夢を見た。
生前のアリシアの夢だ。
場所は兵舎の食堂。いつも騒がしくて、誰かの怒鳴り声と誰かの笑い声が入り混じってる、あの場所だ。
俺は端っこの席で、一人でスープを啜っていた。いつものことだ。誰も俺の隣に座らないし、誰も俺に話しかけない。それが普通で、当たり前だった。
なのに。
「おーいクロード!」
ばん、と背中を叩かれた。スープがこぼれる。
顔を上げると、そこにはアリシアが立っていた。鎧を着て、汗まみれで、金髪のポニテが揺れている。訓練帰りなんだろう。額に汗が光っていた。
「まーた一人で暗い顔してんな!」
「いつものことだ」
「そのいつもをなんとかしろって話だろ!」
彼女は俺の向かい側に、どかっと腰を下ろした。鎧がぎしぎし鳴る。自分のスープとパンと、なぜか俺の分まで持ってきている。
「ほら、お前のスープ」
「俺のはもうある」
「冷めてるだろ。こっちはあったかいぞ」
「別にいらない」
「いいから飲め。お前いつも食わないだろ」
彼女は俺の返事を待たずに、俺の前の冷めたスープを自分の方に引き寄せた。代わりに、湯気の立つ新しいスープが差し出される。
「なんでそんなことするんだ」
「なにが?」
「なんで俺に構う。お前は人気者だろ。友達もたくさんいるし、俺なんか相手にしなくてもいいだろ」
俺の声は自分でも驚くくらい小さかった。
彼女はしばらくこっちを見てから、ふん、と鼻を鳴らした。
「お前、自分のこと『俺なんか』って言うけどさ」
「悪いか」
「悪いっていうか、むかつくんだ」
「は?」
「だってお前、魔術師だろ。私にはできねえことができるんだ。もっと自信持てって思う」
「俺の魔法はたいしたことない」
「そうか?私はすごいと思うけどなあ」
彼女はパンを齧りながら、こともなげに言った。青い目が、まっすぐ俺を見ている。
「この間の偵察任務でさ、お前の索敵魔法がなかったら、私は敵の伏兵に気付かずに死んでたんだ」
「たまたまだ」
「たまたまでも、お前が俺を助けた。それは事実だろ」
彼女は笑った。本当に、綺麗な笑顔だった。
「だから私は、お前に感謝してる!お前は役に立ってる。もっと自信持て、クロード」
「アリシア」
「なんだ?」
「いや、なんでもない」
俺は俯いてスープを飲んだ。
熱かった。すごく、熱かった。胸の奥も、なんか熱かった。
「なあクロード」
「なんだよ」
「また一緒に任務行こうな」
「俺はお前の足を引っ張るだけだぞ」
「いいんだよ、私が守ってやるから」
彼女はにかっと笑った。男みたいな笑顔だった。でも、やっぱり綺麗だった。
「ずるいよな、お前は」
「あ?なにが?」
「なんでもない。気にするな」
俺はそれ以上何も言えなかった。ただ、スープを飲み続けた。彼女はそんな俺を見て、また笑ってた。
食堂の喧騒の中で、俺たちの時間だけがゆっくり流れてる気がした。
♢ ♢ ♢
目が覚めた。
天井は木の枝と星空だった。地面の固さが背中に痛い。焚き火が、かすかに爆ぜている。
夢か。
俺は目を擦った。濡れてた。
くそ。
起き上がって、隣を見る。アリシアが寝ている。死んでいる。目を閉じて。俺の術式で腐敗を防がれて。
「夢の中のお前は、あったかかったな」
声が震えた。
焚き火の明かりが、彼女の顔をぼんやり照らしている。相変わらず綺麗だ。死んでいるのに、綺麗だ。
「守ってやる、か」
生前、お前はそう言った。逆だ。
今は俺がお前を守っている。守るっていうか、もう死んでいるけどな。
でもお前の身体が消えちゃわないように、腐らないように、動くように、俺は魔法をかけている。
「俺は、お前を守れなかった。だから、今お前は死体になってる……」
返事はない。
でもアリシアの口元が、焚き火の揺らぎでちょっと動いて見えた。笑っているみたいに。
「上手くできてるよな、人間の顔って。死んでも笑ってるように見えるんだ」
俺はそう言って、彼女の髪を撫でた。金髪が指に絡む。冷たい。でも絹みたいに柔らかい。
「なあ、アリシア」
「俺さ、夢の中ですら、ちゃんと言えなかった」
「ありがとうも、ごめんも、好きだも……全部」
焚き火が、ぱちんと音を立てた。
「でも今は言える。こうして、お前に話しかけられる。死んでからじゃないと本音が言えないって、ほんと終わってるよな、俺は」
笑った。自分で自分が情けなくて、おかしくて。
「でもまあ、いいか。お前は聞いてるし、多分な。返事はないけど、聞いてるってことにする」
俺は彼女の隣に寝転んだ。肩を寄せて、冷たい手を握る。
「明日も歩くぞ。屍の塔までは、あと二日くらいだと思う。そしたら俺、もっと強くなって、いつかお前のことをもっと自然に動かせるようになったら」
声が詰まった。
「お前、また俺と任務に行ってくれるか。夢の中みたいに一緒に」
返事はない。でも彼女の指が、ちょっとだけ俺の手を握り返した気がした。
気のせいだ。死体がそんなことするわけがない。俺は自分で彼女の指を動かしているだけだ。わかってる。全部、俺の願望だ。
「それでもいい」
俺は目を閉じた。彼女の冷たい手を握ったまま。
「おやすみ、アリシア。また夢で会おう」
星が瞬いていた。
♢ ♢ ♢
翌朝。
俺は早くに目を覚ました。焚き火は消えている。朝露でアリシアの頬がちょっと濡れていて、それもまた綺麗だった。
術式をかける。彼女が立ち上がる。外套を被せて、フードを下ろす。慣れたものだ。もう手順は体に染みついている。
一歩、また一歩。俺たちはまた北へ向かう。森を抜けて、今度は岩場に出た。
山脈がすぐそこに見える。灰色の岩肌と、頂上にかかった雲。屍の塔は、この山のどこかにある。正確な場所はわからない。
でも俺の魔力が、何かに反応している。多分、あっちだ。
「なあ、アリシア。もし屍の塔ですごい力が手に入ったらさ、俺、お前に何をしてほしいんだろうな」
少し歩いてから、また口を開く。
「笑ってほしいのか、喋ってほしいのか、それとも怒ってほしいのかもな。『何やってんだバカ!』って。お前、生前よく言ってただろ。俺が自分を卑下するたびに、怒ってくれてたんだよな」
彼女は歩く。返事はしない。でもそれでいい。
岩場に入る。俺は気を引き締めた。ここから先は魔物の領域だ。
慎重に、隠れて。何より、アリシアを守らないといけない。これ以上、彼女の身体が傷つくのは嫌だ。もう十分すぎるくらい、傷ついている。
「行こう」
俺たちは岩場に足を踏み入れた。
屍の塔まで、あと少し。俺の胸の奥で、何かがざわついている。
期待か、不安か、それとももっと別の何かか。でもアリシアが隣にいる。それだけで、全部乗り越えられる気がした。