『神符大戦 ──世界大会決勝で負けて底辺に堕ちた男、TCGの勝敗が全てを決める異世界で美少女達を調教しながら盤面制圧を目指す──』 作:シキセ
帰還から数日して、三人に最初の共同の仕事を渡した。
右肩はまだ本調子ではない。細かい書き物を長く続けると、指先が痺れる。療養の間にやれるのは、頭と人を使う仕事だ。
帝都では政変が続いている。北の空の煙の数は行商人の口づてに聞くしかない。増えたと言う者も収まったと言う者もいた。確かなことは一つ——あの火はまだ消えていない。だが遠見から打てる手は多くない。今できるのは、手元の帳面を揃えることだ。燎を作り替え、風音に彫り物をし、符帝の名で神廟の警備を減らした連中の顔が、まだ帳面の相手欄に書けていない。貸しの取り立ては、相手を特定してからだ。
執務室に、風音、小夜、栞を集めた。
「神廟事件と大会登録の改竄。あれの再調査をする。三人でやれ」
風音が「……符士と書記と情報屋で、ですか」と言った。
「調べ物に要るのは目と耳と足と、突き合わせる頭だ。符位は関係ない。……役割を割る。栞——お前は文書だ」
栞が背筋を伸ばした。
「大会記録、入退場の時刻、棄権届、符帝名義の命令書、神廟の警備記録。これを整理して矛盾を洗い出せ。……書記の見習いなら、役所の書式は見慣れているだろう。正式な文書とそうでない文書の差を、書式から拾え」
栞が一瞬、息を止めた。それから、俺の言葉の裏を測る顔をして、小さく頷いた。
「……はい。文書のことなら、お役に立てると思います」
「小夜。お前は裏だ。ヨモツイクサの連絡網、食料の供給者、偽造書類の仲介人。大会本部の裏の資材置き場から糸を手繰れ。裏路地の口の割らせ方は、お前が一番よく知っている」
小夜が「……得意分野です」と言った。
「風音。お前は聞き取りと護衛だ。独立符士に当たって失踪者を確認しろ。それと——お前と同じ『予』のつく管理番号を振られた者が、他にいるはずだ。探せ。栞と小夜が動く時はお前が守る」
風音が「……符士を、書記の護衛に使うんですか」と言った。前にも同じことを聞いた。
「文句があるか」
「……いえ。契約の範囲内です。任務として受けます。報酬は後で交渉します」
「そうしろ」
風音が初めて契約を盾に使った。悪くない使い方だった。銭の話を自分から切り出せる符士は、義理で黙って働く符士より長持ちする。
小夜が手を挙げた。
「確認です。裏路地の聞き込みは、危ない任務に入りますか」
「入る。手当の対象だ。契約に書いてある」
「……確認しました」
小夜が満足そうに頷いた。書き取らせた条件を、この娘はちゃんと使う。使われるために書かせた条件だ。使われるたびに、俺の帳面は正しく回っている。
三人は書斎に籠もった。
俺は日に一度、書斎を覗いた。三人の働き方は、面白いほど違った。
栞の机は整っていた。文書が種類ごとに揃えられ、写しの束が定規で切ったように積まれている。手が速いわけではない。だが一枚も飛ばさない。読み終えた紙の角が、全部同じ向きに揃っていた。
小夜の机は散らかっていた。書付が扇形に広がり、齧りかけの干し菓子が文鎮の代わりに載っている。散らかっているように見えて、聞けばどの紙がどこにあるかを即答した。頭の中の帳面は、机より整っているらしい。
風音は机を使わなかった。立ったまま壁に紙を貼り、失踪者の名前と日付を紐で繋いでいた。符闘の盤面を組む手つきと同じだった。この女は、どこで何をやっても符士だ。
苑子は指図を待たずに動いた。書斎の灯りの油が切れる前に足され、茶が冷める前に替わり、夜食の握り飯が誰も頼まないのに届いた。家というものは住む人間が増えると勝手に回り方を変える。この家は三人を、もう客として扱っていなかった。
数日で、糸が形になり始めた。
栞が文書を広げ、時刻を突き合わせた。棄権届の受理時刻が試合開始より前になっている例を三件見つけた。符帝名義の命令書は、正式な裁可を経たものとそうでないものを紙の質と押印の位置から選り分けた。
「……この命令書、印の位置が他と違います。正式な裁可の文書は印を右下に置きます。これは中央に押してある。急いで押したか——正式な手順を踏んでいないか」
風音が横から覗いた。
「なんでそんなことがわかる」
「……昔、そういうものをよく見ていたので」
「昔って」
「……いろいろ、です」
風音はそれ以上聞かなかった。聞かないことを選んだ顔だった。
小夜は裏路地の糸を手繰って戻ってきた。
「資材置き場の連絡役、割れました。大会運営の下働きの一人です。金で書式を刷って置き文で渡していた。……もう帝都から逃げていますが、逃げた先の見当はつきます」
「追うのは後だ。所在の見当だけ、温めておけ」
「はい」
風音の方は、独立符士への聞き込みに数日を使った。戻ってきて、失踪した独立符士の名簿を机に置いた。三年前の一件も含めて五人。うち二人に『予』のつく番号が振られていた。
「……私だけじゃなかった」と風音が言った。名簿を見下ろす目が、硬かった。「同じ番号を振られて消された人がいる」
「証言できるか、その二人は」
「一人は行方不明のまま。もう一人は——生きていました。廃業して故郷に帰っていた。登録所の元係が、文のやり取りを覚えていました。……話を、聞きに行けます」
「護衛はいらないか」
「護衛は要りません。自分の身は自分で守れます」と風音が言った。「ただ——小夜を借ります。相手は一度消されかけた人です。私が符士だとわかれば、口を閉ざすかもしれない。先に道と人柄を探るのは、あちらの方が上手いので」
「そうしろ。報酬の話は」
風音が一拍置いた。それから、聞き込み十日ぶんの相場を口にした。独立符士の日当としては、控えめな数字だった。
「安い。倍にしろ」
「……は?」
「証言者を連れて帰る仕事だ。聞き込みの相場で受けるな。自分の値を安く見積もる符士は、雇い主の値まで下げる」
風音がしばらく黙った。
「……値切られる交渉は聞いたことがありますが、釣り上げられる交渉は初めてです」
「覚えておけ。俺は自分のものに安値をつけん」
「……契約者、です」と風音が言い直した。言い直してから、倍の額で受けた。
────
夕方、三人の調べを風音の壁で突き合わせた。栞の選り分けた偽命令の日付。小夜の割った書式の流れた時期。風音の名簿の失踪の日付。壁の上で、三本の糸が同じ数日に寄っていた。
「……偽の命令が出た頃に通行証の書式が裏に流れて、その前後で符士が消えている」と風音が言った。「別々の手口じゃない。段取りです、これは」
「一つの手が、日付を切っている」
盤面と同じだ。バラバラに見える手が同じ数手に集まるなら、それは一人の打ち手の連鎖だ。誰かがこの帝国の帳面の上で長い連鎖を組んでいる。組んだ手の先に、神廟の夜があった。
顔はまだ見えない。だが、打ち筋は見え始めていた。
翌日の昼、書斎から声が漏れた。
「……小夜、それ肉串ですか」
栞の声だった。
「はい。苑子さんにもらいました。厨の場所は初日に確認済みなので。調べ物の合間にどうぞ」
「書類の上で食べないでください。脂が」
風音の声。だが咎める声ではなかった。
「栞さんも、食べますか」
「……少し、だけ」
「どうぞ」
しばらく間があった。
「……美味しい、です」
「でしょう。帝都の屋台のには負けますけど、遠見のもなかなかです」
「……屋台、というものに、行ったことがないので」
「えっ」小夜の声が跳ねた。「……じゃあ今度、行きましょう。市の日に。いいのがあるんです、東の通りに」
「……いいん、ですか」
「行こう」と風音の声が言った。「私も、遠見の屋台はまだ知らない」
扉の隙間から、書類の山の間で肉串を分ける三人が見えた。俺は扉を閉めた。
調べ物の途中の日常だった。同じ書類を突き合わせ、同じ糸を手繰るうちに、三人の間に仕事を通じた何かが生まれている。集めたのは俺だが、これは俺の指図の外で育ったものだった。
────
市の日、三人は連れ立って東の通りへ出た。夕暮れに戻ってきた栞が、竹皮の包みを両手で持って、執務室の入り口に立った。
「……あの。お土産、です」
包みの中は肉串が一本だった。栞が選んだらしい。焼き加減を小夜と相当議論したと本人が説明した。説明しながら、屋台で買い食いをしたという事実をまだ自分で信じていない顔をしていた。
「初めての屋台はどうだった」
「……音が、すごかったです。呼び込みの声と、焼ける音と、値切る声と——」
栞が言葉を切った。言い直した。
「……育ったところでは、聞いたことのない音でした」
「慣れろ。遠見の音だ」
「……はい。慣れたい、です」
栞が下がった後、廊下で小夜の声がした。十二本食べた、と誰かに自慢している。あきれたような風音の相槌が続いた。市で聞いた噂も、風音は一つ持ち帰っていた——帝都の政変の話が、行商人の荷と一緒に遠見の市にも届き始めている。町の者は符侯の判断を見ている、と。
見られているのは知っている。だから焦って動かない。手元の帳面が揃うまで、符侯は落ち着いて構えている——そう見えることも、この盤では一手のうちだ。
冷めた串を齧った。冷めても、悪くない味だった。
夜、栞が調べの途中経過を持ってきた。
「……一つ、はっきりしたことがあります」
「言え」
「符帝名義の命令書のうち、神廟警備を減らした方——あれは正式な裁可を経ていません。印の位置と文書の綴じ方から断定できます。増員した方は正式な手順を踏んでいる。……本物の命令を、偽の命令が上書きした形です」
栞が命令書の写しを二枚、机に並べた。
「符帝陛下は——」
栞が言いかけて、止めた。二人きりの部屋で、自分をそう呼ぼうとしたことに気づいた顔だった。少し間を置いて、言い直した。
「……私は、増員を裁可した覚えがありません。正式な手順を踏んだ命令なのに、です。印璽方の正規の処理で出る文書にも、私の知らないものがある。……偽物を刷った誰かの他に、正規の手続きの中で私の名前を動かせる誰かが、いるということです」
俺は二枚を見た。並べてみれば、印の位置が確かに違う。だが違うと知らずに見れば、見過ごす程度の差だ。この差を拾うために、何百枚の紙をめくったのか。
栞の指摘は正確だった。帝宮で印を見てきた目が、偽の命令を一枚見抜いていた。
「よく見抜いた。……もう一つ聞く。偽の命令で警備が減って、得をしたのは誰だ」
栞が少し考えた。
「……神廟に入りたかった者、です。警備が薄くなれば、忍び込みやすくなる。……ヨモツイクサの実行の者たちと——その書式を刷らせた、誰か」
「そうだ。偽命令と偽通行証は、同じ夜のための段取りだ。お前の一枚が、それを紙の上で証明した」
栞が少しだけ頬を赤くした。
「……これくらいは。私が唯一——役に立てることなので」
「唯一じゃない。だが、役に立った」
栞が書類を胸に抱えた。
「……もう少し、調べます」
「そうしろ」
栞が書斎に戻っていった。足取りが弾んでいた。褒められた帰り道だと、廊下の向こうまでわかる歩き方だった。
机の上に、三人の調べが残った。偽の符帝命令。買収された下働き。番号を振られて消された符士たち。糸の根元はまだ誰かの手の中だが、急ぐ理由はない。逃がさない形を組んでから、一本ずつ引く。
それより、さっきの言い直しを思い返していた。
符帝陛下は——と言いかけて、止めて、私は、と続けた。帝宮の癖が抜けて、口が自分のことを「私」と呼び直すまでの、あの短い間。あの間に、この娘が遠見で過ごした日々が入っている。
来た頃は、名を呼ばれるたびに一拍遅れて返事をしていた。栞という名が、借り物の上着のようにぶかぶかだった。今日は違う。屋台の音に驚き、土産の串を選び、文書の山から偽物を一枚引き抜いて、俺の前で頬を赤くした。上着の丈が、少しずつ体に合ってきている。
符帝としては扱わん、と言った。あれは嘘ではない。それ以上のことは、こちらから仕掛けるまでもない。あの頬の赤さは、俺の気に当てられたせいだけでは、もうなさそうだった。
栞というのは、俺が出立の朝につけた仮の名だ。その仮の名が、日ごとに本人のものになっていく。それを隣で見ているのは、悪くなかった。