※この作品はR-18です。

半血魔王のクロニクル ~黒き貴公子シリーズ総集編~   作:古弥須 凱

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13話 老家令

 

【挿絵表示】

 

 

 

家令(ハウス・スチュワード)アルフレッドの執務室は、本邸の最奥、階段を上った先の静かな一角にあった。

 

他の使用人部屋とは違い、壁一面に古い革装の本棚が並び、重厚な黒檀の机の上には、魔界の紋章が刻まれた銀の燭台が静かに灯っている。

 

蝋燭の炎がゆらめく中、アルフレッドは机に向かい、ルシエルから指示のあった私邸改修計画の書類を広げていた。

 

向かいにはレジナルドが座り、銀縁メガネの奥から淡い灰色の瞳を上げている。

 

「ご主人様からの指示は明確だ。私邸の別棟を、リーザ姫を迎えるに相応しい居室に改修せよ、ということだな。」

 

アルフレッドの声は低く、落ち着いていた。

 

彼は書類の端を指で軽く叩き、続けた。

 

「だが、その前に……お前の計画どおり、双子を人間界に連れていく手順を詰めよう。

 

リリアとソフィアは、もう限界に近い。

 

ルシエルさまの苛立ちが頂点に達している今、彼女たちをお前とともに人間界に送り出すのは、”一時保護”という名目で正当化できる最後の機会だ。」

 

レジナルドは静かに頷いた。

 

彼の手元には、すでに人間界の王宮地図と、リーザ姫の従兄弟にあたる王太子の側近リストが広げられている。

 

「私が王の息子の召使(サーヴァント)に化け、双子はメイドとして王宮に潜入します。

 

私は人間ですし、双子らの魔力は弱く小さいですから、天界の監視体制(セキュリティネットワーク)をかいくぐるのは容易(たやすい)でしょう。

 

リーザ姫の日常に溶け込み、十二夜と同じく意識を魔界と同調させる媚薬を、紅茶や菓子に仕込んでおく予定です。」

 

アルフレッドは小さく息を吐いた。その瞳に、わずかな痛みが宿る。

 

「……お前が純粋な魔族であれば、私は迷わず、自分の後継者に据えていただろうな。」

 

レジナルドは苦笑した。

 

「それは光栄です。ですが、私の寿命は人間のそれです。閣下(ミスタ・アルフレッド)の後継者になるには、短すぎます。」

 

アルフレッドは目を細め、静かに言った。

 

「それでもお前は、双子たちの面倒をよくみてくれているな。おのれの寿命をけずってまで……感謝しているよ、レジナルド。」

 

一瞬の沈黙が落ちた。

 

アルフレッドの声は、いつもより低く、優しかった。

 

「私はルシエル様を、自分の孫のように愛してきた。お小さい頃から教育し、傍で見守ってきた。

 

あの方の辛いお気持ちも、ままならないことへの強い苛立ちもすべて理解しているつもりだ。

 

……だからこそ、お前があの方のそばにいてくれることが、どれほど心強いか」

 

レジナルドは静かに頭を下げた。

 

「恐縮です。私にできるのは、ただ誠心誠意、閣下にお仕えすることだけです」

 

蝋燭の焰がゆらめき、黒檀の机に長い影を落とす。

 

レジナルドはすでに立ち上がり、書類を片付け始めていたが、ふと視線を落とした。

 

老家令の机に、古い羊皮紙の束が置かれている。

 

革紐でまとめられたそれは、公爵家の紋章が刻まれた封蝋で封じられていた。

 

レジナルドの手が、わずかに止まる。

 

「……これは」

 

アルフレッドは見てもよい、と仕草で示す。

 

彼はそっと手を伸ばし、封蝋の紋章に触れた。蝋の縁に、微かなひび割れと、一度剥がされた跡が残っている。




誰かが過去に開封し、再び丁寧に封じ直した痕跡だ。

 

先代の公爵にしてルシエルの父君・ハデス卿と、妻であるプロセルピナ姫の婚姻を記録した文書。

 

人間界の王族姫を魔界に迎え入れるための、正式な盟約書と魔族化の儀式許可証。

 

当時の執事(バトラー)、だったアルフレッドが、すべてを取り仕切った証拠書類だった。

 

羊皮紙をそっと開くと、美しい女性の筆跡(て)で、プロセルピナの署名が残っている。

 

「永遠の愛を誓い、御身の傍に……」

 

レジナルドの指が、わずかに震えた。

 

アルフレッドは静かに視線を戻し、穏やかに言った。

 

「……人間の身で、こ(・)れ(・)を目にした者は、恐らくお前が最初で最後だろう」

 

レジナルドは羊皮紙をそっと閉じ、机に戻した。

 

「リーザ姫をお迎えするための……準備ですか。」

 

アルフレッドは小さく頷いた。

 

彼の声は、いつもより低く、静かだった。

 

「先代も、同じようにした。人間の姫を魔界に迎え入れるための、すべての手続きを、私が整えた。盟約の締結、魔族化の儀式、貴族社会への説明……すべてを。」

 

彼は机の引き出しから、もう一枚の古い羊皮紙を取り出した。

 

それは、プロセルピナの魔界転生を示す確証(あかし)だった。

 

「人間の血を魔界に取り込み、新たな血統を生む」ことを認めた、先代公爵の署名入り。

 

「リーザ姫を、この魔界(せかい)で正式な妻として迎えるなら、同じ手続きが必要だ。

 

人間の王女を魔界に連れてくることは、決して容易ではない。だが……先代が成し遂げたように、私もまた、整えるつもりだ。」

 

レジナルドは静かに息を吐いた。

 

「……ルシエル様は、まだそのお気持ちを口にされていませんが。」

 

アルフレッドは小さく笑った。

 

それは、優しくも、どこか痛みを帯びた笑みだった。

 

「口にされなくとも、わかる。あの十二夜から戻られた後から、あの方の目は変わった。……だからこそ、準備は進めておく。閣下が決断なさったとき、すぐに動けるように。」

 

彼は羊皮紙をそっと引き出しに戻し、机の上の書類を整えた。

 

「レジナルド。お前が双子を連れて人間界に潜入し、リーザ姫の近くに寄り添う。それが、今の最善の手だ。

 

……そして、いつか、閣下が本気で決断なさったとき、この文書のように、すべてを整えておく。」

 

レジナルドは一礼し、退出するために扉に向かった。

 

ふと、足を止めた。

 

「妙ですね……この本(ブックレット)は、先週もここに落ちていました」

 

彼が拾い上げたのは、書棚の下に落ちていた小さな冊子だった。

 

古びた革装の恋愛詩集。

 

ページを開くと、美しい女性の筆跡(て)で、優雅な文字が綴られた献辞がある。

 

「永遠にあなたを愛しているわ B」

 

さきほど見た、ルシエルの母であるプロセルピナ姫のそれとは違っているが、流麗でゆたかな教養を感じさせる姫君の美しい筆跡(て)だ。

 

「その本を戻しておいてくれ、一番上の段に」

 

目線をよこさず、老家令がつぶやいた。

 

「また、落ちているようになった。ここしばらくはなかったのだが――。

もしまた見かけたら、本棚に戻しておいてくれ」

 

「これは、ルシエル様の亡くなられたお姉君……ベアトリチェさまの形見でございますか」

 

異母の姉君が居たことは、知っていた。

 

「……そうだ。ベアトリチェさまが亡くなられて、すべて処分されたはずのものだ。

 

ただ、この一冊だけは、私が密かに持ち去った。先代の公爵様も、もちろんルシエル様もご存知ではない。

 

何度もご火中つかまつろうと思ったが――この老耄(おいぼれ)にはどうしても出来なかった。どうかお前の中にだけしまっておいてくれ」

 

レジナルドは黙って、古い詩集を本棚の一番上の段に戻す。

 

老いたアルフレッドでは手の届きようもないが、彼やルシエルほどの背丈であれば、ちょうどその背表紙が目に入る高さだった。

 

レジナルドは、銀縁のメガネを指先で軽く押し上げた。

 

淡い灰色の瞳が、老家令に向かって穏やかに、しかし確かな敬意を込めて注がれる。

 

「それでは、失礼いたします。閣下(ミスタ・アルフレッド)」 

 

レジナルドはもう一度、深く頭を下げた。

 

その仕草は、いつものように静かで、完璧だった。

 

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