符士を、搾取する側の——」
「そう思うなら、そう思え」
風音が「……」と口を噤んだ。
「言い返せないんですか」と世一が言うより前に、風音が小さく「言い返せません」と言った。
「……あなたが、そういう人に見えなかったので。ただ、それだけで——」
「見た目で決めるな」
「……そうですね」
また沈黙が来た。
「今日はそれだけにしろ。まだ体が治っていない」
「……どちらの話ですか」
「両方だ」
風音が「……はい」と言って立ち上がった。
扉に向かいかけて、止まった。
「……遠見、というのは——どこですか」
「帝都から東に三日だ。山の手前にある」
風音がそれを聞いて、少し黙った。
「……三日」
「不服か」
「いえ。……遠いな、と思っただけです」
帝都は独立符士の仕事が集まる場所だ。この女がこの街で積み上げようとしていたものは全部ここにある。三日の距離は、その全部から離れる距離でもある。
「……わかりました」
それだけ言って、扉を閉めた。
しばらく、天井を見ていた。
あの女は三度、自分のせいだと言った。怪我のこと、棄権のこと、英稟が代わりに一位を取ったこと。三度とも、こちらが否定した。否定するたびに、目の底が少しだけ落ち着くのがわかった。
自責というのは、そういう働きをする。自分の落ち度ということにしておけば、少なくとも筋は通る。理不尽に巻き込まれて壊されかけただけ、という事実より、よほど飲み下しやすい。
放っておけば、あの女は自分で自分に負い目を積み続ける。積み上がった負い目は、いずれ返さねばならないものとして扱われる。
(——都合がいいな)
返させる先は、こちらにある。
────
使者が書簡を届けてきたのは、その翌日だった。一度きりだった。
差出は「符帝家政務局」。符帝本人の名ではない。官僚組織の名義だった。
書簡には三点、記されていた。神廟周辺の陰謀を未然に防いだことへの形式的な謝辞。体調回復まで帝都の宿所を自由に使う許可。そして——先夜の神廟への立ち入り、および千歳風音の符士登録の件は、当面、不問に付す、と。
苑子が「……『符帝陛下のご意向により』と、末尾にあります」と言った。
「この書簡、符帝の署名はどこにある」
苑子が紙を検めた。
「……ございません。政務局の印のみです」
「符侯の処遇に、本人の署名がないのか」
「はい」
俺は紙を裏まで返した。符侯は帝国でも数えるほどの位だ。その符侯を不問にするという裁定に、当人の名が一字もない。代わりに「ご意向により」の五文字だけが置いてある。
意向、というのは便利な言葉だ。伝えた者が誰かを書かずに済む。
俺は書簡を置いた。
「不問にしてきたのは、英稟が表彰式で要求を出したからだ。あの要求は諸家の前で公になった。神廟の警備失態も、登録の改竄も、矛盾する命令書も——調査対象として盤の上に乗った。ここで俺や風音を咎めれば、咎めた側の不正まで一緒に掘り返される。だから政務局は、不問にするしかない」
「……表と裏で、支え合ったのですね」
「英稟が表を勝たなければ、この書簡は来ていない。あいつの一位が、俺の始末をつけた。——ただ」
俺は、政務局の印を、もう一度見た。
「この『ご意向』とやらが、誰の口から出たものか。それが、この紙のどこにも書いていない」
「符帝陛下では、ないと」
「わからん。だから気に入らん」
符帝が自分で書いたなら、それは帝国の頂点と直に取引したということだ。官僚が名前だけ借りたなら、俺は顔も知らん相手に借りを作ったことになる。どちらかで、次の一手がまるきり変わる。
紙を置いた。今は動けない体で、動けない駒のことを考えても仕方がない。
────
熱が引いた後も、体は元に戻らなかった。
右腕は、符叢を扱うぶんには動く。だが細かな書類を長く書くと、指先が痺れた。
そして——夜、扉の奥で目を開けかけた何かの気配が、夢に入り込んだ。眠りの底で、まぶたを持ち上げようとする圧を、もう一度感じた。
強い陽気を一息に放つことにも、制限がかかった。芯が空になった感触が、まだ残っていた。
「……治りますか」と苑子が聞いた。
「治る。時間がかかるだけだ」
「どのくらい」
「知らん。数週間か、数ヶ月か」
動けない駒が一つ増えた。それだけの話で、盤面の組み方が変わるわけではない。
「割り直す」と俺は言った。「英稟は、帝都の諸家との交渉。あの優勝者要求を、握り潰させないための根回しだ。苑子は、大会記録と神廟の資料の確保。改竄の原本が消される前に、写しを固めろ。ルクシエルは、俺の治療と、封印の様子の定期確認。小夜は、ヨモツイクサ残党の情報収集。そして風音は——体が戻ったら、自分が利用された経路を証言させる」
「……遠見への帰還は、いかがなさいますか」
「動けるようになり次第だ。決めたら言う」
「承知しました。宿所の使用許可は書簡に明記されておりますので、日取りは急ぎません。……皆様への指示は、私から回してよろしいですか」
「回せ。細部はお前の判断でいい」
苑子が「はい」と言って、書き取り始めた。
一人で全部を回す男が寝込んだのなら、体制ごと止まる。俺の場合は止まらない。元から、そういう組み方をしてある。違うのは、今回は俺自身が盤の上で待機する側に回ったという一点だけだった。