【悲報】異世界風俗、嬢の平均年齢が500歳を超えている 作:フレキシブルコーギー
「なんだって騎士団がこんなゴミ溜めに?」
「も、もしかして私の葉っぱが見つかった……!?」
「くそ、狙いは俺か! 前に盗んだ馬車の件か!」
周囲を取り囲んでいた野次馬たちが、一斉に己の罪状を自白しながらパニックに陥り始めた。
というか葉っぱとかいう絶対に拾ってはいけない単語が聞こえたが、俺の勇者の聴覚はそれを綺麗にスルーした。
発言の主はエルフの風俗嬢だった。エルフと言えば森の民だ。つまり、きっと観葉植物かオーガニックなハーブ栽培の話に違いない。
そうであってくれ。
「ど、どうします兄貴?」
「……ちっ」
象人の男が露骨に顔をしかめた。
「よりにもよってヴァルグラン家の令嬢が来やがったか……」
ヴァルグラン家。聞き覚えのない名前だった。でも、象人が令嬢と呼ぶからには貴族なのだろう。
(先頭の女性ケンタウロスが、その令嬢ってことか)
金髪のポニーテール。碧眼。凛々しい表情。
まさしく、貴族の令嬢といった外見だ。でも、お嬢様とかそういう感じじゃなくて、姫騎士って感じの。
だが……。
「……」
彼女が、じっと俺を見ていた。
いや、見ているというか、射抜いている。視線が重すぎる。睨まれていると言ってもいい。
(なんだ……? もしかして俺、なにかした?)
心当たりがない。ケンタウロスの貴族令嬢に恨まれるようなことをした記憶は、異世界に来てからは一度もない。
そのとき、象人が動いた。
「騎士団さんよ。俺らは別に揉め事なんざ起こしてねぇ。何の用だ?」
彼は長い鼻を器用に伸ばし、先端でピギーの襟首を摘まみ上げた。ゴブリンが軽々と宙吊りになる。
「ひぃっ!? 騎士団さまぁ! 助けてくれぇ!」
ピギーがじたばたと手足を動かしながら悲鳴を上げた。その姿を見て、ケンタウロス騎士の一人が眉をひそめる。
「そのゴブリン、怯えているようだが」
象人は面倒そうに舌打ちすると、ピギーを石畳へ下ろした。
「暴行を加えられていたのではないか? 誰か、何か見ていた者はいるか」
ケンタウロスが野次馬に向かって問いかける。すると、さっきまで「ぶっ殺せー!」と叫んでいた連中が、いっせいに首を横に振った。
「さぁ? 何のことやらサッパリ」
「見てないね〜。アタシら、今たまたま通りかかっただけだし」
(……?)
俺は違和感を覚えた。ピギーは確かに路地から吹き飛ばされてきて、石畳を三回バウンドしたのだ。
その場面を目撃している者は大勢いるのに、全員が嘘をついている。
借金取りの肩を持っているのか? いや、彼らが象人の一味を特別に好いているようには見えない。
じゃあ、なんで……。
「タクミ」
ガルナが耳打ちしてきた。
「騎士団はな、この街の連中にとっちゃ敵みたいなもんだ。あいつらに協力するような真似をしたら、風俗街全体からハブられて、後でとんでもない目に遭う。余計なことは言うんじゃねぇぞ」
なるほど、そういうことか。
借金取りは嫌われている。だが、騎士団はもっと嫌われている。風俗街は無法地帯だから、外部の権力が介入してくるのを何よりも忌避するのだろう。
……まぁ、ろくでなし共からここまで嫌われる組織なら、むしろ真っ当な公的機関である可能性が高いけど。
俺も別に風俗街と敵対したいわけじゃない。ここは俺の大切な遊び場だ。黙っておこう。
「騎士団さまぁ!」
ピギーが涙声で絶叫した。
「こいつら、善良な市民である俺を暴行したんだ! しかもそこの野次馬どもは俺が殴られるのを見世物にしてやがった! うぉぉん! 殺ゴブリン未遂でみんな捕まえてくれ!」
瞬間。
周囲の風俗嬢とろくでなし共の殺気が、ピギーに向かって一斉に収束した。
それはもう、目に見えるんじゃないかという濃度だった。空気が震え、温度が数度下がった気がする。
獣人はこめかみに青筋を浮かべ、別のアラクネは糸をぎちぎちと引き絞り、人魚は水路から身を乗り出して目をぎらつかせている。
(すげぇ……殺気が目に見える……!?)
ピギーは気づいていない。彼は泣き真似に必死で、自分がいま、この風俗街にいる全員を敵に回したことを理解していない。
借金取りにどうこうされる前に、風俗街の住民にリンチされてしまう。
「ふむ……一人の証言だけではどうにもならないな」
金髪の女性ケンタウロスが、涼しい顔でそう言った。
そして──彼女の澄んだ青い目が、まっすぐ俺を捉えた。
「貴殿は何も見ていないだろうか?」
(な、なんで俺に……?)
周りには大勢の野次馬がいるのに、なぜピンポイントで俺を指名する。【体力+1】が滲み出る何かが顔に表れているのか?
(……)
彼女の目は濁りなく澄んでいて、嘘を吐くことをためらわせるような透明さがあった。騎士の鑑のような目だ。こういう目をした相手に嘘を吐くのは、勇者らしくない。
でも、俺はにこやかに嘘を吐いた。
「いえ、何も見ていませんね。この平和な街で暴力沙汰なんて、恐ろしいことがあるはずないじゃないですか。ねぇ、ガルナさん?」
よく考えたら、風俗街全体を敵に回してまでピギーを庇う義理はない。第一、悪いのはピギーだ。
借金を返さず、嘘の言い訳を重ね、利息まで止めてもらったのに開き直っている。
「あぁ、そうさ」
ガルナが腕を組み、ふてぶてしく言い放った。
「まーでも、知っててもお前らなんかに教えてやんねーけどな。さっさとお屋敷にでも帰って、マンズリこいて寝てろウマクソ野郎!」
──シーン、と。
風俗街の喧騒が、嘘みたいに消えた。
「お、おい……」
「今、あの狼女、なんて……?」
野次馬の口が一斉に閉ざされ、借金取りの子分たちが硬直し、象人の鼻がぴたりと止まった。通りに吹いていた風だけが、申し訳なさそうにゴミを転がしている。
(ガ、ガルナ……?)
俺は隣でドヤ顔を決めている狼女を、穴が開くほど凝視した。
いま、とんでもなく下品な煽り文句が彼女の口から発せられたような気がする。
いや、気がするじゃない。確実に発せられた。
マンズリ。
嘘だよな……?
いくら風俗街の泥水から生まれたようなガルナでも、完全武装の……しかもめちゃくちゃ強そうなケンタウロス騎士団に向かって、そんな破滅の呪文を詠唱する訳ないよな……?
「あ! もしかしてテメェ、下半身が馬だから自分のオマンコに手が届かねぇのか!? おいおい、こりゃ傑作だ! なぁ、オナニーする時いつもどうやってんだよ、ぎゃはははは──むぐぅっ!?」
俺は全力でガルナの口を塞いだ。
このお下劣発生装置にこれ以上喋らせたら、俺たちは確実に全員死ぬ。風俗街ごと消し炭にされる。
「くそっ……この狼女、めんどくせぇこと言いやがって……」
象人が長い鼻で顔を覆った。借金取りの子分たちも一斉に後退り、野次馬たちは顔を真っ青にして距離を取っている。
ピギーに至っては、恐怖のあまり地面に這いつくばったまま口から泡を吹いている。
(これは、やばいのでは?)
「き、貴様……! リディア様の御前で、なんという下品なことを……!」
顔を真っ赤にした若いケンタウロス騎士が、槍を構えて一歩前に出た。他の騎士たちも続き、馬蹄の重い響きが周囲をぐるりと取り囲む。
手にした槍の穂先はどれもギラリと鈍く光り、風俗街のネオンを反射して毒々しいまでに輝いている。
どう見ても戦場で使うような武器で、少なくとも、オナニーのやり方を尋ねた相手に向けるような物騒な代物ではなかった。
「この女、よく見たらガルナです! 指名手配犯の!」
「なに……? あの影狼ガルナか……!」
影狼?
なんだい、その二つ名は。まるで暗殺者みたいじゃないか。
勇者の俺を差し置いて、そんなかっこいい二つ名を持っているだなんて……。
い、いや。今は他人の称号に嫉妬している場合じゃない。
「ひぃ! なんで俺までぇ! 俺は仲間じゃねぇ!」
「くそっ……狼女のせいでとんだとばっちりだぜ」
ピギーが悲鳴を上げ、借金取りの子分たちが地団駄を踏む。どうやら俺たちは綺麗に纏めて同罪認定されたらしい。
「ふわぁ、うっせぇなぁ……」
当のガルナはというと、大きな欠伸をひとつして、尻尾をぽりぽりと掻いている。この数の騎士を目の前にして、まるで路地裏で日向ぼっこをしているかのような余裕だ。
おそらく彼女は本気で戦っても勝てるのかもしれないが、俺やピギーのような紙耐久の雑魚は槍で一突きにされたらそれで終わりである。そのあたりを少しは斟酌してほしかった。
「ガ、ガルナさん! 謝った方がいいんじゃないですか!?」
「あー? なんであたしがお貴族さまなんかに謝らなきゃならねぇんだぁ? 嫌いなんだよ、いい家に生まれただけで偉そうにしてる奴はな」
なるほど、彼女がやけに不機嫌なのは貴族そのものが嫌いだからか。
彼女にとって貴族というのは、偉そうにふんぞり返って庶民を見下す連中なのだろう。
でも、このままでは俺もガルナと一緒にお縄だ。いや、最悪この場で処刑もありえる。
風俗街で。マンズリが原因で。
そんな恥ずかしい死に方は、絶対に嫌だ。
「待て! 落ち着くんだ!」
そのとき、凛とした号令が通りを貫いた。
女性の騎士が怒り心頭の騎士たちを制止し、歩を進めて前に出てくる。金髪のポニーテールがさらりと揺れた。
「我々は法と秩序を重んじる騎士団だ。怒りに任せて市民に槍を向けるんじゃない!」
(おぉ……!?)
なんというまともな言葉だ。流石は貴族の家に生まれたお嬢様は違う。マンズリとかいう単語を平然と発した狼とは生命体としての格が違う。
「しかしリディア様……! この狼女はここで処分すべき危険な存在です!」
「指名手配されていることと、今この場で何が起きたかは別の話だろう」
女性のケンタウロス──リディアはぴしゃりと言い切った。揺るぎない声だった。槍を構える騎士たちが、叱られた子供のように一歩後退る。
「罪人だからといって、確認もせず別件の罪まで被せていい理由にはならん。まず、この場の騒動を整理しようじゃないか」
(おお……)
まともだ。びっくりするくらいまともだ。この風俗街ではマンズリあたりが標準語彙として流通しているというのに、彼女だけが辞書の別のページから抜け出してきたみたいに正しいことを言っている。
リディアは俺たちを見渡し、最後に地面へ這いつくばっているピギーへ視線を落とした。
「そこのゴブリン。先ほど貴殿は暴行を受けたと訴えたな?」
「は、はいっ! そうなんです騎士様! 俺はこいつらに……」
「おいピギー」
野次馬の一人が、地の底から響くような低い声で呼んだ。
「騎士団に街の連中を売るってんなら、もうこの辺の風俗店には来るなよ」
「え?」
ピギーの顔から、さああっと血の気が引いた。
借金取りに追われても平然とデタラメを吐いていた男が、今日初めて本気の絶望を顔に浮かべている。
風俗街から敵視されるという事実を、いまこの瞬間に思い出したらしい。
「そ、それは困る!!」
慌てるピギー。そこへ、象人が顔を寄せて言った。
「ピギー……返済期限、一か月延ばしてやる」
「え?」
ピギーの涙が止まった。さっきまで死刑台に上げられた囚人みたいな顔をしていたのに、いまは宝箱を見つけた冒険者みたいな顔をしている。
「兄貴ィ!!」
ピギーが象人の脚へがっしりと抱きついた。靴に頬ずりまでしている。
「勘違いだったんですよ騎士様ぁ! 俺たち、ただ仲良くじゃれ合ってただけでぇ!」
さっきまで内臓を取られると泣いていたゴブリンが、いまは借金取りと肩を組まんばかりの勢いだ。
「……つまり」
リディアの青い瞳が細くなった。
「暴行はなかった、と?」
「ええ、もちろんですとも!」
ピギーは胸を張った。
そのとき、象人がこちらを見た。
俺と目が合う。次にガルナを見る。そして、ほんの一瞬だけ俺たちのポケットへ意味ありげに視線を落とした。
(……)
銀貨三枚。
俺のポケットには、さっきこいつから受け取った銀貨三枚が入っている。ガルナにも三枚。
(待てよ)
ここで「ピギーを売るために借金取りから金を貰いました」と事実を説明したら、俺たちはどう見ても裏社会の借金取りに買収された薄汚い連中の図じゃないか。
ハズレ勇者から、買収済みハズレ勇者へ。これ以上悲惨な肩書きを悪化させるわけにはいかない。
こんな高潔な貴族の令嬢に「買収済みハズレ勇者」と認識されるのは、なんというか、男として、いや人間としての尊厳が完全に終わる。
象人が咳払いをした。
「なぁ、兄ちゃん。さっき渡したアレの件だが……」
「ああ! あの、仲良くなるためのお金ですね!」
「……ああ。そうだ。親睦を深めるために渡した銀貨だ」
「そうそう! 親睦!」
ガルナも乗ってきた。
さっきまで「ウマクソ野郎」と騎士団を煽っていた女とは思えない爽やかな笑顔だった。狼の耳がぴこぴこと愛想よく動いている。
「この街じゃあね、初対面の奴に銀貨三枚を渡すと今日からお前はマブダチだ!っていう、すっごく温かいハッピーな風習があるんですよ」
「え? そんな風習があるのか?」
リディアが真顔で聞いてきた。
「あります」
そんな意味の分からん集金システムがあるわけがない。
でもそう言うしかない。自信満々に答えれば、嘘も本当になるのだ……。
「あたしら、みーんな種族の壁を越えたズッ友なんだよ。なぁ、ピギー? タクミ?」
「あぁ、そうさぁ。俺たちは仲良しなんだぁ」
「象の旦那もだよな?」
「……あぁ、親友だ」
象人が、この世のすべての苦みを煮詰めたような渋面で吐き捨てた。極太の鼻がぷるぷると小刻みに震えている。
彼の矜持が、クズのゴブリンとの友情を偽装することに激しくアレルギー反応を起こしているらしい。
「俺たちは仲良しなんですよぉ。ね?」
傍から見れば人間のハズレ勇者、クズゴブリン、裏社会の象、指名手配犯の狼というカオス極まる四人が無理やり寄り集まり、ひきつった笑顔を浮かべている図である。
だが……誰がどう見ても、強引に口裏を合わせた犯罪者集団以外の何物でもない。
ところが、リディアだけは頷いていた。
「なるほどな。つまり、我々の早とちりだったということか……」
(え、そんな簡単に騙されることってある?)
周囲のケンタウロス騎士たちは明らかに何か言いたげだ。顔を顰めたり、怒りで身体を震わせている。
でも、リディアを前にすると誰も口を開かない。
なんだろう?でも──好都合だ。このまま見逃してもらおう。
「そうそう、あいつら仲良くしてただけだよ~」
「いつものことだって!まったく、これくらいのことで騒がないで欲しいぜ!」
周囲の野次馬たちまで完璧なタイミングで援護射撃に入った。これが風俗街のゴミ同士が魅せる、公権力に対する見事なまでの団結力か。素晴らしい。
これが勇者のやることか?という道徳的な問いについては、今は心の奥底の開かずの金庫に封印しておこう。いや、もう一生開けなくていい。
リディアが満足気に頷いた。
「ふむ、仲良しだったのか! なら問題ない!」
俺、ピギー、象人、そして周囲の野次馬たちから、どっと安堵の溜息が漏れた。ガルナの尻尾もゆっくりと穏やかな揺れに戻る。
「ところで」
リディアが、ふと思い出したように小首を傾げた。
「先ほどから気になっていたのだが……その、マンズリとはなんだ?」
──瞬間。
周囲の空気が凍りついた。
(な、なんてことを聞いて……!? いや、貴族のお嬢様だから、こんな下品な言葉を知らないのか……!?)
誰も答えない。答えられるわけがない。
さっきまで騒がしかった連中が、全員そろって急に足元の石畳の模様に深い学術的興味を持ち始め、一斉に目を逸らした。
「そこの貴殿」
リディアは、俺の目をまっすぐに見ていた。
「マンズリとはなんなんだ?」
(また俺かよ!?)
なにか恨みでもあるのか。いや、さっき会ったばかりだ。単に俺の顔が答えやすそうに見えたのだろうか。
「えーっとですね……そのですね……うん……そのぉ……」
俺の語彙が急に縮小する。
マンズリの正確な意味と構造を高潔なる姫騎士様に論理的に説明した瞬間、周囲の騎士たちの槍が俺の臓器を串刺しにする未来しか見えない。
そのとき、俺はすぐ近くで冷や汗を流している一人の若いケンタウロス騎士と目が合った。
そうだ。
俺ひとりでこの巨大な爆弾を抱え込む必要はない。ここには誇り高き王国騎士団の優秀な面々がいるじゃないか。
「あぁ〜っ! 残念ながら無学な俺にはさっぱり分からない単語ですね! あ、でも貴方の大切な部下の方々ならば、当然ご存知なのでは……!?」
「な、なに!?」
俺は若い騎士へ、全力で話題をパスした。
「や、やめろ! 俺に振るんじゃない!!」
騎士が慌てて後退る。蹄が落ち着きなく石畳を踏み鳴らした。
リディアがその騎士を見る。澄んだ青い目で。純粋な好奇心で。
「どうなんだ? 知っているのか?」
「お、俺はそのような卑俗な言葉には一切の縁がなく……ッ! そ、そうだ! こういう言葉は、現地民の方が詳しいはずです! そこのゴブリン! 答えろ!」
「え、俺ぇ!?」
被弾したピギーがカエルのように飛び上がった。
「えっとぉ……そのぉ……あぁ、借金取りの旦那! ここは一つ、象人の博識なところが見たいなぁ!」
象人はとうとう鼻だけでは足りなくなったらしく、両手まで使って頭を抱えた。三メートルの巨体が小さく見えるほどの苦悩のポーズだった。
「お、俺は金貸しだぞ……。猥語辞典じゃねぇんだ……!」
象人の悲痛な声が夜の風俗街に虚しく響いた。誰もが下を向き、次の犠牲者を探している。
そして──全員の視線が、自然と一点に集まった。
ガルナだ。
当のガルナは退屈そうに欠伸をしていたが、自分に注目が集まっているのを感じ取ると、にやりと笑う。
「あーん? マ・ン・ズ・リってのはなぁ、あたしも毎日やってる、いわゆるオナニー……むぐぅ!?」
俺は渾身の力でガルナの口を塞いだ。さっきも同じことをしたが、今度は指の間から息が漏れないように、より完璧な密閉を目指して。
一瞬の静寂。そして──。
(……やった)
誰も声には出さない。でも、間違いなく空気が震えていた。
騎士が、ピギーが、象の金貸しが、野次馬の風俗嬢たちが、心のなかで一斉にスタンディングオベーションと万雷の拍手を送っているのが分かる。
俺は今この瞬間だけ、風俗街の英雄だった。
「んー! んんー!!」
ガルナがもがき、尻尾をびたんびたんと石畳へ叩きつける。だが離すわけにはいかない。
騎士からピギーへ、ピギーから象人へ、象人からガルナへと、全員が命懸けで押しつけ合ってきたものが台無しになる。
「なぜ口を塞ぐんだ? 苦しそうじゃないか」
リディアが心底不思議そうに首を傾げた。俺はガルナの口を塞いだまま、精一杯の真面目な顔で答えた。
「大丈夫です。いま彼女は喋ってはいけない時間なんです」
「なに? そんな時間があるのか?」
「ええ。狼の獣人には、一日のうちでそういう神聖な時間があるらしいですよ」
リディアは数秒だけガルナを見つめたあと、素直に頷いた。
「なるほどな……知らなかったぞ」
俺も知らなかったぜ。
「もがっ、んごごごっ……!」
そろそろ解放してやらないと不味い。ていうか、ガルナの腕力が強すぎて、俺の筋力ではこれ以上ホールドしきれない。
俺は念のためガルナの耳元へ顔を寄せた。
「離しますけど、続きを言わないでくださいよ」
「んー」
「本当に?」
「んー」
まったく信用できなかったが、いつまでもこうしているわけにもいかない。俺は恐る恐る手を離した。
「ぷはっ! だからマンズリってのは――」
「ガルナさん!」
「……ちっ」
もう一度塞がれる未来を悟ったらしい。周囲から、ほっと息を吐く音が聞こえた。
「くそ……これだから、風俗街の下劣な連中は……」
部下の一人が、リディアの耳元に顔を寄せて囁いた。
「リディア様。これ以上、この汚らわしい場所に留まる必要はありません。一刻も早く撤収を」
「しかし、まだ聞きたいことが……」
「ここは教育上、よろしくありません」
リディアはきょとんとしている。教育上よくない、という言葉の意味を本気で理解していない顔だった。
この女騎士は風俗街のピンクの看板を見ても「綺麗な色だ」くらいにしか思わないのかもしれない。圧倒的光属性バリアである。
「それに、あの影狼を捕縛するには現戦力では不足しております」
「なに? 一個小隊連れてきているのにか?」
「不足しております」
断言だった。
(ガルナ、そんなに強いのか……?)
指名手配を受けながらものうのうと生きている時点で只者ではないと思っていたが、王国騎士団をして戦力不足と言わしめるとは。
影狼、恐ろしい子……。
「むぅ……わかった」
リディアはしぶしぶ引き下がった。
(まともな人だな……)
法を守る。感情的になりかけた部下を叱って制止できる。下品な言葉を知らない。素直。美人。貴族。
七拍子も八拍子も揃った完全無欠の騎士令嬢である。この風俗街では一ミリも生存できないタイプの人間だが、だからこそ眩しく見える。
「では、撤収する。者ども、隊列を整えろ!」
リディアの号令で、ケンタウロス騎士たちが一斉に方向転換した。蹄の音が規則正しく石畳を叩き、銀の鎧が煌めく。
野次馬たちがほっと息を吐き、借金取りの子分が膝から崩れ落ち、ピギーが「生きのびた……」と呟いて天を仰いだ。
リディアも踵を返し、隊列の先頭へ戻ろうと歩き出した。
──が。
数歩進んだところで、ぴたりと止まった。
「ああ、そうだ」
リディアがこちらを振り返り、視線がまた俺で止まった。
「……?」
その顔は、さっきまでと何一つ変わっていない。凛々しく、真剣な女騎士そのものだった。
「貴殿」
「はい?」
「一つ頼みがあるのだが……」
なんだろう。
目の前の騒動については終わった。とりあえず大体、有耶無耶になった。
あとは一体、何が残っているというのか。街の清掃活動へのボランティア参加のお願いだろうか。
なにせ下品な言葉を一切知らない清廉な姫騎士だ。きっとそういう類のことだろう。
「なんでしょう?」
リディアは背筋を伸ばし、鎧の胸甲に手を当て──厳かな声で言った。
「私と交尾して、腹がパンパンに膨れるほど貴殿のザーメンを注ぎ込んで、孕ませてくれないか?」