天気のいい日だった。暑くもなく、寒くもなく心地よい風が吹く日。
窓から差し込む日差しが柔らかく床に格子模様を落としていた。
「銀さん、来週の休み、デートしようよ」
いつも通り万事屋で社長椅子に座ってジャンプを読んでいる銀さんにそう切り出すと、新八君と神楽ちゃんはすっと気配を消した。
気を使ってくれてるのだろうと思いつつも、新八君は気配を消したというよりも消えたいというような顔をしていた。
銀さんはジャンプを一ページめくった後に、
「……ああ」
と短く返事をした。
「映画、みたい奴あるんだよね」
「いいぜ、付き合うよ」
待ち合わせの場所と時間を決めて、勝手に壁のカレンダーに予定を書き込む。
銀さんはチラリとそれを見て、またジャンプに視線を戻した。
それから一週間、約束の当日。窓の外は風が轟々と音を立て、風に煽られた雨が真横に降っていた。
結野アナが台風を予報した時はまさかと思ったが、急速に発達した熱帯性低気圧はまたたく間に台風を形成し、暴風警報を発令する事態となった。
映画館は休館を決め、そもそもこんな中出歩くこと自体が危ない。
昨日の夜の内に電話で約束の延期を願い出た。
「なんでだろうね」
そうぼやいてしまう程度には落ち込んでいる。
消し忘れた携帯の予定を告げるアラーム音に起こされた所為だろうか。
『また今度ね』そう伝えた電話では強がってみせたが、壁にかかったよそ行きのワンピースがどうにも虚しくなる。
テレビは季節外れの台風の情報ばかりで、何も楽しいことはやってないし、窓の外の景色は恨めしさしか湧いてこないし、読みかけの小説も漫画もちっとも頭に入ってこない。
「本当、なんでだろうね」
テレビをザッピングしたのち、電源ボタンを押して切る。
ばたんと畳に倒れ天井を見上げる。
こんな乙女だっただろうか? 約束の三時間前にアラームを設定して? 新しい下着なんて買っちゃって? 色々準備しちゃってさ。ちらりと本棚の隅に押し込めた紙袋を見る。
銀さんなら……どうするだろうか、と考え更に気分が落ち込む。
自然現象に文句いってもしゃーないだろ。そう言って二度寝を決め込むに違いない。
気持ちをあっさりと切り替えて、空いた時間を有効活用するに決まっている。
こんな乙女チックにウダウダと引きずっているのが己だけというのが、なんともまぁ笑えない。
声だけでもと、携帯に手を伸ばしかけて止める。
何を話すと言うのだろう。話題なんてこの酷い天気についてぐらいだ。一言、二言話して、電話を切る己を未来予知する。
きっとその後、更に虚しくなるのだろう。
じめじめと湿っぽいのは天気だけにして欲しい。
――ピンポーン
チャイムの音が鳴った。最初は聞き間違いかと思った。
風の音が酷いのもあったし、こんな日には宅配便すらやってないだろう。
――ピンポーン
もう一度鳴る。聞き間違いではないと立ち上がる。
こんな日にも働く様なブラックセールスマンでもいるのだろうか? それとも宗教勧誘? 実はこれはただの台風なんかじゃなくて、世界の終わりを告げる神の怒りですとかいいだしちゃったりする?
そんなことを警戒しながら、ドアスコープから外を見ると、髪をベッタリと貼り付けて、びしょ濡れの姿で銀さんが立っていた。
慌てて鍵を開け、ドアを開くと風に持っていかれそうになる。
「っぶねぇな」
銀さんは勢いよく開いたドアを片手で抑え、よぉと声を掛ける。
「危ないのは銀さんだよ! こんな日に! ってか早く入って、雨がっ!」
玄関にまで吹き込む雨に、銀さんを急ぎ引き入れる。
ドアを閉め、再び鍵を掛けたところで銀さんを見上げると、酷い有様だった。
「悪りィけど、タオル貸して」
「タオルだけじゃなくて着替えも貸すから着替えなよ。ってか風呂入ったほうがいいんじゃない? 風邪引いちゃうよ」
髪の毛の先から雫が垂れ、髪の毛がストレートになっている。
「ぶわっくっしゅ」
案の定くしゃみを一つ。
着替えとタオルを渡して銀さんを脱衣所に押し込める。
後ろを振り返ると、出しっぱなしになった朝ごはんの茶碗や、読みかけの本が散乱している。
誰かが訪ねてくるなんて想像もしていなかったからと、言い訳し、慌てて片付ける。
だぼついたTシャツとハーフパンツという気の抜けた部屋着姿なのはどうしたらいいのだろうか。
今更着替えたところで、変に意識していると言うようで恥ずかしい。けれど、そのままというのも恥ずかしい。
悩んだ末、カットソーとゆったりとしたボトムに着替える。大して違いはないかもしれない。
あっ、寝癖とか! 慌てて鏡を確認する。
セーフ? だんだんと変に意識し始めてしまう。
壁にかかったワンピースは回収して、箪笥にしまった。
一言電話とかさ、あってもいいんじゃないかな? 念のため携帯の通知を確認するが、勿論そんなものはない。
お茶でも入れて落ち着こうとお湯を沸かす。
お湯が沸いたタイミングで、銀さんが風呂から上がって出てきた。
貸した浴衣の胸元を開き、暑そうにしている。
「いちご牛乳、冷蔵庫に入ってるから。勝手に飲んで」
「あ、ああ……?」
食器棚からグラスを取り出し冷蔵庫を開ける姿を横目で見ながら、私は流し台の上で急須に緑茶のティーバッグを入れ、お湯を注ぐ。
銀さんは隣に移動し、ガラスのコップに苺のパッケージの紙パックからピンク色の液体を注いでいた。
「……珍しいな」
「何が?」
「お前、あんま甘い物飲まねぇだろ」
「……たまたまセールしてたから。それより銀さんこそどうしたの? こんな日に」
わざわざ買って準備していたなんて言えるわけもなく、話題を変える。
ごきゅごきゅと喉をならしてグラスの中身を一気飲みした銀さんは、もう一杯と紙パックの中身を注ぎながら答える。
「……映画、約束してただろ。DVD借りてきた。お前んとこデッキあんだろってか、お湯、溢れてんぞ」
手元を見ると薬缶から注いだお湯が急須から溢れていた。つとめて冷静に薬缶を置いて、火傷しないよう注意しながら、こぼれたお湯を布巾で拭く。
「今日、レンタル屋さん空いてた?」
「……たまたま開いてる店みっけた」
「無理やり開けさせた……とか?」
「借りてくださいって向こうからお願いされたんだよ」
言い淀む様に、当てずっぽうで聞いてみると含みのある回答が返ってきた。
借りてくださいというか、帰ってくださいが正しかったりしないだろうか……?
「なんでそこまで」
「……約束しただろ」
「昨日電話した時は『また今度ね』って言って納得してたじゃん」
「うっせーな、見んの? 見ねぇの? 見ねぇなら帰るかんな!」
信じられないという思いで問い詰めていたら、銀さんがへそを曲げだした。
慌てて話題を切り替える。
「嘘、嘘、見る。見る。何借りてきたの?」
「さあな、適当に借りてきたから。あ、袋、向こうだわ」
そう言って、銀さんは脱衣所に戻るとレンタル屋の袋を持って戻ってきた。
横から覗き込むようにラインナップをみると、アクションとコメディの二本立て。
「へー、どっちも面白そう。あ、銀さんの服このままじゃあ臭くなりそうだから先、洗濯機回していい?」
「いいけどよ、洗っても乾かねぇだろ。まぁ、あんだけ濡れてりゃ一緒か」
「部屋干ししてれば少しは乾くでしょ」
「じゃあ、頼ま……いや、自分でやるわ」
「そう? 洗剤、洗濯機の横の棚にあるから」
流しの上に飲みかけのコップを置いて、銀さんは再び脱衣所に戻っていった。
手元に残ったDVDの袋と、いちご牛乳の紙パック、お茶の入った急須。それぞれのコップをお盆にのせて、テーブルに運ぶ。
テレビを向いて、間にテーブルを挟んで並んで座ればいい感じだろう。位置を調整する。
ついでに買い置きのお菓子を真ん中に置けば完璧だ。
聞き慣れた電子音と共に洗濯機が回り始める。
「何から見る?」
「んー、じゃあこれ」
戻ってきた銀さんに、並べたラインナップを見せると、適当に指を差す。
最初はアクション映画らしい。
テレビ台に置かれたデッキにDVDをセットする。
「あ、電気消してもいい? その方が雰囲気でるじゃん?」
「そうだな」
パチリと電気を消すと、外が暗いお陰で映画館のような薄暗い空間が出来上がる。
風の音だけは雑音だが、わくわくする。
銀さんの隣に座り、リモコンを操作すると画面に配給会社のロゴが浮かび上がり、音楽が流れ始める。
ロゴが消えると、映画のタイトルが画面に映し出された。
「これって続きなかったっけ?」
「あー、あった気がすんな」
返事をして、銀さんは大入袋からチョコを取り出し、口に放り込む。
私も横から一つ貰う。
主人公は決断ができず逃げてばかりの男で、奥さんに愛想を付かされた政府の役人だ。
その実、極秘の命令を請け負う密使だ。スパイのようなものかな?
奥さんが主人公に愛想を付かせて家を出てくところから始まる。
すぐに追いかければいいのにそれすらできず、ようやく奥さんの誕生日に指輪を買って、良い料理屋を予約していたところに任務が入る。
どうにか間に合わせようと奮闘するが、邪魔が入ったり、仲間のミスや強敵の登場でそれどころじゃない。
クライマックスの格闘シーンでは、隻眼の二刀流の浪人相手に大立ち回りを繰り広げる。
手数では敵わず、押され気味になる主人公。飾ってあったツボを投げつけ、隙をついて壁を走り、刀の間をすり抜ける。
そのまま逃げると見せかけ、侵入時に使ったワイヤーを使い、バク転。浪人の背後に回ったところで一太刀。
『逃げるのが……得意と言ってたのは嘘か……』
『臆病ものだから……鬼ごっこは苦手なんだ』
前半の台詞が回収され、浪人がかつて同じ組織であることが明かされ、組織の闇となる情報を託される。
結局、奥さんの誕生日には間に合わず、料理屋は暖簾を片付けていた。
がっくり項垂れる男に暖簾を片付けている店員から、奥さんが長い間待っていたことを伝えられる。
そして一言だけ伝言があり、『約束の場所で待つ』と。
主人公は約束と言われここだろうと困惑するが、ふと思い出すように再び走り出す。
小さな神社の鳥居の傍。一人の女性が待っていた。
『……済まなかった』
『貴方はいつもそう』
『許してくれ。なぁ……』
プレゼントである指輪を渡そうとしたところで、いい人がいるのと告げられる。
色々な意味で間に合わなかったと、俯き顔を歪める男に女は笑う。
『貴方と違ってちゃんとしたいい人なのに……どうしてかしら。貴方と比べてしまうのよ。馬鹿よね』
とだけ告げる。
結局、指輪は受け取らず、そのまま立ち去る女性を見送る主人公。
そこでエンドロールに入る。
「ふわぁ……面白かった」
思わず見入ってしまっていた。途中お茶を飲んだりはしたが、画面に張り付いてしまっていた。
銀さんも同じようで、肩が凝ったのか腕を回していた。
立ち上がり、電気を付けがてらDVDを回収する。
残りもう一本は少し休憩してから見たい気分だ。
「私、最後、絶対逃げると思ってた」
「そうか?」
「あれ、銀さんは違う?」
「振りが強すぎたし、そんな終わり方、視聴者が納得しねぇだろ」
「メタいねぇ」
「お前は純粋だな」
そうだろうか? まぁ、そうやって斜めに見ている銀さんからしたらそう見えるのかもしれない。
途中洗濯機が止まったのは気付いていたが、映画の続きが気になってしまって放ってしまっていた。
立ち上がったついでに、干しに行こうと洗濯機が置いてある脱衣所に向かう。
脱衣所では銀さんのベルトが隅に置かれており、残りは洗濯機の中で丸まっていた。全部ハンガーに掛けて干してしまえばいいか。
脱衣所に突っ張っている竿に、ハンガーをかけ着物や上着、ズボンをかけていく。
「あ、おい。やるっつったろ」
覗きに来た銀さんが私が手に持った物を見て、焦ったように手を伸ばす。
「もう終わるよ」
「じゃねぇーよ。嫁入り前の女が、男の下着なんて干すなよ」
「嫌だった?」
「違うつーの。そもそもな……換えの下着なんて準備してんじゃねぇよ」
気まずそうにいいながら、銀さんは奪い取ったパンツを干す。
着ていたパンツを洗ったからといって、銀さんがノーパンという訳ではない。
ちゃんと変わりのパンツを渡してある。
「安かったんだよ。三枚で九百八十円。助かったでしょ?」
「まあな……」
あの様子では何もかもが濡れていたに違いないと、袋から出して渡したのだ。
ブーツも新聞紙を詰めておこうか。
「何、そのスプレー」
何をするんだろうと観察していた銀さんが、私が手に持っている消臭スプレーを見て微妙な顔を浮かべる。
「だって、匂いするし? 銀さんだって臭い靴履きたくないでしょ?」
「いや、そうだけどよ……」
濡れて匂いが出始めたブーツに消臭スプレーをたっぷり吹きかけ、新聞紙を丸めて詰める。
これで少しはマシだろう。
今度、消臭用のブーツキーパー買おうかな。動物の顔がついた可愛いヤツ。
ついでに万事屋にも置いておこう。新八君や神楽ちゃんが隙をみて突っ込んでくれるだろう。
そんな事を考えながら、時計を見たら丁度お昼時だ。
「銀さん。そういえば、神楽ちゃんは……?」
こんな台風の中、一人お留守番だろうか? 気にしないだろうとはいえ、気になった。
一人で卵かけご飯を食べる事になっていやしないだろうか。
「昨日、妙んところの店が早仕舞するってんで、新八と一緒に迎えにいってそのまんま泊まりに行ったよ」
「あ、そうなんだ。良かった。お昼、何にする? といっても、何もないんだけどね」
自炊するようになったとはいえ、適当に済ますことも多い。材料なんて碌なものがなかった。
勝手知ったる他人の家とばかりに、銀さんは冷蔵庫をガバリと開け中身を確認する。
「冷凍ご飯使っていいか? チャーハンぐらいなら作れんだろ」
「勿論使っていいよ。じゃあ、そうしようか」
と、同意するものの、銀さんはそのまま冷蔵庫から、玉子とハム、冷凍されてた刻みネギを取り出し流しの上に並べる。
冷凍ご飯はそのまま冷蔵庫の上に置かれたレンジに入れられた。
私が手出しする前に、ハムは刻まれ、玉子は溶かれて準備が整う。
ピーという音と共に、ラップに包まれたご飯が湯気を立てながら取り出される。
「残りやろうか?」
「俺、チャーハンぱらぱらじゃねぇと許せない人間だから」
断るでもなく、銀さんは手に持ったフライパンをくるりと一回転させる。
なんだろう、凄く馬鹿にされた気がする。
コンロに乗せられたフライパンに油が引かれ、手際よく材料が炒められていく。
チャーハンだけだと寂しいかと、隣で薬缶に火をつけレトルトの味噌汁を用意する。
「一回、鍋振ろうとしたんだけど、食材を全部床が食べちゃってさ。なんかコツとかあるの?」
リズムよく宙を舞うお米を見ながら、銀さんに聞いてみる。
「お前は必要ない料理作ってろ。卵かけご飯とか」
「流石に? ケチャップライスぐらいは作りたいんだよね」
「冷凍使ってろよ。業務スーパーに売ってっから。無理すんな」
「まぁ、最近の冷凍食品美味しいしね」
そんな話をしながら見ていると、あっという間に出来上がる。
最後に醤油を垂らし、火力をあげると部屋中に良い匂いが漂う。
「はい、お皿」
二枚お皿を渡すと、フライパンの中身を均等に分けていく。
その隣で、お椀に味噌汁の素を入れ、お湯で溶けば出来上がりだ。
二人でテーブルに運ぶ。
「美味しそう。あ、少しそっちに分けてもいい? さっきお菓子食べちゃったから、こんなに食べられなさそう」
「ああ」
スプーンでチャーハンを少し銀さんの皿に移す。
頂きますと手を合わせて、一口すくう。
「おいしい」
「そりゃ良かった」
宣言通りにパラパラチャーハンだ。焦がした醤油もいい感じ。
お店で出せそうなレベル。何もない冷蔵庫から生み出されたものとは思えない。
「お前が作った味噌汁も美味いぜ」
「レトルトだけどね」
「だからだよ」
そう言う銀さんは口調とは裏腹に、少し嬉しそうに笑っていた。
「そーいや、お前、アイツ等になんか言ったか?」
「アイツ等って?」
「新八と神楽」
言ったといえば言ったのだけれど。正直に話していいのかは悩む。
「なんで?」
「煩く言われたんだよ。お前んとこ行けって」
なるほど、こんな天気の中銀さんが強引にやってきた理由が少し分かった。
「あー、言われたからって訳じゃねぇーぜ?」
表情に出ていたようだ。言い訳のように銀さんは付け足した。
「じゃあ、来たかったから来てくれたんだ?」
「……さあな」
銀さんは表情を隠すように味噌汁を一口啜る。
「私は会えて嬉しいよ。ありがとう」
「ごほっ……」
素直に伝えると、噎せた。
最後の一口をスプーンで掬い、窓の外の天気を眺める。
相変わらず天気は大荒れで、雨の止む気配はない。風の音も強く、傘なんて一秒たりとも持たないだろう。
リモコンを操作して、テレビの天気予報を点ける。
――台風は勢力を増しこのまま北東へ進むでしょう。暴風域は明日未明に解除される見込みです。
明日まではこの調子らしい。
「泊まってく? 後で神楽ちゃん達どうするか聞いてみるね」
「頼むわ」
恐らく今日もお妙さんのところはお休みになるだろう。神楽ちゃんもそのままお泊りになる可能性は高い。
氾濫した河川や、通行止めになった橋、飛ばされた看板など、テレビは台風被害を伝える。
「依頼、増えそうだな……」
うんざりした顔で銀さんはそれを見ていた。
看板の修理や、飛んだ屋根の補強。庭掃除など、万事屋に持ち込まれる仕事が増えることを想像したのだろう。
「いいことじゃん」
「それで飯食ってる身としては文句は言わねぇけど、依頼が重なるとどうもなぁ……」
面倒事も多いのだろう。台風特需で忙しくなりそうだ。
「ま、今日まではのんびりして、明日からあくせく働きましょうよ」
「そうだな」
食べ終わった食器を重ねて片付ける。
作ってもらったのだから洗うぐらいすべきだろう。銀さんには座っててと伝える。
朝の食器と纏めて洗うといっても、大した量ではない。
あっという間に終わり、濡れた手を拭いて戻ると銀さんが棚から漫画をだして勝手に読んでいた。
「なぁ、これって打ち切られてなかったか?」
「うん。そこにあるので全部だよ」
「わざわざ買ってたんだな」
「私は面白いと思ってたんだけど、世間の評価とは違ってたみたい」
数ヶ月前に打ち切りになって、最終巻が出たばかりだ。
帯も真新しいそれが少し悲しい。なんか、私が好きになる漫画、大体が打ち切りか、低空飛行を続けちゃうんだよね。
映画化どころかアニメ化すら夢のまた夢。
応援しない方が良かったりするのだろうか?
「なんつーか、テンポが悪ィんだよ。ギャグならもっと軽快なステップ踏ん出て欲しいね」
「そーいうテンションで読みたくない時に丁度いいんだよ」
「随分ニッチな需要だな。だから打ち切られんだよ」
「まあ確かに」
「絵は嫌いじゃねぇんだけどな。勿体ねぇな」
銀さんは手慰みで読んでただけなのか、パタリと閉じると本棚にしまった。
「DVD見る?」
「ああそうだな、折角だし見るか」
「おーけー」
机の上に置いてあった残りのDVDを取り出す。集中して見たい気分でもなかったので、電気は付けたまま再生ボタンを押す。
思えばパッケージから取り出したDVDの表をちゃんと見てなかったのが悪いのだろう。
見慣れない映像が流れ、ロゴが表示された段階で、急に銀さんが手を伸ばしてテレビを消してしまった。
「えっ、なに?」
「……あの店員。パッケージと中身違ってんぞ」
銀さんは顔を覆って溜息をつくと、立ち上がりデッキを操作してDVDを取り出す。
「たまにあるよね。ってか良く気付いたね」
「まあな」
「B級作品とか? 割りと好きだよ? 見るだけ見てみない? つまんなかったら止めていいからさ」
ロゴからはなんだか力の入ってない雰囲気を感じた。どのみちコメディを見るつもりだったのだ。
トマトがぶつかったら死んでしまうようなパニックホラーモノとか、サメが空を飛ぶような奇抜な映画でもそれはそれで笑える気がしたのだけれど。
「B級どころかA級ミサイルが二つ並びそうつーか、仮にF級だったとしても年代物の不発弾」
取り出したDVDの表面を見て、銀さんは顔を顰める。
そのままパッケージに仕舞い、レンタル屋の袋に押し込んでいた。
「ああ、そーいう?」
迂遠に説明する様になんとなく察してしまう。
テレビを消してしまった理由も分かった。
「察しが良くて助かるよ。これはパスな」
「でも、ロゴだけで良くわかったね?」
「……そういう察しの良さはいらねぇんだよ」
軽く息を吐いて、座り直す。
「熟女物?」
「引っ張るなぁ、お前」
「だって暇だし」
予定が一つ飛んでしまい、家でできることといえばオセロとかトランプぐらい。
「銀さんはどういう奴が好きなの? JK物? 束縛系?」
「もう、その話は仕舞っとけ」
大分嫌そうな顔をされたので、銀さんの性癖を掘り返すのは諦める。
とんでもないものを掘り当ててしまってもどうしようもないし。
「暇だね。トランプする」
「二人でやってもなぁー」
まあ、そうだ。
窓の外を見るが、出掛けられる雰囲気ではない。
テレビを点けようと手を伸ばすと、ふっと突然電気が消えた。
「停電? ちょっとブレーカー見てくるね」
太陽の光が厚い雲に遮られている所為で窓から差し込む光は弱い。
かといって全く見えない訳ではない。
薄暗い部屋の中を歩き、玄関の近くにあるブレーカーボックスの蓋を開けるが、ブレーカーが落ちた訳ではなさそうだった。
「やっぱ停電みたいー!! 懐中電灯どこしまったっけなぁ……」
銀さんに状況を伝えつつ、懐中電灯を探す。
確か、食器棚の下の段に……かがみ込んで漁っていると、銀さんが後ろから声をかけてきた。
「大丈夫か?」
「大丈夫……あっ――!」
見つけた拍子に頭を上げてしまい、開いた戸棚のドアに頭をぶつけてしまった。
「大丈夫か?」
「痛いけど大丈夫。懐中電灯あったよ」
涙目になりながらパチリとスイッチを点けると、まあるい光が壁に描き出される。
「気ぃをつけろよ」
呆れた顔をして、銀さんは私の頭を撫でた。
「……ありがとう?」
「なんだよその間は」
「いや、なんとなく」
照れたとは言えないだろう。懐中電灯をかざしながら再びテーブルに戻る。
「にしても本格的にやることなくなっちゃったね」
「確かにな」
やる気の起きないトランプをこの薄暗闇の中でやりたいとは到底思えない。
テレビも点かないし。電池が勿体ないので懐中電灯のスイッチを消す。
窓際のこのあたりは比較的まだ明るい。
「銀さん、なんか面白い話してよ」
「俺は漫才師か噺家つーの。突然振んじゃねぇよ」
「だって暇なんだもん。こーいうのも悪くないけどさ、手持ち無沙汰ってのもつまらないじゃない?」
「たしかになぁー」
「新八君と神楽ちゃん、平気かな?」
「大丈夫だろ。お妙もいるだろうし」
窓の外を見てみるが当たり前だが、恒道館方面がどうなってるかなんて分からなかった。
「こうやって天気見てると思い出すね」
「何がだ」
「私が、ここに来た時も台風が来ててさ。神楽ちゃん楽しそうにしてた」
「あったなそーいや。能天気に台風の中飛び出しやがって、ずぶ濡れになって帰ってきたよ。楽しかったつってな」
神楽ちゃんらしい。そういう銀さんはとても優しい目をしていた。
「新八君、心配してなかった?」
「してたしてた。てめぇーはかあちゃんかってぐらいな」
「想像できる」
神楽ちゃんがいくら強くても女の子なんですからねとか言って、探しに行こうか迷ってる姿が想像できる。
「そーいや総悟がさ、川に流された犬助けようとしてたなぁ」
「アイツが?」
「そう。総悟、優しんだよ? 知ってる?」
「野郎のんな話、聞きたかねぇよ」
銀さんはふいっと視線を逸らす。私はそれに笑う。
色々あったな。何度も助けられ、助けようとして迷って、その度に銀さんは手を伸ばしてくれた。
達観するにはまだ早いが、銀さんの剣先にどうにか引っかかった人生のような気もする。
それがこうして憂いなく、二人きりでいられるのは幸せなのだろうと思った。
「銀さん、そっち行ってもいい?」
「ああ」
テーブルを挟んで向かい合う位置から、銀さんの隣に移動する。
肩に頭を預けると、そのまま撫でてくれた。
「なんか色々あったなぁーって」
「色々どころの騒ぎじゃねぇだろ。てめぇは騒動ばっか持ち込みやがって」
「そうかな?」
「そうだよ」
乱暴な口調の割りに銀さんの手は優しく肩に回る。
「銀さん、好きだよ」
「そうか」
「銀さんは?」
「なんで女ってのはそういう事を一々聞きたがんだよ」
「なんでだろうね。でも、聞きたい」
窓から差し込む薄らぼんやりした光が銀さんの横顔を照らしていた。
暗がりの中に浮かぶその姿を、私は黙って見つめる。
居心地が悪いのか銀さんは肩を抱く手とは反対の手で、首筋を触っていた。
それでも何かを決めたのか、ゆっくりと振り向き視線をこちらに向ける。
「好きだ」
真っ直ぐに見つめられ、静かに言葉を落とした。
目がいつもより開いていた。緊張しているのかその言葉を発した後も口角は強く結ばれている。
じんわりと胸にその言葉が広がると同時に、心臓が早鐘をうち始める。
「私も好き」
どちらかともなく唇が合わさり、抱き合うように背中に手が回る。
深く深くと潜るようなキスをする。
お互いの輪郭線を交わらせるように。気持ちを確かめ合うように。
乱れた呼吸を整えながら、銀さんの肩口に顔を埋める。
銀さんと深く繋がりたい。どこまでも、どこまでも。
そんな気持ちが湧いてくる。
「ねぇ銀さん……」
声が少し震えた。
「……なんだ」
「一緒に三千世界の鴉を殺してくれませんか?」
女の私から誘うのははしたないだろうか?
けれど、ちゃんと伝えたかった。
見上げると銀さんは少し困った顔をしていた。
「どこで覚えてきたんだよ。んな口説き文句」
「銀さんの知らない……銀さんかな?」
「お前……そういうの辞めろよ。いいぜ。三千世界だろうが、どこへでも付き合ってやるよ」
にやりと笑うと銀さんは噛みつくようにキスをした。