※この作品はR-18です。

『神符大戦 ──世界大会決勝で負けて底辺に堕ちた男、TCGの勝敗が全てを決める異世界で美少女達を調教しながら盤面制圧を目指す──』   作:シキセ

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第五部
第八十二話 契約


遠見に帰り着いて、三日が過ぎた。

 

体が落ち着いたのを見計らって、風音を執務室に呼んだ。神廟の夜以来、この女はほとんど口をきいていない。入ってきた時も、まっすぐ立ったまま、まず俺の右肩を見た。

 

「……怪我、まだ治っていないんですね」

 

「治りかけだ。それより、お前の話をする」

 

机の上に、紙を一枚置いた。風音が、紙と俺を見比べた。

 

「……その前に、聞きたいことがあります」

 

「言え」

 

「神廟のあと、私は世一さんの自領符士として登録された。あのままなら拘束か、処刑か——よくて犯罪者扱いだったことは、苑子さんから聞いています。助けられたことも、わかっています。……その上で聞きますが、なぜ、そこまでしたんですか。私は星宮家の人間でも、なんでもないのに」

 

「欲しかったからだ」

 

風音が、瞬きを一つした。

 

「符帝家に持っていかれれば、お前の符はもう見られん。俺は、欲しいものが他人の棚に並ぶのを黙って見る男じゃない。だから先に取った。恩に着るのは構わんが、礼の品はいらん。あれは俺が、俺のために打った手だ」

 

「……はあ」

 

礼を言う気で来たのだろう。行き場を失った礼が、風音の口の中で消えた。

 

「で、これからの話だ。あの緊急登録のままだと、お前は星宮の抱え符士になる。あれは今日で破棄する」

 

「……破棄」

 

「人にやらされて萎びた符士を一人囲って、俺に何の得がある。お前の値打ちは、あの打ち筋だ。誰の家風にも染まらず、自分の盤面で、自分の風で殴り込む——あの生き様ごと欲しいんだ、俺は。だから、お前が一番よく走る檻に作り替える」

 

「……檻とは、言うんですね」

 

「言う。外から見れば囲い込みだ。呼び方だけ綺麗にする趣味はない」

 

風音が、紙を取った。

 

条は多くない。身分は星宮家契約の独立符士——家臣ではなく、契約者。符叢と式符は風音本人のもので、星宮家は指一本触れない。任務は一件ごとに値を決め、受けない仕事は断れる。大会には千歳風音の名で出る。訓練場と治療は家のものを使う。緊急のときだけ俺の指揮に入る。切るときは、双方が予告を置く。

 

末尾に、毛色の違う条が一つ。——閨のことは、この契約に書かない。

 

読み終えて、風音がもう一度、頭から読み直した。それから顔を上げた。

 

「……甘すぎませんか、これ。任務を断れる抱えなんて、聞いたことがありません」

 

「甘くない。全部、俺の得だ」

 

「……どこがですか」

 

「符叢を接収しないのは、お前の打ち筋ごと欲しいからだ。報酬を定めるのは、銭で動く形の方が、義理で縛るより長持ちするからだ。断る道を残すのは、嫌々打たせた符がどれだけ鈍るか、俺が符士として知っているからだ。名を売らせるのは、千歳風音の値が上がれば、その契約を握っている俺の値も上がるからだ。……どの条も、善意で書いた覚えは一つもない。買い叩く気も、余所に渡す気もない。一番高く使うための条件だ」

 

風音が、しばらく黙った。それから、息を吐いた。呆れの混じった息だった。

 

「……命を救われた礼を言いに来たつもりだったんですが。最初から最後まで、自分の得の話しかしていませんね、世一さんは」

 

「当たり前だ。得にならんことを、俺は右肩を賭けてまでやらん」

 

「……理屈が通っているのが、余計に腹が立ちます」

 

言いながら、風音の目つきが変わっていた。条文を値踏みする、独立符士の目だった。

 

「……気に入らない箇所は、直していいんでしたね」

 

「言った」

 

「報酬の条に、一文足します。『値は、任務の前に、双方で決める』。後から決められると、断る道が値段で塞がれるので」

 

「いいだろう」

 

「緊急の条も。『緊急のとき』が何を指すか、書いてください。曖昧なままだと、なんでも緊急にされます。……神廟の夜、みたいに」

 

「筆を持て。二箇所とも、お前が書き足せ」

 

風音が、筆を取った。報酬の条の余白に一文。緊急の条に、定義。書き癖が——苑子の言った通り、『千』を打ち込んでから流す、本人の手だった。

 

末尾に、千歳風音、と署名が入った。俺の書いた条と、風音の書いた条が、同じ墨で並んでいる。悪くない買い物だ。

 

「……最後の条は」

 

「そのままの意味だ。お前が俺の符士であることと、お前が俺の閨に来るかは、別の帳面だ。紙で縛って引き寄せた女を抱いても、味がせん」

 

風音の耳が、赤くなった。

 

「……欲しい、と言われたのは。あれは、符士としてですか」

 

「どう聞こえた」

 

風音が、答えなかった。答えないことが答えだった。契約書だけが、大事そうに二つに畳まれて、風音の懐に収まった。

 

────

 

小夜を呼んだのは、その翌日だった。呼んだというより、厨で三本目の肉串を齧っているところを捕まえた。

 

「お前の話をする。大会の時に言った、雇用の件だ」

 

「……覚えてたんですか」小夜が、串を持ったまま言った。

 

「頭が冷えてから話すと言った。冷えただろう」

 

「冷えました。肉串のおかげで」

 

「要るものを言え。全部だ。飼うと決めたものの餌代を、俺は値切らん」

 

小夜が、串を置いた。それから、指を折りながら、一つずつ数え始めた。

 

「……食事は一日三回。肉串代は別で。寝床は暖かいところ。任務の内容は事前に教えてください。囮に使うなら、囮だと先に。危ない任務には手当を。うまくいったら成功報酬も。私の情報源は詮索しないでください。……あと、嫌になったら、辞められること」

 

俺は、それを全部、苑子に書き取らせた。

 

「全部飲む。削る理由が一つもない」

 

「……ぜんぶ」小夜が、書き取られた紙を覗き込んだ。「ヨモツイクサでは、条件なんてなかったです。命令されて、動いて、使い捨てられて」

 

「使い捨てる気なら、餌代の相談などせん。長く使う。お前の耳と足には、遠見で一番の値がつくからな」

 

「……それ、褒めてます?」

 

「値札の話だ」

 

「……褒めてるんですね。ま、いいですけど」

 

小夜が、筆を取って、署名した。

 

小夜。

 

二文字だけの署名が、しばらく俺の手元から動かないことになった。

 

契約が済んでから、小夜が「……世一さん」と言った。

 

「なんだ」

 

「……この契約に、この前の——旅籠の夜みたいなことは、入っていますか」

 

「入っていない」

 

「……じゃあ、あれは」

 

「仕事の帳面には載せん。あれは、お前と俺の話だ」

 

小夜が、少しの間、黙った。

 

「……それ、私が行かないって言ったら、どうなるんですか」

 

「どうもならん。——が、お前は来る」

 

「……っ、決めつけないでください」

 

「賭けるか。負けた方が肉串を奢る」

 

「……賭けません。その賭け、私が勝っても負けても、割を食うのは私の方なので」

 

「よく読めているじゃないか。いい耳だ」

 

「……ほんっと、嫌な人ですね」

 

言いながら、小夜は笑っていた。ヨモツイクサの見張りをしていた頃には、しなかった顔だ。囲われていることに気づいていて、気づいた上で、居心地の方を取った顔だった。

 

紙が二枚。四文字と、二文字。どちらも、俺の帳面に収まった。

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