【悲報】異世界風俗、嬢の平均年齢が500歳を超えている 作:フレキシブルコーギー
頬に触れる指先の感触が、急に冷たくなった気がした。
彼女の手は俺の背中に縋りついていた。
温かな身体を押しつけ、俺の名前を呼び、生きているみたいだと笑っていた。
「お、俺は……勇者じゃ……」
俺はなんとか声を絞り出した。でも、自分でも分かるほどに震えている。誤魔化せるわけがない。
カリオペは無機質な瞳で俺を見つめながら、ゆっくりと首を横に振った。
「誤魔化さなくテいいわ。勇者が召喚されたコトは王都に広まってるもの」
「……」
「コッペリアは昔、エゼルディアの当主に回収されてから、契約魔法でずっと屋敷に縛られてる。噂も耳に入らないでしょうけど……外の世界で生きてる私には筒抜けヨ」
(……契約魔法?)
その言葉が、ふと耳に引っかかった。
回収。契約魔法。囚われている。
コッペリアはエゼルディア邸に勤めているのではなく、もっと別の縛りであの場所にいるということなのか。
化け物みたいなドールが、自由に動けない理由が何かあるのか。使用人たちの誰も、そんな話はしなかった。
(なにがあったんだろう……)
でも、いまはそれを追求している場合じゃない。
空気が不穏に張り詰めていた。
カリオペが、ゆっくりと顔を近づけてくる。
俺の頬に手を当てたまま、じりじりと距離を詰める。鼻先が触れる寸前まで。
さっきまでの優雅な動きじゃない。操り人形みたいな、機械仕掛けの動作で。
(──食われる)
本気でそう思った。
コッペリアみたいに顔がぱっくり裂けて、鋭い歯がずらりと並んで、そのまま俺の頭からばりばりと。
姉妹なら、同じことが出来てもおかしくない。
全身の筋肉が強張った。逃げなきゃ。でも、足が動かない。
そして。
彼女の両腕が、俺の背中に回された。
「……え?」
「怖がらなくテいいわ」
カリオペは俺の肩に顔を埋めたまま、静かに言った。
「私はアナタを殺したりしナイ。勇者だからって、それだけで憎んだりしナイ……」
だが、その時カリオペは俺の震えに気付いたようだ。
「あれ……どうして震えてるの……?」
「いや、だって……姉妹を勇者に壊されたって言った直後に、迫ってきたら怖いでしょう!」
カリオペは一瞬きょとんとして──クスっと笑った。
「あ、そういうことね。ごめんなさい。脅すつもりはなかったの」
「じゃあ、勇者を恨んでないんですか?」
「ええ。別に」
あまりにもあっさりした返事だった。
でも、コッペリアはあんなに憎しみを抱いていたのに、何故カリオペは勇者を恨んでいないんだ?
「……な、なんで恨んでないんです?」
俺は彼女たちの姉妹を壊した勇者とは別人だけど。でも、勇者そのものを恨むという彼女たちの心情は理解は出来る。
共感は出来ないが。
「私たちは、人間を見て覚えるの。笑う顔、悲しむ声、誰かを愛した時の仕草。そういうものを集めて、組み合わせて、人間らしく振る舞う」
「それって……」
「模倣よ」
俺の背中に回された彼女の腕の力が、わずかに強くなる。
「私の感情はね、すべて偽物なの」
俺は息を呑んだ。
「愛するのも、恨むのも、喜ぶのも、悲しむのも……人間の真似をしているだけ。本能的にそういう場面ではこう反応するってだけ。私のしたいことも……きっと、タクミに言われたから思いついただけの、模倣の産物」
「……」
「ドール族はみんなそう。私も、棚の上の小さい子たちも。みんな他種族の感情をコピーしてるだけの、空っぽの人形」
彼女の声は震えていなかった。淡々と事実を読み上げるような口調。でも、俺の背中に回された指先だけが、微かに動いている。
「でも」
カリオペの声に、わずかな憧れが混じった。
「コッペリアだけは……違うの」
「違う……?」
「えぇ。コッペリアだけは姉妹を壊されたことを覚えている。悲しんで、怒って、自分の意思で憎み続けている」
彼女は呟いた。俺にではない。もっとどこか遠くの……何かに。
「自分で愛して、自分で憎んで、自分で何かを望む人形。コッペリアは、私たちのなかで一番それに近い。だから私は……あの子のようになりたいの」
(コッペリアみたいになりたい……?)
どうやらカリオペの中では顔が裂けて「ニンゲン、コロス」と迫ってくる人形が、ドール族の完成形らしいが……。
人形の進化先としては怖すぎるので、やめてくれ。
でも……。
「……カリオペさん」
俺は静かに言った。
「俺は、あなたの感情が偽物だとは思いません」
彼女は、わずかに目を見開いた
「したいことを聞いたとき……あなたはすぐに答えられなかった。悩んで、迷って、それから抱きつきたいって言った」
「そレは……」
「完全な模倣なら迷わないんじゃないですか。設定なら即答する。でも、あなたは違った。あの沈黙は偽物じゃなかった」
俺は彼女の手を取った。関節の継ぎ目が、指の腹にかるく触れる。
「それに抱きついてきたとき……すごく、あったかかった」
「あれは……体温が移っただけデ……」
「違います。あなたの核が激しく動いてた。それは、あなたの身体の意思だったんじゃないですか」
カリオペは何も言わなかった。
唇が小さく開いて、何かを言いかけて──そして閉じた。
「タクミは、変なヒト」
しばらくして彼女は小さく笑った。それは、さっきまでの優雅な笑みでも、無機質な笑みでもなかった。もっと崩れた、素の表情。
「人形の感情を、本物だなんて言う人間……初めて」
「異世界人なんで、そういうのよく分からないんですよ」
「タクミって、変なの」
「よく言われます。【体力+1】のハズレ勇者ですから」
「うふふ……せめて【体力+2】ならよかったのにね」
そういう問題だろうか。
彼女は笑いながら、俺の胸に顔を埋めた。今度は今までより自然な仕草だった。関節の軋みもない。ただ、一人の女のように抱きついている。
「……あったかい」
「カリオペさんも、あったかいです……」
俺はそのまま、そっと彼女の髪を撫でた。人形の髪の毛は、見た目よりずっと柔らかくて、指のあいだをさらさらと滑っていく。
どのくらい時間が経っただろうか。
カリオペがぽつりと零す。
「コッペリアをよろしくね。あの子は恥ずかしがり屋だから」
(恥ずかしがり屋……?)
俺は自分の耳を疑った。俺に殺意マシマシのコッペリアは、そんな単語で括っていい存在じゃないと思う。
「もし、殺されそうになったら……」
カリオペは続けた。真顔で。
「もし、あの子に殺されそうになったら……屋敷から一歩外に出れば助かるわ。多分ね」
「多分?」
「えぇ、多分」
殺されること前提のアドバイスだった。
「カリオペさんが助けてくれると嬉しいんですが」
俺が縋るような気持ちで言うと、彼女は目をぱちぱちと瞬かせた。
「私……もう千歳を超えてるおばあちゃんだから、ちょっと……」
千歳。
千歳だと。
ついに、経験相手の年齢が四桁へ突入してしまったのか……。
「最近ね、関節油も注さないと、すぐに動きが鈍くなるの。変な音もするし……ぎゅるぎゅるって」
「ぎゅるぎゅる……」
「そう。朝なんて特に大変でね。起き上がるのに三十分かかることもあるんだから」
俺はその言葉に、どうリアクションを取るべきか完全に思考がフリーズしてしまった。
「そんなことないですよ、まだまだ綺麗ですよ」とフォローを入れるべきか。それとも「潤滑油なら俺が注しましょうか」と返すのが正解なのか。
俺が言葉を失って固まっていると、カリオペは可笑しそうに笑い、俺の胸をぽかりと軽く叩いた。
「あのね、今のは冗談よ。人形ジョーク。もう、タクミってば全然女心が分かってないわね」
女心が分からないんじゃない、人形の心が分からないんだと思う。
でも、彼女はくすくすと笑っていて。その顔はさっきまでよりずっと晴れやかだった。
それは偽物でも模倣でもない、たしかな笑みだったと思う。
少なくとも、俺にはそう見えた
「そういえば、カリオペさん」
「なに?」
「さっきまでずっと『お兄さま』って呼んでましたよね。なんで今は呼ばないんです?」
カリオペの笑顔が止まった。
「……」
わずかに顔を逸らす。白い頬が、じわじわと赤く染まっていった。
「あれは……その……」
「その?」
「ノリというか……接客というか……」
千歳だの関節油だのと平然と口にしていた人形が、急にもじもじと指を絡め始めたぞ。
「そう呼ぶと喜んでくれるお客さまが多いから……。私だって、本当はちょっと恥ずかしいのよ」
照れている。
どう見ても照れている。
愛情も羞恥もすべて人間を真似ただけ。
自分の感情は偽物かもしれない。
そう言っていた人形が、俺から目を逸らして真っ赤になっている。
──やっぱり、ちゃんと感情があるんじゃないか?
俺がじっと見つめていると、カリオペは耐えきれなくなったように顔を上げた。
「もう……そんなに見ないで、お兄さま」
俺は確信した。偽物だの模倣だの言いながら、彼女は間違いなくいま照れている。それを指摘するのは野暮ってもんだろう。
「じゃあ、今度来るときは名前で呼んでくださいね。お兄さまより、そっちのほうが好きなんで」
「もう、からかわないで!」
どうやら人形心は、俺が思っていたよりずっと複雑らしい。
♢ ♢ ♢
部屋を出て廊下を戻ると、カウンターのある受付ロビーがなにやら騒がしい。
声が聞こえる。というか聞き覚えのある声だった。
ねっとりしていて、妙に芝居がかっていて、酔っ払い特有の呂律の回らなさが混ざった──。
(まさか)
俺は恐る恐る角を曲がった。
「それでね、キミの為に手紙を書いてきたんだ。十万文字くらいあるから、読んでくれると嬉しいなぁ。一字一句、心を込めて書いたからね」
いた。
イトマルだった。
銀縁の眼鏡をかけ、蜘蛛の下半身をくねらせながら、棚の上の小さな人形たちに向かって分厚い手紙の束を差し出している。
「キミの小さな関節に合わせて、便箋のサイズも小さくしたんだ。ほら、この紙だってキミの手のひらサイズでしょ? 実はこれ、僕が一晩かけて自分で漉いたんだ。紙の繊維一本一本にキミへの想いを込めてね……」
人形たちは明らかにドン引きしていた。
「ねぇ、なにこの蜘蛛……めっちゃきもいんだけど……」
「手紙を自分で漉くって何? 紙職人?」
「十万文字って、便箋何枚分だよ。受け取るほうの身にもなれって感じ~」
「しかも特注サイズって……あたいたちのサイズ把握してるってこと……?」
彼女たちは完全に引きつつも、独自の分析を始めていた。
「困るんですよね、ああいう変態の方は……」
不意に、すぐ隣から声がした。
受付嬢だった。いつの間にか俺の横に立っていた。
「私たちに感情がないのを利用して、ああいう変態的な行為を迫るのは、常識がないと思いません? お兄さま」
「え? そ、そうですね……はい……」
俺は反射的に同意したが、心のなかではツッコミが追いついていなかった。
(あれを変態行為と認識してドン引きするのは、立派な感情と言えるのでは……?)
客が喜ぶという行為を模倣しているなら、変態客に対しても「わぁ♡うれしい♡」って反応するはずじゃないのか。
(まぁ、それはそうと……)
イトマルくんは、想像以上の変態らしい。
風俗嬢から貰った手紙を壁に吊るすだけじゃ足りず、今度は自分から十万文字のラブレターを書くようになったのか。
進化してる。悪い方向に。
「ねぇ、どうする……? 受け取ったら絶対ストーカーになるやつじゃん……」
「でも受け取らなかったら逆上して襲ってくるかも……きもいよ~」
彼女たちのささやきが聞こえてくる。
やっぱり感情あるだろお前ら。
「ところで、あのアラクネはお兄さまの知り合いですか?」
受付嬢が首をかくんと傾げて俺を見上げた。
「いいえ、全然知りません。見たこともありません」
俺は即答した。俺の脳細胞からはあの変態の記憶を完全に抹消したから嘘じゃない。
「そうですか……では……」
受付嬢の目が細くなった。
「セーフティ解除。障害ヲ排除セヨ」
彼女が何かを呟きながら指をぱちんと鳴らす。
その瞬間だった。
小さな人形たちの目が、クワッと見開かれた。そして──どこに隠してあったのか、各々が武器を取り出した。
黒髪ショートの人形はメリケンサック。銀髪ツインテールは魔法の杖(先端がやけに尖っている)。金髪ポニーテールはなぜか釘バット。他の人形たちも、ひっかき棒やら鈍器やら、思い思いの凶器を手にしている。
「え?」
イトマルが手紙の束を抱えたまま、呆けた声を出した。
次の瞬間。
黒髪ショートのメリケンサックがイトマルの腹にめり込む。
「うぎゃあ!? た、助け……」
「十万文字とか正気かてめぇ!! キモいんだよ!!」
「手紙を読ませて心を開かせて、最終的にセックスしたいだけだろ蜘蛛野郎!!」
魔法の杖がこめかみを打ち、釘バットが肘を砕いた。
人形たちは想像を絶する跳躍力で飛びかかり、蜘蛛の脚を次々とへし折っていく。
俺は呆然とその光景を見つめていた。
そして……。
「みんな、その変態を店の外に捨ててきなさい」
受付嬢が冷静に指示を出す。
「は~い!」
彼女たちは返事をすると、ボロ布のようになったイトマルを総出で担ぎ上げた。そして躊躇なく店の外へ放り投げた。
床には十万文字の愛が込められた分厚い手紙が無惨に散らばり、足跡で汚れている。
踏み破られた便箋の一枚を、俺の無駄にいい視力が捉えてしまった。
『人形にも生理ってあるのかな?もしあるなら、経血を吸──』
俺は即座に首を激しく振り、脳味噌から今の記憶を物理的に振り落とした。
これ以上読み進めたら、呪詛のような文字列が俺の正常な脳細胞を完全に死滅させてしまう。
(知らない。俺はあんな変態、知らない)
人形たちが戻ってくる。彼女たちは武器をしまい、埃をはたき、何事もなかったかのように棚の上に戻っていった。
「いや~、すっきりした!」
「たまにはこういうのもいいわね~」
俺はゆっくりと受付嬢のほうを向いた。
「……感情がないにしては、ずいぶん晴れやかな顔で戻ってきましたね」
「あら、私たちに感情など、ございませんよ」
受付嬢は上品に口元を緩めた。
「だってあれは──」
ぎぎぎ、と首がわずかに回る。
「害虫駆除機能ですから」
青い硝子の瞳が光ったような気がした。
♢ ♢ ♢
屋敷へ戻った頃には夜もかなり深くなっていた。燭台の炎だけが、人気のない廊下をぼんやりと照らしている。
「ふわぁ……眠い……」
俺は欠伸を噛み殺しながら、重い足を前へ運んでいた。
頭はぼんやりしているし瞼は鉛みたいに重い。人形とセックスしたあとだ。体力はともかく、脳みそが休息を欲している。このままベッドに倒れ込みたい。
でも……。
(コッペリアに報告しなきゃ……)
あの化け物みたいなドールを「よろしく」と言われても困るのだが、とりあえず報告くらいはしておこうと思った。
人形へ成りきる具体的な方法までは分からなかった。
だが、呼吸を目立たせないこと、人間らしい反応を消すこと……最低限のコツなら、カリオペからあの後に聞けた。
あとはコッペリアと作戦を詰めれば、どうにか形になるかもしれない。
(ねみぃ……ほんとにねみぃ……)
いまなら立ったまま眠れる自信がある。壁に寄りかかったら最後、朝まで起きられないだろう。
そのときだった。
廊下の角を曲がった先で、ちいさな影が動いているのに気づいた。
「……ん?」
目をこすってよく見る。
そこにはゴーストの少女がいた。
いや、少女というよりほとんど子供。メイド服を着て、両手にモップを持ち、宙に浮かびながら廊下を掃除している。
半透明の身体はまだ小さく、メイド服の裾がぶかぶかで袖をまくっているのが健気だった。
(子供のゴースト……? こんな子も働いてるのか?)
見たことのない顔だった。昨日、夜の屋敷を歩いたときは、こんなに幼い子はいなかった気がする。
俺がぼんやり眺めていると、少女のゴーストがふと顔を上げた。
「あっ」
彼女はなぜか、気まずそうな顔をした。
「あの……ごめんね、昨日は」
「え?」
いきなり謝られた。なんで?
「私ったら、貴方は何も悪くないのに……ついカッとなって、あんなこと言っちゃって」
彼女はモップを抱えながら、気まずそうにうつむいた。うつむいた顔の向こうに床が見える。
「いや、あの……なんの話……」
「ううん、分かってるの。私はおばさんだし、子育てもしたこともあるから……その……思春期の男の子の気持ちは……そう、そうなの。若い子がああいうお店に行きたくなるのも、仕方ないって分かってるのよ。性欲って、そういうものなのよ」
「はぁ……」
誰だろうか、この子。どこかで聞いたような声だが……眠気に邪魔されて思い出せない。
ていうか、俺は思春期でもなんでもないんだが……。二十歳をとっくに過ぎた成人男性だ。思春期は遠い昔に卒業した。
「いいの。隠さなくても」
「何も隠してませんが」
「若い男の子が、女の人の身体に興味を持つのは自然なことだから」
俺は何の話をされているのだろう。眠すぎて会話の前提を聞き逃したのかもしれない。
「でも若いっていいわねぇ。私にもそんな時代があったわ。若くて可愛いゴーストメイドで、モテモテでねぇ……毎晩のようにデートに誘われて……。あ、でも私は尻軽じゃないんだからね?ほいほい着いていったりはしませんから!」
何を言っているんだこの子は。
そもそも、どう見ても子供なのは彼女のほうだ。だが、本人は自分を完全に年長者だと思っているらしい。
「あ、ごめんなさいね! おばさん、つい昔話しちゃって!」
彼女はぱたぱたと手を振り、自分の頬をぺちぺち叩いた。可愛らしい仕草だが、さっきの話の内容が内容だけに脳が混乱する。
「それにしてもあなた……顔色悪いわね。ちゃんと寝てる?」
「あー……いや、昨日はちょっと寝てなくて……」
「若いからって夜更かしばかりしてると、あとで体を壊すわよ。人間もゴーストも一日八時間は寝ないと!」
「ゴーストも寝るんですか」
「えぇ。私たちは昼間に寝るの。死んでるけど」
死んでるけど寝るのか。ゴーストの生態は謎すぎる。
それに何処で寝てるんだろうか。やっぱり墓場とか……?
「それに朝ごはんもきっちり食べてる? 若い子はパンだけとか適当に済ませがちだけど、ちゃんと野菜も摂らないとダメよ」
「……善処します」
「善処じゃなくて、ちゃんと食べなさい」
「はい……」
なぜか説教されている。俺はこの子に説教される筋合いはないはずなのだが、あまりにも自然に母親ムーブをかましてくるので、つい素直に返事をしてしまった。
「それより、コッペリアに会いに行くんでしょう?」
「あ、はい。そうですけど」
なぜ知っている。
俺が聞き返すより先に、彼女はモップを壁に立てかけて、俺の手を取った。
冷たい。ゴーストなのに普通に触れられるのか。
……あれ?俺は最近、人魂に抱き着いたけどすり抜けたような気が……。
「さ、行きましょ」
彼女は俺の手を引き、ふわふわと廊下を進み始めた。俺は眠すぎて抵抗できず、手を繋がれたまま歩く。
だが、廊下を進んでいる間も……彼女の口は閉じるということを知らなかった。
「お酒も控えめにね。最近の若い子はお酒の飲み方も教えてあげないといけないから」
「洗濯物、溜めてない?」
「いまお付き合いしている人はいるの?」
「大事なことよ。将来のことはちゃんと考えないと」
「結婚願望は?」
「若いんだから、もっと健全な趣味を持ちなさい。お花を育てるとか、楽器を演奏するとか、詩を書くとか」
めっちゃ喋るなこの子。眠いので半分も頭に入ってこないが、半分以上は真面目に聞く話じゃなさそうなので助かった。
「でもね、若いうちは遊びたい気持ちも分かるのよ」
まだその話を続けるのか……。
「ただ、腰は大切にしたほうがいいわ。若いからって腰を酷使してると、肝心なときに動かなくなるわよ」
俺は何故、こんな小さなゴーストに腰の使い方を心配されているのだろう。
しかも声と口調が妙に母親じみているせいで、本当に親戚のおばさんから説教されているような気分になってきた。
そうしているうちに、見覚えのある扉の前へ着いた。
コッペリアの部屋だ。
ゴーストメイドは俺の手を離すと、満足そうに頷いた。
「はい、着いたわよ」
「ありがとうございます」
「あなたくらいの年頃の子は大変よね。これでも私、いろいろ相談に乗ってあげられるから。困ったことがあったら、気軽に話しかけてね?」
「はぁ……」
何を相談すればいいのだろう。
貯金か。
結婚か。
腰の使用頻度か。
そのとき、廊下の向こうから別のゴーストメイドが浮かんできた。
「あっ、夜間メイド長!」
「え?」
「そんなところにいたんですか! 骨鳥が屋上の庭園を荒らしてて……ちょっと来てくださーい!」
「あ、呼ばれちゃった!」
目の前にいる小さなゴーストの少女が、ぱっと顔を上げた。
「それじゃあね! その……あんまり腰ヘコヘコしないように……って、何言ってるの私ったら! ごめんなさい、忘れて!」
彼女は顔を真っ赤にすると……。
ぽんっ!
小さな破裂音とともに少女の姿が消えた。
そして、そこに浮かんでいたのは。
青白く発光する小さな火の玉──見覚えのある人魂だった。
「お待たせ!また骨鳥が来てるの?」
「そうなんです……癖になっちゃってるのかも……」
「やーねぇ……こうなったらアラクネの業者に頼んで罠を張って貰って……」
人魂はもう一人のゴーストメイドと一緒に壁の向こうへ消えていった。
「……」
静かな廊下に、俺だけが取り残された。
無言。
沈黙。
そして暫くして、眠気で動かなかった頭が、ようやく目の前の事実を処理した。
「夜間メイド長だったんかい!!」
俺の叫び声が深夜の屋敷中に響き渡った。