※この作品はR-18です。

つきなき旅路の番いたち   作:水城 真子

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標とともに

荒野を歩いていた。暗澹(あんたん)と灰に染まる空。色のない岩肌が起伏する丘陵を越え、亀裂の走る乾ききった土を踏み、灰と骨の散らばる何処かを行く。歩いて、歩いて、歩くほどに陽炎が立ち込める。踏みしめた大地から煙が立ち上り、現れた火に炙られ、命あるものは炭へと干からびていく。やがて大地に肥沃がないのではなく、歩いた地から肥沃が枯れていくことに気づく。

何故歩いているのか、分からない。前へ進んでいることを示す徴(しるし)もなく、方角は分からない。剣を引きずっていることだけは確かだ。刃は紅く濡れている。何を斬ったのだろう。分からない。

反復する黄昏と暁は、やがて区別がつかなくなる。もはや行く手の雛形となった瓦礫、肥溜めのように堆(うずたか)く積まれた屍。骸を貪る蠅の一匹さえ陽炎の中へ残らず消えていく。饐えた死の臭気だけが漂った。

時折、声が聞こえた。嗤っているときもあれば、血腥(ちなまぐさ)い宣告を告げ、睦言にも似た何かを囁くときもある。

声だけは神の如き標(しるべ)だった。哭(こく)、主張、とうに亡くして、声によって生まれる獰猛な怒りだけに突き動かされるまま、歩き続けた。

いつからか気づく。歩いているのは、声が命じるからだと。

いつからか気づく。果てしない天を貫く塔が、行く手に聳えるのを。

命じられるままに塔へと足を動かす。見えるのは、豆粒のような人の群れ。近づくほどに、誰も彼もが鉄の仮面を身につけているのが分かる。重々しく塔の扉が開かれたとき、暗い境界の内へと鉄仮面の一族が楽園を見つけたような足取りで吸い込まれていくのを見た。

 

――みんな、待ってくれ。

 

駆け出した。力の限りを尽くして走った。

知っている。何故か、分かっている。そこは楽園などではないと。

声を、叫びを上げようとしても全て喉で堰き止められ、言葉になれぬまま燻って消えてしまう。

 

――俺を置いていかないでくれ。

 

駆ける間に、闇は赤い貌(かお)を覗かせた。近づくにつれて、光なき塔の入口は暗がりではなく、赤黒い炎と煙がたむろしていることに気づく。

充満した黒煙の緞帳が上がり、仮面をつけた人間が一人、また一人と炎と組して亡霊のような舞踏を見せる。仮面だけが置き去りにされ、塔へ導いた声が高らかに嘲笑(わら)い、呼応するように火炎が空高く咆哮して燃え盛った。

喉が灼け、息もままならないのも構わずに黒煙の帳(とばり)を潜り抜けたとき、火炎の咆哮が振動を伴って轟き、幾百もの狼が同時に咆哮するかのような轟音が周囲を包んだ。塔を囲う大地は不可視の腕にこじ開けられ、引き裂かれていく。やがて断絶する大地の中へなだれ込んだ炎と溶岩を羊水に、地獄という稚児が生まれた。

 

何が貴方を鈍(なまくら)にさせたのでしょう?

 

不明瞭だった頭蓋に巣食う声が、確かな響きを持って問いかけてくる。

答えを探して業火に目を凝らす。命の追放された世界で、熱波の中を巡礼に訪れたような集団を見つけた。

骨の仮面をつけた緑の外套を纏う女。大きな青いコアを光らせる機械。玉座に座る王と玉座を支える小さな従者。鎌を手にする肌なき術師と骨の手。

彼らは地獄との面会を待ち詫びるように、横に整列して何の迷いもなく業火の中へ歩を進めた。

 

――行くな。行かないでくれ。

 

無我夢中で地獄の淵へ走った。

待ちわびたように、炎を花開かせる地獄から焔の腕(かいな)が伸びて、誘う。

 

――止めろ。止めてくれ。

 

脳裏を埋め尽くす嗤い声が一段と大きくなり、灼熱の腕の中から声の主が生まれ出づる。

炎より生誕した漆黒の悪魔が、歓迎するように四人の来訪者を山のように巨大な手でつかみ取った。

ぶらぶらと無抵抗に揺れる足。悪魔は嗤い、握る手に力を込める。

力の限り走った。あらん限りに手を伸ばした。

 

――もう俺から、何も奪わないでくれ――

 

「アイアンクラッド」

 

どこからか女の声がして、腕に心地よい冷たさを覚えた。

視界にあるはずの炎は、闇もどこにもない。伸ばした腕の先にあるのは、亀裂の広がる天井とただの虚空。

――今のは一体?ここはどこだ?

突如目にしていた世界が切り替わり、惑う意識の中で、落下するはずの己の腕を取る別の手に気づく。小さな皮膚なき骨の手の持ち主が、顔を覗き込んできた。

 

「よかった。やっと気がついたのね」

 

傍らにいるネクロバインダーの姿を見ても、彼女が握る手のひんやりとした感触も確かなものに思えない。

――夢?

目に映る仲間は虚像か、それとも――確かめようと、上体をゆっくりと起こす。

 

「む!ようやく起きたか!アイアンクラッドよ!」

「x1f600(笑顔になる電子音)」

 

今度は声とともに電子音。音が聞こえた方向へ顔を動かす。玉座に腰掛けているリージェントと、玉座に凭れて座っているディフェクトの姿を見つけた。リージェントの手には鍛造に使うハンマーや大小さまざまな工具が握られており、寄りかかるディフェクトの、コアから伸びている剥き出しの配線を繋げたり、破損したパーツを修理しているようだった。

見回す。室内ではあったが梁や桁、柱が剥き出しになって黒く焦げ付いている。栄華を極めし城塞を無意味な瓦礫へと変える災禍に包まれたことをおぼろげに認識しながら、床に落ちた梁を見つめた。かろうじて火を免れたものも折れて露わになったささくれが煤に塗れている。支えはいくつもが巨人に踏みつけられたかのように撓(たわ)んで、壁ごとひしゃげていた。当然のように漆喰は剥がれ落ち、露わになって崩落を免れた壁も黒ずんで朽ち果てている。天井の一部も焼け落ちて空に向かって開かれていた。瓦礫に切り取られた外は曇って陰鬱な気配が漂っている。室内の中心に煉瓦造りの煙突と暖炉だけが形を残して鈍い色彩を留めており、暖炉の中心に火が焚かれていた。暖炉のマントルピースには、己が纏っていた鎧や剣が綺麗に立てかけられている。火の近くにくすんだ囲炉裏があり、サイレントがナイフを手に何かを切っている姿を見つけた。

見覚えがある。原型のほとんどを失っているが、記憶の断片がここは恐らく城の、食堂だと告げている。

――夢。俺は、夢を、見ていたのか?もう、喪われたものだと思っていたのに。

過去と不吉極まりない光景が混在する悪夢であったことを理解し、アイアンクラッドはようやく意識が明瞭になる。

リージェントが持っていた工具を置いて自ら玉座を降りた。リージェントが自分の足で歩く姿を見たことがほとんどないアイアンクラッドは眉を潜め、眼前にやってきたリージェントを半ば呆然と見上げた。

 

「全く、アイアンクラッドよ!お主、丁重に扱わんか!」

 

リージェントが己の仮面に向かって指を突き出し、叱咤した。

……何のことか分からない。アイアンクラッドは戻り始めた記憶を手繰り寄せる。

そういえば橋を落ちる直前、リージェントの許可なく彼を空中に放り出したのを、なんとなく思い出した。不敬だとでも言いたいのだろう。起きて早々にいつもの小言かと、アイアンクラッドは目を逸らした。

だがリージェントはアイアンクラッドの仮面を両手で挟み、首を無理矢理自分の正面に向けさせた。星の中心で光る目が、いつになく真摯な輝きを放っている。

 

「お主!聞け!余を放り出したのはもちろんだが、己自身も何故投げ出した!」

「……?」

 

今度こそ、言葉の意味が分からなくなった。アイアンクラッドの頭を掴んだまま顔を寄せ、リージェントはなおも続けた。

 

「余なら、いや、我々が力を合わせれば!あのような強敵が立ち上がり続けようと、必ずや討ち取れたはずだぞ!だのに、何故あやつに!貴様は何故命を差し出して、あやつを呼んだ!?」

 

矢継ぎ早に放たれる言葉を一つずつ受け止め、ようやく何のことを問い詰められているのか、アイアンクラッドは理解した。

正直、呼んだ覚えなどない。流した血はただの奴隷としての証明。向こうは目的のため、いつものように利用しただけ。度重なる鬱憤を晴らして愉悦に浸りたかった、悪魔の勝手だ。それに、悪魔は知っていた。剣を振るう腕、盾の扱い、積み重ねた闘争の記憶だけでは無力に打ちのめされると。だからこそ、己が無様に縋りつき、いよいよ跪いて言葉を押し並べて乞う様を眺めたかっただけだろう。

下僕にとっての主人とは誰か、目的は何か――結果的に救われたように見えるが、実際のところは己を痛めつける過程で偶々生まれた、悪魔の気まぐれにすぎない。

問いかけに答えるのも億劫になったアイアンクラッドは無言を貫くが、リージェントが真剣な眼差しで言葉を続ける。

 

「貴様は余の、そして我らの剣であり盾であるのだぞ!貴様の命は皆の生へとつながるものだ!勝手に悪魔の指図に従って命を擲(なげう)つなど、余は断じて許さん!」

 

そこまで言い切ると、リージェントはようやくアイアンクラッドの兜を離し、腰に手を当てた。

 

「臣下を導くのも余の役目。アイアンクラッドよ!今後は余を放り投げるでないぞ!そして我らの繋がりを断って抜けるようなことは、我らから勝手に離れることは以後禁止する!」

「……別にアイアンクラッドも、離れたくてあなたを放ったわけじゃないわよ。あのとき、あなたがムキになって仕返ししようとするから逃げ遅れたのよ……」

 

溜息混じりにネクロバインダーが補足するが、リージェントは不満を隠さず、地団駄を踏むような大げさな身振りを見せながらアイアンクラッドを睨んだ。

 

「それにお主がいなくなったら、あの煮込みが食べられぬではないか!サイレントの食事はどれもこれも味が薄くて食べた気がせん!余はもうあのような食事は我慢ならん!」

 

ちょうど食事を作っているサイレントがナイフを投げつけて抗議してくる。誰に当たることもなく瓦礫に突き刺さって事なきを得たものの、仮面の下にある彼女の顔に青筋が立っているのが容易に分かった。

ひとしきり不在に対する不満をぶちまけたことで落ち着きを取り戻したのか、リージェントが再びアイアンクラッドに向き直り、両の肩を掴んで屈みこんでくる。

 

「して、アイアンクラッドよ。今、お主はお主か?」

 

悪魔の目がないことを確認しているのだろう。アイアンクラッドは頷いた。

ネクロバインダーの、肌を失った手が己の手を包む。彼女に寄り添っていたオスティも真似して指先をアイアンクラッドの肩に乗せた。

 

「アイアンクラッド。とにかく生きて帰ってきてくれてよかったわ。お願いだから、無茶しないで」

「x1f60c(ほっとしたような電子音)」

 

電子音とともに、ディフェクトが立ち上がるのが見えた。オートマトンらしいカクカクした足取りで近づいてきたディフェクトはアイアンクラッドのすぐ近くに腰を落とす。青い視覚ユニットをアイアンクラッドの兜に近づけながら、ディフェクトは彼の腕を掴んだ。

 

<トモダチダカラ>

 

ディフェクトが電子音ではなく、分かりやすい言葉を音声ユニットから発した。アイアンクラッドは聞いたことのないディフェクトの声に面食らう。

 

<イナクナラナイデ。マタイナクナルノ、ボクハイヤダヨ>

 

子どもが親に何かをねだるような純粋さで正直に吐露するディフェクトが、アイアンクラッドの腕に腕部パーツを巻き付かせた。

根深い怒りを芯まで弱らせるかのような声、微笑み。仲間に囲まれ、アイアンクラッドは戸惑いながらも、不思議と胸の奥に例えようのない潤いが染み込んでいくのを感じていた。

 

何が貴方を鈍(なまくら)にさせたのでしょう?

 

一瞬、悪魔の言葉がぶり返し、頭を振ったアイアンクラッドは大きく溜息をついた。

 

「……なんなんだ……お前たち……」

 

呟き、アイアンクラッドは皆を振り払うようにしてうつむく。

久しぶりに取り戻した自我では、ありありとした誰かの希望や期待を受け止めることに、当然慣れていない。感情など遥か昔、先ほどまで見ていた夢のように、始まりも終わりもなく歩き続ける中で摩滅したと思っていたのに。

ただ言われるままに歩く炎となって、悪魔の目的のためだけに存続して。己は燃え続けているのに、喉と胸がどんどん冷たくなって自分が人間だという過去は数ある骸と一緒に捨ててきた。でも今は声が出て、少しだけ己の中にある人間を思い出す。この、なんとも形容しがたい、むず痒い温かさから。

 

「………?」

 

ふと、アイアンクラッドは仲間が急に黙りこくり、部屋中が奇妙な沈黙に包まれていることに気づく。

顔を上げると、ネクロバインダーがぽかんとした様子で口を開けて、リージェントの顔の中心にある目は何度も瞬きを繰り返して丸くなっており、ディフェクトはエラーでも起こしたように青い視覚ユニットをぴかぴかと点滅させていた。食事の準備をしているサイレントでさえ、ナイフを動かす手を止めてこちらをじっと見据えている。

 

「x1f60d(大喜びする電子音)」

「アイアンクラッド!お主!今、喋ったな!まだ喋れるではないか!自我があるのだな!」

「今は、でしょう?」

 

騒ぐ二人をネクロバインダーが制す。

 

「今は、いないのね?」

 

ネクロバインダーが誰のことを言っているのかは嫌でも分かる。

アイアンクラッドは、意識を集中した。薄ら気配は感じるものの、悪魔の金の瞳と己の間に深い森が、あるいは高い山によって隔てられているような距離を測ることができた。実はまだ蝙蝠の姿を借りて近くをうろついているのかもしれないし、この曖昧に測る距離でさえ悪魔の幻なのかもしれない。確かな確証が持てず、アイアンクラッドは首を振った。

 

「……いない、というのが正しいか分からない」

「それでいいの」

「何故だ」

「悪魔なら、もっと上手く器用に欺いて話すわ。今はちゃんとあなただと分かる」

 

確証もないのに、何故そう信じていられるのだろう。アイアンクラッドには己を信頼される理由が分からなかったが、リージェントやネクロバインダーにとっては、自我なき戦士と付き合う時間の方が圧倒的に長い。彼の異変は簡単に見抜いていた。

 

「ま、大悪魔はこれだけ暴れていったんだもの。それにいろんなエンシェントへ祝福を返すって言ってたし、案外、今はあなたに構ってる暇がないのかもね」

 

ネクロバインダーがひとしきり辺りを見回し、アイアンクラッドもつられるように改めて朽ち果てた城を隅々まで見渡した。

 

「見ての通り、蜃気楼というより瓦礫の城になってしまったけど……あそこを見て」

 

ネクロバインダーは剥落した壁の向こうに広がる一点を指差した。燃え尽きて黒ずんだ瓦礫の、似たり寄ったりの稜線を突き出た、白っぽい一本の尖塔がここからでも見える。

 

「x1f55b(時計を示す電子音)」

「ディフェクトの言う通り、あれは時計塔よ。あそこだけは悪魔の炎を浴びても無事に残っているの。そうだ、アイアンクラッド、ネオーの地図を見て。地図が変わっている」

 

ネクロバインダーがオスティとともに地図を広げて見せてくる。最後に地図を見たのは繫茂の森。森の終点には儀式の獣が描かれていたが、獣が記されていた箇所は一行の現状を精密に写し取ったように崩落した城に置き換わっている。本来なら魔窟へと続くであろう上層の地図も、見たことがない敵の絵や複雑な道のりへと差し変わっているのが確認できた。

 

「恐らくあの時計塔から、塔のもっと上に行けるはずよ。でも魔窟を案内する地図ではなくなった」

「うむ。だが、これはよい機会かもしれぬ」

 

腕を組みながら地図を見下ろしていたリージェントが、目を輝かせた。

 

「いい機会って?」

「まだ塔に見知らぬ場所があるということだぞ!もしかすれば、あのアーキテクトを打ち破る力が、ヒントがあるやもしれぬ!」

「……そうね。アーキテクトを……私の全てを奪ったあいつを必ずこの手で……!」

<トモダチ、ナオセルカモシレナイ>

 

それぞれの目的と決意に燃える仲間を傍観していると、リージェントが再びアイアンクラッドの両肩を掴み、熱量ある眼差しを向けてくる。

 

「アイアンクラッドよ!聞いての通り、これから我らは塔の未知なる地を踏むのだ!よいか!お主は余の、ここにいる皆の剣であり、盾である!だが今度こそ己を誠心誠意に扱うのだ!先に待ち構えてる脅威に立ち向かうには、お主の力が必要なのだぞ!余は新たな世界に心が躍っておる!我らは共に塔の頂きへ参るぞ!」

「……あまり、俺を買い被るな」

 

興奮で舞い上がるリージェントと対照的に、アイアンクラッドは冷静に釘を刺した。

 

「……すぐに、また元に戻る」

 

アイアンクラッドは否応なく理解している。己の運命は悪魔によって成型されており、それが覆されることなどないと。どれだけの願いや希望を向けられたところで、旅路の中に自我が介入しない以上、決して叶えることはできないと知っているのだ。

 

「だが、お主、今は我々の言葉を受け止め、真摯に聞いておるだろう!お主は、生きておるではないか!しかと覚えておけ!もし貴様がまた悪魔を呼ぶような軟弱な思考に染まったら、余が何度でも貴様を叩き直して目覚めさせてやるわ!」

 

指を突きつけながら嵐の如き勢いで押し切ってくるリージェントに、アイアンクラッドは呆気にとられ、ほんの少しの間、呼吸を忘れた。同時に、大きく見開かれた瞳が、兜の内側に隠れて仲間に見えないことに、密かに安堵してもいた。

言いたいことを言い切り、リージェントが満足そうに胸を張ると、金属音が室内に響く。

サイレントが鍋の縁をナイフで叩く音だった。食事が出来たという合図だ。

調理を手伝っていたらしいリージェントのミニオンたちが姿を現し、原型を留めているダイニングテーブルに食器を並べていく。別のミニオンが料理の入った鍋をせっせと運び、テーブルの中央に据える。

リージェントが玉座へ戻っていつものように座ると、ディフェクトが軽々と玉座を抱え、鍋の前に運んだ。転がっている椅子を拾ったディフェクトは、リージェントの横に椅子を置いて並ぶ。

 

「ミニオンよ、余に茶を!」

「~~!」

 

かしこまりましたとリージェントにだけ分かる言葉で返事をし、ミニオンたちがティーポットやカップ――紛い物ではなく本物のティーカップ――を出して鍋の近くに置き、湯や茶葉を用意する。

立ち上がったネクロバインダーが服についた埃を払い落し、アイアンクラッドに目を落とした。

 

「アイアンクラッド、立てる?」

「……ここでいい」

 

火と灰の気配に混じって温かな匂いが漂っていたが、珍しくアイアンクラッドの食欲は働かなかった。今は仲間からもたらされた言葉を咀嚼して飲み込むのに、精一杯だった。

ネクロバインダーがリージェントの正面に当たる離れた席にかけ、ミニオンたちが食事を皿によそっていく。鍋の中身は、どうやら粥のようだった。

 

「全く、味の薄い食事はこれで最後にしてほしいものだ」

 

囲炉裏を離れたサイレントが、テーブルに拳を叩きつけて仮面越しにリージェントを睨んだ。文句があるなら食うなとでも言いたいのだろう。どうやら自分がいない間、ずっとこのような形で食卓を囲っていたのだと思い、アイアンクラッドはテーブルの様子をぼんやり眺めていた。

サイレントは着席せず、鍋に入っている粥を二つの椀によそう。両手に粥の入った椀と匙を持つと、アイアンクラッドの元へ運び、一つを男の傍らに置いた。向かい合うようにしてサイレントが床に座り、粥に口をつける。

仮面越しにサイレントの視線を感じ、アイアンクラッドは椀を手に取った。

どちらにせよ食わねば、先に待ち受ける戦いに生き残ることはできない。匙で湯気の立つ白い粥をよそい、口に入れる。サイレントの作った料理は、やはり薄味だった。

アイアンクラッドには分かっている。己の作る食事は、精をつけ、戦う力に変えるためのもの。彼女は狩りに適した、食べてもすぐ動けるような胃腸の負担にならない軽い料理を作る。食に対する目的が違うのだ。

粥を水のように飲み込み、アイアンクラッドは匙と椀を床に置く。サイレントの椀にはまだ中身が残っていたが、彼女が急に食事の手を止め、じっと見つめてくるので、アイアンクラッドは僅かに首を傾げた。

 

「……どうした」

 

答えず、サイレントは匙と粥が入ったままの椀を横に置き、外套の中に手を忍ばせる。取り出したものに、アイアンクラッドは見覚えがあった――繫茂の地で手に入れた、赤い林檎。まだ持っていたのかと、アイアンクラッドは目を見張った。

 

「x1f34e?(林檎に驚く電子音)」

「あら?サイレント、それをどこで見つけたの?」

 

粥に手をつけながら問いかけるディフェクトとネクロバインダーを無視し、サイレントは林檎にナイフの刃を当てた。ナイフを動かさず、林檎を回しながら皮を薄く切っていく。剥けた皮がくるくると渦巻状に床へ落下し、瑞々しい果肉が露わになると、サイレントは手の中で器用に林檎をくし型に切り分けた。切り分けた林檎の一つへ、楊枝代わりにナイフの先端を刺す。サイレントはそのままナイフごと、アイアンクラッドの目の前に林檎を突き出した。

 

「食え」

 

室内から、食器が当たる金属音が消えた。リージェントも、ディフェクトも、ネクロバインダーも食事の手を止め、サイレントを注視した。パチ、と暖炉の火の爆ぜる音が一瞬沈黙を破ったが、誰の耳にも入っていなかった。アイアンクラッドもまた理解が及ばず、目の前のサイレントをただ見つめた。

事態が飲み込めず呆然としていると、

 

「……さっさと食え」

 

サイレントが苛立ちを秘めた声を出し、身を乗り出してナイフを持つ手と反対の手でアイアンクラッドの顎を掴む。顎を開かせると、サイレントはナイフで串刺した果実を彼の口の中へ無理矢理突っ込ませた。

 

「……むぐッ……」

 

突如口内に広がる林檎の冷たさに驚いてアイアンクラッドは吐き出しかけるが、ナイフを抜き取ったサイレントが口を乱暴に塞いでくる。

アイアンクラッドは混乱しながらも、言われた通り歯で林檎を噛んで小さくし、ゆっくり味わう。男が食す様を確認すると、サイレントは塞いでいた手を離した。果実の甘味が口いっぱいに広がり、瑞々しく冷たい果汁が舌を流れて喉を潤す。ごくりと音を立てて林檎を飲み込むと、アイアンクラッドは口元に飛び散った果汁を手の甲で拭った。

何が起きているのかようやく判断つくようになったリージェントが、玉座から身を乗り出した。

 

「なんと……サイレントまで喋ったぞ!!」

「x1f979(嬉しくて目が潤む電子音)」

 

黙れと言いたげに、サイレントはテーブルへナイフを放った。しかし怒り任せのナイフは著しく精度を落としており、瓦礫の中へと落下する。何も喋らない彼女が言葉を発して感情を露わにしているのを見て、リージェントは、ディフェクトもネクロバインダーも、酒とは明らかに別種の酩酊に酔いしれるように笑みを浮かべ、食事の手を再開した。サイレントが何も言わずとも、アイアンクラッドが長らく不在にしていた時間が、よほど堪えたのだと分かった以上、彼女の好きにさせることにした。

 

――許さない。今度目の前から消えたら、許さない。

 

もう炊事の代わりを務めるのはこりごりだった。何より、アイアンクラッドがいなくなれば、生き長らえることができない。だが不満や思いを一切口にはせず、サイレントは仮面の奥でアイアンクラッドを睨みながら、再び切り分けた林檎をナイフに刺して突き出す。

理由の分からぬ怒りを抱いているサイレントは、ある意味魔物よりも驚異の存在であり、アイアンクラッドは彼女の気を鎮めるためにも、今度は大人しくナイフから林檎を抜いて齧り付く。

果実の重さや舌触りを味わい、嚙み締めるごとに零れる果汁の爽やかな音に聴き入っていると、不思議とアイアンクラッドの心は静謐に満たされていった。

また闘争へ身を投じれば、悪魔の力に自我を塗り潰されてしまえば、頂上へたどり着く前に力尽きることもあるだろう。けれどネオーの元へ戻り、登頂の記憶を失っても、剣の振るい方は、命の奪い方を忘れることはないように。せめて身体を巡る炎が、この冷たい甘さを覚えていてくれるだろう。塔のどこかで倒れたとしても、自分はきっとこの味を忘れることはない。アイアンクラッドは奇妙な確信を憶えながら、林檎を飲み込む。

サイレントがなおも林檎を差し出してくるので、アイアンクラッドは黙って食し続けた。彼女が声を発することは、二度となかった。

 

――…

 

暖炉の火が燃え尽き、瓦礫の中を冷たい隙間風が通り抜けていく。

それぞれが荷物をまとめて出発の支度を整えた。食事と燃える血の巡りによって体力を戻したアイアンクラッドも外されていた鎧を纏い、立てかけられていた剣を手に取る。横に並んだサイレントが、ナイフの刃先を自分に向けて柄をアイアンクラッドに差し出した。アイアンクラッドは黙ってナイフを受け取り、いつものようにグリーブの内側に納める。

玉座に座するリージェントの左右に回り込んだミニオンたちが、椅子を持ち上げた。

 

「繁茂の地よりずいぶんと回り道となってしまったが、まだ見ぬ新たな世界は心躍るものだ!皆の者!行くぞ!我らの力を知らしめ、アーキテクトを打ち倒すのだ!」

 

リージェントの声を合図に、ミニオンが歩き出す。瓦礫と灰と未だ火種が燻っている廃墟を進み、一行は尖塔へ向かった。

時計塔は木綿や麻のような薄い色の煉瓦で造られており、外壁や柱には精密な彫刻が豊富に刻まれている。見上げれば、かろうじて文字盤が見えるが、長針も短針も秒針も、全ての針は時を刻むことを放棄して止まっていた。

緻密な手彫りのレリーフや装飾の施された鉄製の扉へ近づき、ディフェクトとアイアンクラッドが協力して重量を伴う扉を押し開ける。内側から、夜闇を髣髴とさせる冷気が漂ってきた。

中に足を踏み入れる。精緻なモザイク調の床が広がり、石造りの彫像が中に飾られていた。しかしあちこちに蜘蛛の巣が張られ、壁が剥がれ落ちている箇所が多々あり、彫像を飾る台座や装飾に使われている金具の錆も酷く、荒廃は隠せない。中を進むと、壁に沿って螺旋状の階段が長く続いている。階(きざはし)の行方を視線で追いかけると、文字盤と鐘楼があるはずの最奥から、蝋燭や電飾とは異なる青みを帯びた不思議な光が明滅し、まるで五人が訪れるのを待ち構えているように輝きを増す。

 

「やはり塔の上層へ続いているようだな。皆の者!参るぞ!」

 

リージェントを先頭にディフェクトがついていき、ネクロバインダーがオスティとともに階段を上がり、サイレントが音もなく続く。アイアンクラッドもまた足を踏み出した。

 

――さぁ、早くおいでなさい。その怒りを絶やさず……アーキテクトに死を――

 

頭蓋に、胸の奥に、金色(こんじき)に灯る声なき喧騒。

鮮明だった奇跡のようなひとときが、悪魔の手によって色褪せていく。間もなく善悪も、あらゆる境界を簡単に失うだろう。思考、痛み、自我、己を構成するものが一つずつ剥奪されて意識が移ろう中、アイアンクラッドは視界の中に焼き付ける。この手に握る剣を、生きる価値のあるものにしてくれる仲間の姿を。

前を行く四人の背に安らぎと幸(さいわ)いを見出すと、アイアンクラッドはゆっくり瞳を閉じ、覚醒(めざ)める怒りの炎へと身を投げた。

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