『神符大戦 ──世界大会決勝で負けて底辺に堕ちた男、TCGの勝敗が全てを決める異世界で美少女達を調教しながら盤面制圧を目指す──』 作:シキセ
夜、眠りが来なかった。
肩は塞がっているが、深部にまだ鈍さが残っていた。それだけのことだった。
庭に出た。
遠見の夜は冷える。山から下りてくる気が鋭い。この冷たさが気道を締めて、気を動かしやすくする。
訓練場の方に符叢の光が見えた。光の方へ歩いた。
近づくと、風音がいた。
一人で符叢を展開していた。
プレイングが荒かった。手順が速すぎる。次の布石を置く前に今の布石を確認できていない。焦りが出ている符叢だった。
少し離れたところに人影が立っていた。
木の陰から訓練場を見ていた。栞だった。
俺が隣に立つと、栞が肩をすくめた。
「……っ」
「何を見ている」
「……す——すみません。眠れなくて——そうしたら、ここで光が見えて——」
栞が俺から少し身体をずらした。陽の気の圧から距離を置こうとしていた。こうなることはわかっていた。
「風音を見ているのか」
「……はい。なんだか——心配で」
「何が心配だ」
栞が少し考えてから「……苦しそうだ、と思って」と言った。「強そうな人なのに——あんなに苦しそうな顔で符叢を動かしているのを見たことがなかったので」
俺は訓練場の風音を見た。
また布石の手順を誤った。風音が低く舌打ちをして、盤面をリセットした。
「行ってこい」
栞が「……え」と振り返った。
「風音のところに行け」
「……わ——私が、ですか」
「そうだ」
「でも——私が行っても——何も——私は符闘がわからないので、アドバイスもできないし——」
「それでいい」
栞が「……でも」と言いかけた。
「アドバイスをしに行くのではない。声をかけに行け」
栞が俺を見た。俺の少し横に視線を置いた。陽の気がきつくて正面から見られない、という顔だった。
「……わかりました」
栞が木陰から出て、訓練場の方へ歩いていった。
俺は木の陰から動かなかった。
栞が訓練場の縁に立った。風音が気配に気づいて振り返った。
「……栞。何してる」
「……眠れなかったので。風音さんこそ——こんな夜中に」
「訓練だ」と風音が言った。短く言って、符叢に目を戻した。
栞がしばらく黙って見ていた。
「……うまくいっていないのですか」
風音が「……見ていたのか」と言った。
「……少しだけ。すみません」
「別にいい」と風音が言った。また布石を置こうとして、止めた。「……どうせ見てもわからないだろう」
「わかりません」と栞が言った。「でも——さっきより手が速くなっています」
「速くなっているのは欠点だ」
「そうなんですか」
「焦っているから速くなる。落ち着いた状態の符叢じゃない」
栞が「……焦っているんですか、風音さんは」と聞いた。
風音が少し止まった。
「……そうかもしれない」
「何に」
風音が符叢を手の中で握ったまま、黙った。
「……私は、世一さんに命を助けてもらった」と風音が言った。「神廟で——私の体には、刻印が彫られていた。私の符叢を燃料にして、育ち切れば命ごと爆ぜる彫りだ。世一さんは燎さんと打ちながら、その片手間に、刻印へ燃料が流れる道を盤の上から断ち切った。力を失った彫りは、ルクシエル様が剥がしてくれた。……その夜の符闘で右肩を焼いて、大符闘祭を棄権した。英稟様が代わりに一位を取った」
「……はい」
「私のせいだ」
「……そうは——」
「違わない」と風音が言った。声が低かった。「あの場にいたのは私だ。洗脳されていたとはいえ、彫られていたのは私の体で、燃料にされていたのは私の符叢だ。世一さんがあの夜に来なければ——刻印が育ち切って死んでいたか、そのまま廃人になっていたか——どちらかだ」
栞が黙って聞いていた。
「それで——遠見に連れてこられた。自領の符士として登録された。帝都ではわからなかったが——ここに来て思う。世一さんは私を——完全に駒にしたんじゃないか。誰にも属さないのが独立符士だと思ってきた。その形は、もう保てない」
「……駒、なんですか」
「そうじゃないと言えるか。独立符士の矜持がどこにある。自分の盤面で、自分の符で戦う——それが私の軸だった。今は誰かの家の符士だ。誰かに命を助けられて、逃げる場所もなくなって——」
「風音さん」
栞が口を挟んだ。
風音が止まった。
「……何」
「私は符闘がわかりません」と栞が言った。「強いとか弱いとか、上手いとか下手とか——見ていても、そういうことはわからないので」
「……それがどうした」
「でも——さっきから見ていて、思ったことがあって」
「……聞く」
「……風音さんの符叢の動き方は——真っ直ぐだと思いました」
風音が黙った。
「難しいことはわからないのですが——一本一本の手が——迷いながらも真っ直ぐ前に出ようとしているように見えて——それが、綺麗だと思いました」
しばらく間があった。
「……何が綺麗だ」と風音が言った。声が少し変わっていた。
「……私は戦えないので。そういう強さがある人を見ると——うまく言えないですが——綺麗だと思います」
「綺麗かどうかで符闘には勝てない」
「……そうですね」
「お世辞は要らない」
「お世辞じゃないです」と栞が言った。「お世辞を言うほど、符闘のことを知りません」
また間があった。
今度は長かった。
「……冷える」と風音が言った。「こんな夜中に、庭に出るものじゃない」
「……はい」
「その体で、外に長くいない方がいい」
「……はい」
「今日はもう終わりにする。一緒に戻ろう」
栞が「……はい」と言って、風音の隣を歩き始めた。
二人が廊下に消えた。
俺は木の陰から動かなかった。しばらくその場に立っていた。
遠見の夜の冷たさが、また一段落ちていた。