覚悟というのは人それぞれだと思う。
「ねぇもんをどうしろつーんだ。さっきから、払えねぇつってんだろ、一昨日来やがれ」
「どの口で言ってんだい! ちったぁ自分の立場を弁えな!! 大体、飲み歩く金があんだから家賃ぐらい払えんだろうが!」
「だから、ねぇんだって。飲んで溶かしちまったらなくなんだよ金ってもんは」
「偉そうにいうことかあァアアアア」
三ヶ月分の家賃を滞納しているのに悪びれない覚悟というのはどこから湧いてくるのだろうか?
万事屋に家賃回収に来たお登勢さんにぶん投げられ、床に身体を打ちつけた銀さんは痛みにのた打ち回っていた。
「いい加減にしないと追い出すよ」
「くっそ、しゃぁねぇなー。キリ、金貸して」
お登勢さんの啖呵に銀さんは床に寝転がり金を無心してくる。
テレビからは結婚指輪は給料三ヶ月というフレーズが流れていた。
「貸したらズルズルたかられて、気がついたら家賃三ヶ月分が指輪代わりになってそう。銀さんは、ヒモになる覚悟はある?」
自覚があったのか銀さんはバタリと力を抜いて床に倒れ込む。
「くだんないこと言ってないで、来週までに金用意しときなよ!」
お登勢さんの声と共に、激しい音を立てて玄関の戸が閉まる。
緊急避難とばかりにソファーの後ろに隠れていた新八君と神楽ちゃんが息をついて出てくる。
可哀想に定春は尻尾を巻いてすみで震えていた。
もう大丈夫だと手招きし背中を撫でてあげればパタパタと尻尾を振る。
「どうするんですか。来週までになんて無理ですよ」
「取り敢えず今月分だけでも払ってどうにかやり過ごすさ。なぁ、キリ、今月分だけでいいから金貸して」
「だから嫌だって」
カレンダーを見る限り来週までに小さな仕事が2件。家賃分には少し心もとない。
例えば、キョウコさんやエリナさんならどうするだろうかと夢想する。
付き合ってる男性からお金を無心されたらあの二人は笑いながら貸すだろう。そしてその見返りに身体を要求するのだろうと思った。
一次的な快楽と金銭を気負うことなくやりとりするのだろう。
それが指輪代わりになるなんて贅沢な事なんて思いもせずに。
そういう風に気楽に考えられたらいいのになぁと、ため息を一つついた。
仕事が終わり、いつものように万事屋に夕飯を食べに立ち寄る。
「銀さんいないんだ?」
珍しいなと思いもするも、別にそういう事にもあるだろうという微妙な確率。
「たっく、あの人はどこほっつき歩いてるんですかね。こっちは仕事探すってあっちこっち足を棒にしてるのに」
「まったくアルよ」
新八君と神楽ちゃんはぷりぷりと怒っていた。
今日の夕飯当番は神楽ちゃんらしく卵かけご飯が並ぶ。それだけでは寂しいだろうと、新八君が味噌汁をつけてくれた。
頂きますと手を合わせて食べる。
神楽ちゃんはお櫃ごと卵かけご飯にしていた。
卵が足りず、残りはタクワンとお茶でお茶づけにしているのが渋いなあと思う。
「美味しいね」
「本当アルか」
「うん、やっぱり神楽ちゃんの作る卵かけご飯が一番好きだな」
嘘偽りなしにそう思う。江戸一番の卵かけご飯だ。
「毎回言ってますよね、それ」
「だって本当のことだもの」
「ばっつぁん、グチグチ言わずに世辞の一つや二つ笑って受け入れる度量見せろヨ。だからダメガネだって言われるアルよ」
「メガネ関係ねぇだろ!」
「お世辞じゃないんだけどなぁ」
「きーやんのそういうところ好きネ。でも八方美人はよくないアルよ。この前も銀ちゃん料理に同じ事言ってたアルヨ。どんなに浮気しても、本命にはお前だけだと言うのがいい女って奴ヨ」
行儀悪くお箸をカチカチと音を立てて神楽ちゃんに説教される。
八方美人か、まぁ確かに?
「ごめんね。でもこんなに美味しい卵かけご飯を作れるのは神楽ちゃんだけだよ」
「許すアル」
食べ終わり片付けも済み、グダグダしたところで、そろそろ帰る時間だ。
「送りますよ」
新八君がそう声をかけてくる。
「いや、悪いしいいよ」
「通り道ですし、何かと物騒ですからね。神楽ちゃん戸締まりお願いね」
断るも押し切られ、新八君と一緒に万事屋を出る。
「銀さん、どこ行っちゃたんだろうね」
「本当に。行くなら行くでいいんですが、どこ行くかぐらい⋯⋯」
ネオン街を歩きながら新八が愚痴をそこで止める。
不思議に思って視線の先を見ると、ピンクのネオンに彩られたラブリーなホテルから、見慣れた銀髪の人間が綺麗な女性を連れて出てくるところだった。
思わず新八君の腕を掴まえて路地に隠れる。
「ちょっと何で隠れるんですか」
「だって鉢合わせでもしたら気まずいじゃない」
コソコソと喋りながらも目線は二人から離せないでいる。
新八君もそっと様子を覗いている。
「あれ? あの人、姉上の店の……」
「エリナさんだね……」
よく見れば女性はこの前、お妙さんの働く『すまいる』で知り合ったエリナさんだった。
――せっかく美味しそうなの見つけたのに残念
そう言っていた声が脳裏を過ぎる。
エリナさんはバックから封筒を取り出すと、銀さんに渡していた。
銀さんは中身をちらっと確認すると懐に入れる。
「お金っぽいね」
「うーん……そう見えちゃいますよね」
銀さんの仕草から導き出された私の推測に、新八君も頭を捻りながら頷く。
単純に考えれば、肉体関係のお礼に金銭のやりとりをしているようにも見える。
「随分冷静ですね」
「だって、さぁ? 銀さんだよ?」
新八君の言葉に答えれば、なんとも言えない顔をされた。
肉体関係の礼に金銭のやり取りをする。銀さんが? ありえない。そう切って捨てる。
「まあ、僕等に内緒でお金のやり取りをするってことは、碌でもない金なのは確かなんですけどね」
「それは言えてる」
新八君も私と同じ様に、それが何かの『依頼』なのだろうと検討をつけているらしい。
けれど、銀さんが神楽ちゃんや新八君に内緒にしてるということはそういうことだ。
エリナさんと何か喋っていた銀さんが別れを告げるように手をあげると、身を乗り出してエリナさんがキスしようとする。
それを上げた手で遮り、エリナさんは銀さんの手のひらとキスをしてしまう。
ふくれっ面のエリナさんに、勘弁してくれよというような表情を浮かべながら今度こそ銀さんはその場を後にした。
「ほら」
「ほらじゃないですよ。一瞬どきっとしちゃったじゃないですか」
肉体関係の謝礼なら、今更キスごとき拒みはしないだろう。
けれど、まぁ。
「キスぐらい受け取ってあげたらいいのにね。エリナさんらしい感謝の伝え方なんだから」
「本気で言ってます? 直接言うのはやめてくださいね。拗ねたら面倒なんですよ、あの人」
銀さんは私に見られてる事を知ってる訳じゃないし、だったらいいのにと思うのだけれど、拗ねるのかな?
控えめにいってもエリナさんは美人だ。
「新八君はさ、綺麗な女の人にキスされるのは嬉しくない?」
そう聞くと心底嫌そうな顔をされた。
「そりゃ、僕だって男ですからね。でも、あの人ああ見えて浮気するタイプじゃないって事ぐらい分かるでしょう?」
隠れていた路地から通りに戻りながら、新八君はそういう。
「浮気になるんだ?」
浮気ってなんだっけ? と思考が巡る。
確かに銀さんが浮気するタイプか? と聞かれたら、まあしないよなと結論は付く。
「そうじゃなかったら、なんだっていうんですか」
「火遊び?」
「それを浮気っていうんですよ、世間一般では」
「そっか……。そうなんだ」
「脳みそ入ってないんですか? あーあ、あの人に同情したくなる日がくるとは思いませんでしたよ」
溜息をついて新八君はスタスタと歩き出す。
「遊んだって怒らないのに」
「そういう問題じゃないって分かってる癖に。嬉しそうにしないでくださいよ、腹立たしい」
鋭いツッコミが心を抉るが、言われて気付く。嬉しいのか……。
確かに喜んでいる私がいる。エリナさんが断られて嬉しいという意地の悪い意味ではないと弁明しておく。
似たようなものだけれど、銀さんが私に義理立てしてくれていることが嬉しいのだ。
「あれ、電気消し忘れですか?」
家の前まで送ってくれた新八君が窓の明かりをみて首を傾げる。
家を出る時ちゃんと確認した筈だ……。
「あー、そうかもしれない。ありがとうね、送ってくれて」
「いえ、じゃあまた明日」
「うん、また明日」
そう言って手を振って別れた。
私たちはあの後まっすぐ家までの道のりを歩いて帰ってきた。
ということはだ、それより早く家につくには同じようにまっすぐに向かうしかないわけで……。
「少し浮かれてるかもしれない」
にやつきそうな顔に手をやり心を沈める。
ノブに手をかけると予想通り鍵が開いていた。
「ただいま」
そう声をかけ戸をくぐると、
「遅かったな」
と、想定通りの声が聞こえてきた。
会いに来てくれたのだ。そう思うとやはり顔が緩んでしまいそうになる。
「何にやついてるんだよ」
「銀さんが家にいることが嬉しくて」
「そーかよ」
床に寝転がる銀さんを見ながら、何か飲み物でも淹れようかと台所に向かう。
「なぁ、キリ、頼みがあんだけど」
「なに? お金なら貸さないよ」
「ちげーよ。今日、泊めてくんねぇ?」
少し情けない声に笑いそうになってしまう。
神楽ちゃんと顔を合わせるのが気まずいのだろう。
神楽ちゃんが怒ってることを想定してるのに、それを言い訳もせず受け入れようとしているのだ。
けれど、尻込みはするらしい。不器用な行動が愛おしくなる。
「いいよ。コーヒーとお茶どっちがいい?」
「コーヒー、ミルクと砂糖いっぱい入れて」
転がったままそんな事をいう姿はまるで駄目な大人だ。
けれど、訳ありの仕事をしてきた後なのだ。甘くなってしまうのも仕方ないことだろうと言い訳する。
「熱いから気をつけて」
テーブルの上にマグカップを二人分置く。
「これどっちがどっちのだ?」
「どっちも一緒だよ」
「珍しいな」
濁った色のコーヒーを見て銀さんはそういうと、一つのカップを手に取った。
ブラック派ではあるものの、甘いものを取りたくなる夜があってもいいじゃない?
もう一つのカップを私の分として、銀さんの隣に座る。
「エリナさん、大丈夫だった?」
吹かれても困るので口をつける前に話題を振ると、銀さんはテーブルにカップを置き直して頭を抱える。
「えっ、なんで? どっから? えっ??」
ブツブツと呟きながら記憶を辿る姿に種明かしをする。
「新八君と一緒に帰る途中でね、ホテルから出てくる二人を見かけてさ。何かトラブルだったんじゃないかなーと。あ、声は聞いてないから詳しくは分かんないよ? そこは大丈夫」
「全然大丈夫じゃねぇんだけど。普通は『私というものがありながらー』とかそういう展開じゃねぇのそこ」
「そんな甲斐性が銀さんにあるわけないじゃん? というのが新八君と私の結論だったね」
とうとう銀さんは膝を抱えてそこに顔を乗せてしまった。
「腹立つわー。銀さんだってね、色々考えてる訳なんですよ。それをまー訳知り顔で……お前ら覚えておけよ」
台詞だけ聞けば凄んでいるのだろうけど、格好が格好なので怖くはない。
負け惜しみみたいなものだろう。はいはいと頭を撫でるとくたりと力を抜いた。
「どっからどこまで見てたのよ」
くぐもった声は気力がなく、可哀想になる。
「ホテルから一緒に出てきてお金を貰って、銀さんが帰るところまでかな?」
「全部じゃねぇか」
深い深い溜息をついた。
「新八君は知らないフリしてくれると思うよ?」
「それを聞いてなんの慰めになると思うんですかー」
「神楽ちゃんにはバレない」
「大して変わんねぇよ」
諦めたのか、顔をあげて足を崩す。片足だけ立てた状態で座っているが、完全に立ち直れてはいないようで、肩を落としていた。
「ありがとうね」
「なんの礼だよ」
「エリナさん。詳しくは聞かないけど困ってたの助けてくれたんでしょ?」
「知らねぇよ。ったく」
片手でカップを持ち、ずずっと啜っていた。
「ホテル誘われなかった?」
今度はケホケホとむせる。テーブルに飛んだ飛沫をティッシュで拭き取る。
「なんなんだよ、お前。銀さんいじめて楽しいんですか?」
「やっぱり誘われたんだ。前ね、味見したいっていってたから」
「どーせ誘いに乗れば良かったのにとか言うんだろ。脳みそ一回取り替えてこい」
不貞腐れるようにそっぽを向く。そうじゃないんだけどな。
「キス、避けてくれたじゃない? 嬉しくってさ。誘われたのもきっと断ったんだろうなって思ったから、聞きたかった」
「……んだよ」
「銀さんがここに来てくれたことも嬉しくて。頼られてるみたいで。少し浮かれてる」
見上げると耳が少し赤い。肩に寄りかかると深い深い溜息が聞こえた。
肩に手がまわり、キスをされる。
「泊まるだけのつもりだったんだよ」
言い訳のように銀さんは零す。
「銀さん好きだよ」
胸の内から溢れる思いを伝えると、さらにキスが深くなる。
ミルクと砂糖がたっぷり入ったコーヒーの味が、甘く甘く口の中を満たした。