確かにそこにある光 作:クルピウス
あれから数日が経過した頃。その日は雲の多い空だった。朝の業務が一段落して、患者のバイタルチェックには異常がない。つい先日セクターYから帰ってこれたメンバーも重傷者はいるものの、みんな命に別状はない。というか、その状態まで持ち直した。中には全治数ヶ月といった者もいるが、彼らも食事は摂れているし、PTSDを患ったような動きや反応は見せていない。
さらに、氷に覆われた惑星フィチナにある基地に出向していた部隊も代わりの部隊が到着したために帰ってきた。道中でアンドルフ軍の侵攻はなく、平和な道程だったという。
「フィチナにも何度か敵襲はあったけど、そんなに派手なものではなかったな。」
航空部隊の誰かがそう口にした。敵軍の親玉であるDr.アンドルフは元コーネリア軍。各惑星にある拠点とその役割なんてわかっているはずだ。フィチナにある情報作戦本部も、カタリナにあるこの前線基地も。対して、こちらはアンドルフ軍の残存兵力もわかっていない。産業惑星のマクベスがアンドルフ軍の手に落ちた、と聞いているがマクベスで何をしているのかまではわからず。そう、コーネリア軍はアンドルフ軍の情報が少ないのだ。
ならば、アンドルフ軍が攻める手を休めるはずもない。現にセクターYでは戦闘が幾度も発生しているらしいし、セクターXでも何やら怪しい動きがあるとの情報は得ている。小惑星帯メテオにも偵察兵らしき部隊が見えたというし、コーネリア本部も攻撃を受けたとの報告が来た。カタリナにも敵が来るだろうというのは自明と言える。
航空戦力は多く、機体の整備もほぼ終了。人員の多くは戦線に復帰できるようになっている。もう少ししたら彼らは編隊してセクターXの調査に向かうらしい。
束の間の平穏だった。戦争しているという事実から目を逸らして、今この瞬間が続けば良いのにと思えるほどに。
ただ、敵襲はそんな思いとは裏腹に来るもので、けたたましく鳴り響くサイレンと緊急放送に緊張が走る。
たまたま共に行動していたゾロとビルがそれに顔を見合わせる。信じられないものを見るといった様子で、少し目を見開いてビルへと向くゾロに、ビルはキリッとした表情で告げた。
「行ってくるよ、ゾロは早く地下に避難して。」
「ビル……」
待ってとも行かないでとも言えない。伸ばしかけた手を無理矢理引っ込めて、震える唇が言葉を紡ぐ。
「気を付けて。」
「もちろん。ありがとう。」
笑顔でそういって直ぐ様振り返り、ビルは駆け出していく。その背に、今度は届かない手を伸ばして、言い知れない感情に身体がほんの少しだけ震えた。
手を下ろして、走って医務室へと向かう。重傷者の移動補助など、やることはたくさんある。そう、束の間に平穏が訪れようと、これは戦争なのだ。人を殺し、殺される残酷な現実の真っ只中なのだ。一人でも多くーーー
ーー一人でも多く、救った先にはーー
過った考えに頭を振って、今は目の前にいる負傷者をどうにかすることだと改める。
少し息を切らしてたどり着いた医務室では既に重傷者の輸送が始まっていた。
「ゾロ、三番から!」
「わかりました!」
移動可能なベッドのブレーキを解除して、点滴バッグごと移動を開始する。カラカラと音を立てる車輪、思うようにまっすぐ進まないベッド、時折聞こえる爆発音に怯えながら走る自分とは対称的に、悔しそうに唇を噛みしめる患者。言い知れぬ不安か、ドキドキと心臓の音がうるさい。
エレベーターに乗り込み、地下へと降りる。
カタリナの前線基地は地下シェルターとなっており、中枢の司令部はもちろん医療施設や予備電源、その他物資の保管庫がある。普段から使われることはないが、設定次第でエレベーターすら閉鎖し、上からの侵入者を受け付けなくなるらしい。
地下にたどり着き、シェルター内の医療施設にたどり着く。規定の位置にベッドを固定して、患者に大人しくしているように言い付けて、地上へ。何回か往復している最中に、空が徐々に暗くなっていく様子が見えた。
「……違う」
少し赤い夕焼けの空。空が暗くなっているのに、夕焼けだとわかるのは宵闇の向こうに空が見えるからだと瞬時に理解できた。そうだ、これは戦争なのだ。戦争なのだから、基地の上に敵の母艦が来てもおかしくはない。明らかに戦況は悪化している。
地下に患者を全て収容しきって、全員の計測器や点滴に問題ないかを見て回る。特段処置が必要な患者もいないせいで、気を紛らわすこともできない。そわそわと嫌な感覚が身体を巡るせいで、落ち着かない。それを見かねた上司から、不安を煽るからと席を外すように注意されて、地下医務室を後にした。
医務室のすぐ隣が司令室だ。今となっては誰でも入れるような場所で、外が見たくて思わず司令室に入る。外部カメラがたくさん表示されているモニターに、その隣にあるレーダー図。細かな光の粒が、更新される毎に違う場所へと変わっていく。一定時間ごとに増える敵機の反応、それに応じて少しずつ減っていく僚機。ああ、やっぱり。自分のしていたことはこの地獄に味方を送り返すことだったんだと自覚をして、両手に力が入らなくなった。
悲鳴や怒号に荒れる通信。
消えていく光の粒。
爆発音と砂嵐。
この世に悪魔がいるのなら、それはきっと自分のことだ。こうして、誰かを最期まで苦しめることしかできないんだから。
頭の中で走馬灯のように、戦地へと赴いた患者達の記憶が蘇る。裂傷、軽度の火傷、下手くそな応急処置のせいで化膿してしまった傷、これ以上重態になってはいけないと切り落とした指、骨折した足に、つぶれた眼球。
それらを治療し乗り越え、命に別状はないと安心させ、失った部位に慣れさせるためにリハビリをさせ、その果てに戦線に復帰して、苦しくも辛い空に散る。どうしてそんな辛い思いをさせなきゃいけないんだ、彼らは何も悪いことはしていないのに。どうしてそんなに苦しまなきゃいけないんだ。違う。そうして苦しめたのは自分なんだ。僕が無力だから、誰かがその分戦わなきゃいけないんだ。
ーーー僕が、みんなを戦わせてるんだ。
今まで目を逸らそうとしてきたことに、どうしようもなく対面させられている。違う、僕はみんなを救いたかっただけで、こんなことを望んでいるわけじゃなくて。
子供のように泣き喚くことも、大人になって割り切ることも出来ない。
「総員、退避ーーー!!!」
必死の叫びが、目の前の暗闇を晴らす。退避、なぜ。目の前を正しく認識できないまま、言われるがままに走る。司令室を出て少し走って、医務室から出てきた上司が難しい顔をしながら走る。
これは第二次緊急命令。基地を放棄し、各員が生存することを第一に行動する。カタリナ前線基地はその地下から脱出路が繋がっている。それは近くの山まで繋がっていて、その麓にある森に身を隠せるのだ。
そしてそれは、何の補助もなしに生き残ることができる健常者にのみ適応される。つまり、地下医務室の患者は全員見捨てなければならない。ああ、どうして、彼らは文字通り、死ぬまでの猶予がちょっと増えただけじゃないか。生きられる希望を与えるだけ与えて、あっけなく死んでしまうなんて。
ーーーそれなら、救わないほうがマシだったんじゃないか?
必死に足を動かせる。この身体も、頭も、生きたいと願っているらしい。こんな奴、生きていたってしょうがないのに。
走って走って外に出て、森の草木に伏せて身を隠す。轟音と衝撃が森を撫でて揺らしていき、その風に飛ばされそうになりながら必死に耐える。やがて、身体に風圧を感じることもなくなった。それでも何かが上空を飛ぶ音がまだ続いていて、身動きが取れない。
暫くして、飛行音が完全に消え、地下にいた面々が続々と顔を上げる。基地は、味方は、一体どうなったのか。それ以上、歩みを進めてはいけない。そう警告されているような気がするのに、それでも確認しないといけない気がして。森の出口、立ち止まる上司や同僚たちと同じところまで出てきて、思わず身体から力が抜けた。崩れ落ちるとは、こういうことなのだろう。頭の中がぐちゃぐちゃになって、身体に力が入らない。
カタリナの前線基地は大破していた。爆発したと思われ、鉄骨が飛び散っていたり、窓ガラスが完全に割れてなくなっている。基地全域から火の手が上がっており、黒煙が空へと登っていく。その周囲には何もなく、さらに離れたところに無数の機械の残骸が落ちている。戦線に出ていたコーネリアファイターが大破した残骸やその翼をもがれ落下しているものもある。全てが全て、物言わぬ機械であればそれで良かったのに。それらには、全員、搭乗者がいてーーー
「おえっ」
込み上げてきた胃液をその場にぶちまけた。直視したくない現実から、身体が強引に目を逸らさせる。漂ってくる焼けた臭いが、吐瀉を促した。それでも、現実が変わるわけではない。大丈夫かと声をかけてくれる上司が、本当に嫌だ。
何とか落ち着いて、前を向き直しても、凄惨な現実が待ち受けているだけだった。カメラやレーダーは破壊され尽くしているから、肉眼で確認したのみだが、敵影はなし。全員で散り散りになって、この絶望的な広野から少しでも希望を探し当てようとする。
ふらふらと歩み寄ったコーネリアファイターの残骸。中にはドーベル隊の平隊員が息絶えている。彼はセクターYでの任務後に同部隊の重傷者を運び出してくれた人だ。怪我は特にしてなくて、医療班でもないのに積極的に手伝いをしに来てくれた人。
次に見かけたのは同じくドーベル隊。彼は子供の自慢ばかりしてくる人だった。もう五歳になったらしい。母親と我が子の写真が入ったペンダントをしていて、それはそれは、明るい笑顔のーーー
少し歩いたところには、バーナード隊の小隊長だ。彼は無茶な操縦で味方を守り、コーネリアファイターの翼をよく破損させていたそうだ。腕の骨折で運ばれてきたのに、ベッドの上でトレーニングモジュールを起動して訓練してた。その際に身体が少し動いてしまう人だから、よく上司がモジュールの強制停止をして叱ってた。
さらに歩いて、基地に程近く。それはよく見知った顔でーーー
「ビル……」
コックピットのガラスが粉々に吹き飛ばされ、だらしなく舌を出して、血塗れな操縦桿に手を添えたまま、どう見ても死んでいる。確認するまでもないのに、脈も呼吸も止まっていて。彼はどうしようもなく、死んでいた。
ああ、違うんだ。違うんだよ。あの時、手を伸ばせなかったのは、君を殺したかったからなわけがなくて。僕が君を引き留めて、出撃させなければ。いつか僕にしたように、休憩室に押し込んで外に出さないように閉じ込められたら。君のコーネリアファイターが損傷で飛べなければ。僕が戦えれば、君を治さなければ、君が戦うことに、ならなければーーー
混迷した思考が目を曇らせる。その淀んでいるだろう瞳が、コックピットの中にキラリと黒く光るものを見つけた。それに手を伸ばしたら後には退けない。そうとわかっていても、手を伸ばさずにはいられない。ビルの遺体をほんの少しだけ押し退けて、それを手に取る。
「ゾロ!何をしている!」
遠くからぼやけて聞こえる誰かの声。別に、僕が何をしたって良いじゃないか。黒い穴が、まっすぐにこちらを覗き込む。
「全員!奴を止めろ!急げ!」
ああ、そうだ。きっとまだそんなに遠くには行っていないはず。だから、追いつけるはず。僕の行く先が地獄だったとしても、ほんの少しだけ、謝らせて欲しい。だから。少しだけ待ってて。お願いーーー
彼がどこかから取り出したブラスター。その銃口が口内に突きつけられる。医療を齧っているものなら誰にだってわかる。だからこそ、班長は声を荒げて走ったし、それに気付いた私たちも、どうにかして止めようと必死だった。
世界がゆっくりと進んでいる。最後の最後、そのトリガーが引かれるところまで、コマ送りかと思うくらいに。思えばずっと、あの子は様子がおかしかった。たぶん、初めて目の前の患者を救いきれなかったあの時から。それでも、仕事中は真面目だったし……いや、きっと誰も死なせないように必死だったんだろう。あの時の患者はどんな治療を施しても助かるかわからないくらい重体だった。それでもあらゆる手段で助けようとして、結果的に死んだ。そんな光景を何度も見ているからもう慣れているけど、あの子には初めての経験だった。その時から、精神は壊れていたんだと思う。彼はそれまでもそれからも、多くの戦闘員を救い、沢山の怪我を治した。それそのものが輝かしい功績ではなく、彼を苦しめる呪いになっていた。だから、今、耐えきれなくなって。
熱線が上空へと放たれ、その身体がぐらりと崩れる。目を開けたまま眠る彼に、みんな茫然と、ただ沈黙するしかない。
「クソッ」
誰かがそう悪態をついても、現実が変わるわけじゃない。近づいて、まだ温かい体温を感じながら、そっと目蓋を閉じさせる。お休みなさい、ゾロ。次にあなたが目を覚ます時、平和な世の中になっていますように。