騎士たちは浮足立っていた。マレブランケから直々に報酬を手に入れたも同然であり、手枷を嵌めたアイアンクラッドを城のどこかへ連行する間も、興奮した様子で実のないお喋りに興じている。
騎士に抑え込まれ、引きずられながらも、アイアンクラッドは床や廊下の隅々に目を走らせ、あるいは悲鳴を聞き洩らさぬよう耳をそばだてた。だが連れ去られていったミニオンの痕跡は、捕まっているらしい仲間の姿も見当たらない。こちらは、先ほど通過した地下牢とは恐らく逆方向なのだろう。
やがてマレブランケの配下たちは城壁と城壁を繋ぐどこかの塔へ入り込み、扉に鉄格子がはまっている部屋を訪れ、内から施錠した。
アイアンクラッドは脱出路を探そうと目線を配るが、頑丈な石造りの部屋は窓がなく、重苦しい空気が漂うばかり。天井の中心に蝋燭をいくつも嵌めたシャンデリアが吊られていた。閉め切って酸素に乏しいためか蝋燭の灯火は弱々しく、室内は薄暗い。シャンデリアの中央からは、太い鎖が垂れさがっている。壁にはいくつかの刃物や鞭、ペンチや鎖に足枷といった道具が立てかけられ、すぐ近くには桶が置かれていた。恐らく塩が入っているだろう。この部屋で行われることを薄々把握する間に、騎士たちはアイアンクラッドを部屋の中心へ連行し、手枷を嵌めたまま天井から下がる鎖に繋げて吊り下げた。爪先立ちになったアイアンクラッドの身体から鎧や手甲を剥ぎ取り、部屋の隅へゴミのように投げ捨てると、騎士たちは獲物の自由を奪ったことで安心しきったのか、兜を脱ぎ始める。男女を問わず、兜の下から欲望に塗れた瞳が露わになり、唇は歪んだ弧を描いている。
マレブランケから隊長と呼ばれた男が、壁にかかっている道具を一つ取り、アイアンクラッドの眼前に進む。手に握られているのは小さな短剣。やはり拷問にでもかけるつもりらしい。
「ここは我ら騎士団が罪人たちを裁くために使っている処刑場だ。光栄に思え。マレブランケ様は殺すな、とおっしゃっていたのだ。死にはせん。だが、お前のあらゆる悲鳴を聞くのに丁度良い物がたっぷりと置いてある」
定型のような前口上を聞き流して平静を保ち、アイアンクラッドは僅かに届く足先でバランスを取りながら隊長を含む、自分を取り囲む騎士の動向をただ観察した。無数に繰り返した闘争の中で、とっくに痛みなど克服している。刃で斬り、刺し、内臓を抉り出すように痛めつけられても、このスパイアを登り続ける永遠に等しい痛苦と徒労には見合っておらず、比べ物にならないことだった。痛みを感じたとしても想像の範囲に収まり、耐え抜くことは容易だとアイアンクラッドは判断していた。
予想通り、隊長は唇に弧を浮かべながらアイアンクラッドの服をめくり、胸元に短剣の先端を当てた。並みの人間であればすぐさま痛みとその先に待ち受ける死を連想し、恐怖に
「戦士よ。お前からは……かぐわしい血の臭いがする……それに……ああ、とても美味だ……」
男は酒でもあおったようにほうっと一息つく。隊長は再びアイアンクラッドの身体にナイフの先端を僅かに押し付けると、樹皮から蜜を採取するようにアイアンクラッドの身体を傷つけた。反応がないとみると、刃を刺したままアイアンクラッドの周りをゆっくり歩き始める。足元にある人間の骨や腐臭を放つ血肉、原型をとどめていない何かの、あるいは誰かの残骸が踏みつけられ、ぴちゃりと跳ねる音が響いた。
アイアンクラッドの前に戻ってくると、ナイフで描いた円の一部を指でなぞり、掬い上げた血を口に含む。隊長が再び恍惚の声を漏らすと、周囲にいた配下たちが我も我もと殺到した。押し止めた男の周りで、配下たちが飢えた瞳を向けてくる。
燃える血を摂取すれば身体の内から焼き尽くされるはず。一度ならず二度も血に触れたのに異変をきたす様子はない。アイアンクラッドは観察対象を変え、男の持つ短剣を見下ろした。柄にはめ込まれている、小粒な例の白い石。どうやら石の力で炎が妨げられているようだ。
血を舐め終わった隊長は突然短剣を掲げ、頭上のアイアンクラッドの手を取り、指を強引に広げると掌に突き刺した。鋭い痛みに僅かに呻くが、アイアンクラッドが未だ恐怖に揺らがぬ様子に、周囲の騎士たちは焦れ始めていた。
「戦士よ、もっと苦しまんか。何故声を出さない」
隊長が短剣の根本までアイアンクラッドの手に食い込ませる。だらだらと腕を伝って流れ落ちてくる血を見て、待ちきれなくなった男の騎士が一人、アイアンクラッドの腕を抑えて音を立てながら血を啜った。
無理に抵抗したところで彼らの加虐心を煽るだけ――アイアンクラッドは努めて無感情であろうとした。皮肉にも、人形になることには慣れきっている。
せいぜい血の味に舌鼓しているがいい。アイアンクラッドは己の血肉を餌に、彼らの油断を誘うことを決めた。
「マレブランケ様に……我らの力にひれ伏した者は皆、泣いて命を懇願したというのに……戦士よ、お前は面白い」
「ああ、こいつ本当に美味い……もっと!もっとお前の血を寄越せ!」
「隊長!俺たちにもください!」
「私も!私が一番にこいつを泣かせてやるわ!」
「久しぶりの拷問だぞ!俺も痛めつけさせてくれ!」
「……そうだな。だが命令通り、殺すな」
ようやく下りた許可に騎士たちはアイアンクラッドへ虫のように
当然、先に根を上げたのは騎士たちだった。この男は何かが違う。苦痛が通用しない驚異――しかし振り付けた鞭によって蛇のような痣をいくつも筋に浮かびあげ、汗の蒸気を纏い、乱れた呼吸を繰り返す血に濡れた男は、目が眩むほど妖艶な存在だった。
騎士たちは苦痛を与えて弄ぶ目的を忘れ、劣情を寄せ始めていた。この男を必ず陥落させ、声を、血肉を己がモノにする――。
痛みを供給する手が止まり、揺れ動いていた手枷が止まると、アイアンクラッドは兜の内側で彼らの次の一手を見定めていた。傷口は塞がらないものの、燃える血の力は完全に失われたわけではなく、少なくとも止血は済んでいた。奴らは、我を忘れて必ず隙を見せる。次に、アイアンクラッドは頭上の手に刺さったままの短剣を見つめる。どうにか抜き取って武器にし、手枷のもっと上を掴んで振り子のように動けば、連中を蹴散らせる。誰かが持っている処刑場の鍵を見つければ、脱出は可能だろう。
「……やはり、勇敢な戦士に苦痛は無用ということか」
再び隊長がアイアンクラッドの真正面に進んでくる。双眸は大きく見開かれ、ギラギラと欲望を孕んだ光を宿している。隊長は舌なめずりしながら兜から溢れている銀髪を掴むと、無理矢理引き寄せてアイアンクラッドの唇に噛みつき、舌をねじこんだ。反射的に舌を引っ込めようとするも、狭い咥内では逃げ場がなく、男の歯がアイアンクラッドの舌を挟む。
「……ッ……!?」
「気に入ったぞ……ここで飼ってやる。我々への奉仕のやり方をしっかり教えてやろう」
切れた口から血を流すアイアンクラッドがこれまでと違う動揺を垣間見せたことで、騎士たちは色めく。互いに下品な笑みを浮かべ、無言で総意がまとまると、配下たちは恋人にするようにアイアンクラッドの身体へ腕を回したり、気色ばんだ顔を寄せてじりじり距離を詰めてきた。
アイアンクラッドは表情を崩さぬよう唇を噛んだが、彼らが別の方角へ舵を切ったことは察していた。彼らが自分を慰み者にして辱めることで屈服させようとしていることを。
「それがいいわ!ねぇ、私たちを満足させて?」
「ああ、いいねぇ、上物を犯せるなんていつぶりだ?」
「そうと決まったら、さっさとお前の悲鳴を聞かせてくれ!ああ、待ちきれないぜ!」
背後の男が己の腰当てを慌ただしく脱ぎ捨てると、アイアンクラッドの下衣をずり下げ、恍惚に浸りながら尻を撫で回した。引き締まった尻肉を乱暴に揉みながら、手探りでアイアンクラッドの
「………!」
「腹の奥まで可愛いがってやるからな」
男が紅潮した顔を寄せ、耳朶に湿り気を含んだ息を吹きかけてくる。不快極まりない欲望を刻む音と汚水じみた醜悪な臭いが漂い、アイアンクラッドは歯を食いしばる。降りかかった血で濡れた銀髪に顔を埋め、汗の臭いをたっぷり肺へ満たすと、男はアイアンクラッドの奥へと股間の隆起を激しく抜き挿した。
女騎士がしゃがみこみ、アイアンクラッドの男を見るとうっとりとした顔を浮かべ、花の香りでも嗅ぐように久方ぶりの雄の匂いに酔いしれた。女はアイアンクラッドの根元を手で
「……っは……」
アイアンクラッドが熱を帯びた吐息を零すと、男は興奮し律動を速めた。何十人もの断末魔を聞いた壁にまで、肉同士がぶつかる断続的な音が反響する。燃える血によって常に火照りを宿し、無限の闘いで鍛え上げられた身体は、肉をかきむしるように甘美な締め付けをもたらし、予想だにしない悦びが騎士の全身に走る。
「ああ……たまんねぇ……お前の中はいいなァ……」
顔をすっかり弛緩させた男が発情した犬のように腰を穿つ中、しゃがみこんでいた女はアイアンクラッドの男を一気に飲みこんだ。根元から筋、睾丸まで唇と舌を滑らせ、手指も使ってアイアンクラッドを執拗に責める。
「……ぅ……く……ッ」
前後から襲い来る刺激に堪えきれず、アイアンクラッドが初めて下肢を震わせる。耐え抜くために、アイアンクラッドは腕に顔を押し付けて噛み、声を殺そうとする。
「ああ、とっても大きくて、信じられないぐらいあったかい……ねぇ、あなたも気持ちいいでしょう?せめて腰を動かしてよ……」
ようやく兆しが見え、女は頬張っていたアイアンクラッドの男を解放し、自分の唾液で濡れた先端にそっと口づけた。
「私たちがこうして喜ばせてあげるなんて、光栄なことなのよ?そんなに声を抑えないで、一言でいいの……私たちに乞うのよ」
女はアイアンクラッドの首に腕を回して抱き着くと、その場で足を浮かせてアイアンクラッドの腰へ蜘蛛のように絡みつく。己の会陰で一度アイアンクラッドの肉を擦って欲情を促し、自分の花びらを広げた女はアイアンクラッドの男を胎内に収めて包み込み、快楽の淵へと
アイアンクラッドが苦悶に身体を引き
アイアンクラッドの身体に起こる波は、執拗に責め立て続ける背後の男にまで伝わっていった。肉の杭はもう破裂しかけており、男は堪えきれない陶酔に涎を垂らす。
「ああ、そろそろイきそうだ……なぁ、俺の一発をちゃんと受け止めてくれよ?」
「……ッ……ぐ……」
「もっと声を出していいんだぞ?我慢する必要がどこにある?」
「おい、お前早くしろ!次は俺だ!俺のでかいの一発ぶちこんで、そいつをヒィヒィ言わせてやる!」
「チッ……ああ、でもすぐに勃ちそうだ……ひぁはあぁッ!」
背後の男が雄たけびじみた声を上げながら腰を激しく奮い、やがて多量の欲望をアイアンクラッドの腹の中へ絞り出す。己の放った精を満遍なく腹の内へ擦りつけながら、男はアイアンクラッドの髪を引っ掴んで声を殺そうと食らいついていた腕から剥がした。無理矢理後ろへ向けさせると、粘着質な舌を無理矢理口腔へねじ込む。
「んッ……ふ……!」
「またすぐに構ってやるから、待ってろよ?なぁ?」
ようやく後ろの男が体内から抜けて離れたかと思えば、鎧を脱いだ別の男が小走りに近づいてアイアンクラッドの腰を撫でる。血と汗に濡れた彫像のごとき身体は騎士の扇情を煽るだけだった。ひひ、と下品な声を上げながら、男は排泄物が中に残って汚れていることも意に介さず、己のどす黒い肉棒を打ち込んだ。
「……くッ……!」
「ああ、本当、あなたに擦り付けられるとすっごく気持ちいいぃ……私があなたの全部を搾り取ってあげる……」
目の前で淫らに腰を動かしていた女がとろけた声を上げながら、首に回していた腕をさらにきつく絞めてアイアンクラッドの唇に顔を寄せる。唇を重ねて舌を入れるが、逃げ回るアイアンクラッドの舌を吸い上げて口内に残る血の味を味わった。
終わりの見えぬ乱交の中で未だ突破口を得られず、騎士たちの餌食になるしかない状況でも、快楽の坩堝へ堕ちずにアイアンクラッドの精神はまだ瓦解を免れていた。
「いや、こいつの中は女よりいいかもなぁ」
「なぁ、お前、声を出せと言っているだろう?まさかこれでも足りないっていうのか?」
「……ッ……ぅ……」
「なんだかこうやってぐっちゃぐちゃにされるのに慣れてるって感じだな……誰に教えられたんだ?ん?」
アイアンクラッドの腰を押さえつける男が抽挿を繰りながら耳元に顔を寄せる。そのときアイアンクラッドは明らかに顔を背け、舌打ちをした。
「ん?どうした?」
「ああ……そうかそうか……仲間とこうしてお楽しみしてたのがバレたくなかったのか?」
「何を今更……遠慮する必要ないぞ?俺たちこそがお前の仲間なんだからな……」
仲間という単語を口にするたび、アイアンクラッドが不快や苛立ちを露わにする。この男を狂わせることができる手がかりだ――ようやく男を陥落させる糸口を見出し、騎士たちは仲間という言葉を巧みに利用し始めた。少しずつ揺らぎを見せるアイアンクラッドの精を、正気を丸ごと搾りつくそうと、騎士は肉を襞で擦り付けて窒息させ、あるいは射精し、代わる代わる欲の塊を排泄した。彼らが頭蓋の奥までも快感に犯して塗りつぶそうとしてくるが、アイアンクラッドは意識を手放さないよう抗った。痛みがないわけでも、快楽を全く感じていないわけでもない。
――決して、断じて認めたくなどないが、アイアンクラッドは己の全てを完膚なきまで穢しつくされる地獄を味わったことがある。彼らの稚拙な暴力は、地獄に比べれば子供騙しの範疇なのだ。
そもそも自らの快楽のみを追求した行為は自慰と大差ない――自分はただ、騎士の催しをただ見ている観客なのだと言い聞かせ、アイアンクラッドは襲い来る堕落の気配と戦うことに集中した。
「マレブランケ様は本当に寛大なお方だ。祝福を与えてくださった上に、こんな上物にありつけるとは……」
離れて配下たちの催事を眺めていた隊長が、アイアンクラッドに近づいてくる。隊長の指先には、先ほどミニオンたちが宝物庫でくすねてきた鈍い輝きを放つイヤリングが挟まれている。
「ここまで耐え忍んだ存在は初めてだ……ますます興味深い。だが、これを身に着ければ……」
言葉を切り、にやつく隊長はくすんだ輝きをアイアンクラッドへ近づけた。首を振って抵抗するアイアンクラッドの頭を、後ろの男が押さえつける。
「知っているか?これは囁きのイヤリングと呼ばれている……あの方が我々のために作った、強力なレリックだ」
――マレブランケが……作った?
疑問に惑う間、隊長がアイアンクラッドの髪をかき分け、左右の耳にイヤリングを装着する。
――さぁ……戦士よ、快楽に溺れて、声を上げるがいい。
隊長が笑みを浮かべながらアイアンクラッドの耳の輪郭を指でなぞると、鼓膜ではなく、頭蓋の中へ声が響き渡る。アイアンクラッドの脳を支配し、いよいよ跪いて哀願する様を想像しながら、隊長はさらに続けた。
――お前は今から足を広げて、我々を受け入れるのだ。
命令を囁き、隊長は部下を退けてアイアンクラッドの前へ進んだ。男がよがり狂う様を妄想し、隊長は興奮に呼吸を荒げながらアイアンクラッドの腰を両手で抱いた。しかし、アイアンクラッドは腰を引いて隊長の手を逃れる。隊長の顔から笑みが消え、愕然とする。
「……何故だ……戦士よ……何故お前は従わない……?」
内心でアイアンクラッドは騎士たちを
――悪魔。もはや忘れていた。ここへたどり着くまでに、ついぞ気配を感じることはなかった聖なる悪魔は、どこへ消えたのだろう?
嬲られ続け、心身の体力を削られている最中も、そんなことを考える余裕がまだアイアンクラッドには残されていた。
「なんだ、こいつ……呪術に耐性があるのか?」
「嫌よ。ねぇ、あなた、さっさとわたしたちに泣き叫んで縋り付きなさいよ……わたしをご主人様と認めなさい!気持ちいいことをもっとしてあげるわよ?」
「そうだ……お前の声を早く聞かせろ!」
「よがり狂って構わんのだぞ?」
騎士たちの羨望と肉欲を再びぶつけられながら、アイアンクラッドは歯を食いしばって堪える。連中が完全に目的を失念している今なら――手に刺さっている短剣をどうにか抜き取ろうと、アイアンクラッドは首を動かして頭上を見た。
ふと、己を吊り下げる鎖の先、頭上の灯りに蝙蝠がとまっていることに気づく。葡萄酒のような色の毛並みは橋を転落し、最初に休憩した洞を発ってからずっとついてきた蝙蝠に間違いない。蝋燭と蠟燭を結ぶ真鍮の円環にぶら下がらず、鳥のように羽を休めている姿にも、アイアンクラッドは裏付けを得た。
――また、あの蝙蝠……いつの間に……どうやってここへ……。
照明に刺さる蝋燭の炎が、揺らめきながら蝙蝠のシルエットを壁に投影している。映し出されている影は蝙蝠の身体には不釣り合いなほど巨大で、アイアンクラッドは不審を抱き、影を注視した。不自然な大きさ、何より耳に当たる部分の影は、鋭利で巨大な角が生えているように思える。
――まさか……。
終わらぬ暴力と欲望に揺れ動く中、アイアンクラッドはようやく気づいた。見下ろす蝙蝠が蝋燭の火を反射して、目を光らせていることに――そう、光っている。
「……っ……ぐぁ……ッ!」
突如、股間のすぐ上に灼熱を覚えて、アイアンクラッドは呻く。皮膚の焼ける臭いが鼻をつき、見下ろせば、隊長が赤く燃える鋼の
「我々の戦士として、奴隷として、慰み者として……永劫に勤しむがいい」
騎士たちが下卑た高笑いを響かせたとき、頭上の蝙蝠がふわりと滑空した。近づいてきた蝙蝠が一度大きく羽を広げ、騎士たちの頭上で翼をはためかせる。
刹那、天変地異のごとき炎の旋風が処刑場を
数秒か、数分か――嵐が止み、赤い世界は緩かに単調な暗がりを取り戻す。アイアンクラッドは降り注ぐ灰の熱を肌に感じながら、焼け落ちた部屋の隅々を見回した。
――消えた?
騎士は勿論、蝙蝠の姿もどこにもない。
熱波によって手枷は黒い炭へ成れ果てている。アイアンクラッドは腕に力をこめて手枷を下に引っ張った。体重をかけただけで鎖は簡単に朽ちて、アイアンクラッドは灼熱の残る床へ倒れこむ。手に刺さったままの短剣は柄に埋め込まれていた石にヒビが入り、力を失ったようだった。抜いて放り投げると、打ち捨てられていた自分の鎧に当たった。耳につけられた紛い物のイヤリングも投げ捨てる。素肌を焼く熱から身を守ろうと、汚れて乱れたままになっていた服を纏い、疼痛と痺れを伴う身体をどうにか仰向けにした。
燃え尽きた世界の中で、蝋燭の弱い灯火をまだ残すシャンデリアを見つめながら、息を整える。短剣に秘められていた、白い石のまじないじみた力がまだ効いているらしく、燃える血の巡りが遅い。切らしていた息が元に戻ると、浮かび上がっていた痣や傷がようやく薄まっていった。
――早く……仲間の、元へ……行かなければ……。
起き上がろうとした瞬間、巨大な影が己の身体へ降りかかる。アイアンクラッドは降ってきた岩の如き強烈な重みによって床に押さえつけられた。
「お楽しみのところお邪魔してしまったようですね」
――その声、やはり……。
アイアンクラッドは灯りを遮る影を見上げた。身体に圧し掛かってきたのは――予想通り、蝙蝠から姿を変えた大悪魔ヴァクー。
「……悪魔、め……何故……ッ!?」
アイアンクラッドよりも一回り大きい程度の身体に変貌した悪魔が、見慣れた金の瞳で己を見下ろしてくる。だが、何故だ。栄光の路を住処にしているはずの聖なる悪魔が、何故ここにいる――?
「頼まれたとはいえ、私とて、このような下層に赴くのは嫌でしたよ。ですが予期せず傀儡の貴方と、あの異星の王が生んだミニオンが働いてくれましたからね」
思考を容易く見抜き、底知れぬ笑みを浮かべる悪魔は、翼を微かに広げると長い爪を生やした手でアイアンクラッドの顎を掴んだ。
――俺が、既に悪魔のために、働いた……?
「ええ。結界を壊したでしょう?」
結界、という言葉に思い当たる節がなく、アイアンクラッドはこれまでの旅路を急いで振り返る。リージェントのミニオンに言及している以上、橋を転落してからの出来事には違いない。この城へたどり着くまでにやったことといえば、目の前に現れる魔物や騎士を片っ端から斬り捨て、時折見つけた不思議な石をミニオンが壊したり……。
――そうだ。あの、ミニオンだけが触れることができた白い石……あれが、結界?
視線で問い詰めるも、ヴァクーは答えない。ただ笑いながら指を動かして、アイアンクラッドの顎を輪郭に沿ってなぞる。
「にしても、随分寂しかったようですねぇ。あのような小物と戯れる間も、私を探すとは」
「黙れ……ッ!」
「正直に言えばよかったのでは?小物相手に昂ることができないと……あのような稚拙な行為では満足できなかったのでしょう?」
アイアンクラッドは睨みつけた。否、睨みつけるのが限界だった。顔を押さえつける悪魔の指先が、アイアンクラッドの抵抗する力を根こそぎ奪っていくのだ。圧し掛かる悪魔をどうにか払いのけようと全身に力を入れるが、身体のどこかに穴が空いたように力が抜け落ちるばかりで、アイアンクラッドは唸った。
だが――その気になれば悪魔は簡単にこの身体を乗っ取れるはずだ。まじないでも囁きのイヤリングでも、己の意思を奪う手段は数多くあるはず……アイアンクラッドは、これが今のヴァクーが己に干渉できる限界なのではないかと踏んでいた。そうでなければ、蝙蝠という脆弱な仮初めの姿を借りてまでスパイアの下層をうろつくようなことは絶対にしない。先ほど口にしていた結界とやらが、恐らくヴァクーに悪影響を及ぼし、自分の意識を完全に奪い、操る力を行使できないのだと推測する。
「ご名答です。なら、貴方がするべきことは分かっていますね?」
「……ならば、さっさと……
「いいえ、貴方はやはり分かっていない」
「マレブランケとやらが邪魔なんだろうッ!?俺が殺す……肉片になるまで斬り刻んでやるッ!」
「私がわざわざここに来た理由は、あのような出来損ないを相手にするためではありません」
ヴァクーは一蹴し、アイアンクラッドを組み敷くように体重をかける。悪魔の膝が槌を振り下ろしたように深くめり込み、アイアンクラッドは呻き声を上げた。
「……ぐッ……!何、だとッ……?」
悪魔はアイアンクラッドを逃さぬよう、顎を握る手に力をこめながら顔を寄せる。
「問いを変えましょう。貴方が護るべきものは何ですか?」
予想だにしていない質問、アイアンクラッドは咄嗟に口を噤んだ。思考も読み取られないよう、心を無にしようと徹した。悪魔が、何を喋らせたいのか分かっている。だからアイアンクラッドは――返答を拒んだ。
「無論、私との契約です――貴方のいう仲間などではありません」
ひた隠しする本音を簡単に暴くと、ヴァクーの顔から笑みが消えた。金の瞳が禍々しく冷徹な光を宿す。
「貴方は私との契約で魂を差し出した……私の命令に従うのが最優先事項です。何度も命じましたよね?早く塔を登ってアーキテクトを殺せ、と……何故今更、他者のために剣を振るい、魂を私でなく、他の者に譲ろうとするような真似を?話が違うではありませんか」
ヴァクーは顔を掴む手と反対の腕をアイアンクラッドの胸に伸ばし、長く鋭い爪でトン、トンと小さく叩き、追及してくる。アイアンクラッドは唇を噛みしめ、悪魔にとっての正解を答えようと――正解の裏側で捨てきれぬ根底を隠そうと目を伏せ、必死にあがいた。
けれども瞳の裏側で、己の作る料理をいつも飽きずに目を輝かせて笑うリージェントが、舌を巻くような知識と力を持って支えてくれるネクロバインダーが、戦で発生する傷をいつも優しく撫でるディフェクトが、常に背を預けられて、己のために林檎を分け合おうと隣に座ったサイレントが――仲間たちの姿が鮮明に蘇る。
「ほう。仲間が待っている、ですか……クク、分かっているはずですよ。一族が滅んだ以上、貴方に帰る場所などない。貴方の言う仲間は、決して新たな故郷にはなりません」
含み笑いを浮かべるヴァクーを、アイアンクラッドは睨みつけるしかできない。
悪魔の
「貴方の肉体、魂は勿論、流れる血の一滴まで、全て私のもの――何度言えば分かるのです?貴方の主は私だと」
悪魔は、血、という単語を殊更強調した。何を意味しているのかは、アイアンクラッドには分かっている。サイレントの病を抑えるために燃える血を与えていることを、悪魔は己の
「そう。貴方のそういうところです。望む者に施しを与えて、身を削って他者の盾になる……罪滅ぼしのつもりですか?」
ヴァクーの四つの瞳から鋭い刃を髣髴とさせる視線が放たれ、アイアンクラッドを圧倒する。
悪魔には、男が兜の内側に秘めている瞳をあからさまに逸らしたことが分かっていた。
「全く……契約に背くとは、いけませんねぇ……出来損ないのせいで、貴方を野放しにしてしまったのがいけなかったようだ。それに、仮初めの姿で探し物をするのも疲れました」
悪魔がこれ見よがしに咎め、お手上げだと言いたげな不満を露わにする。
ヴァクーがこのような態度を見せるときは、必ず己の喉から引っ張り出そうと誘導しているのを知っている。傀儡が傀儡であるための言葉を――。
再び歯を見せるようになった悪魔が、アイアンクラッドの顎を親指と人差し指で挟んで持ち上げた。
「何が貴方を
口にしてはならない。口にしたら終わりだと、アイアンクラッドは知っている。答えてはいけない。問いに答えた瞬間――斬るべき相手が、すり替わってしまうから。
圧し掛かるヴァクーの重みが、身体を押しつぶさんばかりに徐々に増大していくのをアイアンクラッドは感じ取っていた。歯を食いしばって堪える。痛みに、苦しみには耐えられるが、返答を強要する金の瞳が今か今かと禍々しい視線を散布するたび、汗が噴き出て止まらない。
アイアンクラッドは幾度も逡巡に揺れる。
だが――心の内で天秤をかけると、アイアンクラッドはついに拳を握りしめ、悪魔を確かに見据えた。
「……傀儡失格だと言うなら、罰は引き受けてやる」
アイアンクラッドは、悪魔が己の
ヴァクーが手の甲を口元に当て、小気味よい笑い声を響かせる。
「ほう。答えればすぐ終わるのに、罰をお望みとは……貴方も物好きだ。いいでしょう」
悪魔が笑みを弾ませながら、金の瞳を色めかせた。
これから己の身に起こることは、既知のこと――だが、二度と味わいたくないことだった。悪魔の望みを口にした己の浅はかさに、アイアンクラッドは胸の内で自分を罵倒した。後悔に苛まれて早まり続ける呼気を間近で聞こうと、悪魔が顔を寄せてくる。
「折角ですし、貴方にもう一度教えてあげますよ」
――貴方が私のものだということを。
継がれた悪魔の宣告に、アイアンクラッドは知らず総毛だつ。
「このぐらいのことは、結界の内にいても容易いですから」
ヴァクーが口元を歪めて嗤う。仮面の内側で瞬きする間に、悪魔の生み出した黒より深い闇がアイアンクラッドの全身を包んでいた。気づいたときには背中に感じていた地熱が、己を扁平に作り替えようとするような山の如き重みまでも消え、代わりに背後から胸へ、足へ、腕へ、腰へ、全身の到るところへまとわりつく気配があった。
闇の抱擁――色、音、熱、世界が消えて断絶すると、
「……ク、ソ……ッ!悪……魔、め……ッ!」
己が
「元気で何よりです。やはり貴方はこうでないと」
闇に潜むヴァクーが、パチン、と指を鳴らす。突如アイアンクラッドの肉体を二つに引き裂くような熱源が服を透過し、腹を貫いた。
「ふ、ぐッ……!!」
腸までめり込んでくる衝撃、視界に白い火花が走り、アイアンクラッドは引き攣れを起こした。アイアンクラッドの抵抗が途絶えたのを好機と察知した暗黒の腕が、鎖や縄を模して変貌すると、力の抜けた両腕に絡みついて一気に縛りあげる。そのまま悪魔の無言の命に従って、アイアンクラッドの両腕を引っ張り上げて宙吊りにした。
「先ほどの連中とはつまらぬ戯れだったのでしょう?気を取り直して一緒に楽しもうではありませんか」
くすくすと悪魔の嗤う声が聞こえた。唇を噛んで声を抑えようとするが、闇の手がアイアンクラッドの口を上下に掴んで無理矢理こじ開ける。別の闇が開いた口の中へ滑り込むと不可視の
「とはいえ、まずは身綺麗にしていただかないと。私は手垢のついたものは嫌いなので」
無数にある闇の手が一つ二つと順番に溶けて形を失うと、アイアンクラッドの身体をゆっくりなぞりながら服の内へ入り込む。いくつかの手だったものは双丘を伝って谷間へ入ると、環を通り抜けて太く重い
「んんッ、ぅあ、ふッ……ああッ!!」
もたらされる摩擦に堪える
洗浄に勤しむのを模倣して他の闇も、アイアンクラッドの服をめくり上げ、あるいは戻した下衣を膝まで下ろし、湿った手で汚れを拭き取るように胸や鼠径部、あらゆる筋をまさぐる。闇が肌の上を蠕動するごとにアイアンクラッドの全身にぞくぞくとした悪寒が走り、身震いが止まらない。
さらに闇は轡の内側にも入り込み、歯を一つずつ
「ぐッ……!んぐぅっ、ふッ、む、ぅうッ……!」
塞ぐことの出来ない口から垂れていく涎を、ぴちゃ、と音を立てて舐める気配があった。暗黒の世界で
「ん、んぅ、はっ、あ、あぅ、う……ッ」
ぬめった手で揉みほぐし続ける闇の感触に感応し、アイアンクラッドの全身に火照りが宿り始める。
嫌だ、嫌だ、嫌だ――否応なく高められ、内心打ち震えながらも、熱ぼったい鼻息を繰り返して酸素を補填しようともがく。すると、何かに当たって息が跳ね返るような気配を感じた。
漆黒の中に浮かび上がる、金に煌めく四つの瞳。夜に浮かぶ月のように、自分を見つめている。
「罰が欲しいと言ったのは貴方ですよ?嫌悪する必要がどこにあるのですか?」
月が僅かに動き、悪魔の声が耳朶を撫でる。アイアンクラッドは必死に首を振ろうとした。闇に阻まれて動くことは叶わず、ただ暗黒の清掃時間が延長されるだけだった。
「以前にも罰が欲しいと言ったとき、私が手取り足取り教えたはずですが……忘れてしまいましたか?」
「う、ふっ、んんッ、ああッ、は、はぁ、あぐッ……!」
「そういえば人間は忘却する生き物でした。クク、だから貴方は定期的に罰を欲しがるのですね」
自分勝手な解釈を進めるヴァクーが笑うと、呼応して闇の手がアイアンクラッドの下腹部を粘着質な指先でさすり、雄を包み込んだ。漆黒が媚肉を包容し、雄を持ち上げたり揉みこむのを執拗に繰り返す。裏筋までいくつもの暗黒によって
アイアンクラッドの体内から、雄から、ぐちゅぐちゅと卑猥な水音が奏でられるのを聴きながら、ヴァクーは小さく溜息をつく。
「しかし、しぶとい汚れだ。なかなか落ちませんね。貴方は何故小物たちに泥を塗られても好きにさせていたのですか?」
「んぅ、ふ、ぅ、ぁ、あぅ、うう……ッ」
「燃える血では痕跡を燃やし尽くせませんよ。それとも私がいるのが分かったから、罰を申し出れば洗う手間が省けると思ったのですか?闇の力を行使しても後始末は面倒なんですよ?」
――違う。違う。俺が何を思って身を差し出していたのか、ありありと分かっているくせに。
だが漆黒に支配された世界にアイアンクラッドの言葉が生み出される余地はなく、反論は叶わない。
精彩を放つアイアンクラッドの男が、うだるような黒き抱擁に喘いで鈴口からとろとろと蜜を零す。暗闇の中で男を見下ろしながら、悪魔は襟巻の下に手を入れた。
アイアンクラッドの耳が金属の擦れあう音を捉えた。音の在処を探して唯一自由の残された瞳を彷徨わせる。眼前にいる悪魔が下を見つめていることに気づき、視線の先を見た。ヴァクーの金の瞳の輝きを反射し、僅かに数字の刻まれた盤面が見える。悪魔の掌中にあるのは懐中時計の
「まぁいいでしょう。この世界において時の流れは私の意思一つで自由に変えられます。時間は無限に引き延ばされる……ご存じですよね?」
ぱたりと懐中時計の蓋が閉まり、襟巻の中に戻すと、胡乱を宿した四つの月が己を覗いてくる。すなわち永劫に等しい地獄が、まだ幕を開けたばかりだという宣告だった。
「性急にならずとも貴方の欲しがる罰はたっぷりありますから、ご安心を」
「ふ、ぅう、んぅ、はっ、あっ、ああ、あッ……」
頭を振ろうとするが、比類なき暗黒の前には無力で無意味であり、ただアイアンクラッドは闇が無尽蔵にもたらす歓楽に呻いて唾液を零し続けた。
体内を縦横無尽に撫で回す刷毛を補助しようとするように、別の闇が尻を抑えて広げようとする。さらに不可視の手が体内へ侵入し、入口を広げようと別の闇を束ね合いながら、力を加えてきた。環が
濡れた漆黒の指先がアイアンクラッドの肉に快楽を助長するまじないを塗り付け、内側に、皮膚の上にも広げていく。じゅぷ、という大きな水音が己の体内から零れた。暗黒が蠢くごとに、アイアンクラッドは翻弄され、がくがくと身悶えを放つ。
常軌を逸した暗闇に患っていると、淡々と清掃作業を続けていた暗黒が不純物を寸分残さず擦り出し、闇の外へ掃き出す。どこかで排泄物がぼたりと
「身綺麗になったら、ちゃんと貴方が欲しがる罰でたっぷりもてなしてあげますよ」
埃が付着しているのを確かめるような手つきで、悪魔の爪の先端がアイアンクラッドの胸をなぞって名残惜しげに離れる。ぞわりと震え、闇が体内を掘削する勢いが増していく。真っ当な呼吸が困難になっていき、アイアンクラッドの腹は秩序を失って波打った。
どこまで侵入できるのか試すように闇の塊が上からも下からも体内に詰め込まれていき、アイアンクラッドの裡を責め立てた。縛り上げられた身体では襲い来るうねりを逃がせず、アイアンクラッドは呼吸を激しく乱しながら眩暈に揺れた。
怒張が雫を流しながら張りつめ、闇が一滴も零さぬよう無数の指先で包みこみ、執拗に擦り続ける。堪えようのない疼きと痺れが全身にこみ上げ、アイアンクラッドの身体中に稲妻を撃たれたような閃光が走り抜けた。
「んん、ぁがッ、はっ、あぅッ、あぐッ、ああッ!」
悲鳴と共に白濁を放ち、アイアンクラッドは拘束の中で弓なりに仰け反った。
汗と雄の臭いが闇の世界に立ち込める中、放たれた精を残さず闇が掬い上げて、悪魔に献上するのを、アイアンクラッドは希薄な意識の中で捉える。不純物が残っていないか確かめるように、悪魔は従者が差し出した白濁に爪を浸した。掬い取って舐めると、悪魔の唇が弧を描き、闇の中でも確かに白い牙が覗く。
「ああ、そうだ。忘れるところでした」
息つく暇もなく、何かに気づいた金の瞳がアイアンクラッドの眼前に迫る。
「これは変えないといけませんね」
悪魔の爪が下腹部をなぞり、ぴくりと震えた。
変える?何を、何に――アイアンクラッドは、狼狽しながら金の瞳の行き先を追いかける。
「んぅ、は、ぁう、んぐ……ッ!?」
悪魔の目論見が読めず、アイアンクラッドは錯乱へ陥る。混乱する間に首筋や腕、腹、足も手も爪先まで暗い皮膜のようなものがまとわりついてくる。こじ開けられたままの口から、悪魔のために開拓した体内の中へも再び闇が無数に入り込んできた。暗黒は先ほどまでの湿った感触を失って乾いており、血の中にも侵入して隙間なくアイアンクラッドの裡を埋め尽くす。
「ご安心ください。書き換えるだけですよ――私の
焼印に触れるヴァクーの
「んぅ、ふ、ぐッ、んむ、ううッ!」
止めろ。止めろ。止めろ――身に降りかかる災厄を予期したとき、アイアンクラッドはありったけの力で拘束を逃れようと足掻いた。暗黒の枷の前に暴れることは到底敵わなかったのは言うまでもなく、がたがたと身体を震わせることしか出来なかった。
ヴァクーが紋様の浮かぶ掌を、アイアンクラッドの肌に残る焼印の上から押さえつけ、マグマの如き灼熱で名義を訂正する。一瞬遅れて、
「あ、あぐ、ぐぁ、あ、ああ、ああああッ!!」
ぶちぶちと神経や血管の千切れる音がアイアンクラッドの内側で鳴り響き、無様に叫び散らす。喚いても喚いても暗黒の手が休まるはずもなく、もはや捺印できる隙間も残らないほどアイアンクラッドの全てを悪魔の印で惨たらしく覆い尽くした。 実際に闇がもたらしたのは悪魔の瞳にしか視えぬ不可視の署名であり、焼け爛れたのはヴァクー自らが押し付けた焼印だけだが、アイアンクラッドの意識は既に炎獄に壊れて認知できない。
王たる悪魔が汚染と認定する
「……ぁ……」
もはや悪魔の名前を刻み終えて裡から闇の手が不在になっても、アイアンクラッドには感知することができなかった。ただ病的な痙攣と息を繰り返し、暗黒の中で枯れ葉のように揺れる。
このまま意識が途切れてしまえば、どんなに良かっただろう。だが忘失の最中においても、アイアンクラッドは本能で理解していた。この身に流れる燃える血は、あらゆる痛みを、傷を癒す。既に、過度に叫んで痛んだ喉が、じわじわと微熱を孕んだかと思うと、声帯を元通りに癒して損傷をなかったことにした。
悪魔が授けたこの血が、倒れるのを許さない。血が巡る限り、意識の喪失も、眠りに落ちることも許されない――。
「人間の感知する痛みと快楽は酷似しているそうですが……どうです?望むなら、もう少し記載してもいいですよ?」
手放すことのできない意識の中で、ぼんやりと悪魔の声を聞いていた。悪魔は上書きした自分の焼印の輪郭をなぞり上げてアイアンクラッドに尋ねるが、無論、アイアンクラッドに答える余力などない。吐き出す唾液も声も枯れる中で、身体だけが悪魔の指先に反応して引き攣り、震える。
「どうしました?しおらしくするなど貴方らしくない」
ヴァクーが尋ねてくるが、アイアンクラッドの意識は永く
「ああ、渇きを覚えて喋れませんか」
肌を撫でつけていた指を止めると、悪魔は爪の先端をアイアンクラッドの顎に乗せて持ち上げる。食い込む爪の痛みで、ようやくアイアンクラッドはヴァクーが自分に話しかけていることを把握した。燃える血が朦朧としていた意識を癒して視界の焦点を結ぶが、当惑を隠せない。
――悪魔は、今、何と言った?答えなければ、正気を再び削り取られてしまう……。
「答えなくても結構ですよ。貴方の望みは分かっていますから」
翼のはためく音が聞こえた。金の瞳が上昇して離れていくのを、アイアンクラッドは強張った眼で追いかける。頭上の悪魔が両手で兜を挟み、アイアンクラッドの頭を押さえつけると、暗黒も連動して男の肉体をきつく締め付けた。
悪魔の腕は万力のように頭を固定し、瞳を逸らすことは叶わない。ヴァクーの次の一手を見当しようにも焼き切れた神経は働かず、アイアンクラッドはただ金の瞳の前に竦み、肩で息を繰り返した。
「腹が減っては戦ができぬと言いますし……ね」
念を押すように金の瞳が光を放つと、無防備なアイアンクラッドの咥内に悪魔の肉芯が一気に押し込まれる。
「んんッ、ふ、ぅッ!」
喉まで根深い熱を帯びた芯に抉られ、アイアンクラッドは窒息しかけた。呼吸を塞がれ、
悪魔が金の瞳を細めながら腰を振るい、口内を激しく蹂躙する。
「んんッ、んむ、ぅ、んぐ、ふッ、んぅッ!」
喉を突かれるたび、悪魔の分泌液がぐちゅぐちゅと音を立てて己の唾液に混じり、アイアンクラッドは度数の高い酒を煽ったような酩酊に襲われた。
飲み下してはならない――擦り切れた本能が弱々しく告げている。実際それは正しかったが、砂糖を煮詰めたような悪魔の甘ったるい迸りは喉や舌、粘膜にへばりつき、嚥下しなければ延々と堆積を続けて口から零れていく。僅かでも零せば、悪魔によって呼吸も、思考も、あらゆる四肢が劫略されるのだとも悟っていた。
「潤いが欲しいのでしょう?どうぞ」
兜を易々と片手で押さえつけながら、悪魔が口淫を唆す。アイアンクラッドは余儀なく口唇で悪魔を咥え、窮屈な舌を動かした。一度、口内に残る悪魔の分泌液を飲み込む。口内を侵食する温い体液には昂りを興す成分でも混じっているのだろう。嚥下した瞬間から、身体が熱い――。
「ふ、ぐッ、んぅ……ううッ……」
「そう……それでいいんです」
悪魔が笑い声を響かせながら腰を動かし、アイアンクラッドの喉を幾度も殴打する。アイアンクラッドは無我夢中で絵筆のように舌を走らせ、あるいは表面を傷つけない程度に歯を滑らせ、口内の凹凸を使って悪魔を
「よっぽど乾きに飢えているようですね……満たしたらまた、存分に
海水を飲むと脱水が進み、渇きを覚えてまた海水を飲み、繰り返すという。同じように舌が自分のものでなくなったように飢えて、有害な慈悲へ貪りつき、動かしたくなどないのに舌が悪魔を求めてしまう。
悪魔の望むまま、水音を立てながらしゃぶっていると、ヴァクーはアイアンクラッドの汗に濡れた髪を掴んで手前に引っ張る。
「ちゃんと零さず飲み込むのですよ」
「んむ、う、ぅぐッ、んんんッ……!」
幼子を躾けるような声音と共に、咽頭に悪魔の昂りが押し付けられる。息を断たれて朦朧とする中、淫靡な蜜がごぼりと口内に溢れ、アイアンクラッドの喉奥へ香油のように熱をもたらしながら下っていく。
「んぅう……ッ!!」
注がれる悪魔の不浄な潤いを、アイアンクラッドは言われるまま舌を使って余さず受け止め、ごくりと喉を鳴らしながら享受した。嚥下するごとに全身を屈辱的な火照りが帯び、肌に玉のような汗が浮かぶ。
やがてアイアンクラッドの口内から質量を伴う熱がずるりと抜け出る。口虐から解放され、アイアンクラッドは新鮮な酸素を求めて激しく喘いだ。
「千年前より上手になりましたねぇ。教えた甲斐がありました」
愉快を隠さぬヴァクーは、濡れた肉筒をアイアンクラッドの兜や頬に擦り付け、こびりついて残ったままの体液を縄張りを示すように付着させる。悪魔が押し付けた箇所からは、発情を促すかのように蜂蜜のような甘い香りが漂い、アイアンクラッドを誘惑して離れない。
血の巡りが追い付かず視界がちらつくが、再び金の瞳が眼前に現れたのを認識する。アイアンクラッドは痙攣を繰り返しながら、悪魔の
――俺は……この
「まだ手垢を落としただけですよ?貴方の望みは罰せられること。それともこれまでの愛撫が罰だと思っていたのですか?」
揶揄うようにヴァクーが大きく嗤った。
悪魔の恣意によって、まだ見ぬ断頭台に向かって歩かされているような暗澹が胸中に広がり、アイアンクラッドは瞳を伏せる。
しかし底無しの絶望によって感情の羽目板を外されたことで、奥底で潜伏していた怒りまでもが解き放たれた。沸々と湧き上がる憤りによって闘志が爛々と蘇り、アイアンクラッドは開眼すると闇の轡を食いしばりながら悪魔をきつく睨みつける。
――ふざけるな。罰を与えるというなら、さっさと罰するがいい。
アイアンクラッドは緩んだ闇の拘束を引き千切るようにして両の拳をきつく握りしめた。どくどくと膨れ上がる激情は今にも身体中から破裂しかけている。
引き攣れを繰り返し、暴虐に晒されるまま萎れていたアイアンクラッドが原動力を取り戻して荒れ狂う姿を確認すると、ヴァクーは愉悦を隠さず声を上げて笑った。
「クク、そんなにも私からの罰を心待ちにしていたとは……やはり貴方はそうでないと」
悪魔の戯れに付き合わされれば、常人ならよくて二桁、大半は三桁の心臓を止めて廃人と化す。あるいは、一生で味わいきれぬ快楽を味わった瞬間に自我が崩壊し、奴隷としては何の使い物にならない
この男だけは、契約の代償に
永くアイアンクラッドを見てきたヴァクーにとって、男は手が掛かる分、愛着の湧く、手放すことのできない玩具であった。
故に、橋から落ちた男が、叩きつけられれば即死する激流に飲み込まれる直前、力を注いで生かした。出来損ないお手製の不自由な結界の内へ閉じ込められると分かっていても、この男を見失わないよう追いかけ続けたのだが――口にはせず、悪魔はアイアンクラッドを見据えながら、己の尻尾を器用に動かして男の昂りから会陰、すぐ後ろの窄まりを味見するように撫で回す。
「楽になりたいでしょう?」
「……ッ……」
飲み込ませた体液によって男の身体は
ヴァクーはアイアンクラッドを見つめながら僅かに身を引く。
「知っていますか?人間は嗅覚、匂いが最も記憶と繋がりがあるそうですね」
――それがどうした。
悪魔は笑みを浮かべるだけで答えず、己に焼印を刻んだ手を差し出した。もう一度地獄の署名が全身を周遊するのではないかと、アイアンクラッドは一瞬
ヴァクーが
ヴァクーがもう片方の手を眼前に出すのが見えた。どこからか取り出したのは、白磁の香炉。
悪魔が香炉を己の生み出した炎に乗せる。香炉が温まると、白い煙が漆黒の中を漂った。
「ですので、こちらは今の貴方にぴったりかと」
紫炎を灯すのを止めると、ヴァクーはアイアンクラッドの顔に香炉を近づけた。煙が鼻孔をなぞった途端、アイアンクラッドは瞠目する。
戦いの中で嗅ぎ慣れた血や腐臭、悪臭に分類されるものなら何の感慨も抱かなかっただろう。だが香炉から漂うのは、近くに群生していた白樺や赤松、
「あ、あ……」
見事なまでに再現された追憶に愕然とし、アイアンクラッドは怒りを忘れて
感情が過去の憧憬へ戸惑う間に、辺りに立ち込める煙が何かの形を描いて集っていく。煙は、かつて兄弟のように並んで戦場を駆けた友、己に剣の振るい方を全て指導した先人、兵士を甲斐甲斐しく世話してくれた女たち、一族をまとめ上げる長老――全て、この手で殺めた者たちの幻を描写する。煙の内に鉄仮面の赤い眼差しが宿り、皆、こちらを見つめている――己の罪を咎めるように。
「貴方が殺した一族の魂を回収しておいたんです。会いたかったでしょう?貴方のためにお集まりいただいたんですよ」
香炉だけを闇の中空に残し、悪魔が目の前から消えた。幻影と己を遮蔽するものは消え失せ、アイアンクラッドは浮かび上がる鉄仮面の輝きに蒼白し、眼を逸らすことができない。
音もなく背後に回った悪魔が、アイアンクラッドの首筋へ腕を回して抱きしめる。
「あ、う……ああッ……!」
「覚えていますか?聖地へ足を踏み入れ、私の元へやってきたときのことを」
一族の冷徹な視線に晒される中、耳朶に顔を寄せた悪魔は言葉を続けた。
「辺涯の聖地に封印されて、私は……私を解き放つ者をずっと待ち望んでいました。貴方は禁忌を侵し、己が英雄になることを望み、勝利を約束しろと魂を捧げましたね。そして――私を解き放った。だから契約を許し、貴方に力を授けたのですよ?あの時、聖地へ訪れたのが出来の悪いマレブランケのような者だったら、私は決して契約を結びませんでした」
悪魔は二つに裂けた舌でアイアンクラッドの耳をゆっくり撫で付けながら、まるで愛を囁くように話しかける。
「無論、貴方が契約を結んだ誉れに打ち震えていたことも、私は憶えていますよ。貴方は望み通り、力を手に入れた。ほら、滅んだ一族の皆々様も喜んでいるではありませんか」
悪魔の爪が伸びて、眼前に列する亡き者たちを指し示す。
去来する、アイアンクラッドの骨の髄に刻まれた、この世で最も忘れがたい恐怖。
正面に並ぶ鉄の眼差しに見えるように、悪魔はアイアンクラッドの
――止めろ。止めてくれッ!仲間を、一族を、これ以上辱めるなッ!
己の闇を漁って出鱈目の嘘をまぶし、記憶を穢されることに、アイアンクラッドは耐えきれず懇願していた。
しかし男が壊れていく様は、悪魔にとって魅惑を剥きだしただけにすぎない。
「ですから、皆様に見せてさしあげないと」
刹那、アイアンクラッドの体内に悪魔の肉槌が衝撃を伴ってめり込んだ。
「んぐぅッ!」
「殺し尽くした魂たちに、未だ現世を彷徨い続ける貴方の魂の行方を教えてあげるのは……鎮魂になると思いませんか?」
男の崩壊を開拓するように、悪魔は容赦なく腰を振るって耕していく。ぎちぎちと音を立てながら腸や襞、神経を
悪魔の吐息が首筋にかかっただけで、男は身震いした。ヴァクーは艶然とした笑みを湛えながらアイアンクラッドの首筋に牙を立て、血を啜った。燃える血が、悪魔の牙からもたらされた命により、痛みを全て肉の悦びへと変えていく。
牙を立てた傷口を塞ぐように悪魔がちろちろと舌を滑らせると、許容できない莫大な快感が土石流の如く全身を駆け抜けていき、アイアンクラッドの意識が一気に爛れていく。
「う、ぐっ…!ああッ、はっ、あッ!あう、ふぉ、ああッ、あッ……!」
「折角お集まりいただいたのですから、ちゃんと皆々様に教えないと――貴方が私のものになったことを」
鉄仮面たちが、悪魔の手に堕ちていく自分を見つめている。あらゆる辛酸、肉体の痛苦、これまでに味わった凄惨を通り越した無慈悲な視線。身に
故郷の香りを纏ったまま物言わぬ一族を前にアイアンクラッドは
しかし惑乱した意識と身体は違うものを求め、アイアンクラッドの体内に入り浸る悪魔を拒絶するどころか、覆い尽くして自ら抱擁する。
「ふッ、うぅんッ、あ、はッ、ふ、お、んあ、あがッ……!」
アイアンクラッドの
――触るな!触るなッ!これ以上、お前に触れられたら……ッ!
「触れられたら?」
アイアンクラッドは残された僅かな意識を集中させ、轡を噛みしめながら、不感を振舞おうと抗う。
しかし催淫効果のある粘液を悪魔によって無尽蔵に塗りたくられたことで、アイアンクラッドは強制的に発情させられている。
「私が触れたら、なんですか?」
悪魔は腰を振るいながら、男の胸の先端を指先で擦り合わせたり、弾いたりして可愛がり、言葉の続きを急かす。人差し指と親指の爪で挟み、ヴァクーは男に刺激を栄養代わりに与え、遊び回した。ベリーのように膨らんだ突起を爪と指を交互に使って
「おかしくなる?いや、おかしくなりたい、ですか?」
ふふ、と悪魔が耳元で笑いを零す。
――黙れッ!俺に触るなッ!
発作を起こしたようにがくがく揺れながらも、悪魔の誘惑を跳ねのけるように、己を奮い立たせるように、アイアンクラッドは胸の内で大きく叫んだ。
「おかしくなればいいじゃありませんか。戦に浸って剣を振るうだけでは満足に発散できないでしょう?存分に吐き出すといいですよ。一族の皆さんもそう願っているんですから」
「ぁ、ああ、ふぅ、あうッ、あ……ッ!!」
喋りながら、悪魔は身体の輪郭を確かめるように胸から肋骨を撫でつけ、そのまま腹、腰と、指先でなぞりながら下へ動かす。悪魔が肌の上を滑るだけで大きな引き攣れを繰り返し、アイアンクラッドは嬌声を上げて熱っぽく呻いた。
やがて光が当たったかのように下腹部が明るくなる。背後から断続的に打ち付けられる悪魔の高揚によって、視界はほとんど機能しなくなっていたが、アイアンクラッドは喘ぎながらもどうにか瞳を動かした。
下腹部で悪魔の掌が紅く、光り輝いている。浮かび上がっているのは焼印ではなく――悪魔の強力な、堕落の力。己がカードから引き出すときに浮かび上がる紋様と全く同じ、鮮烈な紅い文様が悪魔の掌中で煌々と光を放っている。
「んぅ、ふぁ、ああッ、あぅ、んん……ッ!!」
アイアンクラッドは混濁しながらもきつく目を閉じ、光を遮断しようとした。だが、光とは眼を伏せて遮っても、存在を感じる。兜によって遮蔽されていても、堕落の燦然とした輝きは網膜に焼き付いたように、アイアンクラッドの暗闇から決して離れない。
これが罰の正体だと叩きつけられ、アイアンクラッドは拘束されて動かせぬ首をなんとか必死に振り、胸の内で幾度も哀願した。
――止めろッ!それは……それだけは止めてくれ……ッ!!
「あッ、あ、あ、ぅあ、ああッ……」
「ほら、皆様に教えてあげましょう。未来永劫――私の人形として、忠誠を尽くすのだと」
一度腰を止めて、充血して漲らせるアイアンクラッドの
「はぁッ、はっ、ああッ、あッ!んぁあっ、ああッ、んあっ、あ、ううぅッ、はっあ、ああッ……!」
悪魔の絶対的な堕落の力に堪える術などなく、アイアンクラッドは多量の欲望を
烈しく痙攣する肉体のうねりが背後の悪魔にも悦びをもたらし、応えるように律動が再開される。
堕落の手が己の媚肉に触れると、すぐに迸りを蓄えて、燃える血が欲望を助長し、直ちに怒張を漲らせた。鈴口からは先走りが糸を引きながら絶え間なく流れていく。
か細い意識はあらゆる抵抗を消失し、もう何の役にも立たない。
悪魔はもう片方の手にも堕落を浮かべ、全身を撫でつけ始める。肌や内臓、髪の一本一本まで、全てが剥き出しの神経に様変わりし、悪魔の手、腰だけでなく、舌先、呼気や爪が僅かに触れるだけでアイアンクラッドの全身に狂おしいほどの陶酔が
「魂を捧げたのですから、貴方の生も死も、全て私のもの……貴方は私の
悪魔は列する鉄仮面たちを見回しながら、手の内の男が壊れていく様を見せびらかす。
悪魔が串刺し、体内で烈しく蠕動すると腹までぼこぼこと膨らんでは波打ち、猛烈な衝撃にアイアンクラッドは上も下も、両方の口から
自ら搾り取った精液を舐め取りながら、悪魔はふと思いつき、男の裡を開墾する
「契約の際、貴方はここに……誓ったでしょう?私の力を得るために」
男を堕落の印を浮かべた手で抱きとめながら、ある一点を執拗に貫く。
押し込まれる狂気に、頭を空虚にさせる多幸感が天辺から爪先まで覆い尽くし、アイアンクラッドは激しい
契約を交わしたとき、力を授けた証明として、魂を己に捧げた証明として、悪魔は男の肉体に永遠に消えぬ印を授けた。無論、契約の証の正確な位置は、悪魔だけが知る。この男が、あるいは有象無象も含めた手が絶対に届かぬよう――例えば自ら皮膚を剥いだり、心臓を刺して印を勝手に排除せぬよう、悪魔はわざと秘部の奥深くに与えた。さらに印を不可視の粘膜で覆って隠し、悪魔が触れたときだけ開錠するよう徹底してある。
悪魔が契約の印を呼び覚ましたことで、印は熱を帯び、忘れ去られていた己の存在を主張し始める。アイアンクラッドを裡から
暗黒の世界の只中でありながらアイアンクラッドの視界は白んで
達して、刹那の後、また達して、身体中から
――や、めろ……も、う……
「この証を、忘れてなんていませんよね?」
「ぁ、んぅ、あうっ、ぅお、はっ……あ、あっ……!!」
「貴方が自ら、私に全てを捧げた証ですよ……あんなに喜んでいたではありませんか」
「あ、はっ、あッ!ああッ、は、ぁう、んぅ、あぐッ!あッ、ぅあああッ!!」
堕落を灯した肉筒で契約の印を烈しく穿たれ続け、昇り詰めたアイアンクラッドは獣のように咆哮しながら白濁を放った。悪魔の手が肌の上を滑るだけで、何千もの小さな虫が皮膚の上を行進しているようなざわめきが起こり、鈴口がぱくぱくと絶え間なく開閉して汁を零しながら悲鳴を上げる。すぐさま堕落の印によって陰嚢に精が蓄えられ、アイアンクラッドは絶頂が無限に続く地獄の波濤に飲みこまれた。
燃える血の修復はもう追いつかない。真に嬲られるというのはどういうことなのか――恥辱と屈辱の奈落に貶めながら、悪魔が男の肉体を、精神を苛烈な頂点へ導く。
「あぁッ!あッ、あぐ、んあ、ぁう、んぐッ!はっ、ふお、あぅ、あッ、あああああああッ!!!」
喉が壊れるほどに叫びながら、アイアンクラッドは何度目か分からぬ絶頂に達した。
噴き出した精液がぴちゃぴちゃと音を立てて何かに当たる。潮のように満ち引きを繰り返していた意識と視界が、燃える血によって徐々に修復されていく中で、不意に悪魔が体内を抜け出ていくのが認識できた。
――やっ、と……お、わっ……た……?
ぶるぶると止まらぬ痙攣に喘ぎながら、なんとか呼吸の方法を頭蓋の奥から引っ張りだし、大きく息を吸う。己の汗や性の臭気に混じって、故郷の、香の匂いが先ほどよりも濃密に漂った。
気づいたとき、アイアンクラッドは思い出したばかりの呼吸を忘れて、愕然とする。
煙から生まれた一族たちが、いつの間にか間近に、ほとんど眼前に集っていた。無論、一族の鉄仮面には、己の放った白い精の痕跡が飛び散って汚れ、滴っている。
「あ……あ……」
「よかったですねぇ。一族の皆様に近況をお知らせできて……それに、お判りでしょう?皆さん、戦争に終止符を打った英雄を祝福したいそうですよ」
悪魔の言葉は、断崖の縁に立つ己の背を押すにふさわしい一言だった――これこそが、悪魔の劫罰なのだ。
「貴方も嬉しいでしょう?無論、祝杯をあげるのは英雄たる貴方の役目です」
目の前の友が、先人が、女たちが、誰もが等しく無数に手を伸ばし、アイアンクラッドの首、腕、肩、腹、足、あらゆる箇所を押さえつけて掴む。一族たちの無言の願いを聞き取って、闇の拘束は両腕を後ろに引っ張り、アイアンクラッドを空中で無理矢理仰臥させた。
友が背後に回って腰を抱き寄せたかと思えば、再会を喜んで肉剣を後ろの孔に収納し、かつて憧れを寄せていた先人が衣服を
「あぁ……あッ、ぅ……ああ……」
故郷の香り、寸分違わず再現された一族たちの体臭――見事な嘘が男の全てを奪い尽くす。払い除けるなど、アイアンクラッドには到底できなかった。例え一族が悪魔の手によって、がらくたのように弄ばれていると分かっていても。
これが罰なのだ――悪魔に縋り、力に溺れて、羅針盤の方角を狂わせて全てを
「う……ぅ……あ……」
流す涙など千年以上も前にとうに枯れて一滴も流れなかったが、アイアンクラッドは甘い責め苦を受け止めながら啜り泣いた。悪魔によって授けられた過ちにアイアンクラッドは咽びながら、一族が己の肉体を使って奏でる水音を――悪魔と契約を結んだ、覆しようのない罪の音をばら撒き続ける。
「玩具を長く使うのには当然、手入れが必要ですから……皆様が手伝ってくれて本当によかった」
香りの向こう側のどこか、悪魔の哄笑が響き渡った。
記憶の中で静かに眠っていた、男にとっての英雄が、安らぎたちが悪魔の奴隷に成り下がっていく様を見せつけられ、修復できないほどに人間性を、名誉を徹底的に毀損する。
絶望に打ち震えるアイアンクラッドは声なき慟哭を繰り返しながら、幻影がもたらす痛みの伴わぬ熾烈な鉄槌を甘んじて浴び続けた。
やがて
――みんな、俺を許すな。いや、許してくれ。違う、許すな!こんなことしてる場合じゃないッ!呪えッ!苦しめろッ!俺を殺してくれ。何をしてる!殺せ!斬れ!斬り刻めッ!首を落とせッ!誰でもいいッ!!今すぐ殺せ!殺してくれッ!!俺を今すぐにッ!!
「殺すなんて、はしたない言葉は控えた方がよろしいですよ。貴方にはまだまだ働いていただかないといけませんから……」
ぞくりとするほど優しい声音とともに、悪魔の尖った爪が頬をなぞる。
――何故だ?何故、誰も俺を斬らない?……みんな……どうして……。
――ここに……いたのか……本当は……みんな……今……行くから……。
――この身体で……贖えと……言うのか……。
――頼むから……早く殺せ、早く俺を殺してくれ……誰か……俺を……。
躁、鬱屈、哀願、恐怖、高揚、秒で変化するような短いサイクルで乱高下を繰り返し続け、アイアンクラッドの感情は摩滅し、機能を失っていった。
群がる一族たちが、戦争を終わらせた男の耳元で囁く。全てを終わらせたあなたに触れたい、労いたい、褒め称えたい――かつてと同じ声色でアイアンクラッドを惑わしながら、代わるがわる英雄を貪っていく。ただただ、アイアンクラッドは次々に生み出される蹂躙を受け入れた。恥じる余地さえ生まれなかった。淫らな抱擁に達しては自分を手放し、恍惚の中心へ落下する感覚を、何度味わったか分からない。果てない悦楽の坩堝に浸され続け、兜の内に隠された瞳は完全に焦点を失った。
幾度と
倒れるのを、刹那の微睡みに浸ることも、喪失の
しばらく離れて眺めていた悪魔は、幻と戯れる男が自壊し、自ら腰を動かすようになったのを確認すると舌なめずりした。空中に漂わせていた香炉を、鉄仮面の幻影たちも巻き添えに手で薙ぎ払って破壊する。翼を動かして残香を吹き飛ばし、肉体を、魂を丸ごと犯し尽くした男の足元に腰を下ろした。
苛む香りが、幻が消え去っても、自失したアイアンクラッドには、目の前に現れる悪魔の瞳が鉄仮面の反射にしか捉えられなかった。
「いかがでしたか?皆様との歓談は……愉しかったでしょう?」
悪魔は横たわる
一族の魂などというのは詭弁にすぎず、香炉から生み出したのは牢獄に生み出した
熱にうなされたように男は小刻みに妖しく震え、あえかな呼吸で抽象的な意識を繋いでいる。濡れた銀髪が刺繍を施したように肌へ張り付き、弛緩した造形は上気して、到るところに汗と、旅立った手向けとでもいうように幻影たちが残した様々な欲望を滴らせていた。唇から、
ヴァクーは目を細めて、男の頭の天辺から髪の先端、首から胸、腰、足の爪先まで瞳を動かし、署名が記されていない箇所がないか、堕落の押印忘れがないかを隅々まで確認した。
「もっと語らいたかったですか?」
闇の獄中に繋がれたまま永い責苦に犯され続け、アイアンクラッドの精神は没している。ヴァクーの声は外から聞こえるものなのか、裡で起こっているのか、あるいは一族の誰かが話す声なのか、アイアンクラッドには何の区別もつかない。
「語らいたいかは、こちらに聞いた方が早いですね」
悪魔は男の足を指でとんとんと軽く叩いて尋ねる。それだけで男は何の抵抗もなく膝を開く。
ヴァクーが視線で合図すると、アイアンクラッドに絡みついていた闇の拘束が名残惜し気に男の肉体から離れていく。貪欲を加速させ、悪魔は男の両膝を掴んで左右に拡げ、苦もなく密着する。
燃え上がる怒りは既に遺棄され、
最も熟れている今が、収穫するのにふさわしい――悪魔は笑みを浮かべながら、堕落の印を浮かべた指先を、未だ白い粒を零す男の環に沿ってなぞり上げる。誘うようにひくつきはじめ、孔の内へ指を差し込むと、悪魔は
「っあ……あっ、あ……」
彫刻される甘美な痛みに、忘失していたアイアンクラッドが艶を帯びた声を上げ、再び反応を見せるようになった。燃える血の手伝いもあって男の意識は緩慢に引き揚がってきているが、未だ幻影との語らいを錯覚して
「まだ喋り足りないでしょう?」
堕落を刻んだ手で男を押さえつけながら、闇が残した
「あっ、あ……あッ、はっ……あ、ああ……」
悪魔の熱に炙られ、男がいつになく
闇の拘束が緩んだことにも気づかぬまま、精悍な体躯がよじれるのを眺めていると、痙攣を繰り返しながらアイアンクラッドの足が持ち上がった。悪魔の腰に足を絡ませると、罰を――荒淫を求めるように引き寄せる。
「私も貴方のような玩具がないと、退屈なので……もう少し語り合いましょうか」
ヴァクーは肥えた欲を瞳に宿すと、さっと一閃に動かし、蠢く闇の配下へ命令した。
従順な暗黒の群れは異空間に隠された悪魔の宝庫へ赴く。忠実に無数の、紅玉の粒を命令通りに運搬すると、水をすくい上げるようにして手の中から溢れんばかりの輝きを、悪魔へ献上した。囁きのイヤリング――ではなく、留め具を外した、血のように赤く輝く石だけを。
絶対の声を聞かせるのに、何もイヤリングという形を整えている必要などない。石さえあれば、悪魔の声を聞かせるのは、肌でも、
悪魔は、男の裡で野放図に振舞いながら、配下が運んできた紅玉を一粒指で挟み取る。闇の中でも仄かに光を放つ赤い輝きに不可視の闇の糸を絡ませ、男の胸部で木の実のように膨れた乳首に巻き付かせた。ヴァクーは同じように反対の胸にも赤い飾りつけをし、粒の大きな紅玉は男の牡の先端にあるくびれ部分に、太さのある闇の紐を生み出して括り付ける。特に輝きの強い宝玉を手に取ると、悪魔は男の裡の奥、契約の証の中心へ埋め込んだ。
「あ、はっ、ぁん、ぅう……ふ、う……ああっ……あ……っ」
裸で凍土の世界に放り込まれたようにアイアンクラッドが烈しく揺れると、紅い光も踊り子となって暗黒の世界で光の軌跡を描きながら舞う。
悪魔が
――御心のままに――
石が、身体が囁くたび、意識が、肉体も余すところなく、骨の髄まで鼓膜へと変わり、男を構成する全ては声に心酔した虜囚となる。
「は、ぁ…あっ…んあ……ぁああっ……」
我というしがらみを抜けた男が声を求めて、自ら腰を動かして胸元に、下腹部に赤い舞踏を見せながら、
「
ヴァクーは男を見下ろしながら、もう一つ紅玉を闇の手から拾い上げる。戯れに親指と人差し指で押し潰し、擦りつけて粉末状にすると、喘ぐ男の口の中へ指を入れ、一粒残さず投与した。指先にこびりついた粉を男が自ら舐め取り、飲み込ませた紅い粒子が燃える血の中へ溶けて体内を循環すると、甘言を
耽溺した
「
悪魔の
――そして男はただ、悪魔の欲望を収める
「あ……ぁああ……」
悪魔の楔を深々と受け止め、アイアンクラッドは身体を仰け反らせて幾度目かの頂上に到達する。ぶるぶると身悶えしながら、もっと、とでもいうように堕落によって無尽蔵に補給される欲望を鈴口から白く放って、悪魔へ話しかける。
ヴァクーは揺さぶりながらアイアンクラッドの首に手を乗せた。指を曲げて徐々に動脈を絞め、意識の手綱を握る。
「はっ……あっ、あっ……ああ……あ……ッ」
首に爪を食い込ませると、どくどくと脈打つ男の血潮が指から伝わってくる。
悪魔は男を締め上げながら浮き出る喉仏の稜線を指でなぞり、堕落の印を付着させた。か細い呼吸を一息するだけで、この世では味わい尽くせないほどの麻薬じみた幸福感に包まれ、男が口端から涎を垂らしつつ、いつになく切なげな声を零す。酸欠による生理反応も催して勃起し、くびれを装飾する紅玉が震える。悪魔の抽挿で揺れ動くたびに、鈴口から蜜が飛び散って悪魔の腹に透明な抽象画を描いた。
堕落を浮かべたもう片方の手で、男の手を上から押さえるように握れば、男もまた指を絡めて堕ちることを望む。
「んぁ……ぁ……はっ、あっ……ああ……ぁ……ぅ……」
「そんなにお喋りに浸っていたかったのですか?仲間を埋葬した記憶に溺れている暇はありませんよ」
首から手を離したヴァクーは、片手で易々と男の両腕を留めて頭上に持ち上げる。契約の印を刻んだ場所をめくりあげるように、埋め込んだ紅玉をより深く埋没させるように、悪魔がアイアンクラッドの体内で傲慢に振舞う。動くたびに男は激しく震え、あるいはかくかくと力なく揺れ、しかし悪魔を受け入れて自ら腰を動かして貪りあう。
悪魔は男の顔に己の顔を寄せて囁く。
「貴方が聞くべきは、私の声だけですから……分かっていますよね?」
手を離して身を引いた悪魔は、従順な奴隷を見下ろしながら、角と角の間を結ぶように細い光をいくつも生み出した。光は小さな魔法陣を描き、紫炎を生み出す。暗黒の世界を照らすように燃え盛る炎は、眼球と同じぐらいの大きさを持つ、紅く輝く丸い珠を召喚した。
炎が消えると、ヴァクーは頭上に顕現した、夜明けの美しい太陽を閉じ込めたように輝く光を――己に捧げられたアイアンクラッドの魂そのものを取り出す。誰もが目を奪われる輝きを口に含むと、悪魔は飴玉のように舌で転がす。
「あ、あっ、あ、ぅあ……はっ、ああ……んぅ……あぁ、あ、あああっ……」
濡れた舌で直接魂を犯されるたびに、男の肉体も呼応して悪魔に丸呑みされたような、窮屈で
眼前の男は、かつて言った。未来永劫、業苦に苦しめられようと構わない。ただ一族の無事と勝利を――それだけを願って契約の書に署名すると跪き、祈り、迷いなく魂を捧げた。それまで目にすることのなかった高く澄み渡った魂に惹かれ、悪魔は契約を結び、力を授けた。痛切な願いと男が心の底に渇望する野心に少し細工を加えて、全てを葬ったことを知った男の恐怖も、この魂に閉じ込めてある。舐めると、男の総てが染みだして、悪魔の舌に得も知れぬ味わいをもたらすのだ。
「私は一番……これを食べるのが好きなんですよ」
千年を超す年月をかけて、この男を作り替えてきたのは、この魂を味わい続けるため――男の総ては、悪魔の正当な財産であり、至極の正餐であった。
ヴァクーは魂を咀嚼しながら手を伸ばし、戯れに男の尖った乳首を指で弄ぶ。堕落の印が何度も往復し、縛り付ける闇の糸と紅玉の重みで、しっとりと膨らんだまま充血しており、一目で美味と分かる色を放っている。爪の先で擦ると乳首がぷるりと震え、男の全身も波打った。しかし舌を喜ばせる魂から、極々僅かな雑味を感じた。自分の声が反響するような感覚は、恐らく紅玉のせいだろう。胸や性器といった皮膚の外に付属させていた紅玉を闇に指示して外し、ヴァクーは再び男の魂をじっくり味わい舌鼓する。
倦み疲れていても、意識が乖離した男の肉体は悪魔の寵愛に応えた。結合部からぐちゃぐちゃと混じり合う音を零しながら、男が更なる堕落を欲するように締め付けてくる。男を褒めちぎるように、悪魔は血の蓄えられた男の牡を指や爪、掌を器用に動かして丁寧に
やがて悪魔はゆっくりと男の魂を飲み込み、器を通じて、悪魔だけが知る、聖なる宝物庫へ転移させた。聖なる宝物庫は、フィドルやケープといった契約を願う者に提供する祝福は一切置かれていない。仮面やオルゴールといった強力な力を秘めたレリックは、いわば目くらましの、仮初めの品々であり、聖域たる宝物庫に保管されている財貨こそ、悪魔にとって真なる
ヴァクー以外の存在が立ち入ることのできない異界の奥深く、禁断の魔術を秘めた見事な装飾に彩られたボルドーの宝石箱の中心へ男の魂を格納すると、悪魔は宝石箱に魔力を与えて蓋をして施錠し、再び厳重な封印を施した。
「ん……ん……」
悪魔に貪られながら、男が自由になった腕をふらふらと頭上に持ち上げた。
終わりの見えない快感で打ちのめしながら、ヴァクーは暗闇で灯りを探すように不安定に揺れ動くアイアンクラッドの手を取ろうとする。震える指先に悪魔が触れたとき、男はこの一瞬を待ち望んでいたかのように悪魔の手首を逆につかみ、力強く握りしめた。
「おや……?なるほど……これが狙いでしたか?」
ヴァクーが
いつの間にか燻り始めている――昏睡していた男の憤怒が。ほとんど無意識で、あるいは、無意識すら己の怒りで制御して、機を見計らっていたのだろう。
「そういうことでしたか……随分聞き分けがよくなったと思っていたんですよ」
悪魔は、眼で、舌で、男の魂をとっくに暴いている。男が本当に望んでいるものは何かも見抜いている。
悪魔が丹精込めて作り替えてきた
男が希望と自分を秤にかけたとき――罰と称して、必ず自分を差し出すことも知っている。男が一切口にせずとも、孤独という底から己を掬い上げた者たちに執着することも。
恐らく、ほんの一瞬でも――仲間、という単語を口にしたのがよくなかった。打ちのめされながらも淘汰したはずの正気を、砂粒一つだとしても、アイアンクラッドはたった一言で取り戻していたのだ。
「……な……」
震えながらも悪魔の手を握りしめ、アイアンクラッドは力を絞り出し、蘇らせた感情をどうにか言葉に変えて、掠れた声を上げる。
「……手、を……出、す……な……」
「言いたいことは分かっていますよ。ですが、何故私が耳を傾ける必要があるんです?奴隷に権利はありませんよ」
口にしながら、ヴァクーはアイアンクラッドの手を簡単に振り払う。そのまま男の首を掴んで、締め上げた。気道を塞がれ、永い悦虐と轡を嵌めていたせいか唇は満足に動かない。
アイアンクラッドは意識の欠片を寄せ集め、頭上に浮かぶ四つの月を朧気に見上げた。
――俺、は……お、前の……奴隷……手足、だ……何、を……しよ……うが……構……わ、な……い……。
「当然でしょう。先ほど、言いましたよね?」
――千年……燃えろ、と……いうなら……もう一度……燃、やせ……ここ、で……壊れろと……いう、なら、何度でも……お、前の……気が、済むまで……
「ええ。人形として、当然の義務ですよ」
――好きなだけ……お前の、望むように……遊んでおきながら……何故、俺でなく、お前が
「それは勿論ですが……フッ……ククク……ハハハハハッ!」
吹き出すと、押さえつけていた手を急に離し、腹が捩れるほど悪魔は嗤った。
戯言を続けたことで悪魔にねじ伏せられるものだと思っていたアイアンクラッドは、呆然とした意識の中で、暗黒の世界に響く悪魔の狂った笑い声をただ聞き続けた。
「クク……貴方は本当に愚かで、面白い玩具だ。ちゃんと愉しませてくれますねぇ」
まだ、悪魔は堪えきれない笑いを漏らしている。アイアンクラッドには何が悪魔の笑いのツボに入ったのか思案するが、液状化した意識のままではやはり分からない。
「二言はないでしょう?」
笑いがようやく引っ込むと、悪魔が問いかけてくる。胸の内で、アイアンクラッドは確かに返事をした。
堕落の印を浮かべた手を広げ、ヴァクーはアイアンクラッドの兜を掴んだ。みるみる頭蓋の内まで堕落が浸透して巣食い、アイアンクラッドの精神は再び熱狂の渦へとくべられる。裡に秘められた契約の印も、悪魔を求めて呻き出し、身体中が熱く燻り始めた。
「そこまで言うなら、付き合っていただきましょう」
どうにでもしろ――アイアンクラッドは瞳を閉じ、起こりうる悪魔の癇癪に身を任せた。
――…
幾度も地獄と暗黒の狂騒にのたうち回り、アイアンクラッドは深刻な咳と飲み込ませられたあらゆる
血の補填をもってしても追いつかぬほどに全身がいよいよ疲弊を始め、体内で未だ繁殖を続ける凄絶な快感によって消耗しきっていたが、
「千年経っても変わりませんね……貴方のそういうところは称賛しますよ。本当に愉快だ」
と笑う悪魔には、依然として疲れが起きた様子はないのを察する程度に、意識はあった。
それから、咳をする余裕があることに気づく。
悪魔は咎めない。何故――不審が芽生えると、金属音。聞き覚えがある。先ほど見せた懐中時計を、悪魔が再び襟巻から取り出したのを、四つの瞳の輝きによる反射でアイアンクラッドはどうにか理解した。
「三秒」
悪魔が、男の眼前に蓋を開けた懐中時計を見せる。
時計を持つ手と反対の手で、悪魔が指を三つ立てた瞬間、暗黒の世界に白い亀裂が広がり、やがてガラスが砕けたように暗黒が弾けてバラバラに飛散した。
視界に明るさと色彩が戻り、眩しさを覚えてアイアンクラッドはきつく目を閉じる。寄せた眉を少しずつ緩めながら、もう一度瞳を開ける。眼前で止まっていた時計の針が、確かに三秒、進んだ。
「いかがでしたか?たっぷり罰が欲しかったのでしょう……?三秒の遊泳では足りなかったですか?」
悪魔の声とともに、闇の中で浮遊していた身体が糸を失ったように落下し、床に叩きつけられる。地熱が再び背に戻ってきたのを感じ取るが、暗黒に囚われ続けていたアイアンクラッドはなかなか順応できない。身体は滞留する熱にうなされてがくがくとした震えが止まらず、呼吸は全速力で走ったように乱れたまま。視界に映る現実も、輪郭を持たない抽象的な絵画のようにしか捉えられなかった。一つだけ分かったのは、三秒の経過、あるいは現実へ戻ったことで悪魔の何かが、それとも時の重力が働いたのか、襤褸切れのように身体にこびりついていた衣服を何故か今は正しく着用し、闇の抱擁以前と服だけは地続きになっていた。
時計の蓋を閉じて襟巻にしまうと、ヴァクーは羽を広げて空中に留まりながらアイアンクラッドを見下ろした。
「さすがに結界の中だと、私の領地とはいえ完全に時間を制御できませんね……もう少し語らいたいところですが――」
ヴァクーが言葉を続ける前に、ドンドンと扉を叩く音が響き渡る。
「隊長!」
「隊長、どうされました!?」
三秒が過ぎ去る前、悪魔の炎によってここは朽ちたが、近くにいた騎士たちが異変に気付き、駆けつけてきたようだった。
「隊長!一体何が――」
施錠を外して鎧を纏った騎士が二人飛び込んでくる。悪魔の視界に入った瞬間、ジュッと肉を焼いたような音とともに、二人の騎士は影だけを残して跡形もなく霧散した。
「案外、貴方は人気者のようですねぇ。ネオーもそうですが……このスパイアそのものに好かれている」
アイアンクラッドを見据えながら、クク、と悪魔がいつものように笑う。だが、ようやく目の慣れたアイアンクラッドは、頭上のヴァクーが普段見せる胡散臭い嘲笑や邪悪の類と違う、どこかのっぺりとした、これまで見たことのない不気味な笑みを浮かべていることに疑問を抱いた。
ヴァクーが羽を動かすと急降下し、アイアンクラッドの身体を立ったまま踏みつける。重みに呻くアイアンクラッドの顎を、悪魔は足で持ち上げた。
「マレブランケを殺すのは許しましょう。あの出来損ないは目に余るものがありましたし」
唐突に持ち上げられた現実的な話に脳がついていけず、悪魔の言葉を咀嚼するのに時間がかかった。身体に乗る悪魔の重みに肺が潰れて声を上げられず、代わりにアイアンクラッドは視線で問いかける。
――さっさと塔を登れと言っておいて、今度はあいつを殺せだと?
「ええ。虫の居所が悪くなったので」
悪魔が足の指に力を込めて押し上げ、アイアンクラッドは無理矢理仰け反らせられる。瞳をなんとか動かすと、悪魔の金の瞳が僅かに細まる。逆光の中に浮かぶ四つの月に、不穏な陰が宿ったのが窺えた。
「殺したいでしょう?」
それについては言うまでもない――アイアンクラッドは不自由な首を震わせながら、確かに頷き、沸々と息を吹き返し始めた怒りを瞳に宿してヴァクーを射抜く。
悪魔はにやつきながら翼を広げて背を向けると、再び宙へ上がり始め――アイアンクラッドは反射的に悪魔の足首を掴み取った。
「待、て……ヴァ……クー……」
振り払わられることを覚悟していたが、意外にも悪魔は黙って振り返り、アイアンクラッドをじっと見下ろすだけだった。
「……聖な、る……悪魔、よ……」
言いたいことは喉までせりあがってきていたが、言葉として研磨しようとしても原石のまま、
「……を……」
息を切らしながら唇を動かすが、ほとんど声にはならない。
眼前の悪魔に人としての矜持や意思を完膚なきまでに犯され、逃れられぬ奴隷の烙印を幾度と押されて思い知らされ――憎むべき、忌むべき存在だが、それでも悪魔の足を離さぬよう、きつく握りしめる。
先ほどマレブランケとやらを相手にしたとき、傷一つ負わせることさえできなかった。恐らく仲間も先に剣を交えて戦ったが、四人がかりでも地に伏せられたのだ。悪魔にさえ悪影響を及ぼすほどの結界とやらがこの地を包んでいるからなのか、原因は分からぬが、とにかくこのまま同じように挑んだところで――結果は恐らく同じ。しかしマレブランケを『出来損ない』と断言して見下す悪魔は、殺すべき相手を確実に熟知している。
故に、アイアンクラッドは挑むように月を睨み、欲した。
――殺すための、怒りを解き放つための力を。
「……追、加……の……契約……を……交、わし……た、い……」
「お断りします」
ヴァクーは蹴るように足を動かして、アイアンクラッドの手を振りほどく。
魂を売り渡して、もはや秤に乗せるようなものが残っていないからか?――ぶれる瞳の焦点をヴァクーに合わせると、悪魔は不敵に笑いながらアイアンクラッドの元へ舞い戻り、胸の上にしゃがみこんできた。
「勘違いしないでください。先ほども言ったでしょう?ここは出来損ないの結界が邪魔しています。ですから……」
言葉を区切った悪魔は、顔をさらに近づけ、伸ばした指先を男の唇に当てた。アイアンクラッドを見つめる四つの瞳からは先ほど感じた奇妙な陰が消え去り、熱っぽい光が宿っている。
「どうしても契約を結びたいなら……探すといいですよ――貴方なら、分かるはず」
どこで、何を探せというのだ――視線で問いかけても、悪魔は牙を見せるだけで答えない。
「それから、もう一つ」
男の唇から指を離し、耳元に顔を寄せると、悪魔は聞き取れないほどの小さな声で囁きかける。
小さくとも耳朶を舐めつけるようにして、尾を引く声を残すと、ヴァクーは身を引き、アイアンクラッドの手が届かぬ中空へ一息に飛び上がる。空中で悪魔から蝙蝠に姿を変えると、チチ、と嘲笑うような鳴き声を一度発し、たちまち姿が霧のように霞んで透明になっていく。
間もなく虚空と一体化し、完全に悪魔が消え去ったことを視認すると、アイアンクラッドは知らず拳を持ち上げ、床に振り下ろした。時間をかけて身を横たえ、さらにうつ伏せになると、アイアンクラッドはもう一度握った拳骨を床へ叩きつける。皮がめくれて血が飛び散るのも構わず、ざらつく床に出血した拳を押し付けて激しく擦り、傷口を自ら拡げる。意識が明瞭になるまで繰り返し、アイアンクラッドはひたすら己を痛めつけた。
暗黒と現実の
心臓が鼓動を放つたびにとくとくと、あるいはどくどくと流れて血流の音を内側から響かせる。生の証から逃れる術はなく、身を流れる血潮の音に紛れて、未だ体内に溶けている紅玉の微粒子が何事かを囁き、三秒に凝縮された地獄が否応なく頭を過ぎる。振り払おうとするように首を振るが、もはや永遠に等しい三秒は呪いのように、アイアンクラッドの精神に深々と刻まれてしまった。
――私に縋りなさい――
悪魔が耳元で最後に言い残した言葉を反芻すると、アイアンクラッドは血に濡れた拳を握りしめた。
――誰が縋るものか。
溢れ出る血と痛みによって怒りが獰猛を取り戻しつつあり、研ぎ澄まされていく。
打ち捨てられていた鎧を回収して纏うと、アイアンクラッドは憤怒を拳に纏いながら、処刑場を飛び出した。
殺す。殺してやる。立ちはだかる者全てを――。