「あ。……おはよう」
「……おう、おはよう」
一夜明けて、迎えた土曜日。
時刻はとっくに正午を越えて、太陽が一番高く昇る頃に俺は目が覚めたのだった。
だけど実際の睡眠時間は大した事ない。未だに寝不足感は残っていた。
部屋から出れば、ソファでくつろいでいた碧依が俺を見る。
彼女の膝の上には、可愛らしいペンギンのぬいぐるみが乗せられていた。
ふと目が合いそうになって、俺はつい顔を逸らしてしまう。
何でもないように装って、俺はキッチンへと向かった。
昨日の夜は、まるで寝付けなかった。
碧依と一緒に食べた夕食の味も覚えていない。
あれほど自信たっぷりだった新作シチューの感想も、それを食べる碧依の表情も。
……いや、口の端にシチューをつけた碧依の顔だけは覚えている。
美味しそうな笑顔が理由じゃない。まるで精液が付着しているようでエロかったからだ。
昨日の朝の時点から寝不足だったから、例の事件後はもうほとんど頭が働いていなかったように思う。
だけどシャワーを浴びて布団に潜った後も、ずっとずっとあの鮮烈な体験が脳内でリフレインしていた。
何度も何度も自慰に耽った。それでも睡魔は性欲に呑まれたままだった。
「……もしかして勇雄、風邪引いた? 昨日からぼーっとしてる」
「うん? ああいや、ただの寝不足だよ」
「……なんで寝てないの?」
「えぇっと、学校生活に慣れてないのかも」
朧げな記憶の中でも、昨日の帰宅直後に目撃したあの光景が夢では無かったことだけは確かだ。
それは、折り目がついたままになった漫画のページが証明している。
碧依はどこか心配そうな、けど何か後ろめたそうな、いまいち感情の読めない表情で俺に言う。
「街中は暑くなりやすいから、体温調整に気をつけてってお母さんが言ってた」
「心配ないよ。俺が今まで風邪引いた事ないの、知ってるだろ?」
「でも毛布くらい使って寝ないと、お腹冷えちゃうよ」
「寝汗をかくのが嫌いなんだよ。あのベチャってした感覚、苦手なんだよな」
「……あっ」
冷蔵庫から水を取り出しながら答える。碧依は心配性だなぁ、まだ春だし全然平気なんだが。
すると何故か碧依はハッとしたように声を出して、黙り込んだ。
ん? なんだよ。虫でもいたか?
碧依の方を振り返るが、彼女はそっぽを向いて黙るだけ。
俺、なんか変なことでも言ったかな。
……あ、あれ?
「……なんで、毛布使ってないって知ってんだ?」
つい小声で呟いてしまう。それが聞こえたのか、碧依はピクリと肩を小さく跳ねさせた。
俺の背筋に冷たくゾワリとした感触が走る。
ま、待てよ。俺のベッドには確かに毛布、もといブランケットがあるが、昨夜だけはそれを使わなかった。
正確には、使えなかったのだ。だって、オナニーしまくっているうちに寝落ちしたから。
そしてそれはつまり、俺は下半身を露出したまま朝を迎えたというわけで。
彼女が俺の部屋を覗いたならば、そんな情けない姿の俺も見たという事になる。
どっどっどっ、と心臓が暴れだす。
ソファで俯く碧依に向かって、俺は恐る恐る問いかけた。
「え……あ、碧依? もしかして、俺の部屋を覗いたり、した……?」
彼女は黙って俯いたまま何も言わない。
膝上に抱いたぺンギンのぬいぐるみに口元を埋めている。
俺は背中にたらりと冷や汗。返事を求めてジッと碧依を見つめる。
彼女はしばらく聞こえないフリをしていたが、俺の視線に負けたのか、やがてほんの少しだけ小さく頷いた。
「……だ、だって、全然起きてこなかったから……心配になって」
「…………」
俺は、絶句した。絶望したとも言う。
思わず目元を覆って俯いた俺へ、碧依が慌てて声を掛けてくる。
「みっ、見てないよ! 全然見てないっ! あの、ちょっとだけ見えたかもだけど、すぐドア閉じたもん!」
「……碧依。それはもう、見たって言ってるのとおんなじだ……」
「あ、うぅ……。ご、ごめん」
見られた。碧依に俺のアレを。
しかも超情けないシチュエーションだ。下半身丸出しで爆睡してるんだから、これ以上ダサいものは無い。
これはもう嫌われたって仕方ない。キモがられても反論できない。
ああ、俺の片想い、終わった……。
キッチンの台に両手をついて深く落ち込む。
長い長い溜息が漏れた。もう合わせる顔もなかった。
リビングのソファから、わたわたと慌てる碧依の気配がする。
焦った時の彼女はいつも、突拍子も無い言動を取りがちだ。
それは今日も同じだった。
「え、えっと……その、ほら! すごく立派でいいと思う! み、見てないけどっ」
「……いや、見たヤツの台詞だろ、それ」
「あ。うんと、その。私は気にしないよ? 裸で寝るのも、そういう趣味の友達だって居たし」
「裸だったのは今日だけだよ。なんでよりにもよってこんなタイミングで……」
碧依はモゴモゴと口を動かそうとするが、気の利いた台詞はついに出てこなかったらしい。
彼女はそっとソファから立ち上がって、落ち込む俺の前までやって来た。
そして、深々と頭を下げる。
「……ごめんなさい。約束、破ってしまって」
約束? ……ああ、引っ越し初日に交わしたあれか。
部屋に入る時はノックしろって言ったんだったな。
だけど今日は返事を待たずに開けてしまったから、随分と反省しているらしい。
予想外の謝罪に俺はたじろいで、慌てて返事をする。
「ああいや! そこは全く気にしてないよ。俺も相当寝坊しちゃったしな。俺の方こそ心配かけてごめん」
「……ううん、気にしてない」
ここまでしおらしい碧依の様子は珍しく、だけどいつも通り最高に可愛い。
そして俺の裸に対してはあんまりショックを受けていないことに気付く。
つい、聞いてしまった。
「げ、幻滅してないか? あんなみっともない姿で寝てるとか」
「え? ううん、おっき……暑がりだなぁって思っただけ」
「……おっき?」
「……その、おっきいな、とも思った」
「がっつり見てんじゃねぇか」
「うぅ……ごめん……」
な、なんか、思った以上に俺のアレに対しては忌避感が無いように見える。
もしかして意外と平気なのか? 彼女の顔は真っ赤だが、嫌悪感みたいなのはゼロだ。
……ああ、そうじゃん。そういえばこの子、こっそり俺の部屋でオナニーしていたんだ。
実はエッチな事に興味津々だったとしても、全然おかしくない。
何だか急に俺は開き直った心地になる。
どうせもう見られたんだ、どうにでもなれ。
そんな気持ちで、ほんの少しだけ露骨な質問をぶつけてみる事にした。
「何だよ、あれこれ言ってたけどしっかり見てるし、碧依もけっこう興味あるのか?」
「え!? い、いや、だってたまたま見えちゃったんだもん」
「ほんとかなぁ、まじまじと見てそうな言い草だったけど」
「……う、うるさいっ! 出しっぱなしにしてる勇雄が悪いんじゃん!」
とうとう否定しなくなったぞこの子。
昔から隠し事は下手くそだったもんな。
何だか俺は、えも言われぬ喜びと昂り、そして勝ち誇ったような気持ちが湧き上がってきた。
だって碧依も暗に認めたのだ。俺のチンコが気になってがっつり見ちゃいました、と。
とはいえあまり揶揄いすぎると怒らせかねない。それで嫌われるのは論外だ。
俺は碧依の頭を優しく撫でで、ふっと笑ってフォローした。
……思えば、彼女の頭に触れるのはもう何年ぶりだろうか。何故だか自然と触れてしまった。
「ごめんごめん、意地悪だったな。碧依もそういうのに興味あるんだって知れて、ちょっと調子に乗っちゃったよ。悪かった」
「…………勇雄のばか。意地悪」
「ごめんって。お詫びに昼飯は奮発するからさ」
真っ赤っかになった碧依の耳はリンゴのようで、とても可愛らしかった。
さらさらな黒髪は驚くほど透き通り、シルクのように俺の指を通り抜けていく。
ふぅ、冷静になれてよかった。危うくとんでもない発言をするところだった。
碧依の頭に触れていると、妙な昂りは自然とおさまっていった。
そして、そろそろ気を取り直して食事の準備に取り掛かろうかといった、その時。
黙って撫でられるだけだった碧依の口から、予想外の言葉が飛び出してきた。
「……勇雄のそれって、やっぱり、大きいの?」
「…………え?」
「だ、だって、ほんとにおっきくて、ちょっと怖かったし」
俺が何も言っていないのに言い訳まで始める碧依。
頬を染めて俯く彼女は、潤んだ瞳を左右に彷徨わせていた。
せっかくおさまったはずの興奮が蘇りそうになるのを自覚する。
平常心を装って俺は答えた。
「えと、どうだろう。村の銭湯では割とデカい方だったけど。……ん?」
碧依が見たのって、いつだ? というか、どの状態だ?
てっきり平常時のアレを見られたのかと思ったが……。
なにせ、青春も性欲も真っ盛りの俺だ。シモの元気っぷりには自信がある。
——高らかに朝勃ちする相棒を、見られている可能性があるんじゃないか?
「え、あ、碧依? その、お前が見たのって……何というか、どういう状態だった?」
「…………なんか、ビキーンって感じだった」
「お、おーまいがー」
ああ、がっつり見られていたらしい。俺の完全戦闘体制を、知らぬ間に。
「で、でも、本当に部屋の外からしか見てないよっ!」
「碧依……それはもはやフォローにもなっていないんだ……」
「ご、ごめん……。だけどほら、大きいのは男の子にとって嬉しいことなんだよね?」
「他人の勃起チンポなんて直接見たこと無いっての。俺がどれくらいかなんて知らないよ」
「ちんっ……えと、ごめん」
気が抜けて直球で言ってしまった。謝ってばかりの碧依はさらに顔を赤くしていた。
なんだか全てが投げやりな気分だ。嬉しいのか、落ち込んでいるのか、興奮しているのか、もうよく分からない。
思うがままに言葉を発してしまう。
「そんなに気になるなら、近くで見てみるか?」
「へっ? ……え!?」
「大きいのが見たいんだろ。お前が卑猥な話ばっかするから勃ってきたわ」
「えっ! あっ、いや! その」
「……嫌か。そりゃそうだよな、わり。なんか俺いま、冷静じゃ無いかも」
何言ってんだろうな、ほんと。寝不足と興奮で頭がおかしい。
昨日から刺激の強い展開が続きすぎて、俺の脳がオーバーフローを起こしている。
だけど今のは完全なセクハラだ。いよいよ引かれたかもしれない。
それでもなお、碧依は俺の想像を超えてきた。
「い、嫌じゃないけどっ。その、恥ずかしいから、見れない」
「……それ、見たくはあるってこと?」
「……ちょ、ちょっとだけ」
もはや顔中を真っ赤っかにした碧依は、今にも消えそうな小声で答えた。
ムクムクと肉棒に血液が集まってくる。脳髄が興奮で満たされていく。
俺の腰元。パジャマのズボンを高らかに押し上げるそのシルエットに、碧依が気付いた。
「あ……」
「いま、見せようか?」
「え……う……」
「ほら、碧依のせいで、こんなになってる」
一歩。彼女に近付いた。至近距離から細い身体を見下ろす。
小柄な彼女のお腹の辺りに、大きなテントが今にも触れそうだ。
碧依の視線はそこに釘付けで、半開きになった唇からは熱い吐息が漏れ出ている。
そろり、と彼女の腕が持ち上がり、俺の肉棒へと近付いていく。
まるで彼女は本能に突き動かされるように、白い指先を勃起の先端へ。
ついに触れそうになった、その瞬間——。
——碧依は、バッと慌てて後ずさった。
彼女の潤んだ瞳や染まる頬は、これまで見てきたどんな表情よりも美しい。
彼女は口をキュッと引き結ぶと、俺と目を合わさずに言った。
「……こ、今度っ! 今度にするっ! 今は恥ずかしいからむりっ」
「……お、おう、そうか。まぁ、いつでもいいけど……」
なんだこれ。なんだこの会話。
急に冷静になった俺は、己と彼女のヘンテコな言動にびっくりする。
しかも、え? 「今度」? 俺の勃起チンポを、今度見るって言ったのか?
聞こえてきた台詞を噛み砕けなくて、繰り返し頭の中で振り返る。
カチンと固まった俺をよそに、碧依はわたわたと慌てた様子で自室へと向かった。
彼女は部屋の入り口で軽く振り返って俺に言う。
「ご、午後は水泳部の練習があるからっ。時間ないし、ご飯はどっかで買ってく!」
バタン。俺の返事も待たずにドアが閉められる。
取り残された俺は、ドキドキと高鳴る心音を抱えながら呼吸を落ち着けるのだった。
そして十分後には玄関から碧依を見送り、俺はポツンとそこに立ち尽くす。
ここにきてようやく、俺は自分のとんでもない言動に膝から崩れ落ちて後悔したのだった。
(碧依、帰ってこないかも……)
俺から後ずさった時の彼女の表情は決して拒絶の雰囲気ではなかったが、それでも俺は悲観的な妄想を止められない。
冷静になった碧依が身の危険を感じて、親に連絡したりするかも。
そうなればこの同居生活もきっと終わりだ。
つーかなんだよ、『いま、見せようか?』って! 変態オヤジみてーな台詞! 恥ずかしい!
「あああああ……」
後悔ばかりが積もりゆく。無邪気な碧依と無神経な性欲に振り回されてしまった。
帰って来たとしてもどんな顔して話せば良いんだ。何を言えばいい。
ゾンビのように床へ這いつくばる俺は、今この世で一番情けない男に違いなかった。