とある男女のハッピーエンド 作:ゆうらぎ
俺の背中に回された彼女の爪が、肉に食い込むほど強く立てられた。
「は、……痛い、か?」
「……っ、違う……痛いから、じゃない……」
ギリッと歯を食いしばる美琴の目尻から、大粒の涙がシーツへと滑り落ちた。
あいつを好きだった綺麗で一途な御坂美琴は、今ここで終わる。
その喪失感と、彼への罪悪感が、彼女を内側から引き裂いていた。
俺は動くのをやめ、彼女の汗ばんだ額に自分の額をすり寄せた。
「……美琴、つらいならやめよう」
俺の言葉に、美琴はふるふると首を振った。
そして、俺の背中に回した腕にさらに力を込め、逃がさないようにしがみついてくる。
「……やだ」
しゃくり上げるような泣き声が、俺の首筋を震わせる。
「私、ほんと……ずるいよね。あいつのこと、あんなに好きで、諦めきれないのに……どうしても、一人の夜が寒くて、息ができなくて……。あんたが優しいのに甘えて、こんな……っ」
「いいよ。全部、俺のせいにしろ」
俺は彼女の涙を指ですくい取りながら、低く囁いた。
そこには、自分に対する強烈な自嘲も含まれている。
上条当麻は、無数の人間を救うヒーローだ。
だが、その眩しすぎる光は、届かないと知ってしまった美琴にとっては、己を焼き焦がす残酷な炎でしかなかった。
「綺麗事だけで生きていけるほど、人間は強くない。お前みたいに一途で不器用な奴ほど折れた時に、一人じゃ立てなくなる」
「……」
「ああ、俺は卑怯な男だ。お前がアイツを想って泣いてるのにつけ込んで、慰めるフリをして、こんな泥沼に引き摺り込もうとしてるんだからな。……だから、お前は自分を汚いなんて責めなくていい。ただ、俺の熱に流されてくれればいい」
それは、彼女の罪悪感を俺が肩代わりするための、呪いのような免罪符だった。
だが、その言葉を聞いた瞬間、美琴は弾かれたように目を見開き、そして、今度は怒ったように、ポロポロと涙を零した。
「……っ、バカ……。なんで、そんなこと言うのよ……っ」
彼女の細い指先が、俺の頬をそっと包み込む。
その手のひらは熱く、ひどく震えていた。
「私のせいで……あんたのこと、傷つけてるの、分かってるのに……っ。あんただって、ずっと苦しかったはずなのに……なんで、私ばっかり守ろうとするのよ……っ」
美琴の瞳に浮かんでいたのは、自己嫌悪だけではなかった。
自分のために傷だらけになりながら、悪役を演じてまで居場所を作ってくれようとする目の前の男への、どうしようもない愛おしさ。
「あんたはなにも悪くないじゃない……。一人ぼっちで泣いてた私を引っ張り出してくれたのは……あんたなんだから……」
それは、今まで大切に抱え続けてきた『上条当麻への綺麗な想い』を、自らの手でぐしゃぐしゃに引き裂こうとする、ひどく残酷で自暴自棄な決意だった。
振られた絶望と、息が止まりそうな一人きりの孤独。
それに耐えきれなくなった彼女は、別の男の熱で自分を強引に上書きし、『あいつを想って泣く綺麗な御坂美琴』であることを、今ここで終わらせようとしているのだ。
その痛ましいほどのSOSと、彼女が差し出した共依存の毒杯を、俺が拒絶できるはずもなかった。
美琴は、すがりつくように自ら上半身を起こし、俺の唇を深く塞いだ。
「……っ、ん、ちゅっ……ぁっ、んんっ……!」
言い訳も、罪悪感も、すべてを焼き尽くすような熱いキス。
深く舌を絡ませたまま、俺は彼女の身体をゆっくりとシーツの上へ横たえさせる。
仰向けになった美琴の小さな両手を自分の手で包み込み、指と指を深く、隙間なく絡め合わせてシーツに縫い付けた。
「……っ、あ、……んっ……」
繋いだ指先をぎゅっと握り返してくる彼女の力が、痛いほどに強い。
俺は、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめながら、最も深く繋がったままの腰を、本当にゆっくりと動かし始めた。
ぐちゅりっ……。
静寂の部屋に、先ほどの指先だけの愛撫とは違う、重く生々しい水音が響く。
引き裂かれるような初めての痛みは、俺がゆっくりと引き抜き、再び奥の柔らかな壁へと沈み込むたびに、少しずつ、熱を帯びた痺れへと反転していった。
「あ……っ、ぁれ、? ……痛い、の……どっか、いった……?」
俺の輪郭を拒絶していたはずの熱い内壁が、今度は俺を逃がさないように、柔らかなうねりを持って吸い付いてくる。
「あ、あっ、……はぁっ、だめ、それ……おかしく、なるぅっ……!」
下になった彼女の華奢な腰が、俺のリズムに呼応するようにビクビクと小刻みに跳ね始めた。
過去への未練も、自分を縛っていた罪悪感も、俺が与える圧倒的な熱と快楽の前にドロドロに溶かされていく。
「あぁあっ、あ、いくっ、わたし、また……っ!」
そして、俺が深く腰を打ち付けた瞬間、彼女の中の最も熱い場所が狂ったように痙攣し、この夜一つ目の、深い絶頂が彼女を襲った。
全身をビクン、ビクンと震わせ、俺の芯を締め付けながら、彼女の奥から新たな熱い液体が溢れ出す。
「はぁっ……はぁ……っ、あ……」
絶頂の余韻の中、荒い呼吸を繰り返す美琴が、とろんと潤んだ瞳で俺を見上げた。
いつもの勝気な面影はどこにもない。
そこにあるのは、俺が与えた快楽と、自分だけを抱きしめてくれる男の熱で満たされた、幸福感でドロドロに蕩けた、ただの無防備な女の子の顔だった。
「……わたし、ばっかり……」
美琴は、絡め合わせた指を一度ほどき、自ら俺の首に腕を巻きつけて、すりすりと甘えるように頬を擦り寄せてきた。
「わたしばっかり……こんなに気持ちよくなって、ずるい。……ねえ」
切なげに眉を寄せ、彼女は俺の耳元で甘く、懇願するように囁いた。
「あんたも……気持ちよくなって……? 私のなかで、いっぱいに、して……っ」
その言葉は、俺の中で辛うじてブレーキをかけていた理性を、完全に焼き切るには十分すぎた。
「……本当に、いいのか?」
抑えきれない情熱で声がひどく掠れる。
確認するように尋ねると、美琴は顔を真っ赤にしながらも、力強くコクリと頷き、自らの腰をふわりと浮かせて俺の熱に擦り付けた。
「……うんっ。あんたの全部……わたしに、ちょうだい……っ」
その瞬間、俺は彼女の細い腰を鷲掴みにし、先ほどまでの優しさを捨てて、獣のように深く、激しく打ち込み始めた。
「あっ、あぁっ! は、激し、っ、ああっ!!」
パンッ、パンッと、互いの肌と肌が激しくぶつかり合う音が密室に響く。
奥深くまで突き入るたび、彼女の内壁は悲鳴を上げるどころか、さらに熱く、激しく俺を歓迎し、絡みついてくる。
「んっ、んんっ……!」
俺は彼女の悲鳴にも似た喘ぎを塞ぐように、再び深く唇を重ねた。
互いの荒い息がぶつかり合い、舌と舌が飢えたように絡み合う。
深くキスを交わしながら、容赦なく最奥を突き上げる。
「んっ、ああっ! ぁ、……っ、すき、……っ」
重なっていた唇が離れた隙間から、思わずこぼれ落ちたような言葉が弾けた。
「……え?」
俺の動きが、ほんの一瞬だけ止まった。
だが、熱に浮かされた美琴の瞳は焦点が合っておらず、自分が何を口走ったのかさえ自覚していないようだった。
『すき』
その二文字が、脳の奥でガンガンと反響する。
歓喜で胸が張り裂けそうになった。
だが、俺はギリッと奥歯を噛み締め、その猛烈な感情の膨らみに、冷たく重い鉄の蓋を無理やり押し当てた。
—――勘違いするな。これは、ただの麻酔だ。
こんな泥酔したような熱と快楽の中で吐き出された言葉に、俺への本物の愛なんて一ミリも混ざっているはずがない。
あいつを忘れるために、痛みを快楽で上書きするために、今のこの狂ったような熱が彼女に言わせただけの無意味な譫言だ。
そうやって、また無意識に傷付かないように予防線を張ろうとしている自分がひどく滑稽で愚かだった。
こんなに一途でいい子と出会えたのが、未だに信じられないのか。
傷つくのが怖くて、どうしても彼女の言葉を疑ってしまう俺はバカだ。
あの子が本当は誰を見ているのか気にしすぎて、今こうして、無理やりにでも身体を重ねて距離を詰めようとしているくせに。
いざ彼女の熱に触れると、また逃げ出そうとしてしまう。
俺たちは今、本当の恋をしてるのか。
それとも互いの傷を舐め合うだけの、恋の真似事をしてるのか。
もう、何も分からない。
ただこの不安定なままで、もがいて彼女という『出口』を探している。
俺は湧き上がる泣きたくなるような愛おしさと、どうしようもない絶望をすべて下半身に込め、彼女の言葉を物理的に掻き消すように、さらに激しく腰を打ち付けた。
わけがわからなくなるほど、ただひたすらに、目の前の彼女だけを求めるように。
「あ、ああああっ! だめ、そんなっ、あぁっ!」
情熱と、それと同じくらいの悲壮感を孕んだ俺の動きに、美琴はたまらず甲高い悲鳴を上げる。
俺はもう二度と言葉を紡がせないように彼女の唇を激しく塞ぎ、シーツを掴む彼女の細い指を力任せに絡め取り、ぎゅっと痛いほどに握りしめた。
「美琴、言え。俺と一緒に……いくって、言え……っ」
理性を焼き切られそうになりながら、俺は掠れた声で耳元に囁き、彼女にその言葉を強要した。
どうしようもない俺の腕の中で、完全に理性を手放し、堕ちていくことを認めさせるための、残酷な確認作業。
「あ゛、あ゛っ゛、いくっ、わたし、いっしょ、一緒に、もうっ……っ、イくっ……!!」
絞り出すような、けれど甘く濡れた絶叫。
その言葉が引き金となり、美琴の身体が弾かれたように大きく跳ねた。
「あ、ああああっ!!」
彼女の細い背中が弓なりに限界まで反り返り、バチバチッ! と、制御を失った青白い火花が虚空に散る。
快感の波に完全に飲み込まれた彼女は、酸素を求めるように口を半開きにし、その口角から甘い唾液が銀色の糸を引いた。
焦点の合わない潤んだ瞳が虚空を彷徨い、シーツを掴む指の関節が真っ白になるほど力が込められる。
深く激しい絶頂。
限界を超えて脈打つ彼女の最も熱い場所が、俺の芯を食いちぎらんばかりの凄まじい力で締め付け、俺の限界を容赦なく引きずり出そうとする。
だが、俺は最後の最後で、ギリッと奥歯を噛み締め、残されたすべての理性を総動員した。
だめだ。これ以上は。
彼女の中に、決して消えない傷跡まで残すわけにはいかない。
「……っ!!」
俺は絡めていた指を強引にほどき、彼女が極上の快感に打ち震えている最中、その奥から自分の熱を乱暴に引き抜いた。
「あっ……え、なん、で?」
最も深く繋がっていた熱が、唐突に失われた瞬間。
限界まで満たされていたはずの内側が、急激に空っぽになっていく生々しい喪失感。
俺の形を覚えてしまった柔らかな場所が、離れていった熱を必死に探すように、きゅっ、きゅっと切なく収縮しているのが伝わってくる。
極まりかけていた快感の梯子をふいに外され、俺の腕の中に取り残された美琴は、一番欲しかったものを奪われた子供のように、潤んだ瞳を激しく揺らした。
さっきまでの蕩けた表情に、明らかな「寂しさ」と、置いてけぼりにされたような「戸惑い」が入り混じる。
彼女の細い腕が、離れていった俺の体温を求めて、すがりつくように空を切って微かに震える。
だが、俺は彼女を抱きしめ直す余裕すらなく、仰向けになった彼女の白く柔らかな肌の上で、視界を白く染め上げるような強烈な波とともに、限界のすべてを吐き出した。
「はぁっ……! はぁ……っ」
堰を切ったように、熱い奔流が彼女のお腹のあたりに降り注ぎ、肌を汚していく。
荒い息を吐きながら、俺は崩れ落ちるように彼女の隣へ倒れ込んだ。
激しい動悸と、自分の中に渦巻く醜い感情の残滓。
あんなに寂しそうな顔をさせてしまった。
彼女の中に決して消えない傷跡を残す覚悟も、求められても最後まで彼女の中で果てる勇気すら持てず、結局、俺は彼女の心を完全に満たし切ることなんてできない。
そう自嘲した時だった。
「……ばか。そんな泣きそうな顔、しないでよ」
掠れた声とともに、俺の頬に、熱く湿った手がそっと触れた。
見上げると、そこには先ほどの喪失感など微塵もない、ひどく気怠げで、甘く蕩けたような表情の美琴がいた。
二度の絶頂で限界まで満たされ、身動きすら億劫そうな彼女は、俺の熱で汚された自分のお腹のあたりを少しだけ恥ずかしそうに視線でなぞる。
それから、どうしようもないほどの愛おしさと幸福感を滲ませて、ふわりと微笑んだ。
「……わたし、もう頭がおかしくなるくらい、いっぱいにしてもらったのに。あんたも、わたしで、気持ちよくなってくれたんでしょ?」
「……っ」
「……なら、いい。……すっごく、うれしい」
それは、身勝手な俺の罪悪感と卑屈さを、根底から優しく肯定し、許しを与えるような、そんな途方もない笑顔だった。
防音材に囲まれた密室に、再び静寂が訪れていた。
だが、数時間前のあの冷たく無機質な静けさとは違う。
ひどく人間臭く、気怠く、そして温かな湿度を持った沈黙だ。
汗ばんだ肌を寄せ合い、同じ毛布に包まる二人の間には、穏やかな空気が流れている。
俺の胸にすっぽりと顔を埋めた美琴は、限界まで体力を使い果たしたのか、安心しきった子供のように規則正しい寝息を立てていた。
その細い手は、眠りに落ちた今でも、俺の腕を絶対に逃がさないとでも言うようにしっかりと握りしめている。
あの時、行為の最中にこぼれた『すき』という言葉。
あれが本心だったのか、ただの熱のせいだったのか、今の俺には分からない。
問いただす勇気も、俺にはない。
それでも。
少しだけ重くなった右腕の感触と、シーツに残る互いの熱だけは、紛れもない現実だった。
デスクの上に置かれた、彼女がくれた重厚な万年筆が、わずかな明かりを反射して鈍く光っている。
次にノートを開く時は、あの一度きりの残酷で甘い嘘を、あの万年筆で書き留めよう。
ただの麻酔だと分かっていても、このひどく身勝手で幸せな錯覚を、俺はどうしても残しておきたかった。
喉元まで迫るこの言葉にできない感情を、紙に書き写して外に出さない限り、俺という人間はいつまでも救われないままだから。
俺は、満ち足りた寝顔を浮かべる彼女の明るい髪にそっとキスを落とした。
穏やかな余韻に浸っていたいのは山々だが、時計の針は無情に朝へと近づいている。
彼女は、あの規律に厳しい学園都市屈指のお嬢様学校、常盤台中学の寮生だ。
日が昇るまでに彼女が戻ってこなければ、単なる門限破りでは済まない大騒動になる。
彼女の立場を、これ以上危うくするわけにはいかなかった。
数時間後には彼女を起こし、薄暗い街の中を、誰にも見つからないように送り届けなければならない。
そして何より、目が覚めて冷静になった彼女から、
「やっぱり昨日の夜のことは間違いだった」と突き放されるのが、死ぬほど怖かった。
俺は、二人で迎える新しい朝を、静かに、そしてひどく切実な焦りと恐怖を抱えながら待った。