【悲報】異世界風俗、嬢の平均年齢が500歳を超えている 作:フレキシブルコーギー
ぽんぽこ亭の前に降り立ったとき、俺の胸の内には奇妙な充足感が満ちていた。
上位種の女を完全に堕とした。傲慢な上位種ハーピーが、自ら肉便器奴隷宣言をしたのだ。
これはもう、歴史的勝利と言っても過言ではない。
「うむ。大儀であった、ご苦労」
俺はふんぞり返って執事ハーピーに言った。なにせ俺は、いまや上位種の女をイかせた漢である。対応もおのずと尊大になるというものだ。
「かしこまりました。では、私はこれで」
執事ハーピーが鳥かごを鳥脚で掴みかけ──ふと何かを思い出したように首を傾げた。
「そういえば、ゼールハイム大公閣下にも一言ご挨拶を──」
「不要じゃッ!!!」
俺は反射的に叫んでいた。
「あ、あー……大公閣下はいま、非常に取り込み中でな! 路地裏で食用の雑草を摘むという、崇高かつ極めて情けない極秘行為の真っ最中なのだ! そう、実に多忙! ゆえに私からよしなに伝えておくから、そなたは一切気にせず戻るがよい!」
執事ハーピーの翼が、ぴくりと震えた。首を傾げ、怪訝な表情を浮かべたが特に何も追及してくることはなかった。
流石プロだぜ。余計なことに首をツッコまないということの大事さを理解している。
「承知いたしました。では、私はこれで」
彼はそれだけ言うと、鳥脚で巨大な鳥かごを掴んで持ち上げ、軽やかに空へと飛び去っていった。
(セーフ!)
請求書をアルヴェインに擦りつけたことが露見したら、俺は全身腐り落ちて肥料になるかもしれない。
まぁ、バレるのは時間の問題だろう。だがそれは未来の俺の仕事だ。いまの俺には関係ない。
責任の先送りこそが、現代日本が生んだ最強のライフハックなのだ。
俺は気を取り直し、ぽんぽこ亭の扉に手をかけた。
(さぁ……凱旋だ)
刮目せよ。上位種のハーピーを完膚なきまでに堕とした漢が、いま帰還したぞ。
ぽんぽこ亭のゴミどもも、さぞかし俺を羨望の眼差しで迎えることだろう。
扉を開け放ち、俺は大仰に両手を広げた。
「待たせたな諸君ッ!! いま、上位種を征したる勇者が──」
どごんっっっっ!!!!
「──ごぶぅッ!?!?」
言葉の続きは、内臓を抉るような衝撃にかき消された。
な、なにが起きた? 誰が俺を殴った?
視界がぐにゃりと歪み、膝が笑い、その場にくずおれる。鳩尾からじわじわと広がる鈍痛が、内臓で花火大会を開いている。
「……ッッ、は、腹が……腹がぁ……」
涙目で顔を上げると、そこには尻尾の毛を逆立て、耳をぴんと尖らせたガルナが仁王立ちしていた。
「ずいぶんと、ご機嫌なお帰りじゃねぇか」
声が怖い。平坦で温度がない。
「ガ、ガルナさん……?」
ガルナは返事もせず背を向け、尻尾で俺の頬をビシリと叩いて去っていった。
(なんで俺が殴られなきゃならんのだ……)
理不尽だ。俺はただ、上位種の女の扱いを練習しに行っただけだ。これはれっきとした任務だ。なのに帰ってきた途端に腹パンである。
「ついてねぇな、タクミ」
いつの間にか隣にしゃがみ込んでいたピギーが、声を潜めて耳打ちしてきた。ゴブリン耳が警戒するように倒れている。
「お前がハーピーの店に行ってからずーっとあの調子だ。ガルナのやつ、不機嫌で暴れまくってよ、もう何人犠牲者が出たかわかんねぇ」
「な、なんでまた……?」
俺の問いに、後ろからどっかりとしゃがみ込んだヴァラーが答えた。
「そりゃあお前さん……アレだろ」
「アレって?」
ヴァラーの言葉を継いだように、ゴルドンが豚鼻をかきながら重々しく口を開いた。
「嫉妬だよ、嫉妬。間違いない」
……嫉妬?
(いやいやいや)
俺は即座に首を振った。
「そ、そんなわけ……。だって俺とガルナさんは別に付き合ってるわけでもないし、第一、彼女がそういうヤキモチ焼くタイプには……」
俺の言葉を遮るように、店の奥からどんちゃん騒ぎが聞こえてきた。
「ぎゃああああ!!!」
「やめろガルナ! 俺は関係ねぇ! 俺はただビールを頼んだだけでぇ──ぐふっ!」
ガルナに絡まれた哀れな酔っ払いが、壁まで吹っ飛んで動かなくなった。彼女はその男を見下ろしながら、ぷはぁとジョッキを空けている。
(こ、これは……)
「困ったもんだぜ。女の嫉妬ってのはなぁ」
ヴァラーが腕を組み、遠い目で頷いた。
「なぁタクミ、なんとかしてくれよ。これ以上ガルナが暴れたら、俺たちのたまり場がなくなる」
ピギーが情けない声で訴える。
「なんとかって……どうしろと……」
俺が助けを求めてカウンターへ視線を送ると、ポンコは煙草の煙をゆらりと天井へ吐き出した。たぬき耳がだらりと垂れ、尻尾も力なく揺れている。
「私も今回はお手上げだよ。怒り狂った獣人は手に負えない。ガルナに限って言えば、普段から手に負えないけど」
えぇ……?
俺はそろりとガルナのほうを窺う。彼女はカウンターに突っ伏し、乱暴に尻尾を叩きつけながら、うつろな目でジョッキを睨んでいた。
狼の耳が、かすかに震えている。
(……怒ってる、というより)
どちらかといえば──拗ねているように見えた。
そのとき、店の隅から涼やかな声が飛んできた。
「ほう、戻ったか」
見ると、アルヴェインが優雅に空のグラスを回している。
当然ながら、下半身にはいっさいの布がない。ナニをぷるんとさせながら微笑んでいる。
(……この人、昨日の夜からずっとここに座ってるのか?)
ふと疑問が湧いた。まぁ、ガルナもずっと酒を飲み続けていたわけだし、ぽんぽこ亭は社会不適合者の巣窟だから誰がいつからいつまで滞在していても不思議ではない。
営業時間という概念がそもそも存在しないのかもしれない。ポンコも追い出さないし。
「して、どうだったかね。上位種の女は」
アルヴェインが深紅の瞳を細め、愉しげに尋ねてきた。
「え、えぇ……まぁ、大変勉強になりました」
俺は目を逸らしながら答えた。
正直に「肉便器奴隷宣言を引き出しました」とは口が裂けても言えない。
あれは俺が引き出したというより、彼女のなかに眠っていたドス黒い性癖がたまたま噴火しただけだ。俺は被害者と言っても過言ではない。
「それは重畳……」
アルヴェインは満足げに微笑んだ。
「あの、アルヴェインさん。ひとつ、お聞きしても?」
「なにかね」
「借金って、いったいどれほどあるんです?」
俺はさりげなさを装って尋ねた。
これには深い意図がある。
金貨十枚以上のオプション代を彼に回した以上、彼の借金総額がデカければデカいほど、その程度の上乗せなど誤差に消えるという算段である。
アルヴェインはしばし何かを思い出すように瞼を閉じた。
「ふむ……正確な数字を把握するのは諦めて久しいが、余の記憶が確かならば優に金貨五千枚は超えている」
「ご、ごごご、五千!?」
俺は素っ頓狂な声を上げた。
金貨十枚で戦々恐々としていた自分が、急にちっぽけな存在に思えてくる。もはや借金というより国家予算である。
「何故そのようなことを聞くんだね?」
「……いえね、お世話になりましたから、俺にも借金返済の助力ができないものかと」
もちろん嘘である。助力する気など一ミクロンもない。ただ、五千枚の大海に十枚程度の小石を投げ込んだところで波紋すら立たないという確信が欲しかっただけだ。
「ふぅむ……貴殿は実に奇特な若者だな。あの強欲ヤギ女とは大違いだ」
「強欲ヤギ女?」
「あぁ。この国で金の流れを遡れば必ず行き着くと言われる、金貸しの獣人よ」
アルヴェインは遠い目をした。
「ケチで強欲で執念深い金貸しの獣人でな、上位種の癖に金勘定だけは下賤の商人より上手い浅ましい小娘よ」
(上位種のヤギ獣人……?)
「で、何を隠そう、余のズボンとパンツを剥ぎ取っていったのも、その女だ」
俺は三秒ほど沈黙した。
「ズボンとパンツ、ですか」
「そうだ。金を返さぬ余に業を煮やしたらしくてな。自ら取り立て部隊を引き連れ、余の居城まで押し寄せてきた。大変な騒ぎであったよ」
(借金取りに居城を包囲されるヴァンパイア始祖……)
「いま思えば、ずいぶんと成長したものだ。かつて戦場で出会った頃は、余に触れることすら叶わぬ小娘だったというのに。定命の者の成長とは、かくも感慨深い」
「はぁ……」
なにやら壮大な歴史を感じさせる語り口だが、内容を要約すると……借金を踏み倒し続けた結果、上位種の金貸しにズボンを剥がれた──というだけの話である。
戦場とか定命の者とか、そういう重厚な単語で煙に巻こうとしているが、俺はもう騙されない。
彼の話は九割がた、要約すると残念なオチに行き着く。
「さて」
アルヴェインがグラスを置いた。値踏みするように俺を見据える。
「雑談はこのくらいにしようではないか。本題に入ろう、若き友よ」
「え? 本題って……」
「決まっているではないか」
彼は口元だけで笑った。
「貴殿が上位種の女の扱いを学んだということは──すなわち、いよいよ本命の攻略に取りかかるべき段階に達した、というわけだ」
「ほ、本命?」
「ヴァルグランの令嬢を孕ませる計画を立てようじゃないか」
……?
おかしいな。そんな計画だったか……?
俺なしでは生きられないほど、ぞっこんに依存させるという話でまとまっていたはずだが、孕ませるとか、そんな直接的でヤバい話だったか?
ていうか、それもう完全に本物の孕ませ男じゃねぇか。
「あの、別に孕ませるとかそんなつもりじゃ──」
「はいはいはいはいはい!!!」
ばんっ! とテーブルを叩き、ガルナが割り込んできた。
さっきまで不機嫌の極みみたいな顔で酒を飲んでたのに、今は尻尾をぶんぶん振り回し、目を爛々と輝かせている。
「アタシに作戦があるぜ! 名付けてドスケベ令嬢更生計画だ!」
嫌な予感しかしない。
「ほう。申してみよ、フェンリルの眷属よ」
ガルナは胸を張り、ドヤ顔で言い放った。
「まず、タクミとアタシの二人でヴァルグランの本拠地に正面から乗り込む! ケンタウロスの騎士どもなんざ、アタシがぶちのめして突破する!」
いきなり武力侵攻だと……?
「で、館に突入したらリディアとかいうメス馬の部屋を探し出す。どうせ部屋で馬まんずりこきながらよだれ垂らしてるに決まってるから簡単だ!」
(ひどい言い草だな……)
まぁ、街中でいきなり「交尾して孕ませて」と叫ぶ御方であらせられるので、その可能性もないことはないが。
「で、だ」
ガルナは牙を覗かせた。
「部屋に転がり込んだらアタシとタクミが目の前で濃厚な種付け交尾を見せつけてやるんだ!」
彼女の口が動くたびに、俺の頭のなかで警鐘がガンガン鳴り響いている。だが彼女は止まらない。
「アタシとタクミの本気の子作り交尾ってやつを目の前で見せつけられれば、雌の本能ってやつが疼いちまうんだよ。獣人はみんなそうなんだ。あの淫乱メス馬はもっとそうだよ、きっと」
(──駄目だ)
俺は確信した。
この狼、話せば話すほど計画が悪化している。最初から破綻しているのに、一秒ごとにもっと破綻する。
「で、実際にリディアが『タクミに迫った』って証拠を作るんだよ! それをヴァルグラン家に突きつければ、『そっちの令嬢が無理矢理やったことだ!』ってタクミの冤罪が晴れるって寸法よ!」
(家に押し入って濃厚種付け交尾を見せつける……)
「……どうだ?」
ガルナが、してやったり顔で俺を見た。
「我ながら完璧な作戦だろ!」
俺は、なにも言えなかった。
口を開こうとしたが、言葉が一文字も出てこない。喉の奥で「あ」とも「う」ともつかない声が詰まっている。
「なるほど」
アルヴェインが、静かに頷いた。
「相手の本拠地に直接乗り込む。たしかに策としては悪くない。正面から堂々と行くからこそ、相手も不意を突かれる。なにより令嬢本人を直接落とすのが肝要だという、余の助言にも適っている」
「だろだろ!」
ガルナが得意げに尻尾をぱたぱた振る。
「正面突破という猪突猛進な短絡さと、心理の機微を突く繊細なエロスが同居した……なかなかどうして、面白い作戦ではないか」
「へへ、そうだろそうだろ!」
二人はなにか通じ合ったようにうんうんと頷き合っている。
(駄目だ……)
ガルナとアルヴェイン──絶対に、この二人をブレーンにしてはいけない。この二人は、俺を最短ルートで死刑台送りにするための工作員なのかもしれない。
「しかし、ひとつだけ問題がある」
アルヴェインが真剣な声音で言った。
本当にひとつだけか? 俺の脳内リストでは既に両手の指でも数えきれないほど問題が並んでいる。
「その障害とはヴァルグラン家の嫡男、ルシアン・ヴァルグランの存在だ」
ルシアン。聞いたことのない名前だ。
「誰です、それ」
俺が首を傾げると、答えたのは煙草をくゆらせていたポンコだった。
「ルシアン・ヴァルグラン……ヴァルグラン家の御曹司だね」
「知ってるんですか、ポンコさん」
「この国で知らないやつはいないさ」
ポンコはたぬきの尻尾で、店の壁を指し示した。そっちを見ろ、ということらしい。
壁には一枚のポスターが貼られていた。
そこに描かれていたのは──。
(なんだ、あれ……)
金糸のように煌めく髪。深い湖を思わせる碧眼。鼻筋は通って唇は薄く、それでいて冷たさよりも気品が勝る整い方。
白銀の軽鎧に身を包み、微笑みを浮かべているイケメン騎士──。
「この店に出入りしてるミーハーな風俗嬢どもが、勝手に貼りやがったんだよ。しょうもないねぇ」
ポンコは呆れたように煙を吐いた。
ポスターの余白には、殴り書きの落書きがびっしりと刻まれている。
『ルシアン様の白馬の部分になりたい』
『あの槍で貫いてほしい(意味深)』
『おちんぽのサイズ、馬以上ってマジ?』
『交尾したい交尾したい交尾したい』
風俗街の女たちの性欲はもはや芸術の域である。俺は全力で目を逸らした。見てはいけない深淵を覗いてしまった気分だ。
「ちょっと待ってください。このルシアン様って……ヴァルグラン家の御曹司ってことは、つまり」
「そう……」
ゴルドンが言った。
「リディア嬢の兄貴だ」
ピギーが補足する。
「ガキの頃から武術の天才って噂でよ。子供でも知ってるぜ。ヴァルグランの跡取り、白銀の槍騎士ルシアンさま」
「女どもがきゃあきゃあ黄色い声上げて張り切ってるからな」
ヴァラーが苦々しげに腕を組む。
そんなに人気なのか。まぁ、イケメンで貴族ともなれば人気になっても不思議じゃないけど……。
「……で、そのルシアン様がいると、なんで正面突破が不可能なんです?」
俺が話を戻すと、アルヴェインが静かに口を開いた。先ほどまでの飄々とした空気が、ほんの少しだけ引き締まる。
「ルシアンは──強い」
「強いって……ガルナだって五人まとめてぶちのめすくらいには強いですけど」
俺はちらりとガルナを見た。彼女は胸を張って「当然だろ」と言いたげに鼻を鳴らす。
「そのような次元ではないのだ」
アルヴェインは首を振った。瞳が遠い過去を見つめるように細められる。
「奴が剣を振るえば空間が裂け、槍を突けば因果そのものを穿つ。疾駆すれば地平の果てまで一息で到達し、空をも蹴って天へ駆け上がる。手足の挙動すべてが必殺であり、呼吸のひとつひとつが極限の戦術。まさに、触れるものすべてを無に還す白銀の暴風──」
……。
……?
なんだ、この下半身フルチンの吸血鬼は。いきなり中二病全開の裏設定をぶつぶつと呟きだしたぞ。
「奴の持つスキルは──【身体強化(極)】【全状態異常耐性】【戦闘中加速未来予知】【破魔の聖槍】【疾駆戦闘(神級)】【魔力障壁破壊】【概念穿突】……」
指を折りながら、アルヴェインは淡々とチートスキルっぽい名を列挙し始めた。
そこからも聞いたことのないスキル名が延々と続き、俺の頭が理解を放棄した頃──
「……以上、三十二の英雄級スキルを有する」
三十二。
三十二の化け物スキルを持っている?
「今この瞬間、この世界において誰が最強かと問う者がいれば──余は迷いなくあの若造の名を出す。奴の槍の一振りは、文字通り大陸の形を変える」
店内の空気が、水を打ったように静まり返った。
酔っ払いどもですら黙り込んでいる。ゴルドンもピギーもヴァラーも、一様に苦い顔で俯いていた。どうやら、アルヴェインの言葉は誇張でもなんでもないらしい。
(嘘だよな?)
そうに決まってる。アルヴェインは酔っているんだ。それか借金のストレスで頭がおかしくなったんだ。
もしくは俺をからかって遊んでいるだけだ。
この変態フルチンおじさんは、自分が徹夜で考えたつまらなくて痛すぎる『ぼくのかんがえたさいきょうの騎士』の設定で、俺を怖がらせて愉しんでるんだ。
「マジなのですか?」
「マジだ」
静寂が辺りを包む。
誰も嘘を言っているようには思えない。
そうか。
マジか。
「ね、ね、念のため確認したいんですけど」
俺の声は、自分でも情けないくらい掠れていた。
「俺はいま、その……大陸の地形を変える災害級モンスターの妹君に、『孕ませてやる』と迫ったことになってるわけで──」
全員が無言で頷いた。
ポンコも。ガルナも。ピギーもゴルドンもヴァラーも。アルヴェインのちんぽも。
「その兄貴は当然……俺を殺しに来るわけですよね。妹を犯そうとしてる変態クソ野郎として」
全員が、もう一度頷いた。
だよなぁ。
俺だって、もし妹がいるとして、街中で見知らぬ男に「孕ませてやる」と宣言されたら、そいつを八つ裂きにするだろう。それが兄というものだ。
真実は俺が被害者なのだが、そんな事情は向こうには関係ないし、知らないだろう。
つまり、だ。
俺の余命は──大陸を割る槍の一振りで、コンマ一秒未満。
セローンが余命二日と言っていたが、あれは楽観的すぎたのではないか。今日現在まで生きていること自体が奇跡なのでは。
「……」
そんな……。
「ど……どぼじで……」
膝から崩れ落ちた俺の口から、言語として成立しない声が漏れた。
俺は借金取りに追われるゴミゴブリンを助けようとしただけだ。
その結果がこれである。次元を裂き、概念を穿ち、大陸の地形すら変える災害特級ケンタウロスに命を狙われるハメになっている。
「もうだめだ……あぁぁぁ……!!」
床の染みが、涙でじんわりと滲んだ。
ぽんぽこ亭の床板に額をくっつけながら、俺は嗚咽を漏らした。
「おいタクミ、泣くなよ。男だろ」
「泣くしかないでしょう! どうしようもないんだから!」
泣いている。声が震えている。
自分がもうすぐ死ぬという確信が、こんなにリアルに胸を刺したことなどない。
床に這いつくばったまま、俺はしばらく動けなかった。いや、動く気力が湧かなかった。
俺が情けなく嗚咽を漏らしていると、背後で会議が始まった。
「ルシアン様が相手じゃ、もう終わりだぜ……」
ピギーがバンダナを汗で濡らしながら言う。
「こうなったらアルヴェイン卿に呪いでなんとかしてもらうってのはどうだ。少しマイルドにしてもらって……」
ゴルドンが藁にもすがるような顔で提案した。
「ふむ。やれぬこともないが……奴は呪いをほぼ無効化するスキル持ちだ。期待せぬことだな。それに……」
アルヴェインが顎に手を当てて考え込む。
「余の呪いはなにぶん大味でな。ルシアン一人を狙ったつもりが、王都の人口の三割くらいは巻き添えで死ぬかもしれん」
(範囲広すぎだろ!?)
「だから呪いは最終手段なのだ。まぁ、どれだけ死のうが余は構わんがね」
彼は倫理観まで下半身と一緒に脱ぎ捨ててるようだ。まぁ、知ってた。
「なぁタクミ」
今度はガルナが耳元で囁いてきた。
「いまから裏路地行こうぜ。嫌なことは全部、気持ちいい交尾で忘れちまおうや」
「今それどころじゃ……」
「だからこそだろ! 死ぬ前に一発、それが獣人の哲学だ!」
「……」
この連中は、俺がどうなろうと本気で気にしちゃいないのだ。むしろ俺の窮地を、各々の娯楽か欲望の吐け口くらいにしか思っていない。
(あぁ……クズだ……全員クズだ……)
絶望で視界が狭まる中、ふと俺の脳裏に、ひとつの疑問がひっかかった。
──ちょっと待てよ?
そもそもの話だ。リディアを「手籠めにしろ」「孕ませろ」と言い出したのは誰だ。
ちんぽ丸出しのヴァンパイアじゃないか。
なのに何故、今このタイミングで「実はルシアンがいるから無理だ」などと、ちゃぶ台をひっくり返すようなことを言い出すんだ。
嫌がらせか? 俺をショック死させるための間接的な暗殺か?
俺はゆっくりと顔を上げ、恨みがましい目つきでアルヴェインを睨んだ。
だが──。
「……」
彼は俺の視線に気づいてすらいなかった。
深紅の瞳は、ぽんぽこ亭の入り口に据えられている。
その表情はさっきまでの酔いどれ変態おじさんのそれではなかった。なにかを待っている顔だった。
「アルヴェインさん?」
「そろそろか」
彼は静かに呟いた。
そろそろ? なにがそろそろなんだ? 俺の寿命かな。
俺が問いただそうとした、その瞬間だった。
ぎぃ……。
「!?」
ぽんぽこ亭の古びた木扉が、ゆっくりと押し開かれた。
店じゅうの視線が、一斉にそちらへ集まる。
「失礼いたします」
若い、よく通る声。
入ってきた人物は、分厚い外套を羽織っていた。布地が上半身をすっぽりと覆っている。顔がよく見えない。
しかし、外套から伸びる下半身は……どう見ても馬のそれだった。
(ま、まさか……!)
もう嗅ぎつけられたのか。ヴァルグランの追手が、こんな掃き溜めの酒場にまで来たっていうのか……!?
俺は無意識に後退った。
「落ち着きたまえ」
だが、アルヴェインの細い指が俺の腕を掴んで制止した。
「大丈夫だ」
なにが大丈夫だ。お前のせいでこうなったんだぞ。
そう叫びたかったが、口がうまく動かない。
店じゅうの誰もが、石像のように固まって謎のケンタウロスを見つめる中──。
ケンタウロスは、ゆるりと手を上げた。白い指が外套のフードにかかる。
そして。
はらり、と。布が取り払われた瞬間。
「──ッ!?」
現れた顔に、俺は言葉を失った。
金糸の髪。碧眼。白く透き通る肌。彫刻めいた完璧な造形。
壁に貼られたポスターそのままの──いや、ポスターのほうが霞んで見えるほどの、圧倒的な美貌だった。
「ここに、タクミ殿がおられると聞きまして。不躾を承知で参りました」
ケンタウロス……ルシアン・ヴァルグラン──。
彼は、まっすぐに俺を見つめた。
碧い瞳には、怒りも憎しみも殺意も感じられない。
むしろ、どこか──。
「話が、したくて」
彼は少しだけ困ったように、微笑んだ。