三日間にわたる中間テストの全日程が終了した。
最後の科目のチャイムが鳴った瞬間、二年B組の教室は、文字通り爆発したような歓喜と解放感に包まれた。
「うおおおおおっ! 終わったぁぁぁっ‼ これでようやくゲームができるぜ‼」
悪友の
彼の机の上には、最後まで足掻いた痕跡のある、消しゴムのカスまみれの解答用紙が放置されていた。
「
「いいじゃんか
「わたくしは別に……テストは日々の積み重ねの確認作業に過ぎませんから、一喜一憂するようなものではありませんわ」
「
「最後の物理、すっごく難しくなかった⁉」
解放感に包まれた女子生徒たちが、堰を切ったように
「お疲れ様、みんな。物理の最後の問題は確かに少し捻ってあったね。でも、落ち着いて公式を分解すれば、意外とシンプルな答えになるんだよ。ほら、あそこの摩擦係数のところなんだけど……」
「ええっ、そうだったの⁉」
「
その光景を見ながら、僕はカバンに教科書をしまい、静かに席を立った。
僕は彼女に気づかないフリをして、そのまま教室の出口へと向かった。
「おっ、
「ごめん、
「うわー、出たよ主夫の鏡! お前マジで高校生じゃねえだろ。……まあいいや、俺は他の奴ら誘って遊んで帰るわ。じゃあな!」
「じゃあな」
僕は
背後から、
彼女は『トップ十に入った』と確信し、週末の僕との甘いご褒美セックスを妄想して、最高の気分で浮かれているはずだ。
◇◇◇
中間テストの終了から数日後。
各教科の採点が終わり、授業ごとに答案用紙が次々と返却されていった。
「うおおっしゃあぁぁっ‼ 数学三五点! 赤点回避ィィィッ‼」
教室の隅で、
どうやら、僕が貸したノートがギリギリで役に立ったらしい。
「
「うっせーな
「わたくしですか? ……ふふっ、まあ、全教科で九十点台はキープいたしましたわ。当然の結果ですけれど」
クラス中のあちこちで、点数を見せ合っては一喜一憂する喧騒が広がっていた。
僕は自分の席で、返却されたばかりの答案用紙を、誰にも見られないように素早く、しかし丁寧に二つに折りたたみ、カバンの奥深くにしまい込んだ。
チラリと見えた数学の点数は『百点』。
その他の科目も、軒並み九十点台後半から満点を記録している。
今回は、本気で問題を解き潰した結果だ。
もしこの答案の束を
しかし、僕の目的は彼らを驚かせることではない。
窓際の席では、
「
「ボクは……うん、なんとか全部納得のいく点数が取れたよ。みんなのおかげかな」
僕の方をチラリと見るその視線は、「やったよ、ご主人様。約束、守ったよ」という、飼い主の帰りを待っていた子犬のような、純粋な歓喜と期待に満ちている。
今日の放課後。
一階の昇降口近くの掲示板に、学年の総合上位五十名の順位表が張り出される。
それが、僕が仕掛けたささやかなサプライズの、本当の開示の瞬間だった。
◇◇◇
放課後の昇降口。
中央の大きなコルクボードの前に、大勢の生徒たちが人だかりを作っていた。
張り出されたばかりの『一学期中間テスト・学年トップ五十』の模造紙を見るためだ。
「うわ、今回の一位もやっぱり現生徒会副会長の
「おっ、俺の名前あった! 四八位! ギリギリセーフ!」
「いいなー、私あと三点で五十位以内だったのにー!」
阿鼻叫喚と歓声が入り交じる中、僕も少し離れた場所から、壁に寄りかかってその掲示板を眺めていた。
やがて、人波をかき分けるようにして、
「わたくしの順位は……ありましたわ! 学年八位!」
「おお、すげえじゃん
「ふふっ、当然ですわ。……
「……四位、だね」
掲示板の上段。
そこにははっきりと、『学年四位:
「四位⁉
「素晴らしいですわ、
「お、大げさだなぁ……」
「
「マジかよ、顔も良くて頭もいいとかチートすぎだろ」
周囲にいた他の生徒たちもざわめきと称賛の声を次々に上げ始めた。
賞賛の嵐の中心で、
しかし、彼女の心の中は、クラスメイトの称賛などどうでもよかったはずだ。
「ボクも頑張ったけど、上がいるんだね。一位の
彼女は安心したように息を吐き謙遜するように笑って見せた。
そして、
本当に、ただ何気なく、自分より上位の『トップ三』の欄へと、視線を移した。
三位にはA組の生徒。
そして。
「…………ふえっ?」
彼女の顔に張り付いていた完璧な『王子様の微笑み』が、まるで冷水を浴びせられたようにピタリと凍りついた。
「どうしたんだよ、
不思議そうに覗き込んだ
「…………
「ひ、
周囲の生徒たちも、その名前に気づいてざわめき始める。
「おい、二年B組の
「マジかよ、あいつそんなに頭良かったのか?」
「ていうか、
驚愕と困惑の視線が一斉に僕に突き刺さる。
僕が壁から背中を離し、作り笑いを浮かべて誤魔化そうとした、その時だった。
「──やっぱりお前か、
よく通る、凛とした声が昇降口に響いた。
人混みが自然と割れ、そこから一人の男子生徒が現れた。
整った顔立ちに、知的で鋭い眼光。
生徒会副会長を務め、次期生徒会長候補の筆頭とも目されている。
学年トップの秀才──二年C組の
「
僕は小さくため息をつき、彼を見据えた。
周囲の生徒たちは、学年一位と二位の突然の対峙に、息を呑んで静まり返っている。
「中学の時以来だな。俺とお前で、ずっと学年の一位と二位を争っていたのは」
「……昔の話だよ」
「えっ……?
「ああ、中学が同じでね。こいつは昔から、俺にとって唯一のライバルだったんだ。高校に入ってから、こいつがずっと平凡な点数を取り続けているのを見て、手を抜いているのはわかっていた。だが……どうやら、今回、本気を出したみたいだな」
「ええっ⁉」
「
周囲のどよめきがさらに大きくなる。
「今回の数学のテスト、満点だったのは学年で俺とお前だけらしい」
「……よせよ、
僕は頭を掻きながら、心底面倒くさそうに答えた。
「相変わらずだな。次の期末テストも楽しみにしているぞ」
嵐のような
彼が去った後の昇降口には、奇妙な静寂と、僕を見る全く新しい『畏怖』の入り混じった視線だけが残されていた。
「はぁ……」
「
「
興奮する
僕は適当に彼らの言葉を躱しながら、そして──。
呆然と立ち尽くしたまま、僕を見つめている
「……」
大きく見開かれた黒曜石の瞳が、微かに震えている。
彼女は、自分が学年四位という素晴らしい成績を収めたという事実すら、もう頭から完全に吹き飛んでしまっていた。
彼女の脳内を支配しているのは、たった一つの事実。
自分が必死に、文字通り死に物狂いで勉強して叩き出した全力を。
ご主人様が、いとも簡単に、圧倒的な実力で凌駕し、自分を遥か高みから見下ろしているという現実だ。
僕は
そして、瞳の奥だけで、彼女に語りかける。
『──僕が何者か、これで少しは理解できたか?』