奉仕種族に転生したら変態お嬢様に飼われることになった件 作:もんも♡
「はぁ」
朝。使用人用の洗面所で、僕は鏡の中の自分と向き合っていた。
昨日の記憶が、断片的にフラッシュバックする。
紅茶。
カップ。
尿道。
『ショコラ・オ・レ』。
(……思い出すな、僕!!)
鏡に映るショタ顔の少年が、疲れきった目でこちらを見ている。
「大丈夫、今日は普通の業務だ。掃除して、洗濯して、ちょっと先輩に挨拶して……平和に過ごすんだ」
自己暗示をかけて洗面所を出た。
公爵邸の使用人棟は想像以上に広かった。
清潔な石造りの廊下に、規則正しく並ぶ扉。壁には業務予定表が貼られ、時間ごとのシフトがびっしり書き込まれている。
「あら、おはよう。あなたが新しいファムの子ね?」
振り返ると白いエプロンドレスに身を包んだ若いメイドさんが立っていた。年の頃は二十代半ばといったところか。
「はい! ショコラと申します! お世話になります!」
頭を下げると、メイドさんは「まぁ!」と頬に手を当てた。
「なんて礼儀正しいのかしら! ねぇ見てアンナ、この子、カタリナお嬢様が金貨300枚で契約したっていうファムの子よ!」
「うそ、この子が!?」
アンナと呼ばれた別のメイドが、物陰からひょいと顔を出す。彼女も同年代だ。
「わー……ほんとに可愛い。お人形さんみたい」
「ちょっと触ってもいい?」
「え、あ、はい……」
二人のメイドが左右からしゃがみこみ、僕をまじまじと観察し始める。動物園のレッサーパンダもこんな気分だろうか。
「肌きれー……」「髪もさらさらー……」「ねぇ耳ちょっと尖ってる?」「ほんとだー」「触っていい?」「もう触ってる」
(なにこれ人気者?)
困惑しつつも、まんざらでもない自分がいる。
奉仕種族の本能は「人間に構ってもらえる=幸福」なので、こういうのも喜びポイントなのだ。
我ながら安上がりな脳みそである。
「朝から何を騒いでいるんだね」
低い声が廊下に響いた。
振り返ると、白髪交じりの初老の男性が立っている。
執事服を隙なく着こなし、背筋はピンと伸びている。目元のしわが威厳と同時に、どこか温かみも感じさせる。
「あっ、セバスさん」
「おはようございます」
二人のメイドが慌てて居住まいを正した。
どうやらこの屋敷の執事長らしい。そういえば昨日、お嬢様と契約したあと、ちらっと挨拶した気がする。
「きみがショコルだな」
「ショコラです」
秒で訂正が入った。この屋敷、僕の名前を間違える人が多すぎだろ。
「そうか、ショコラか。すまんな」
セバスさんは眼鏡をくいっと持ち上げて、表情を変えずに言った。
「して、カタリナお嬢様のご様子はどうだ。変なことをされていないか」
「……」
「その間はなんだね」
「い、いえ! 大変よくしていただいてます!」
セバスさんはじっと僕の目を見つめた。長年の執事経験から滲み出る「何か隠してるな?」という眼力。でもこれ以上は追求しないのが彼のプロフェッショナルなのだろう。
「そうか。何かあれば私に言いなさい。お嬢様は昔から、少々……情熱的なところがある方でな」
「少々」
「少々だ」
セバスさんの口調は平坦だった。でも、その「少々」がオブラート何百枚重ねかは、昨日の時点で僕が一番よく知っている。
「あ、セバスさん! この子、お仕事教える係はどうするんですか?」
メイドのアンナが挙手して尋ねる。
「うむ。とりあえず午前中は館内の案内を。その後、先輩ファムに引き合わせる。私からは以上だ」
先輩ファム。
その言葉に、僕の耳がぴくんと反応した。
「この屋敷に、他の奉仕種族がいるんですか?」
「ああ。古くから仕えている古参たちだ。いろいろ教わるといい。何人かいるが……取り合えず一人くらいは挨拶しておいた方がいいだろう」
なんと。
同族がいる。
それも複数……。
しかも、「古参」。つまり数百年単位で生きているベテランたちだ。
(会いたい……!)
奉仕種族同士の繋がりは貴重だ。やはり先達という存在は尊敬するし、色々と教えてもらわなければ。
「セバスさん、案内が終わったらすぐにでもご挨拶に伺いたいです!」
僕の食い気味の反応に、セバスさんは微かに口元を緩めた。
「わかった。では、案内はアンナとマリーに任せる。一通りの清掃業務を覚えたら、東棟の三階へ行きなさい。そこにファムたちの私室がある」
♢ ♢ ♢
午前中の館内案内は、なかなか充実していた。
というか、この屋敷、とにかく広い。
「ここが大広間でー、年に二回の大舞踏会で使うんだけどー」
「はい」
「こっちが東の厨房でー、こっちが西の厨房でー」
「二つあるんだ……」
「公爵家だからねー。東は来客用、西は普段使い」
そして僕はこの二時間で学んだ。メイドのマリー(よく喋る方)とアンナ(たまに鋭い方)は、見た目通りのいい人たちだ。
でも彼女たち、僕を見る目がときどき「かわいいー!」から「大丈夫かなこの子」に変わることがある。
理由はわかっている。
カタリナお嬢様のことだ。
この屋敷の使用人たちは、お嬢様の「素顔」を薄々察しているのだろう。そして新入りの僕が真っ先に彼女の専属にされたことで、「あっ……」と思ったに違いない。
でも使用人歴の長い彼女たちは、それを決して口に出さない。プロだ。
「それじゃ最後に、東棟の三階ね」
アンナが階段を指さした。
「ここから先は先輩ファムのお部屋があるから、あたしたちは案内しないわ。人間より同族の方が気楽でしょ?」
「はい、ありがとうございます!」
僕は二人にぺこりとお辞儀をしてから、東棟の階段を上がった。
♢ ♢ ♢
東棟三階。
ここは使用人棟とはまた雰囲気が違う。壁紙の色が落ち着いていて、窓から差し込む光も柔らかい。長く使われてきた風格のようなものが漂っている。
突き当たりの扉の前に、小さな真鍮のプレートがかかっていた。
『ロロ』
(……先輩の名前かな)
コンコン。
「あの……本日からこちらでお世話になります、ショコラと申します! セバスさんにご挨拶するよう言われて参りました!」
数秒の間。
そして、かちゃり、と扉が開いた。
「あら。聞いてたより、ずいぶん若いのね」
そこに立っていたのは。
僕よりちょっと背が低くて、淡い栗色の髪を後ろでひとつに束ねた、女の子。
瞳は琥珀色。顔立ちは幼いのに、その奥で何かが静かに煌めいている。
纏っているのはシンプルなエプロンドレス。でも生地がところどころ時代を感じさせるというか、三十年前の流行りみたいなカットだ。
(……彼女が先輩?)
外見は十歳ぐらい。でも。
「ふふ、まぁ入れなさい。いま紅茶を淹れるわ」
その所作があまりに自然で、流れるようで。
立ってるだけで、空気が違った。
(あ、これ……とんでもなく歳上だな)
ファムは外見が子どものまま千年生きる種族だ。つまり見た目で年齢を判断するのは不可能で、判断基準は「振る舞い」しかない。
そして彼女の振る舞いは──数百年分の、圧倒的な落ち着きを帯びていた。
部屋の中は、こぢんまりしていたが、驚くほど居心地がよかった。
古い本が本棚にぎっしり。壁には押し花の額縁。窓辺には小さな観葉植物。机の上には編みかけのレース編み。
「さ、座って。お砂糖はいくつ?」
「え、あ、二つで……」
「若いのね。私は四つで」
(何で二つだと若いのかなぁ)
にこりともせず、でもどこかあたたかい口調で、彼女は角砂糖をぽんぽんとカップに放り込んだ。
カップを差し出されて、一口。
(……うまい)
淹れ方でこんなに変わるものか。
「私はロロ。フォン・ローゼンベルク家に仕えて……そうね、三百二十年ぐらいになるかしら」
さ、三百二十年。
里で生まれたばかりの僕(実質二十歳)からすると、気が遠くなるキャリアだ。
「ご、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします!」
深々と頭を下げる。と、ロロさんは小さく笑った。
「そんなにかしこまらなくていいのよ。ファム同士でしょ」
「は、はい……でも、三百年以上も人間に仕えてるなんて、尊敬します」
「そうね……三百年は長いわね……」
ロロさんは紅茶を一口すすってから、遠くを見るような目で言った。
「人間なんて、放っておくとすぐ死ぬから」
「……」
「ええ、死ぬの。あっけなくね。私が仕えた人間は、もう四世代目よ。先代の公爵様も先々代も、奥様方も、子どもだった子たちも、みーんな死んだわ」
ロロさんは平坦な口調で言い切った。
「あなたもそのうち慣れる。人間は儚い。だから可愛いのよ」
(……深い)
いろんな意味で深い。
千年生きる種族が語る「人間は儚い」という言葉には、三百二十年分の実感がこもっている。
軽々しく「ですよねー」と相槌を打てる重さではなかった。
「……で、カタリナお嬢様のご様子はどう?」
ロロさんが、カップを置きながら尋ねた。その目が一瞬だけ、キラリと光る。
「え、ええと……その、元気すぎるというか……」
「ふふ、そう。あの子、小さい頃からすごかったものね」
「ご存知なんですか」
「知ってるも何も」
ロロさんは、ふぅ、と息を吐いた。
「お嬢様が八歳のとき、私、彼女の部屋の掃除を任されたことがあるのよ」
(八歳……!?)
「でね、ベッドの下から魔導式のなにかが出てきた。当時はまだ黎明期の商品で、今みたいに小型化されてなくて、魔力コードがついててね」
(その情報いる?)
「私はそれ以来、お嬢様の専属を外されたの。どうやら『掃除されて困るものがある』ってクレームがご本人から入ったらしくて」
ロロさんは遠い目をしている。三百二十年生きてきて、八歳児からのクレームで担当替え。なかなかの不遇である。
「だからあなた、すごいわよ。歴代で初めて、お嬢様直々に採用されたファムなんですもの」
「へ?」
「知らなかったの? カタリナお嬢様、若い雄のファムが登録された瞬間に即決したの」
なんじゃそりゃ
「金貨300枚も、全部お嬢様のポケットマネー。十五歳のときから積み立ててたんですって」
「貯金してたんですか、僕のために……」
「ええ。学園の同級生がアクセサリーやドレスに散財するなか、お嬢様は『将来の奉仕種族資金』って言ってせっせと貯金してたらしいわ。ご両親も呆れてた」
もはや変態を通り越して計画的な変態だ。
でも、悪い気はしない。
というか、むしろ。
(そこまで想われてたのか……)
奉仕種族の本能が、じんわりと幸福感を出力し始める。
「あなた、顔がにやけてるわよ」
「ち、違います!」
ロロさんはくすくす笑った。三百二十年のキャリアから繰り出される見抜き力には敵わない。
「でも、ひとつだけ忠告しておくわね」
ロロさんは笑みを引っ込めて、琥珀色の目で僕をまっすぐ見つめた。
「ファムの寿命は千年。でも、これは『最長で』という意味よ」
「……?」
「私たちは人間に尽くすことで生きている。でも、尽くしすぎると消耗するの。身体的にも、精神的にもね」
「……」
「カタリナお嬢様は、間違いなく強いご主人様だわ。人間としても、そしておそらく……性の面でも」
ロロさんの声は、ひどく静かだった。
「彼女に尽くすのは、きっとあなたにとって至上の喜びになる。でも、だからこそ気をつけて。自分を見失うほど没頭すると、千年もたないわよ」
「……はい」
僕は素直にうなずいた。
ロロさんはそれ以上は言わなかった。
代わりに、にっこりと笑って。
「でもまあ、あなたを見てると大丈夫そうね。ちゃんと自分を俯瞰で見られてる目をしてる」
「俯瞰、ですか?」
「ええ。人間に染まりきらない目。ちょっとシニカルで一歩引いてる感じ。それ、ファムとしてはけっこう珍しい才能なのよ」
前世の記憶のせいだろうか。
異世界転生者としての冷めた視点が、こんなところで役に立つとは思わなかった。
「じゃあ、ぼちぼち業務に戻りましょうか。今日は何をするの?」
「あ、夕方からお嬢様のお部屋の片付けと、夜のお食事の準備です」
「……お部屋の片付け」
ロロさんの目が、一瞬だけ遠くを見た。
ベッド下から魔導式オナニーグッズを発掘した日のことを思い出しているのだろうか。
「がんばって」
「はい」
その言葉に、三百二十年分の重みがこもっていた。
♢ ♢ ♢
ロロさんの部屋を辞して、僕は使用人棟へと戻った。
廊下を歩きながら、考える。
(三百二十年、か……)
気が遠くなるような時間。
その間ずっと人間に仕えて、人間の死を見送ってきた。
ファムの寿命は千年。それは長い。でも、長すぎることは、それだけでひとつの試練なのかもしれない。
「ショコラ!」
階下から呼ぶ声。
見下ろすと、アンナが手を振っている。
「セバスさんが呼んでるよー! 夕方までに東の倉庫の整理だって!」
「はーい! 今行きます!」
僕は小走りで階段を駆け下りた。
(とりあえず、今は目の前の業務だ)
千年のことは、千年かけて考えればいい。
三百年のことは、三百年かけて。
でも、今この瞬間にできる奉仕は、今やらなきゃ意味がない。
だって僕は奉仕種族ファム。
人間に尽くすために進化した、ちょっとおかしな種族だ。
それが僕の生き方なんだから、仕方ない。
「しくしく」
「なに小声で泣いてるの!?」
「なんでもないです!」
僕はアンナに向かって、とびきりの笑顔で応えた。