熱狂が礼拝堂を包んでいた。騎士が、祝福目当てに城を訪れていた冒険者や調査隊、恐らく操られている魔物までもが、執り行われる儀式を観覧するために礼拝堂へ密集していた。床が見えないほどに埋め尽くす観客たちは、昼の明るさが室内を包んでいるというのにキャンドルや松明を手にしている。燃焼煙や、獣脂蝋燭の酸化した油に似た鼻をつく臭い、一方で蜜蠟製のキャンドルから漂う香しさといった火の臭気が混じり合い、清濁の混合した空気が濃密に礼拝堂の内部に立ち込めていた。灯りに照らされる人々の顔は、これより観劇する大舞台に興奮して紅潮している。
礼拝堂は古びた金貨や真鍮のような深みのある黄褐色で整えられており、壁には恐らくマレブランケを象ったと思われる要石の細工が施された列柱が組み込まれている。虹のステンドグラスを嵌めた
礼拝堂に集った者たちの視線は、最奥にある大きな正円の祭壇に向けられていた。円の内側、床には大小様々な幾何学模様を用いた複雑で精緻な魔法陣が黒い線で描かれ窪んでおり、魔法陣に接するようにサイレント、ディフェクト、リージェント、ネクロバインダーが等しく十字に磔にされて並んでいる。四人の手足には凡庸の呪いを受けた黒い枷が嵌められており、身体は抵抗できぬよう縄で何重にも縛られ、身じろぐ程度が精一杯だった。
マレブランケと交戦し、虫の息に等しかった四人は狭く暗い独房へ連れ込まれたが、逃げ出す元気もなく、見張りなど必要ないほど弱っていた。それでも閉じ込められている間、皆で力尽きたフリをして並んで横たわり、僅かながら削られた体力を取り戻して息は整っていた。だが多少の力を取り戻しただけでは過剰な拘束から、磔から、待ち受ける運命から逃れる手立ては見つからない。
「……まさかこんなことになるなんて……」
「x1f635(目の前の事態を受け入れられない電子音)」
「こやつら、我らの死を嘲笑いに集まったというのか?我らは見せしめだというのか!」
礼拝堂に集った観客たちを見回しながら、磔上のリージェントは拳を握って唸る。儀式という熱病に浮かれ、誰もが好奇の目を向けるだけ。わざわざ四人を憐れんで助けるような異端者など誰一人としていない。
サイレントは主張する枯毒の痛みに堪えながら、磔の身をどうにか捻った。磔にされる前と差はないが、見落としがあるかもしれない。もう一度脱出方法を求めて、礼拝堂を見回す。絢爛で堅牢を誇る礼拝堂には、正面の扉以外に出入口はない。 蟻のように蠢く観客たちを見渡してからサイレントは首を下に動かし、足元の魔法陣を見据えた。聖餐卓のある位置に卓はなく、代わりに無数の木の枝や枯草、薪が積まれている。草木には油が撒かれており、臭いがここまで漂ってきた。礼拝堂に集った者たちが持つ火種から答え合わせするならば――。
「私たちを火炙りにするってところかしらね……それに……」
「それに、何だ」
「下を見て。あの魔法陣……何かの魔導書で見た記憶があるの。あれは……私のような
「❗❓」
「神だと?」
「幾百もの魂を糧に神託を授かったり……確か、望む者の名を示すことで神を降ろすことも可能だとあったわ……」
「何?もしや……我らは神のための贄だというのか?」
――大いなる力を持つというエンシェントが、神を降ろす?何故?
魔法陣を見つめながらサイレントは思案するが、マレブランケの目論みは未だ読めない。
足元から視線を逸らしたとき、四人の正面に聳え立つ重厚な扉が、地鳴りのような低音を伴ってゆっくり開かれる。礼拝堂に伝う扉の振動に一瞬静まり返り、集った者たちは背後へ振り返った。
漆黒の鎧を纏うマレブランケが、白銀の鎧を纏う騎士の小隊を従えて入場し、姿を現す。城内に集った観客たちは祭壇へ進むマレブランケへ恍惚とした瞳を向けながら、引き寄せられたように群がり始め、御利益でも得ようとして手を伸ばす。
「ああ、マレブランケ様……!」
「我らにお導きを!」
「お前たち、それ以上寄るな!下がれ!」
「さっさと下がらんか!マレブランケ様に道を譲れ!」
騎士たちがマレブランケへ縋るように次々詰め寄ってくる者を押しのけ、祭壇へ続く身廊を空けさせた。
マレブランケが祭壇の前で立ち止まり、礼拝堂に静寂と緊張が満ちる。祈るように両手を組む者、ハンカチを握りしめながら目を潤ませる者、瞬きも身じろぎもほとんどせず一点を見つめる者……あらゆる崇拝の熱視線がマレブランケへ注がれた。
マレブランケが脇に提げていた聖剣を手に握り、磔にされた四人の顔を順に見渡す。
「マレブランケ……私たちを儀式の生贄にするつもりのようだけど……一体何の生贄にするつもり?」
「死にゆく者には語る理由など不要と言ったはずだ。それとも、この期に及んで命乞いか?」
「いいえ。私たちはもう、見ての通り。逃げも隠れもできない。でも……贄にするというなら、せめて納得ある終わりがほしい」
ネクロバインダーが毅然と言い放つ。とにかく時間を稼ぐ。僅かでも死を遅らせることで、あるいは引き出した会話の中に、この絶望から脱出できる光明を見出そうとした。
マレブランケの意図を探ろうと、リージェントも正面の男を睨みつける。
「マレブランケよ、我らに聞かせろ。何故地図を盗み、レリックを集めていた。我らに、どのような理由で死をもたらすというのだ」
「あなた、エンシェントなんでしょう?冥土への土産ぐらい祝福として恵んでくれてもいいんじゃない?」
マレブランケは沈黙を貫いていたが、祝福、と口にしたネクロバインダーへ大兜を動かした。
「……ならば、
「……戦神?」
「今は失われし、いにしえの神話。戦場を駆け続けることを運命づけられた、滅びし民族のみが代々語り継いだ話だ」
烏の神マザレスに関する話やマザレスを信奉する狂信者ならば塔で嫌というほど見てきたが、戦神の神話など、聞いたことはない。だが、戦場を駆け続ける――戦うことを運命づけられた者というマレブランケの言葉に、ネクロバインダーは旅路の途中で別れてしまった一人の男を思い浮かべた。
「……千年以上、いえ、それよりもっと以前……戦闘民族同士が幾百年もの間、血で血を洗い続ける悲惨な戦争を続けていた、というのは聞いたことがあるわ」
「そう。滅んだ戦民族の間にのみ伝えられし伝承だ。あらゆる戦に勝利をもたらすと言われる武の神……戦神に選ばれし者の前には、神の身許へ導くという戦女神が現れ、戦士の魂を見定める」
「x1f62e(驚く電子音)」
「……エンシェントのあなたなら、滅んだ部族の神話を知っていてもおかしくないわね」
「プレオンにそのような伝説があるというのは興味深い。だが、つまり……貴様は戦神とやらを降ろすために、我らを生贄にするというのか」
リージェントの問いかけに、マレブランケは兜の内側で微かに笑った。
「ネオーに選ばれし者……エンシェントの祝福を賜った者の魂は、凡百の魂を凌ぐ価値がある。神に捧ぐに相応しい」
「貴様、エンシェントでありながら、更なる力を欲するというのか!何故これ以上の力を、神を求める!」
「答える義理などない。アセンダーよ。お喋りは終わりだ」
マントが翻り、集った観客たちの前にマレブランケが一歩出る。礼拝堂に集った誰もがマレブランケに注目し、熱を帯びた視線を受け止めたマレブランケは聖剣を頭上に掲げた。
「皆の者、聞け!我が力を持って、彼の者たちが持つ祝福ごと魂を捧げ、今ここに戦神を降誕させよう!舞い降りし神は我らの糧、すなわち永遠の栄光となる!」
――祝福ごと?
マレブランケの演説を耳にしたサイレントは、首を動かし、横に並ぶ仲間の顔を見た。ディフェクトも、リージェントも、ネクロバインダーも同じことを考え、四人は蒼白した顔を見合わせた。
登頂の途中で力尽きたとして、塔を繰り返し登れるのは、ネオーが復活の母たるエンシェントの力で全員を蘇らせるからだ。身に宿るネオーの力までも贄のために捧げられ、奪われるというならば――ここで生贄となって迎える死は、全ての終わりを意味する。塔を登ることは二度と叶わず、この磔の上が旅路の終点になるということ。
最悪、生贄にされたとして、ネオーの祝福があれば塔の最下層に戻れる可能性が万一にもあると思っていた。だが、マレブランケの宣言は最後の希望をも断絶し、四人の精神は終わりなき黄昏の内へ落ちていく。
「この聖剣に神を宿し、この塔に
マレブランケが掲げていた剣を前方へ向け、刃を扇状に動かしながら、礼拝堂に集った信奉者たち一人ひとりを見回す。マレブランケの力強い言葉に征服されたことで礼拝堂は狂乱と興奮に満ち溢れ、手にする松明や蝋燭の灯火を掲げながら、観客が口々に名を叫んだ。
「ああ!マレブランケ様!」
「万歳!マレブランケ様!!」
血走った歓声が満ち、沸き立つ熱気を全身に浴びたところで、マレブランケが再び四人へ振り返った。
マレブランケが突き出した大剣の切っ先をサイレントの顎に乗せ、持ち上げる。
「さぁ、我が祝福を授けし者たちよ!時は満ちた!まずは女を下ろせ!火を点けろ!」
礼拝堂に集った者たちは色めきだし、我先にと祭壇へ集まり、持っていた火種を魔法陣の中に集められた枯草や薪へ投げ込む。あっという間に焚刑に相応しい炎が、魔法陣の中で燃え広がっていく。さらに数匹のグレムリンが人ごみの中から現れ、奇声を上げながらサイレントの磔の根本へ駆け寄ってきて、体重をかけた。魔物の重みで磔ごと、サイレントの身体が炎の海へ向かってゆっくり傾いていく。
「x1f631(青ざめて叫ぶ電子音)」
「サイレント!!」
終焉を告げる炎が轟々と唸りながら、サイレントの全身を舐め始める。
汗が吹き出て外套に染みこみ、包帯が、服がべったりと肌にまとわりつく。仮面がかろうじて熱と煙を僅かに遮断するも、眼下で叫ぶ炎の声量は増していく。煙が沁みぬよう薄目になりながら、サイレントはもがきつつ、己の最期をもたらす炎を垣間見た。
磔ごとゆっくり下降する間にも、足元で無感情に蠢く炎へ、礼拝堂に集った有象無象が奇声混じりに火をくべていく。サイレントは火を投げ込む信奉者へ向けて唾棄しかけたが、いよいよ炎の先端が結んだ髪の先端を焦がし始め、吐き出す唾の一滴も出てこない。
――こんな下劣な火に炙られて……全部……終わる?
身じろぎながら、サイレントは仮面の下から、足元で燃え盛る炎を睨みつける。しかし立ち上る煙が全身を包み始め、もう目が開けられそうになかった。煙を遮ろうと目を瞑り、小刻みな呼吸を繰り返す。煙にむせて何度か咳き込んだ。肺が熱い。
――何が生贄だ。火炙りだ。焼死させるというなら、せめて……。
まとわりつく灼熱と、全身を巡る枯毒の痛みに堪えながら、サイレントは歯を食いしばった。
痛みだけを突きつけてくる炎を、サイレントは炎と認めたくなかった。
サイレントが知る炎とは、魔物たちを喰らいつくす暴虐であり、心身をほどく温さであり、そして――己に巣食う痛みを祓う存在。
――火に焚すというなら、せめて、あの男の……アイアンクラッドの炎で私を喰らいつくすがいい。あの男の炎以外で焼け死ぬなんて御免だ!
拡がる炎が大きく口を開け、燃え盛る
狂気が礼拝堂に蔓延し、災いの幕は上がり始めた。集った観客が、魔物たちまでも奇声を上げながら火を掲げ、神の降誕を今か今かと待ち侘びている。マレブランケもまた魂が零れ落ちる瞬間を、神との対面を待ち望んで、いよいよ力尽きるであろうサイレントを凝視した。
「マレブランケ様、万歳!」
「我らに栄光あれ!」
「ああ!マレブランケ様!マレブラ」
礼拝堂中に、鉄球がぶち当たったような強烈な衝突音が響き渡り、室内が大きく震える。松明を掲げていた騎士の言葉が途中で消え、持っていた松明が石床に落ちるのと、白く輝く大扉が波に乗り上げた小舟のように、マレブランケの足元まで吹き飛んできたのは同時だった。扉に埋め込まれていた石が――結界が途切れたことで室内を循環していた白い光の波が薄まって凪いでいき、間もなく消失する。
吹き飛んできた扉の残骸を見て、礼拝堂に集った全員が何事かとざわめきながら振り返る。
飛び散った砂埃がパラパラと音を立てながら靄のように出入口を包む中、礼拝堂へ足を踏み入れる不鮮明な影だけが
「貴様、止ま」
影の前に騎士が立ち塞がろうとするも、言葉を終える前に顔面へ拳を一発叩き込まれ、壁際まで勢いよく弾かれる。折れた鼻から血が溢れ、昏倒した騎士は床に崩れ落ちた。
熱狂に酔いしれていた礼拝堂は予想だにしない現実に醒め、静まり返っていく。
「………?」
突如として鳴りを潜めてゆく狂気、不審を覚えてサイレントは目を開けようとした。だが煙と熱によって、まぶたはくっついてしまったように開かない。絶え絶えの息を繰り返しつつ、礼拝堂で何が起きているのか探ろうと耳を澄ませる。
――足音?誰が入ってきた?
サイレントは残された意識を集中させ、礼拝堂に沈黙をもたらす者の気配を探ろうとした。
聞き覚えがある足音だった。知っている。塔を登り続ける中で飽きるほど聞いた、重い具足の金属音。
――もういないはずの、男の、足音が聞こえるなんて……ついに死が迎えに来たのか?
サイレントは己を冥府へ誘う使者を拝もうと、力を振り絞って眼をゆっくり開けた。ぶれる視界の焦点をなんとか結び、煙の切れ目の向こうへ目を凝らす。瞳に映るのは――使者などではなく、青銅の鎧を着た剣を握りしめる男。
「……アイアン……クラッド……?」
迷いなく歩み寄ってくる男の姿に、ネクロバインダーが呆けた声を上げる。ディフェクトの視覚ユニットも男の姿を捉えると、意図せず潤滑オイルが込み上げて視界がぼやけ、リージェントも目を何度も瞬いた。
「……ッ……」
サイレントは残されている体力を絞り出して顔を上げた。自分よりも現実を見ているであろうネクロバインダーが口にした名前。もう一度煙の向こう側へ瞳を凝らし、その名を持つ男を見つめた。もう二度と会う事はないと思っていた、橋上で別れた男が、確かにそこにいる。男の帰還が、サイレントへ再び生の、狩りへの執心を復活させ、魂の息を吹き返す。
これは、幻なんかじゃない――縄が食い込んで骨にヒビが入るのも構わず、ネクロバインダーが磔から身を乗り出す。
「アイアンクラッド……!!無事だったのね!!」
「x1f62d(号泣する電子音)」
「お主……やはり生きておったか!全く戻ってくるのが遅いぞ!何をしていた!!」
ディフェクトが嬉し涙のようにオイルを流して顔を濡らす横で、リージェントも痛みに構わず前のめりになる。王族らしくないとは分かっていても目は勝手に熱く潤み始め、身体の奥底からこみあげてくる熱情を押さえることができない。
「信じていたぞ……!余は……余は、待ち侘びたぞ!!」
リージェントの叫びは、ほとんど涙声に変わった。
仲間の姿を目に捉えたアイアンクラッドの進路に、騎士や魔物が雪崩れるように押しかけてくる。
「先ほどの盗人か!」
「止ま――」
騎士が剣を振り下ろす前に、アイアンクラッドの刃が喉を裂き、別の騎士の鳩尾に拳を入れて床に倒した。栄光の路で襲い来るリビングシールドやカエルの騎士といった魔物が敵を討とうと攻め込んでくるも、アイアンクラッドの猛り狂う刃を止めることはできない。
進路を塞ぐ者たちを片っ端から殴り、あるいは斬り捨て、足元に鮮血の絨毯を作りながら、アイアンクラッドは祭壇を目指して進む。
「アイアンクラッド……そうか、貴様……アイアンクラッド族の生き残りか」
マレブランケも剣を交えた男の正体を知り、兜の内側で目を細めてアイアンクラッドを見据えた。
闖入者であるアイアンクラッドをこれ以上先へ進めぬよう、身廊へ騎士たちが集まって横隊陣形を取り、武器を構える。
騎士たちの壁越しに、聖剣を手に己を見つめるマレブレンケの爛々とした視線を感じ取ったアイアンクラッドは、礼拝堂の中心で立ち止まった。
「聞いたことがあるぞ。かの大悪魔と契約し、戦民族を一人残らず葬り去った戦士がいると……それだけでなく、復活の母たるネオーに選ばれた、とな……」
マレブランケは背後の祭壇へちらりと大兜を動かした。
「腕を認め、仕えるべき主がいてこそ、戦士は戦の中で輝く……なるほど。彼らが……今のお前の剣を輝かせる者たちということか」
マレブランケは吹き飛んできた足元の扉を踏みつけながら祭壇を離れる。
隊列を組む騎士たちが機敏に動いて長の行く道を開け、マレブレンケは己の剣を喜ばせた男へと一歩一歩近づき、礼拝堂の中央でアイアンクラッドと向かい合った。
「アイアンクラッドよ。戦神を知る貴様なら、神に選ばれるということがどれほどの栄光か、分かるはずだろう」
「神など、沈黙するしか能がない」
アイアンクラッドは千年前から変わらぬ意思を――契約の際に悪魔へ言い放ったのと同じ台詞を、マレブランケへ突きつけた。
「アイアンクラッド、お主……」
リージェントは、目を見張った。繰り返す登頂の中で、アイアンクラッドの言葉を聞くのは、いつぶりだろうか。すなわち今の彼は自我が戻ってきている。例え一時だとしても、悪魔の支配から逃れ、自ら言葉を発し、彼は自らの意志で別れた四人の居場所を探し当て、ここに立っているということ。それがいかほどの、天文学的な確率に等しい奇跡か――。
「ほう。戦民族は皆、神を待ち望むものだと思っていたが……しかし、失われし剣の使い手を失うのは惜しい。アイアンクラッドよ、私と共に来ないか?」
マレブランケが剣を持つ手と反対の手を、アイアンクラッドの正面に差し出す。誘惑などではなく、本心で手を取ってほしいと願って。
答えるようにアイアンクラッドが一歩前に出たとき、身体中から紅い光の
アイアンクラッドは握りしめていた剣を掲げ、マレブランケの喉へ刃先を突きつける。
「お前を殺す」
殺意と怒りを宿した声で、アイアンクラッドは真っ向から拒絶した。
「……そうか。残念だ」
マレブランケが差し出した手を下ろし、小さな溜息を零す。
敵意を剥き出すアイアンクラッドの周りを、陣形を組んだ騎士だけでなく、警護に回っていた他の騎士や唸り声を上げる魔物たちが取り囲んだ。
「マレブランケ様!ここは我々が!」
「儀式を進めてください!」
「貴様、この数を一人で相手にできるなど思っているのか!?」
礼拝堂に満ちるどす黒い戦意を向けられながら、アイアンクラッドは掲げた刃へ掌を押し付けて滑らせた。流れ出る血が燃え上がるとアイアンクラッドの全身を包み、男の背に炎の外套を生み出す。深紅の衣を纏ったアイアンクラッドは、腰を落とし、無言で剣を構えて握りしめ、殺すべき存在全てを睨んだ。
アイアンクラッドにとって大事なのは――まだ、手を伸ばせば、到達できる希望がそこにあるということだけだった。
「アイアンクラッドよ。いにしえに滅びし剣……今一度、披露するがいい」
マレブランケが聖剣を掲げ、刃先でアイアンクラッドを指し示したのを合図に、騎士が、魔物が一斉に飛び掛かる。
床が抉れるほどに一歩強く踏み込んだアイアンクラッドは、襲い来る全てを一振りで薙ぎ払う。怒りが吼え猛り、炎を宿した刃が次々に騎士を、魔物を無慈悲に屠っていく。
礼拝堂は一瞬にして血飛沫の舞う戦場へと姿を変えた。
再びアイアンクラッドが、礼拝堂中を
――まだ、生きている。生き長らえる。まだ、私は……狩れる。
「あやつ一人に任せておけぬ!加勢せねば!」
「x1f623(焦る電子音)」
「そうよ、アイアンクラッド一人じゃ、この数は無理よ……っ!サイレント、まだ生きてるわね?」
生の実感を取り戻しながら、サイレントは確かに頷いた。
希望を前に、四人は礼拝堂を見回しヒントを探す。この磔を脱出する手立てはないのか?
ふと、リージェントは魔法陣の前で転がったままの扉がカタカタと震える異変に気付いた。吹き飛んできたとき、小さな魔物でも巻き込んでいたのだろうか?注視していると、扉の端が僅かに浮いたかと思えば、手下であるミニオンたちが抜け出てきて、こちらへ振り向く。ミニオンの一体は、サイレントがアイアンクラッドに渡した調理用のナイフを持っていた。
「お前たち……!」
眼を見開いたリージェントは、咄嗟にマレブランケの挙動を窺う。
マレブレンケは猛々しい刃と、紅き闘気を纏うアイアンクラッドの足元から陽炎が立ち込めるのを眺め、こちらにマントを見せ続けている。配下である騎士や魔物がどれだけ刃を浴びて倒れても、剣劇の鑑賞に浸ったままで気づいている素振りはない。
(でかしたぞ!!早くせんか!)
勘づかれぬよう、リージェントは小声でミニオンを呼びつける。
ミニオンたちは燃え盛る炎を避けて魔法陣の裏へ回ってから磔の下へ急いだ。
「♦!!!」
主を真っ先に救おうとリージェントの磔の下へやってくるが、ミニオンの小さな手足では真っ直ぐ伸びる磔をうまく登ることができない。
(馬鹿者!!余はいい!お前たち早くサイレントを解け!)
「~~~~!」
リージェントにだけ分かる言葉で了解の返事をし、ミニオンたちはナイフを手にサイレントの磔へ走る。角度のついた磔をよじ登ると、二体がサイレントを縛る縄へナイフを当てて
「お前たち!何してる!」
祭壇の近くにいた騎士が一人気づき、武器を手に走ってくる。しかし祭壇を埋め尽くす炎と煙に咳き込み、なかなか近寄ってこない。
騎士たちに見つかったミニオンたちは枷を外す手を早め、急ぐ。
「先ほどの人形か!」
「どこから入ってきた!鼠め!」
重装備の騎士たちが炎を踏みつけながら、ずかずかと近寄ってきた。近づいてきた騎士が剣を振り上げ、驚いたミニオンたちはナイフを手放してしまい、ナイフが魔法陣の中へ落下する。
「死ね!」
「!!」
しかし剣は振り下ろされなかった。片方の枷が外れ、動作を取り戻したサイレントの放ったナイフが、騎士の喉元に深々と突き刺さっていたからだ。
炎の中へ騎士が倒れ、燻されている間に、緩んだ縄を力づくで振りほどいて自由を得たサイレントは磔を飛び上がった。外套から抜き出した無数のナイフを飛翔させる。刃がディフェクトの、リージェントの、ネクロバインダーの拘束を寸分乱れず切断した。騎士や魔物を踏みつけるようにして空中を舞い、身を翻しながらサイレントは礼拝堂の中心に――騎士たちを斬り捨て、間合いを取ろうと下がるアイアンクラッドの背後へと着地した。
着地と同時に床へ手をついたサイレントは、深紅の衣を生み出し、交戦による傷で流れた足元に溜まるアイアンクラッドの血の中へ腕を浸す。燃える血が枯毒を、この身を炙った炎の火傷や水ぶくれを滅して身体中を癒し、全身に巣食っていた痛みが消えていく。
「なっ……貴様、生贄の分際で」
背後のアイアンクラッドが解き放った猛火に、眼前の騎士たちが焼却される間、サイレントは身を起こして腕に棘を纏う。外套から出した短剣を両手に構えながら、サイレントは忘れかけていた炎の温さを背中に受け止めた。背を任せられる男が、確かにそこにいる。ごく僅か、久方ぶりの安堵に浸ると、サイレントは武器を手に駆けてくる騎士たちへ反響する斬撃を放ち、血の海へ沈没させた。
「いつの間に……」
贄に捧ぐべき女が自由を得た姿を捉え、マレブランケがようやく祭壇へ振り返る。
「x1F9CA(氷の電子音)」
拘束を抜けたディフェクトがアイスランスを足元に叩きつけ、生み出されるフロストの力で焚炎を煙さえ残さずにかき消す。礼拝堂の内部へ急速に真冬の如き冷気が満ち、飛び散った氷の破片が、辺りの魔物や騎士の肌を斬り裂き、壁際まで吹き飛ばした。
「終わりにしてあげる」
自由を得たネクロバインダーは、既に呪文を唱え終わっていた。終末の日が彼方より飛来し、ステンドグラスや天井、壁までも突き破って礼拝堂のあらゆる存在へ容赦なく降り注ぐ。
「うわぁぁ!」
「マ、マレブランケ様……!」
破滅の力が魔物を、騎士を例外なく冥界へ連れていき、死を迎えた者からドミノのように順番に床へ倒れていった。
結界の力が弱まったことで、空間転移が機能するようになったリージェントは玉座を回収し、魔法陣に落ちてきた椅子の上に座した。三体のミニオンが磔を下りて急いで駆けつけ、玉座を持ち上げる。
「お前たち、よくやった。後は余に任せておけ」
リージェントが胸の前に手を持ってくると、ボールを握るように指を動かした。掌中に生まれる、青く眩い光。リージェントが腕を頭上に掲げて光を放つと、打ち上げられた
「貴様ら……」
ガラスや壁、石像が剝落する横で、けばけばしく積み上がる死の光景を見渡し、マレブレンケは剣を手にしたまま言葉を失った。マレブレンケが動かぬ隙に、ミニオンたちが玉座を抱えてリージェントを礼拝堂の中心へ連れていく。玉座の後ろをついてディフェクトが走り、ネクロバインダーも召喚の呪文を唱えながら駆ける。
「アイアンクラッドよ。よくぞ戻った。それでこそ我らの剣よ」
マレブレンケが首だけ動かす。
中央に座すリージェントの右に、輝くオーブをいくつも浮かべたディフェクトが、左に召喚の呪術を唱えて呼び戻したオスティと、オスティが回収した鎌を手にするネクロバインダーが並ぶ。リージェントの前には、未だ闘気を纏うアイアンクラッドが剣を構え、両手にダガーを握りしめるサイレントが隣り合う。二人とも仮面越しに、殺意を秘めた眼差しをマレブレンケにひしひしと浴びせていた。
「……これが、塔を登り続けるアセンダーの実力、ということか」
マレブレンケが正面に直り、既に陣形を組んだ五人を見据える。
黒き敵へ向け、リージェントが玉座の上から指を突きつけた。
「マレブランケよ、今更だが……一つ聞こう。貴様はアーキテクトに
問いかけに、マレブランケは答えず黙っている。しかし沈黙は正解を如実に告げており、この旅路において五人の共通の敵であることに揺るぎはない。
「x1f620(怒った電子音)」
コンデンサを展開するディフェクトが、デフラグ処理を行いながらサンダーの力を宿した。一呼吸置いてテンペストのプログラムを起動し、オーブスロットへ雷の力をいくつも宿す。
「さぁオスティ。準備は良い?」
相棒である巨人の手に蘇生の力を分け与えたネクロバインダーが領域の呪文を展開する。鎌を握りしめるネクロバインダーの横で、己を砕いたマレブランケを見据えるオスティが、今にも飛び掛かろうとするように体勢を低くした。
「マレブランケよ、余に言ったな。剣で語れと」
リージェントは今こそ顕現の
「望み通り今こそ、余の剣を――我らの力を見せてやろう」
対峙する間に、電気が充満したような緊張が礼拝堂中へ張りつめていく。伝播する互いの戦意に震えるように、シャンデリアに刺さっている蝋燭がジジ…と音を立てて揺らぎ始めた。
張りつめる空気を破るように、マレブランケが声を潜めて笑い出す。
「フフ……さすがは神へ捧ぐに相応しい者たちだ」
マレブランケが優雅な動作で、剣を正眼に構えた。
「よかろう。私に示すがいい。貴様らの力を――そして聞け。我が剣の語りをな!」
マレブランケが聖剣を手に、疾風となって襲い掛かってくる。マレブランケが振り下ろす重厚な刃を、真っ先に前へ出たアイアンクラッドが剣で払い除ける。すかさず再び剣を振り上げて全員を斬り裂こうとするマレブランケの切っ先目掛けて己の剣を当てて弾いたアイアンクラッドは、鋭い刺突を放つ。刺突を逃れようと一歩下がったマレブランケへ、仲間から敵の刃を遠ざけるように懐へ入ったアイアンクラッドが、なおも刃を食らいつかせようと剣を払う。マレブランケが刃の根本で受け止めると鐘を打ったような音が礼拝堂中へ響き渡り、二人は鍔迫り合いした。
アイアンクラッドがマレブランケを引きつける間にディフェクトが右へ、ネクロバインダーがオスティとともに左へ素早く動く。
「アイアンクラッドよ……失われた剣をもっと私に見せるがいい!」
興奮混じりに押し返そうとするマレブランケの手首目掛けて、アイアンクラッドが炎を宿した拳で殴りつけ、刃を手中から落とさせようとした。しかしマレブランケの興奮を煽るばかりで、大広間での続きとばかりに再びアイアンクラッドと剣の舞踏を繰り広げる。
己に応える、長年求めていた剣に血沸くマレブランケの眼前から、サイレントが文字通り消えた。
――私が語るのは、この手にある刃だけ。
「むっ……」
残像を伴う跳躍がマレブランケを攪乱する。アクロバットするサイレントは、残像を残しながらマレブランケ目掛けて跳弾を仕掛けた。アイアンクラッドの剣を跳ね除けて後退するマレブランケは、サイレントの刃を見切って襲い来るダガーを順番に剣で弾く。刃がダガーを捉えるごとに、サイレントの纏う棘が鎧にぴしぴしと当たって黒曜石の表面を抉っていく。弾かれた衝撃をバネに頭上へ舞い上がったサイレントが暴露の
「みんな、今よ!」
ネクロバインダーが衰弱の呪文を唱え、二人の刃に気を取られているマレブランケへ放った。呪文が命中し、立て続けに詠唱したネクロバインダーが呪肉の奇術を五人に宿し、畳みかける準備を整える。
「⚡」
すかさず指先のパーツを解放してビームセルを当てたディフェクトがコアを超臨界させ、生み出したエネルギーをオーブスロットへチャージしていく。
ディフェクトのビームに反応して呪肉の奇術を浴びたマレブランケの刃ごと強打し、僅かに怯ませたアイアンクラッドが下がると、隙を埋めるようにサイレントが背後から不意打ちを仕掛けた。力づくで二人の刃を払い除けるマレブランケの頭上に、突如青白い光が生まれる。
「むっ……!」
「マレブランケよ、我が剣はまだ踊っていないぞ」
リージェントの生み出した巨大な彗星が、マレブランケめがけて降り注ぐ。
聖剣で弦を描くように彗星を薙ぎ払おうとするが、チャージしたエネルギーを転換したディフェクトが、ライトニングオーブをマルチキャストして彗星の軌道外から雷の
「くっ……!」
予想外の攻撃を立て続けに浴び、よろめいて近寄ってくるマレブランケ目掛けて、ネクロバインダーが埋葬の呪術を秘めた鎌で大きく薙ぐ。鎌の刃先に具足を大きく削り取られ、一歩下がったマレブランケがネクロバインダーを屠ろうと剣を振り下ろした。しかしリージェントが操ったソヴリン・ブレードが大きくパリィし、星の剣に弾かれたマレブランケが後退する。
「ふっ……これが貴様の剣ということか」
未だ余裕を崩さぬマレブランケがリージェントを見つめながら、痛みや
剣聖の力を宿したリージェントはミニオンたちに指示して玉座を手に走らせ、マレブランケの正面に移動し、相対した。
リージェントが攻撃する間の隙を埋めようと、玉座の傍らにアイアンクラッドが戻ってきて剣を構える。サイレントは墨の塗られた刃を手に再び背後へ回り、ネクロバインダーとディフェクトも左右へ動いて囲い込む姿勢を崩さない。
「さぁ我らと踊るぞ、マレブランケ!」
背後のサイレントが残像を残して走りながら墨の刃を投げつける。何本かはマレブランケの操る剣に弾かれるが一本が鎧の隙間をすり抜けて肌に突き刺さった。マレブランケの動きが鈍くなったところで、ネクロバインダーが
隙が生まれたのを見逃さず、コアの電圧を上昇させたディフェクトが、辺りに建つ柱よりも太い
「マレブランケよ、我がソヴリン・ブレードと戯れよ!」
望み通りにマレブランケが剛剣と呼べる重い一撃を払い、リージェントが再びソヴリン・ブレードでパリィして弾く。すぐさま踏み込んだマレブランケが右上から左下へ線を描くように、袈裟斬りを仕掛けてくる。リージェントが剣を当てて払い除け、返す刃で一太刀浴びせようとするが、マレブランケはそれ以上のスピードで剣を左右に振り動かしてソヴリン・ブレードを間合いの外へ弾き飛ばそうとする。ソヴリン・ブレードの進行を止めながら詰め寄ってくるマレブランケが、両手で聖剣を握りしめ、豪快な一刀を振り落とす。
己の近くへ弾かれたリージェントのソヴリン・ブレードを手にし、アイアンクラッドが前へ踏み込む。二本の剣を頭上で交差させ、全てを大破させるような凄まじい剣圧ごと、マレブランケの一撃を真っ向から受け止めた。火花を散らしながらぶつかり合う剣によって肌を裂くような風が吹き荒れ、礼拝堂に飛び散っている瓦礫や破片が舞い上がる。
アイアンクラッドの兜へ己の大兜を寄せ、マレブランケはどこか笑いを抑えこんだ小さな声で話しかける。
「お前は悪魔の奴隷だと聞いたことがあるが……もったいないものよ。悪魔のために剣を振るうのが、お前の喜びか?フフ、悪魔もさぞや気に入っているのだろうな……」
マレブランケの言葉に、アイアンクラッドのこめかみが、怒りまでも導火線のように脈打つ。
力づくでアイアンクラッドの剣を払い除けたマレブランケが刃を振りかぶる。すかさずアイアンクラッドの手中にあるソヴリン・ブレードを操ったリージェントが、青い閃光を纏う剣の舞を披露した。襲い来る刃を弾いて後退するマレブランケを征服するかのように、リージェントがソヴリン・ブレードを振り下ろす。ダンスの要求に応えるように剣を弾いたマレブランケは、回転しながら全方位へ剣を薙ぐ。
リージェントとアイアンクラッドが放たれる刃を弾いて捌く。オスティが襲い来る刃からネクロバインダーを守り、ディフェクトがホログラムを残しながら後退して間合いの外へ出た。ブラーを纏いながらサイレントはマレブランケの刃をすれすれで避け、頭上へ跳躍する。
「アセンダーよ、大人しく贄となるがいい!」
マレブランケが剣を石床に勢いよく突き刺し、遠当てを放った。風圧にサイレント以外の四人は吹き飛ばされぬようその場で踏ん張る。
頭上から仕掛けてくるサイレントの姿を捉え、マレブランケが両手で斬り上げてくる。命中すれば身を両断するほどの重い一撃、サイレントはダガーを眼前で交差して受け止めた。びりびりと身体中に伝わる反動に、宙に弾かれたサイレントはそのまま空中でバックフリップする。無防備になったサイレントに、マレブランケは追撃をしかけようと一歩踏み込んだ。次の一撃が振り下ろされれば文字通り真っ二つになるのを、サイレントは本能で理解している。だが例え回避のためだとしても後退する意思は微塵もなかった。
――ここで、お前を狩る。狩ってやる。
仮面の奥に潜む殺意に満ちた眼差しを受け止めながら、マレブランケが返す手で聖剣を振り下ろす。
身を翻しながら短剣をきつく握りしめるサイレントの後ろへ、アイアンクラッドが走ってくる。サイレントはアイアンクラッドへ視線を送った。仮面越しに合図を受け取ったアイアンクラッドは、剣を握りしめながら僅かに身を引く。アイアンクラッドが一撃を振り払う直前、サイレントはするりとアイアンクラッドの剣の上に着地し、彼が刃を薙ぐ勢いを味方にして弾丸のように飛んだ。
外套すれすれを刃が掠め、光よりも
ついに入った狩猟の深い一撃、急所を抉られたマレブランケの身体がふらりと体勢を崩して膝をつき、血濡れた兜がゆっくりと床へ倒れていく。
「やった……やったわ!」
「x1f44d(サムズアップする電子音)」
「でかしたぞ!サイレント!」
ネクロバインダーが鎌を下ろすとオスティも臨戦態勢を解き、ディフェクトが視覚ユニットをキラキラ光らせながらその場で飛び跳ねる。リージェントが玉座に拳を叩きつけると、足元にいるミニオンも踊るように腰を左右に振った。
――ようやく仕留めた。
立ち上がったサイレントが振り返る。マレブランケを挟んで向かいに立つアイアンクラッドもまた、乱れた呼吸を整えながら、構えていた剣を下ろして床に突き刺した。戦いが終わったことで、アイアンクラッドの身体から沸き立っていた闘気が、深紅の衣も消えていく。
「アイアンクラッドよ!」
呼びかけられ、アイアンクラッドは声の方向へ振り向く。ミニオンたちが主人を乗せた玉座を目の前に運んできた。玉座に腰掛けるリージェントの眼は、いつになく柔和な輝きを宿して笑っている。
「余のミニオンを連れて、よくぞ戻ったな!お主を、信じていたぞ」
玉座を支えるミニオンたちがうんうんと相槌を打つように首を上下に動かした。
「♦!~~~!~~~!!」
「♦!~~!!~!」
「♦!~~!~~~~!!」
「ほうほう……お前たちの土産話は、後でじっくり聞かせてもらうとしよう」
何事かを嬉しそうに話すミニオンたちに、リージェントは腕を組み、満足そうに相槌を打つ。
「アイアンクラッド!」
オスティとともにネクロバインダーが駆け寄ってくる。ネクロバインダーは、そこに立つ男が幻でないか確かめるようにアイアンクラッドの腕を掴む。火を宿した熱い体温が骨に伝わってくる。やはり、噓などではない。ネクロバインダーの目のない眼窩に、潤いが込み上げてきた。
「よかった……本当によかった……!」
「x1f606(大喜びする電子音)」
駆け寄ってきたディフェクトも、嬉しそうな電子音を放ちながらアイアンクラッドに腕を回して抱き着く。もう会うことはないと思っていた友の姿に喜び、ディフェクトはアイアンクラッドに頬ずりした。普段、傷口を押さえてさすろうとする腕からアイアンクラッドは逃れるようにして距離をとっていたが、今は黙ってディフェクトのやりたいようにさせ、立ち尽くしていた。
勝利に浮かれる仲間をよそに、サイレントはナイフを手にしたままアイアンクラッドへ顎をしゃくった。いつものように、サイレントは狩猟の
サイレントが仕留めた相手へ近づいたとき、突如息絶えたはずのマレブランケが兜を上げた。
咄嗟にサイレントは地を蹴って四人の元へ戻り、ナイフを握りしめて構える。アイアンクラッドも刺した剣を素早く引き抜き、ネクロバインダーもオスティと並んで鎌を構える。ディフェクトもオーブを準備し、ソヴリン・ブレードを玉座の周りに浮かべたリージェントが身を乗り出す。
「貴様、まだ息があったのか……!」
「言ったはずだ。私は大いなる存在たるエンシェント……貴様ら如きに敗北など、あり得ぬ」
首からどくどくと溢れていた血が止まり、マレブランケはふらつきを見せない確かな足取りで立ち上がった。
戦闘態勢を取り戻した五人を正面に見据えると、マレブランケは両手で握りしめた聖剣を頭上に掲げた。
すると、礼拝堂に残っていた騎士たちや魔物の死体が白く光り出す。死した骸が光に包まれたかと思えば、肉体が光に飲み込まれて影も形も失い、無数の光の珠だけが人魂のように礼拝堂のあちこちに漂い始めた。
「我が元へ集え」
マレブランケの声と共に、百を超す眩い光が磁石でもくっついているかのように聖剣に引き寄せられ、柄にはめ込まれた白い石へみるみる吸い込まれていく。
「まさか……聖剣が生命力を吸ってる……!?」
剣へ集う光の眩しさを腕で遮りながら、ネクロバインダーが声を上げた。
柄にはめ込まれた石が白い輝きを刀身へ波打たせると、剣を握る手を伝ってマレブランケの身体にも眩い輝きを与える。
なおも集う配下たちの命に混じって、彼らが装備していたであろう祝福――七色に輝くジェムや何かの角、丸っこいキャンドル、装飾のついた腕輪、騎士が武器として使っていたであろうかぎ爪、赤いチョーカーといった装飾品までもが空中で縮こまっていき、石へと吸い込まれていった。
「なっ……!?」
リージェントが目を見張る間にも、マレブランケは生命力だけでなく配下の装備品が持つ力をも宿し、なおも天井へ刃を突き出した。
五人が頭上を見上げる。最初にマレブランケと交戦した大広間が崩落した天井の隙間から窺えた。広間の祭壇に祀られていた、一際強い光を放つ水晶がガラスのように砕け散る。破砕した途端に広間を、礼拝堂まで白一色に染め上げる閃光を放ったかと思えば、莫大な光の奔流が天井の隙間から降り注ぐ。頭上から流れ落ちる白い大河がマレブランケ目掛けて降り注ぎ、光が身体に宿っていく。
「フフ……アセンダーよ、我が真の力を見せよう」
マレブランケが小さく笑うと、破損した鎧の隙間から、樹皮のような硬い肌が露わになったかと思えば、大兜から木の枝が突き出てくる。枝は葉をつけながらみるみる生え広がり、頭の左右に牡鹿のように巨大な翼状の角を誕生させた。風船のようにマレブランケの身体が膨れがっていき、纏っていた黒い鎧が音を立てて剥がれ落ちていくと、露わになった身体に分厚いキノコや植物が鱗のように生えていく。
「……あなた、まさか……
ネクロバインダーが目を見張る間にも、生み出される
いわば、エンシェントとしての真なる姿へ
「アイアンクラッドよ……今はもう失われし剣、充分に堪能させてもらったぞ」
マレブランケが大地を裂くような一閃を放つ。アイアンクラッドは反射的に剣を弾こうとするが、刃と刃がぶつかった途端、辺りの壁や柱を打ち砕くほどの凄まじい衝撃波が発生した。嵐の如き強烈な暴風が五人を襲い、なすすべなく祭壇まで身体が投げ出される。 刃の一撃をまともに引き受けたアイアンクラッドの身体へ、マレブランケが剣を振り下ろして追撃する。刃を跳ね除けるよりも早く胸から腰へかけて深々と太刀が入り、休む間もなくマレブランケが高速で腕を斬り裂く。再び斬り下ろす剣の衝撃で床に叩きつけられたアイアンクラッドは、大量の血を零しながら祭壇へ転がった。気絶こそしなかったものの、激しく床に叩きつけられたショックで剣を手放してしまい、未だ巻き起こる風圧によって剣が礼拝堂の隅へ吹き飛んでいく。
ここまで来て、倒れるわけにいかない――五人は、よろめきながらも立ち上がった。剣風によって平衡感覚に異常をきたしたせいか、足元が覚束ない。
まだ勝算はある。向こうがいわば奥の手を出したのと同じように、こちらもまだ悪魔の、大蛇の、反響の、虚無の、死神の力が――とっておきがある。
「今こそ、貴様らを神に捧げるとしよう」
マレブランケが大剣を頭上に掲げる。五人が力を引き出して反撃に転じる前に、足元にある魔法陣が聖剣に呼応したかのように、うっすらと白い輝きを放った。光が
「うッ……!」
「き……貴様……!」
「~~~……」
――なんだ、これは……!
サイレントも脳を直接揺さぶられるような感覚を覚えて吐き気が込み上げた。立っていられず、胃の辺りを抑えながら膝をつく横で、ディフェクトもシステムに異常をきたし、視覚ユニットにエラーの表示が絶え間なく流れ、コアが不安定な点滅を繰り返し始める。
「x1f635(目が回る電子音)」
「な、な……に、これ……っ!?」
「魔と
――これが、呪いだと……。
アイアンクラッドもどうにか上体を起こすが、神経に直接作用する呪いが脳に負荷をかけ、鼻血が絶え間なく流れ始めた。
――また、血が止まらない……呪いと……結界とやらのせいか……。
傷口から流れる血が鼻血を交えて足元にぼたぼたと無遠慮に垂れ流れていき、鎧を、肌を赤く濡らす。燃える血も機能せず、傷が治らない。アイアンクラッドの瞳の中で傍らにいる仲間が十人に増えたり三人に減ったり、毒々しい原色を散らしたかと思えば鈍い白黒の存在になったりして見え、視界が激しくぶれた。
――まずい……次に奴の剣が振り下ろされたら……。
「アセンダーよ。神が降誕した暁に、お前たちの勇敢さを伝えよう。私が、お前たちが生きたという証人となろうではないか」
マレブランケが紅い目をギラギラと輝かせながら、一歩一歩、確かな足取りで近づいてくる。聖剣が、五人の首を刎ねるのを待ち望んでいるかのように、マレブランケの手中でぬらりと光を放った。
頭蓋骨の内からハンマーで叩かれているような激しい頭痛に、心臓がどくどくと脈打ち、すぐそばにいるはずの仲間の声も聞こえなくなってきた。朦朧としたアイアンクラッドはもはや顔を上げていられず、足元に広がる魔法陣をぼんやりとした目で見つめる。魔法陣はなおも呪いの力を五人へ注ぐように、未だに明滅を繰り返していた。
――魔法陣をどうにか破壊すれば、動けるかもしれない……。
方法など分からない。だがマレブランケが、自分たちを殺す凶刃がすぐそこまで迫っている。時間がない。
思いついたアイアンクラッドは、描かれている図柄にどうにか視界の焦点を結ぼうとする。引かれている線を、窪みを見つめると、ふと頭蓋の奥が、古い記憶が疼く。何故だか分からないが、これに見覚えがあるような気がするのだ。
呪いと剣によって切り刻まれた全身を苛む痛みに耐えながら、擦り切れた記憶を漁る。
――ああ……そうか……だから……。
焦点の曖昧な瞳に発破をかけて無理矢理動かし、魔法陣の形を、描かれている紋様を隅々確かめる。やはり古い記憶と合致していた。
次にアイアンクラッドは思案した。だが思案の必要などなかった。もう決まっていた。
秤の傾き方は予め定まっている。天秤の結果を見たいのではなく、乗せるべき希望がすぐそばにあるかどうかが、アイアンクラッドにとって最も大事なことだった。
故に、アイアンクラッドはもう迷わなかった。
――誰も……俺の前で……喪いたくない。
「むっ……」
マレブランケは、顔を伏せたまま血を吐き出すアイアンクラッドが不自然に手を伸ばすのを見逃さなかった。アイアンクラッドは、ミニオンが磔から落としてそのままになっていた調理用ナイフを手に取る。
最後のあがきだとマレブランケは剣を構えた。だがアイアンクラッドは眼前のマレブランケでなく――自らの心臓に短剣を突き刺す。
「アイアンクラッド……!?ちょっと、何をしているの……!?」
痛みに呻いていたネクロバインダーが眼前で起こった異変に悲鳴じみた声を上げた。アイアンクラッドは無視し、根本まで深く刃を埋めて捻る。短剣を握りしめる己の手が滑り落ちぬよう、激痛に顔を歪めながらも、胸に突き立てた短剣をもう片方の手で無理矢理引き抜いた。
「……ッ……!!」
鮮烈な激痛の中心で、短剣に目を落とす。短剣はどろどろの血を吸って、濡れそぼっている。
アイアンクラッドは血濡れたナイフを魔法陣に突き刺した。血を堰き止めていた刃が抜かれ、胸からごぼりと泥のような粘り気ある血を吐き出し、アイアンクラッドは上下の感覚がなくなるような激しい眩暈を覚えながら、どさりと魔法陣の中に倒れ込む。
これでいい。
――早くしろ……。
「お主……!何をしとる!血迷ったのか!?死んだ方が楽になれるとでも思っておるのか!そのような軟弱な思考、余は許さんぞ!!」
リージェントは腹を押さえるようにして痛みを堪えながら、玉座の上で顔を上げ、アイアンクラッドへ激昂を飛ばす。
「アイアンクラッドよ!!何をしておる!貴様!起きんかッ!!」
リージェントが悲鳴にも似た叫び声を上げながら、何度も玉座に拳を打ち付けた。
――お前、何を勝手なことをしてるんだッ!
サイレントが四つん這いの姿勢でどうにか手足を動かし、アイアンクラッドの傍らに動く。男の身体をゆすぶった。反応はない。舌打ちしたサイレントは思わず頬を平手で打ったが、アイアンクラッドは声も上げない。
――許さない。ここまで来て諦めたというなら……私たちの前から去ろうとするなら――。
「x1f630(悲しみの電子音)」
ディフェクトが這いつくばるようにしてアイアンクラッドの元へ寄り、いつものように腕を取った。脈が弱い。口元に手を当てる。僅かな呼気を感じるが、糸のように細く消えかけている。心臓をスキャンするが、結果を参照するまでもなく、鼓動はゆっくりと止まり始めていた。
――まだ、いるんだろう……お前は……これを、探していたはずだ……。
もう唇が動かない。
ぼやけた己の
「どうして……?アイアンクラッド、どうして……!?」
ネクロバインダーを支えようと、どうにか起き上がり、よたよたと覚束ない足取りでオスティが動いたとき、チチチ、と鳴き声がどこからか聞こえた。ミニオンたちが聞き覚えのある鳴き声を耳にし、寝そべったまま首をきょろきょろと動かす。
「……アイアンクラッドよ……貴様、何を……」
マレブランケでさえ事態が飲み込めず、剣を脇に提げて足を止めた。
血だまりが魔法陣を描く窪みに流れ込んだとき、まるで何かの意思を持ったかのように、黒い線に沿って一人でに中央へ流れていく。久方ぶりの潤いに歓喜するかのように、線を描く窪みはサイレントが投げ放つナイフのスピードのような、異様な速度でアイアンクラッドの鮮血を飲み込んでいく。
呪いの輝きが男の血によって上書きされたことで、途端に四人の身体を蝕んでいた痛みや不調が消えた。何が起きているのか確かめようと四人がふらつきながら立ち上がる間にも、魔法陣はなおもアイアンクラッドの血を啜った。やがて血で満たされた魔法陣は赤い盃へと生まれ変わって、血そのものが
四人が磔にされていた魔法陣の中心には、突如として赤い蒸気を吸い込む炎の渦が生まれ、轟々と燃え盛り始めた。四人は炎の灼熱から遠ざかり、アイアンクラッドの身体を囲うようにして背中合わせになる。
「……これは……アイアンクラッド、あなた……まさか……」
記憶の底から魔法陣の効果を引き出したネクロバインダーは、
――俺は……お前の、望み……通り……
「思い出しましたか?千年経っても忘れるはずがありませんよね?」
「……その声……お主……」
礼拝堂の
「むっ……!?」
礼拝堂が闇に落ちたかと思えば、蝋燭が何かを改めて歓迎するように、一斉に激しい紫炎を灯して揺れる。
風もないのに、シャンデリアが振り子のように左右へ揺れ始めた。マレブランケも動揺を隠せぬ中、頭上のシャンデリアの揺れは少しずつ広がり、円を描くようにぐるぐる旋回し始める。繋ぎとめている鎖の軋む音が響き渡ると、蝋燭から零れた蝋が床に飛び散り、蝋が触れた箇所の石床が焼け焦げて氷のようにどろどろと溶けていく。蝋の飛沫を浴びた祭壇画もみるみる黒焦げになり、描かれているマレブレンケの姿は急速に威光を失った。
「な、なに……?」
地響きの如き振動が礼拝堂を、礼拝堂だけでなく城内を、城壁の隅々までを包み、大地ごと引き裂こうとするように震え出す。破壊した窓の向こう、広がっていた庭が荒れ果て、城壁が轟音を立てて倒壊していき、壁の向こうに四人が乗り越えてきた高原が見えた。揺れに立っていられず四人がうずくまると、途端に足元に広がる魔法陣の縁に沿って、紫炎が軌道を描きながら激しく燃え盛り始めた。がたがたと城中を包んでいた震えによって礼拝堂の壁が剥がれ落ち、天井は崩落してシャンデリアが一つ二つと、繋ぎとめていた鎖ごと落下して豪快な破砕音を轟かせ、細かな金具が飛び散る。辺りに胡椒をまぶしたような灰の噴煙が礼拝堂中に立ち込めると、丸めて広げた紙のようなぐしゃぐしゃの軌跡に沿って地割れが起こり、床の石と石の接合面が左右に、あるいは上下に離れていく。石と石の間に生まれた隙間を接着するかのように、どこからか真っ赤な溶岩が流れ始めた。崩落した壁や柱、天井の瓦礫が目を焼くほどの鮮烈な赤いマグマへ飲み込まれていく。
「x1f4a6(汗だくの電子音)」
礼拝堂内の気温が上がり続けて真夏を超える酷暑となり、ディフェクトが慌ててフロストのオーブを浮かべて皆を守ろうとするが、団扇を仰いだ程度であまり効果がない。手の甲で汗を拭うサイレントのすぐ近くに、頭上でかろうじて繋ぎ止まっているシャンデリアの蝋が降ってきた。身を引いて避けたサイレントが首を上に向けると、どこからか舞い込んだ葡萄色の蝙蝠が一匹、魔法陣の上を螺旋状に飛び回りながら高度を下げてくる。静かに滑空して下りてきた蝙蝠がアイアンクラッドが突き刺した短剣の柄にとまり、付着した血を舐めると、チチ、とまた鳴き声を発して翼をはためかせる。だが翼を動かした一瞬のうちに、蝙蝠は磔の周囲で
蝙蝠の姿を――四つの金の瞳を捉えたとき、マレブランケが紅い目を見開いて、樹皮の唇を震わせながらあからさまに狼狽える。
「……馬鹿な……貴様……何故……!?」
「やっと
礼拝堂に満ちる火が、煙が、生まれる灰が、どこか恭しい曲線を描きながら蝙蝠へ集って身体を包む。空中に炎の繭が生まれたかと思えば、城を崩落させて瓦礫へと変えていく地割れがぴたりと止まり、燦然とした輝きを放って繭が爆発する。爆心地には、スパイアの下層に存在するはずのない聖なる悪魔、ヴァクーが人間ほどの体躯で姿を現し、礼拝堂に満ちる全ての火を統べ、契約の書物を無数に積み上げて作られた玉座へ膝を組み、腰掛けていた。
「大悪魔ヴァクー……!あなた、どうして……!」
ネクロバインダーは震える手で鎌を握りしめ、頭上で悠々と座するヴァクーへ迫る。
「アイアンクラッドはあなたに魂を捧げたのでしょう!?今度は命を捧げさせてまで、どうしてここに来たの!?」
「もう一度契約したいと勝手に命を差し出したのは奴隷の意志であって、私の意志とは無関係ですよ」
「なんですって……!?」
「貴方なら分かるでしょう?この禁呪で呼びかけられたら、否が応でも応えなければならないのですから」
ククク、と普段栄光の路へ訪れた際のように、悪魔が笑う。
――最も、こうなることが分かっていたから先ほど男に忠告しておいたのだが。奴隷が奴隷らしくご主人様と呼んで跪けばそれでよかったのだが、人形は些末な恥を捨てられず、署名があるかないか程度の差異はあれど、燃える血を授けたときと同じような手順で仰々しい嘆願を見せた。相も変わらずの思考だが、形はどうあれこちらの目論見通りに動き、しっかり忠誠を見せたのは僥倖と言えよう。
牙を見せて不穏な笑みを見せるヴァクーの元へ、呪いが消えたことで動けるようになったミニオンたちが慌てて玉座を持ち上げ、足元の灼熱にも負けず玉座ごとリージェントを近づける。
「ヴァクーよ!貴様もしや……同じエンシェントとして、こやつの助太刀にでも参ったつもりか!」
「同じ?」
リージェントが指を突き出して問い詰めると、突如大気を震わすような低い声でヴァクーが反芻する。これまで塔を登る過程で祝福を授ける際に、嘲笑や邪悪と分類できる見下したような声と全く違う、聞いたことのない声であった。
「……ククク、王様、こんな出来損ないと私を同列にしないでください」
「何?……出来損ない?」
突きつけていた指を腕ごと下ろし、リージェントは玉座ごと振り返ってマレブランケを見据えた。
ヴァクーを見据えるマレブレンケは、聖剣を手にしたまま強張った様子で身を震わせ、身体に茂る植物がかさかさと音を立てる。
「私の生み出した結界を破ることは、いかに悪魔の力をもってしても容易いことではないはずだ……!貴様らに見つからぬよう、緻密に準備してきたというのに…ッ!」
「その結界を生み出せたのは、誰のおかげだと思っている?」
再び、重々しいヴァクーの声が響き渡る。辺りに燃え広がる炎を反射する四つの瞳は、禍々しい金色を宿していた。
「x1f975(暑い電子音)」
浮かべる氷が灼熱にみるみる溶けていき、ただの湯へと変わるオーブを次々に入れ替えるディフェクトの腕部パーツに、頭上のシャンデリアから垂れた蝋が落ちてくる。水滴ほどの小ささだというのに、ディフェクトの腕を貫通して内部を通るケーブルを焼き切り、黒い焦げ跡を残した。
「くっ……!それとも貴様、我らを干上がらせるために、わざわざここへ来たのか!?」
「これはこれは失礼しました。違いますよ、異星の王様。お詫びにこちらをどうぞ」
小さく笑ったヴァクーが四人へ向かって手を広げると、どこからか現れた一枚の赤っぽい布がはためきながら魔法陣の内側に落ちてくる。リージェントが頭上で掴み取ったそれは、ヴァクーが授ける祝福の一つ――気高きケープ。
リージェントはケープを握りしめると憤慨し、臆さずヴァクーへ指を再び突きつけた。
「ヴァクーよ!こんなときに代償を払えと申すかッ!」
「ええ、もちろん。代償はこれから払っていただきますよ――マレブランケに」
「……何だと?」
予想外の返答に腕を下ろしたリージェントだけでなく、ネクロバインダーも、サイレントも、ディフェクトも不審を覚えて頭上のヴァクーを見据える。常に代償を要求するヴァクーが、こちらが被るリスクもなしに祝福を授けるなどあり得ない。
四人から顔を逸らしたヴァクーは、マレブランケへ改めて四つの瞳を向ける。
「マレブランケ。私の用件は分かっているな?」
契約の書物に座すヴァクーは頬杖をつきながら、反対の腕を動かすと、長い爪を生やした人差し指で足元を指し示す。
「これを私の
ヴァクーにつられて四人は足元を見下ろす。アイアンクラッドの血を吸い込み、未だ灼熱を生み出し続ける魔法陣。
ネクロバインダーは再び顔を上げ、ヴァクーを睨む。
「……盗んだ?」
「おや、まだお気づきにならないと?これだけではありませんよ。先ほど、奴の剣が吸ったのを見たじゃありませんか」
吸った、という単語に、サイレントはマレブレンケが手にする聖剣へ瞳を動かす。
仮面を動かすサイレントにつられてリージェントもマレブレンケへ振り返り、柄にはめ込まれている石に吸い込まれていった光を、装飾品を思い返す。
ようやく気付いたリージェントは思い出せなかった己を恥じた。よくよく考えれば、見覚えあるものだったというのに。
「……そうだ!あれらの装飾品……貴様らエンシェントが我らに授ける祝福ではないか!」
ディフェクトとネクロバインダーもマレブレンケの持つ聖剣の柄に吸い込まれていった光を思い返す。リージェントの言う通り、あれはオロバスが授けてくれるプリズムジェムにパエルの角、丸っこいカボチャのようなキャンドルはテスカタラの祝福。さらにノヌペイペが授けてくれる麗しの腕輪、かぎ爪はタンクスが授けてくれる心強い武器。赤いベルベットチョーカーもダーヴが収集し、塔を登る五人へ授けてくれるレリックだった。
「そう。マレブランケは魔物たちを利用し、我らエンシェントが貴方たちへ祝福を授ける隙を見計らって、別の祝福を強奪しました。私たちの目につかぬよう指示して集め、貴方たちが塔を彷徨う間に手にするべき平凡なレリックもかき集めて、精巧に作ったレプリカとすり替えたのです」
「レプリカだと?」
「それもお気づきにならない?王様なら分かるでしょう?味が違うと、自分でおっしゃっていたではありませんか」
「……味?」
ヴァクーの言葉に、これまでの旅路を振り返ったネクロバインダーは、ハッとして顔を上げた。
「……そうか……お茶……」
「何?」
「リージェント、あなた繫茂の地で休憩したとき、言ってたわよね。私の淹れたお茶がなんだか美味しくないって……あれは茶葉じゃない。拾ったレリック……ティーセットの方に問題があったのよ」
頭上のヴァクーが正解だとでも言いたげに、にやりと笑う。
「ティーセットがレプリカ……?こやつ、何故そのような真似を……!?」
「さすがにレリックが一つも拾えなくなったら、こそこそ準備していることが誰かしらに勘づかれますから。我らエンシェントは古代の種より生まれし者ですが……マレブランケの種はどうにも成長が遅く、枝葉をつけて育ち切る前に枯毒で汚染されたのでね……未熟なまま生まれたのですよ。エンシェントなどではなく、ただの出来損ないとして」
「黙れ、悪魔めッ!私は出来損ないなどではないッ!!」
怒りを露わにしたマレブランケが床へ叩きつけるように大剣を一度振り動かす。
「そしてかき集めたあらゆる
「……故に、こやつはネオーの地図が必要だったということか」
意図をようやく知ったリージェントが、マレブレンケを睨む。
マレブランケは息を荒げ、わなわなと身を震わせているだけだった。
「私たちエンシェントがスパイアへ居を構え始めるのを見計らって、契約に使う私の紋章も盗むとはな。自分の祝福であるかのように偽って利用していたようだが……盗人猛々しい」
「黙れッ!貴様に何が分かるッ!」
「知っているに決まっているだろう。お前は生まれたときから盗人だった。枯毒により阻まれていた成長を遂げようと、お前は手っ取り早く魔物や人間を殺し、有象無象の生命力を啜って生き長らえた。強いて言えば、手近に落ちていた棒を振り回す能があっただけ。手を叩いて褒めそやす馬鹿な連中を従えて騎士団を創設し、我々に反逆する機会を窺っていた。あの目障りなアーキテクトに認められたかったんだろう?何が違う?違うなら言ってみろ」
矢継ぎ早に己を咎めるばかりでなく、唾棄してくるような悪魔の物言い。マレブレンケの冷静は吹き飛び、不快な存在を目の前から消し去りたいという欲求を増長させた。マレブレンケは怒りを思い知らせるように足音を響かせながら魔法陣の前にやってくると、握りしめた剣を大きく振り上げる。
「悪魔め……我が聖剣の前に散れッ!!」
ヴァクーは頬杖をついたまま、魔法陣を指し示した人差し指だけを目線の上に持ち上げる。噴火させた怒りごと振り下ろされたマレブランケの凶暴な一撃を、ヴァクーは指一本で、いとも簡単に受け止めた。
「なっ……」
四人が目を見張る間に、ヴァクーは握っていた指を広げて、マレブランケの刃にそっと添える。
「これが……聖剣?私たちの力を集めるだけ集めて、転化したこれが?」
ヴァクーが手で撫で付ける仕草を見せるだけで、剣が弾かれたように大きく跳ね返った。衝撃に堪えきれなかったマレブランケがよろめきながら後ろへ下がる。
「それに……
笑みを潜めると、ヴァクーはいつになく低い声で続ける。
「神など、ほざくだけだろう?マザレスを信仰する者の有様を見れば分かることだ。困難は全て『お前の試練だ』『乗り越えてみろ』などと都合よく解釈させるのが神のやり口。そんな戯言に頼る時点で、お前の全ては
「悪魔如きが講釈を垂れるなッ!」
「これは講釈ではない。事実だ」
金の瞳を細めたヴァクーは頬杖をつくのをやめ、積み上げた契約の書物に胡坐をかき、マレブランケを見据える。
「栄光を望むなら、お前は私の元に来て契約を結べばよかった。最も、お前は代償を支払う度胸などなかったようだが……同じように希求したそこの人形は、ちゃんと私の
悪魔の言葉につられ、四人は倒れ伏すアイアンクラッドを見つめた。別れた橋上での出来事と同じように、自分たちを守ろうとして命を差し出した男を。
ネクロバインダーがしゃがみこみ、血濡れた男の手をとってみる。さっきまで熱い火照りを宿していたのに、足元の血だまりに、その下にある魔法陣に命を吸われていつになく冷たい。ディフェクトもつられてしゃがみ、動かぬ男の身体に腕を回して寄せてみる。既に鼓動は止まっている。視覚ユニットから冷却材やオイルの混じった液体がぽろぽろ零れた。リージェントはヴァクーから渡されたケープを手にしたまま、玉座の上できつく拳を握りしめ、息絶えた男を見据えた。アイアンクラッドを見下ろすサイレントは眉を寄せ、こめかみや腕の血管がぴくぴく脈打つのを感じ取っていた。
――ようやく戻ってきたと思ったら、誰も頼んでないのに悪魔へ命を差し出して死ぬ?お前、どこまで自分勝手なんだッ!
喪失に打ちひしがれる四人を無視し、頭上の悪魔はマレブレンケをねめつけながら問う。
「そんなに神が恋しいか?」
「何……ッ?」
「選ばれたいか?マレブランケ」
「何のつもりだッ!貴様、傲岸に神を語るつもりかッ!?」
「神を欲するんだろう?なら、望み通りお前を選定してやろう」
ヴァクーが腕を伸ばし、足元の魔法陣へ広げた
魔法陣の縁に、窪みに――すなわち悪魔の名前に――沿って、無数の紅い光の線が放射する。光線を浴びると沸き起こっていた熱蒸気が、床の裂け目をどろどろ流れるマグマが、未だ天井に残るシャンデリアの蝋燭が、あらゆる炎が軌跡を描きながらヴァクーの元へ集う。間もなくあらゆる灼熱が、悪魔の背に生える薄紅の翼に宿り、翼そのものが紫炎を纏って燃え上がり始める。ヴァクーが翼を大きく広げると、やがて天を覆い尽くすほどに舞い上がる紫炎が一本の火柱となり、シャンデリアや瓦礫ごと天井を紙切れのように燃やし尽くし、頭上に空が開く。威容と栄華を誇っていた城がガラガラと音を立てて崩壊すると、生まれし紫炎の柱の先端にさなぎのような膨らみが生まれた。塔を登頂する際に出会うあらゆるエンシェントたちの倍以上の大きさに膨らむと、蛹化したかのように、紫炎の塊の内から天使の如き炎の羽毛を持つ翼が現れる。一枚、二枚と増え続け、左右対称に三枚、合計六枚の翼が生まれると、炎の皮膜が熱波をもたらしながら吹き飛ぶ。ヴァクーの翼から顕現した存在は、赤や紫だけでなく、青や緑、黄といった様々に燃え盛る炎を重ね合わせた、一糸纏わぬ女の
「な、なんだ、これは……!?」
「x1f632!?(驚愕の電子音)」
「……なんて、綺麗……」
玉座から身を乗り出して紫炎を見上げるリージェントの横で、ネクロバインダーは炎に感情ごと眼を攫われ、場違いな声を上げた。サイレントも息を忘れて頭上の存在に視界が囚われ、ディフェクトも思わず立ち上がり、視認したことのない存在をスキャンする。
「……ば、かな……まさか……戦、女神……?」
空を覆い尽くさんばかりに広がる炎の翼を数えながら、これまで覚えたことのない
「何故だ……何故、貴様が戦女神を……ッ!?」
「神などという沈黙を渇望するなら、お前にくれてやる」
ヴァクーの言葉を合図に、翼から生まれし炎の女が、六枚の翼を孔雀のように広げる。
女神の唇が動き、いにしえに葬られた
「ぐっ……がはッ……!」
降り注いだ炎の重苦がマレブランケの全身を容赦なく貫く。致命傷を裂けるべく襲い来る焔を刃で払い除けようとするが、鋭い炎が触れただけでマレブランケの聖剣はぽっきりと、枝を踏んだような音を残して刃と柄が分かたれ、石床へ落下する。
まるで悪人に
「何故だ……何故……何故、貴様が!?何故ッ……!?」
「魔と
女神の肉なき身体が翼から身体にかけて、一枚一枚燃える羽根となって零れ落ち、みるみる女性としての輪郭が失われていく。収縮する虹色の炎が空中で散り散りなって消えたかと思えば、今度はヴァクーの座する契約の書物が、バラバラと紙吹雪となって四方八方へ飛び散る。四人が瞬きする一瞬に、紙片の内側にいた悪魔の姿は消え、マレブレンケの目線の高さに飛翔していた。辺りに乱れて舞う契約の書が、蝶や小鳥のように一人でに羽ばたいたかと思えば、紙片は二つの円環を結んで
「スパイアはいずれ私のものになる。些細な
四つの
闇夜よりも
「悪魔め……止めろ……いや、止めてください、ヴァクー様……ッ!私は、あなたたち古代の」
「
ヴァクーが手を前へ突き出した瞬間、光は紅蓮の裁きとなって放たれた。
「……
炎獄の嘴に触れた瞬間、マレブランケは影さえ残さず蒸発し、なおも水平線を目掛けて飛翔する火の鳥が軌道に
全てが紅い惨禍の渦中へ様変わりしていく中で、リージェントは手の中にあるケープを慌てて頭上に広げた。ふわりと舞ったケープはみるみる大きくなり、塔で出会う商人が足元に敷いている布と同じぐらいの面積になる。
「お前たち!余の玉座を離れろッ!」
「~~~~!!」
ミニオンが言われたとおりにすぐに玉座を下ろし、リージェントの元へよじ登る。
言わずとも理解したネクロバインダーが急いでケープの持つ幻姿の力を引き出す間、オスティがケープの端を握り、もう片方の端をサイレントが握りしめて腰を落とす。ディフェクトがケープの背の部分に潜り込むと、リージェントを中心へ押しやり、腕を左右に伸ばして仲間の背を抱きしめるようにしてケープの内側に寄せた。間もなく襲い来るであろう地獄の熱波にリージェントが吹き飛ばされぬよう、ミニオンたちが手を繋ぎ合って即席の壁を作り、玉座にひっつく。リージェントもしがみつくようにしてミニオンたちを抱き寄せた。
「みんな…っ!ケープを手放しちゃだめっ!絶対にだめよ!」
「ディフェクトよ、ケープから僅かでもはみ出るでないぞッ!サイレント!アイアンクラッドを押さえるのだ!!」
――言われなくてもやってる!
血まみれのアイアンクラッドの背を膝で抑えつけながら、サイレントは胸中でリージェントに答えた。
幻姿の力を発動させた瞬間、轟々と負の
ケープの持つ幻姿の力をもってしても、紅き災厄が幻影を貫通し、全身を焦がしてくる。
「x1f4a6(汗だくの電子音)」
ディフェクトがケープの中で氷河の力を展開し、限界まで
「フフフ……ハハハハハッ!やはりこのような
悪魔の哄笑が、吹き荒ぶ
しかし今は――希望が頭上にあって、命を繋いでいる。
己を孤独から救った仲間の命が繋がったのであれば、また千年燃えようが、果てない悪魔の癇癪に付き合わされようが、一向に構わなかった。護りたかったものを護ったという事実だけあれば、一族を全て葬った罪が、本の一頁ほどの軽さだとしても、償えたような気がした。
――俺、は……やっ、と……。
混濁する意識の中で事実を嚙み締めると、永い時の中で蓄積していた憤怒が不思議と静謐へと反転し始める。怒りを埋めるように湧き上がる安堵を抱えると、燃える血までも力尽き、アイアンクラッドは今度こそ息を引き取った。
――…
災禍の
燻りを残す瓦礫の中で、ふと、白い輝きが発光する。皆で光に注目すると、一つ、二つと数を増やし、光が空中へ浮き上がった。乳白色の泡のような輝く膜の中心に、麗しの腕輪やチョーカー、プリズムジェムといったマレブレンケが奪ったエンシェントたちの祝福がふわふわ浮かんでいる。光は吸い寄せられるかのように、未だ四人の頭上で翼を広げていたヴァクーの掌中へ集まっていく。
レリックを集める反対の手を前方に差し出すと、マレブランケが最期に立っていた箇所からレリックの輝きとは異なる仄かに赤い拳大の光が瓦礫の中から現れた。恐らく、マレブレンケの魂と思われる光が手の内へやってくると、にやりと笑ったヴァクーは光を握りしめ、体内に取り込む。
頂上に居座るアーキテクトと一戦交えて顔を負傷した際、魔力や、契約を願い出て差し出された魂を随分消費したのだ。出来損ないだとしても、喰らって充填する分には申し分ない。
――今が、好機。
仮面越しに目を細めたサイレントは獲物を両手に握りしめて跳躍し、レリックに気を取られて油断しているであろうヴァクーへ、一気に距離を詰める。しかし既にヴァクーの身体は完全な幻姿と化しており、狩猟を仕掛けたサイレントの刃は虚しく空を切り、着地する。
「全く、油断も隙もありませんね……姉妹への手土産にするなら、私なんかより、いい獲物が頂上にいますよ?」
クク、と笑うヴァクーは続けて
「用は済みましたし、私はそろそろ帰らせていただきます。皆さんお元気になったようですし、死体は重くて邪魔でしょう?鬱憤も晴れたところで、戻るついでに、そこの人形を持って帰ってもいいですよ」
と、足元のサイレントを意味深に見据えながら、にやついた表情でわざとらしい提案を持ちかける。
無論、断固として受け入れられぬ話であり、リージェントがすぐさま指を突きつけた。
「ヴァクーよ!アイアンクラッドは我らの剣だぞ!勝手に連れていくなど言語道断だ!余は許さぬ!」
「……許さない?」
笑みが消え、四つの金の瞳が鋭い光を放つが、一瞬後にはまた、いつもの嘲笑混じりの皮肉めいた顔つきに戻る。
「ククク……貴方たち、何か勘違いしていませんか?私の奴隷ですよ?奴隷をどうしようが主たる私の勝手でしょう?」
「x1f621(激怒の電子音)」
「だとしても、あなた、アイアンクラッドにはまだやってもらうことがあるはずよ!」
「登頂のために奴隷をさっさと治せと言いたいのですか?どうしましょうか……」
顎に手を添え、ヴァクーがわざと考え込むような仕草を見せたとき、ヴァクーの翼の左側、何もない空間に波紋が生まれ、近くを漂う黒煙や未だ残る火の粉がゆらゆら歪み始めた。
気配を察したのか、ヴァクーが手を下ろして表情を緩める。
「ヴァクー、見つけてくれたの?」
聞き覚えのある声に、四人は見上げた。波紋が凪いでいくと、幻姿を纏うヴァクーと同様に、額から生える角が特徴的な緑の皮膚を持つ豊満な女性の姿が、波紋の中心へ半透明になって現れた。
「……ノヌペイペ……!?」
「ええ。シグネットリングなら、こちらにありますよ」
ヴァクーが襟巻の中から小さな指輪を取り出した。
リージェントの玉座にへたりこんでいたミニオンたちには見覚えがあった。宝物庫で見つけた金の指輪だ。
幻ごしに、ノヌペイペがヴァクーの手中にある指輪を受け取り、輝きを確かめるように頭上に掲げてから胸を撫でおろす。
「ありがと。あんたに頼んでよかったわ」
「どういたしまして。女神様のお役に立てて何よりです」
「後で衛兵に茶か、あんたの好きな葡萄酒でも持たせるわ」
ヴァクーの手中にあるレリックの光の中から、ノヌペイペが授ける祝福たちが浮き上がり、指輪と共に帰還する。胸元へレリックをしまいこむと、ノヌペイペは瓦礫の山を見つめ、冷笑混じりに小さな溜息をつく。
「本当、マレブランケのやつ、盗むしか才能のない馬鹿だったこと……あんたも気が済んだ?」
「
ヴァクーが燃え尽きた一帯を見回したとき、今度は翼の右側に、ノヌペイペが現れたのと同じ波紋が生まれた。波が静かに収まると、今度はキメラ王たるタンクスが半透明の幻で姿を現す。
「お、揃いも揃ってるじゃねぇか!よう!オレンジのリージェント!」
「お主、タンクス……!?」
犬がじゃれつくようにして四人の周りを一度駆けずり回ると、タンクスは再び空中へ戻る。焼け落ちた城を見渡したタンクスは、全身を震わせるようにしてヴァクーの方へ動き、唸り声を残しながら身を伏せる。
「それよりヴァクー!なんで俺に声をかけなかったんだ!いっちょ俺も暴れたかったのによ!」
「お前は誰彼構わず戦うしか考えない単細胞だからです。探し物どころではないでしょう?」
だからノヌペイペは指輪が盗まれたことに気づいたとき、キメラ王を無視して己に依頼を持ち掛けてきたのだが――口にはせず、ヴァクーは手中で輝く光を、タンクスの鼻先に近づける。持ち主であるタンクスの気配を察して、祝福たちが自ら光り輝いて浮き上がったかと思えば、タンクスの翼やたてがみの内へと潜り込む。
「ちょっと待った!ヴァクー!俺のを寄越せ!」
四人の後ろから、どたどたと何かが駆けてくる足音が聞こえ、振り返る。
今度は幻でなく、実際に燃え尽きた世界の瓦礫や土埃を辺りに撒き上げながら、装飾を纏う巨大な
「……ダーヴ……!」
「x1f62e(驚く電子音)」
「よう!綺麗なガラクタちゃんたち。元気にしてるみてぇだな」
ダーヴが手綱を引くと、蜥蜴がブレーキをかけて四人の前で踏み止まる。
頭上のヴァクーの姿を見据えると、全く、と呆れるような声を上げ、棘の生えた手で口元を撫でた。
「財宝の匂いがぷんぷんすると思ったら……俺のとこからも盗みやがったな」
「何を収集するのもお前の勝手ですが、雑に積み上げるのは止めたらどうです?あれでは盗めと言っているようなものでしょう?」
「ハッ!ヴァクー、分かっちゃいねぇな!あれは集まった財宝がそうしろって喋ってんだ。俺はその通りにしてるだけだぜ」
ガハハ、と豪快な笑い声を上げるダーヴへ向けて、ヴァクーが集めたレリックの光をかざす。いくつかの祝福が、持ち主であるダーヴの元へ吸い込まれるように飛び立っていく。
エンシェント同士のやり取りを目の当たりにしながら、呆気にとられる四人は戸惑いを覚えた。見知ったエンシェントたちが一堂に会することなど、これまでにあっただろうか。
「最近、お前たちが全然上に来ないから何事かと思ってたが……これでまた心置きなく戦えるな!」
「本当、ネオーのおもちゃって最高ね。退屈しないわ。面倒ごとも片付けてくれたし」
タンクスがはち切れんばかりの笑みを浮かべながら笑い声を上げ、ノヌペイペも美と幸運の女神に相応しい、艶然とした笑みを湛える。
「おっ。結界をぶっ壊してくれたおかげで、また財宝の匂いが漂ってきやがった。お前たち、また会おうぜ!それじゃあな!」
ダーヴが手綱を引きながら蜥蜴の腹を軽く蹴る。すぐさま蜥蜴が踵を返して疾走を始め、ダーヴは次なる財宝の在処を見つけに旅立っていった。
「収集家は相変わらず慌ただしい」
「そうね。私たちもそろそろお暇しようかしら」
女神の声に見上げる。四人へ向かってノヌペイペは腰を折って屈む姿勢を見せ、笑みを浮かべた顔を近づけてきた。
「あなたたち、早くアーキテクトを殺してよね。祝福を取り返してくれたから、次に来たらサービスしてあげるわ」
「ハハハッ!お前らが来ないと退屈なんだ!早く上に来いよ!待ってるぜ!」
期待を言い残すと、頭上のノヌペイペが、タンクスの半透明の姿がさらに霧のように不鮮明になって薄まっていき、やがて消失した。
残っていたヴァクーが掌を向けると、四人の足元に残っていた魔法陣が僅かな赤い光を纏いながらヴァクーを目掛けて空中へゆっくり浮かび上がっていく。
ヴァクーの眼前まで上がり、地面と垂直になると、魔法陣が飲み込んだアイアンクラッドの血を吐き出し、多量の血がだらだらと黒い縁から零れ落ちてくる。血が穴の開いた心臓からアイアンクラッドの体内へと注がれていき、やがて男の身体に熱蒸気が立ち上り始めた。最後の一滴が戻ると心臓を裂いた傷口が塞がり、燃える血が鼓動を始めるよう指示する。アイアンクラッドの身体に生まれていたあらゆる傷が四人の見ている前でみるみる癒えていくと、宙に浮かんでいた魔法陣は雲のように消えた。
「他のエンシェントにも祝福を返す必要がありますし、持って帰るにも荷物になりますから……やはり今まで通り働いてもらいましょうか」
口にしながら、ヴァクーは未だダガーを両手に握りしめるサイレントへ瞳を動かした。
――貴方は特に、その身にお持ちの災厄のためにも……私の奴隷が要るのでしょう?
頭蓋に直接語り掛けてくる悪魔を見据えながら、サイレントは仮面の内で深く眉を寄せ、両手のナイフをきつく握りしめて身を震わせる。
歯軋りしているかのような女の様子を見て爽快な気分を味わうと、ヴァクーは己の奴隷を含め、アセンダーたちを見回す。
ここにいる者たちは全て、悪魔にとって娯楽であり駒だ。駒は駒らしく、こちらの目論見通りに動いていればいい。極論、幾度と登頂を繰り返すだけでも構わない。目障りなアーキテクトに接触し、僅かでも弱らせてくれればそれでいいのだ。
あるいは出来損ないが実行しようとしたように――ネオーに選ばれた者たちを己の魂に取りこめば、今度こそアーキテクトの鼓動を永劫に止められるだろう。奴の魂を取りこめば、己が統べる地獄だけでなく、いよいよスパイアの、
悪魔は不敵な笑みを浮かべながら、視界の中心に倒れ伏したままの奴隷を収めた。
千年前に得たかった英雄気分を味わって、さぞかしいい夢を見ていることだろう。今回の件の報酬として、たまには飴をくれてやるのも悪くない。
――その時が訪れるまで、せいぜい尽きなき旅路の中で希望と戯れているがいい。
「ああ、そうだ。これはお返しします」
手中にあった祝福の輝きが一つ、胸元に浮かぶと、ヴァクーは指で軽く弾いた。
落ちてくる輝きをサイレントが頭上で掴むと、光が消えた。手中にあるのは、探し求めていたネオーの地図だった。
「それでは、皆さん。またいずれ――上でお待ちしていますよ」
笑みを浮かべるヴァクーの姿が霞んでいき、シルエットが闇夜の如く黒一色に塗り潰される。すぐに闇の粒子が砂塵のように無数に舞い、粒子が百は下らない数の漆黒の蝙蝠へと変わって、空へ飛び立っていく。
羽ばたきながら黒い群れが散開して消えると、残されたのは未だ燻る業火の痕跡と、耳を刺すほどの静かすぎる沈黙だけだった。