【悲報】異世界風俗、嬢の平均年齢が500歳を超えている 作:フレキシブルコーギー
薄暗い部屋だった。
窓という窓には厚手のカーテンが掛けられ、外の光は一筋も入ってこない。
燭台が一本だけ弱々しく灯っていおり、部屋のなかはぼんやりとした闇に包まれている。
静寂が支配する、外界から完全に遮断された空間……。
セリメラの部屋だった。
「ねぇ、コッペリア。私……今日はとっても機嫌がいいの」
声がした。
呟くような細い声。ちゃんと耳を澄ませていないと聞き逃してしまいそうなほどかすかなのに、部屋が静かすぎるせいで明瞭に鼓膜へ届く。
俺の視界の端で、蛇の尾がふりふりと揺れていた。
セリメラはコッペリアの腕を無邪気に持ち上げたり、尾を人形の身体に打ちつけたりしている。
ぱしっ。ぱしっ。
「なんでだと思う?」
返事はない。ただの人形として、されるがままになっている
様子を見るかぎり、彼女は人形好きなラミアの少女だった。長い黒髪は腰まであり、白い肌はほとんど陽に当たったことがないのだろう。
(可愛いじゃないか……)
殺害予告さえなければ、素直にそう思えるのに。
「コッペリアは今日もいい子ね。動かないでじっとしてる」
ぱしぱしぱしぱしっ。
セリメラの尾が、コッペリアの肩を叩き続ける。
それにしてもコッペリアの無反応ぶりは見事だった。表情筋ひとつ動かさず、硝子の目は虚空を見つめたまま。
さすが人形歴数百年のプロである。
(結構な音だな……でも、コッペリアはなんともないみたいだ)
あれなら俺が叩かれても大丈夫だろう。子供のじゃれつきみたいなものだ。
そう思った、まさにその瞬間。
がこんっ。
(!?)
セリメラの尾が、たまたま床に置いてあった何かの金属製の箱に当たった。
ぐにゃり。
鉄製の箱が、音を立てて無残に潰れた。
「……」
前言撤回。
あの尻尾にぶたれたらやばい。華奢だなんだと言ってる場合じゃない。あれはただの蛇の尾じゃない。鈍器だ。鈍器が生えている。
あんなもんが俺の腹にぶちこまれたら、間違いなく「おぇっおぇっ」とえづく。いや、えづくどころか内臓が口から飛び出るかもしれない。
(コッペリアはドール族だし、俺なんかよりも丈夫だから平気なんだろう……)
そのときだった。
「オェッ……オェェ……」
苦悶の声が聞こえた。
セリメラが後ろを向いた一瞬の隙をついてコッペリアが、苦しそうにえづくような声を漏らしていた。
──全然平気じゃなかった。
人形がなんでえづいてるのだろうか。痛みを感じるのか。
というか、よく今まで人形のフリがバレてなかったな。毎回こんな目に遭ってたのか。コッペリアは実はかなりギリギリのラインで人形を演じているのかもしれない。
俺の心臓が危険を告げる。
(や、やばい……殺される……!)
俺は一気に不安になった。
コッペリアが苦悶する相手だ。化け物が化け物と呼ぶ化け物……。
俺の【体力+1】では、あの尾の一撃に耐えられる気がまったくしない。
そう、俺が戦慄していると──
「……今日は」
セリメラが動きを止めた。
彼女はゆっくりと振り返り、瞳が俺を捉えた。
「新しいお人形さんがきたの……!」
彼女の声が明るくなる。
長い髪のあいだから覗く瞳は爛々と輝いている。無垢で、純粋で、それでいて何かが少しだけ歪んでいるような……そんな目だ。
可愛い。
可愛いんだけど。
「……」
視界の隅で、コッペリアがガクガクと小さく痙攣しているのが見えた。さっきの尻尾攻撃のダメージがまだ残っているらしい。
床に打ち捨てられたボロ雑巾みたいになっている彼女を見て、俺の恐怖はピークに達した。
(も、もうだめだぁ……俺もコッペリアみたいにボロ雑巾にされるんだ……)
至近距離。彼女の吐息がかかるほどの距離で俺を見つめている。
ちろ。
二又に分かれた黒い舌が、俺の顔のすぐ近くで空気を舐めた。
彼女の吐息はひんやりと冷たくて、薄荷のような微かな匂いがした。
ちろ、ちろ。
舌が俺の顔や首の周囲で細かく動く。
「……あれ?」
セリメラの動きが止まった。目が細まる。
ちろ、ちろ……。
(なんだ……? なにかバレたか……?)
「なんか、生きてるみたいに温かい……」
「……っ!!」
──待て。蛇って熱を感じる器官を持ってたような……?
もしかするとラミアにも似たような熱感知能力が備わっているのかもしれない。
ということはだ。
いま、その高性能センサーが、俺を生物だと判定しかけているということか……!?
「でも……人形の匂いもする……」
セリメラは困ったように首を傾げた。黒髪がさらりと流れて、俺の膝にかかる。
「……変な人形」
人形の匂い。
あれか。カリオペの匂いだ。密着しまくって抱き合ってキスしてセッ……いや、それはともかく、カリオペと接触していたから彼女の匂いが染みついていたのだろう。
(ありがとうカリオペさん。あなたは天使だ)
そこで寝転がっている役立たずの姉妹と違って、あなたは関節油が切れかかっていてもちゃんと仕事をするえっちな天使だ……。
俺は心のなかでカリオペに深く感謝した。
セリメラがぱっと顔を上げた。
「……あ、そうか」
彼女は何かに気づいたように呟いた。
「きっと最新型なんだ……! 最新型の人形はあったかいんだ……!」
(最新型……?)
俺は心のなかで苦笑した。最新型どころか、型落ち勇者だ。スキルは【体力+1】。でも、体温だけは人並みにある。
それだけが取り柄の男だ……。
「すごい……すごい……!」
セリメラは興奮冷めやらぬ様子で、俺の周りをくるりと一周した。
どうやら、勘違いしてくれたらしい。助かった。
しゅるしゅるしゅる……。
漆黒の尾が、俺の胴体にゆっくりと巻きついてきた。
(こ、これは……)
ヴェーラと同じだ。体温を求めて巻きついてくるラミアの仕草。ヴェーラは力加減を知らなくて、何度も俺の肋骨をみしみし鳴らしたものだが、セリメラの巻きつきは優しかった。
ぎゅうぎゅう締め上げるのではなく、包み込むような巻き方だ。遠慮がちで、どこか不安げで、壊れものを扱うみたいに。
「あったかい……」
セリメラは俺の肩に頬を寄せた。ひんやりとした白い肌が、俺の体温をじわじわと吸い取っていく。
不快じゃない。くすぐったいような、それが心地よいような。
「前にいた……サラマンダーの……おばさんベビーシッターも、あったかかったけど……」
(前のシッター?)
彼女の声は、思い出を手繰り寄せるようにゆっくりと続く。
そういえば斡旋所の職員が言っていたな。三人目のシッターはラミアの三姉妹にまとめて巻きつかれたとかなんとか。
「でも……いっぱい喋るから……嫌だった」
セリメラは眉をひそめて言った。
「『ご飯はちゃんと食べてる?』『外に出ないの?』『お友達は?』って、うるさくて……巻きつくと体温は気持ちいいけど、お喋りがだめ。うるさいのはきらい」
(湯たんぽとしてしか評価されてねぇ……)
セリメラはさらに身体を密着させてきた。尾は胴体に巻きつき、頬は俺の胸のあたりに埋まっている。
「だから……人形で、あったかいの……すごくいい……」
彼女は満足げに目を細め、息を吐いた。ひんやりした吐息が俺の首筋をくすぐる。
なるほどな……。
彼女の理想はあったかくて、何も喋らない人形。
(俺じゃねぇか)
風俗に通いまくる以外、とくに取り柄のないハズレ勇者。長所なんてないと思ってたけど、まさかここで適性が発揮されるとは。
(なんとなく誇らしい気分になるな……って違う! 人形として評価されてどうする!)
俺は人間だ。いまは仕方なく人形のふりをしているが、俺はれっきとした生き物なんだ。
無機物扱いされて喜ぶとか、そこまで落ちぶれちゃいねぇ。勇者を舐めるなよ。
「生き物はきらい」
セリメラが、ぽつりと言った。
「人形は、裏切らない。私に何も言わない……」
セリメラの声が、微かに震えた。
「もし、この部屋に生き物が入ってきたら……」
彼女の尾の力が強くなった。
「──殺してやる」
なんだか俺は最初から人形だったような気がしてきたぜ。
うん、そうだ。俺はタクミ人形だ。人間なんかじゃない。勇者でもない。呼吸もしてないし、心臓も動いてない。
この暖かさはきっと内蔵された最新型の魔導ヒーターのせいだ。俺は無機物だ。俺は人形だ。
俺は自己暗示を完了させ、人形としてのアイデンティティを確立した。
♢ ♢ ♢
それからしばらく、セリメラは俺にべったりとくっついていた。
抱き着いたり、髪を梳いたり、関節を曲げたり伸ばしたり。かと思えば、ぽつぽつと他愛のないおしゃべりを始めたり。
とりとめのない独り言だったが、そのどれもが温かみのある声で紡がれていた。年頃の女の子が人形と遊ぶ、そのままの光景だった。
いつの間にか、お気に入りの人形ポジションはコッペリアから俺に移ってしまったようだ。セリメラはもうコッペリアに尾を巻きつけず、俺だけを抱きしめている。
これまでその役目を担っていたであろうコッペリアはというと……部屋の隅で、なんだか安心したようにぐったりと横たわっていた。
口がかすかに開いている。寝ているのかもしれない。
人形が睡眠を必要とするかという議論は、今は脇に置いておくとして……。
あの野郎。
もしかして。
(セリメラの相手を押し付けるために、俺に人形のふりをしろとか抜かしたのでは……?)
あれほど熱心に指導していたのも、ぜんぶ自分の負担を減らすためだったのでは?
(ちくしょう……! 騙された……!)
俺が怒りに震えていると、セリメラが不意に顔を上げた。
「ねぇ、ペペロンチーノ二世……」
ペペロンチーノ二世というのは、ついさっき彼女が俺につけた名前である。人形としての名前だ。
ネーミングセンスの是非はともかく、気になるのは二世という部分だ。一世はどこにいるのだろうか。
もしかしてもう粉々に砕かれているということか?俺もいつか粉々にされて、次は三世が……?
俺は人知れず震えた。
「最近ね、屋敷が騒がしいの」
心臓が跳ねた。
「なんか新しい人間の使用人がきたんだって」
俺のことだ。いや、正確にはタクミという名前の人間の使用人のことだ。いまの俺はペペロンチーノ二世であって、断じて人間の使用人ではないけどね?
「私ね……騒がしいの、きらい。だいっきらいなの……!」
セリメラはわなわなと震えながら、俺の腕を握りしめた。細い指が思いのほか強くて、関節がみしりと軋む。
「アゼルからの手紙には、新しい使用人はブリーフ一丁で屋敷を歩き回る変態だって書いてあって……」
ア、アゼルさん?
貴女はなにを書いてるんですか?
確かに俺は初日にブリーフを露出しながら働いた。でも、あれは俺のせいじゃない。メディの発注ミスのせいだ。俺は被害者だ。
それに厳密にはブリーフ一丁ではなく、上にはきちんと服を着ていた。上半身はちゃんとした執事だった。下半身はともかく。
と、心のなかで情けない言い訳を並べ立てたが、もちろん声には出せない。
だって俺は、ペペロンチーノ二世という名の人形だから……。
「きっと騒がしくて、とんでもない変態なんだ……!」
セリメラの俺を抱きしめる力が強まった。みしりと肋骨が軋む。口から胃液が逆流しそうな圧迫感に必死で耐える。人形だから痛くない。
人形だから痛くない。人形だから──だめだ!痛すぎる!助けてくれ!
「だから私、その変態から手紙が来たときに、読まないで捨ててやったの!」
セリメラはふんすと鼻息を荒くした。
「変態が書いた手紙なんて、読んだら妊娠しちゃうんだから……!」
いや、妊娠はしねぇよ。
手紙で妊娠する生物がどこにいる。どんな変態なんだよ俺は。
……でも、そうか。
(なるほどな……)
ミレーネが書いてくれた手紙は読まれもしなかったのだ。未開封のままゴミ箱行き。
つまり、あの『殺してやる』という返事は手紙の中身に対する返答ではなかった。
屋敷に現れた騒がしい新入りそのものへの彼女なりの拒絶だったんだ。
悪いのはミレーネでも、セリメラでもない。
まぁ、強いて言えば、俺を初日にブリーフ姿で歩き回らせたメディが悪いような気もするが……。
初日のブリーフ事件がなければ、俺が変態認定されることもなく、手紙を読んでくれる可能性があったかもしれない。
「でも……」
セリメラの声が、急にしおしおと小さくなった。
「あの手紙はなんて書いてあったのかな……読まずに捨てちゃうのは……いくらなんでも、可哀そうかな……」
彼女は部屋の隅のゴミ箱に目をやった。どうやらまだ、あの手紙はそこに眠っているらしい。
(……)
俺は少しだけ、彼女のことが分かった気がした。
手紙を読まずに捨てたことを、ちゃんと気に病んでいる。罪悪感を抱いている。『殺してやる』と書いたことも、後悔しているのかも。
もしかしたら。
──優しい子なのかもしれない。
鉄の箱をぐにゃりとへし折る力を持っていても、手紙一通に心を痛める。ただ、不器用なだけなのだろう。
「ねぇ、ペペロンチーノ二世……」
セリメラは俺の胸に顔を埋めたまま、小さく呟いた。
「わたし、どうすればいいのかな」
答えられない。人形だから。
でも、もし答えられたとしても……きっと俺は何も言えなかっただろう。だって俺がその手紙の差出人なんだから。
セリメラはそれ以上何も言わず、尾を俺に巻きつけたまま、上半身の腕でも俺をぎゅっと抱きしめて……。
「すぅ……」
寝息が聞こえ始めた。
あどけない寝顔だ。やっぱり、ヴェーラに似ている。姉妹だから当たり前か。
(この子は……)
凶暴な引きこもり令嬢なんかじゃない。
繊細で、傷つきやすくて、それでも誰かと繋がりたいと思っている──そんな普通の女の子だ。
俺は彼女のことを、どうしてか……なんとかしてやりたいと思った。
でも、それと同時に、強烈な睡魔が襲ってくる。今日は徹夜明けだ。体力の限界だった。
瞼が、落ちる。
(まずい……意識が……)
その時だった。
「フゥ~、やっト寝ましタカ」
眠りの淵で、聞き覚えのある声がした。
「今日はポロリンチンポ二世に注意を向けてくれたお陰で楽デシタねぇ……」
(ポロリンチンポじゃなくて……ペペロンチーノだ……この野郎……)
部屋の隅で人形がむくりと起き上がる気配。コッペリアは腰をとんとん叩きながら立ち上がり、俺たちのほうを見る。
セリメラは俺に巻きついたまま、完全に眠っていた。
「ソレにしても……」
青い硝子の目が俺へ向く。
「随分と気に入られマシタネ。やっぱり、同じ陰キャ同士気が合うンデスかね?」
役立たずドールに反論したかった。だが、もう瞼が上がらない。
そして……俺は深い眠りに落ちた。
♢ ♢ ♢
「……あれ?」
目を開けた。見覚えのある天井だった。
「ここは……」
身体を起こす。
椅子。棚。そして……金髪の殺戮ドール。
コッペリアがいた部屋だ。
「なんで戻ってるんだ、俺」
「オハヨウゴザイマス、ポロリンチンポ二世」
「ペペロンチーノ二世だ! いや、それも俺の名前じゃないけど!」
まだ寝ぼけた頭で周囲を見回す。
間違いない。昨夜、セリメラに連れていかれる前にいた部屋だ。
「俺、自分で戻ってきたんですか?」
「イイエ」
「じゃあコッペリアさんが?」
「ソレモ違いマス」
「じゃあ誰が」
「セリメラ様デス」
「えっ」
俺は固まった。
「あの人が、俺をここまで?」
「ハイ。起きたアト、自分で抱えて運んできマシタ」
「……」
まったく記憶がない。
というか、人間一人を抱えて廊下を這ってきたのか。さすが鉄箱を潰す娘である。
「えーっと……なんでです?」
「セリメラ様は、借りた人形を必ず元の場所へ戻シマス」
「借りた……?」
コッペリアは俺を指差した。
「アナタは昨日、この部屋に置いてあったデショウ。だからセリメラ様ハ、ここの人形だと思ってイマス。気に入った人形でも、遊び終わったら元の場所に戻ス。『お人形にも帰る場所があるから』だソウデス」
「……」
妙なところで律儀だな、あの子。
いや。
なんとなく、セリメラらしい気もした。
「タだ……」
コッペリアが続ける。
「今回ハ返す時、随分名残惜しそうデシタヨ」
「名残惜しそう?」
「三回くらい廊下カラ戻ってきて、アナタを抱きしめ直してマシタ」
「……」
「最後ニ『また借りるね』ト」
俺は自分の身体を見下ろした。
どうやら俺は、知らないうちに貸出制の人形になったらしい。