※この作品はR-18です。

半血魔王のクロニクル ~黒き貴公子シリーズ総集編~   作:古弥須 凱

30 / 97
26話 託されたもの

 

【挿絵表示】

 

 

 

嵐の夜――。

 

魔界の空は黒く重く垂れ込め、激しい風雨が大地を叩きつけていた。

 

人間界から急遽呼び戻されたレジナルドは、濡れた黒いマントを翻し、馬車の扉を乱暴に開けると、屋敷の門前で飛び降りた。

 

レジナルドの銀縁眼鏡のレンズに、雨粒が飛び散る。

 

「ああ、レジナルドさん!こちらへ! 」

 

門番の声が風に混じって届く中、レジナルドは泥濘んだ石畳を駆け抜け、屋敷の玄関をくぐった。

 

玄関ホールには、女中頭(ハウスキーパー)のミス・アルマが待っていた。

 

「まずは着替えます、ミス・アルマ。

 

ルシエル様に報告しなければいけないことが沢山あって……この格好ではお目通りできない。

 

夜のうちに人間界へ戻ります」

 

ミス・アルマは渇いた清潔なタオルを手渡しながら、それを制した。

 

「先に家令(アルフレッド)様に会ってあげて。

 

今しがた目を覚まされたの……もう最期かもしれない。

 

貴方を何度も呼んでおられたわ、どうしてもレジナルドと話したいと」

 

息を切らしながら、長い廊下を進む。

 

人間界での作戦はひとまず順調に進んでいた。

 

王宮で、エドマンド・グレイとして潜入し、王太子アレクシスの信頼を得、姫の周囲を固めつつあった。

 

リーザ姫の侍女であるアンナを篭絡し、姫の飲み物や菓子に魔界の媚薬を仕込み、十二夜の夢をより深く繋ぐ計画――。

 

しかし、魔界からの緊急の呼び戻し――老家令アルフレッドの容態が急変したという報せが届いたのだ。

 

彼は階段を二段飛ばしで上り、アルフレッドの部屋へと急いだ。

 

部屋の扉を開けると、蝋燭の弱い灯りがゆらめき、重い空気が満ちていた。

 

ベッドに横たわるアルフレッドの姿は、すでに死の影を帯びていた。

 

老いた魔族の肌は青白く、息は浅く、細い指がシーツを弱々しく掴んでいる。

 

傍らには、数名の使用人たちが控え、静かに老家令(スチュワード)の最期を見守っていた。

 

「レジナルド……よく戻って来てくれた……」

 

アルフレッドの声は、か細く、しかしはっきりとした意志を宿していた。

 

そして二人だけにしてくれ、と身振りで意思表示をし、部屋にはレジナルドだけが残された。

 

レジナルドは、嵐に濡れたままの姿でベッドサイドに膝をつき、老家令の手をそっと握った。

 

重く水を含んだ衣裳を、改める間も惜しんで駆けつけた彼の忠誠が、今、静かに寄り添う。

 

その手は、冷たく、しかし微かな温もりが残っていた。

 

長い間、この家門を支えてきた手の感触が、レジナルドの胸を締めつけた。

 

「閣下(ミスタ・アルフレッド)……お呼び出しに応じて、すぐに参りました。何なりとお申し付けください。」

 

アルフレッドは、ゆっくりと息を吐き、視線をレジナルドに向けた。

 

その目は、長い年月を生き抜いた魔族の叡智を湛えていた。

 

「時間がない……リーザ姫を魔界に迎え入れるための盟約書面……ほぼ整えられた。だが、最後の署名と封印……お前にしか出来ない……」

 

アルフレッドの指が、ベッドサイドの机を指す。

 

そこには、古い羊皮紙の束が置かれていた。

 

魔界と人間界の境界を繋ぐ、複雑な魔術の盟約。

 

リーザを正式にルシエル公爵の花嫁として迎え入れるための、法的・魔力的な文書。

 

レジナルドはそれを手に取り、内容を素早く確認した。

 

彼の人間としての知識と、魔界での経験が、この文書の完成に不可欠だった。

 

「出来そうか……いや、お前なら出来るはずだ」

 

「お任せください。必ずやり遂げます。」

 

アルフレッドは、弱々しく頷き、言葉を続けた。

 

「レジナルド……お前は人間だ。短い命……だが、だからこそ、お前に託す……ルシエル様を、支えてくれ……」

 

老家令の声は、徐々に震えを帯びた。

 

「先代の公爵様は……ベアトリチェ姫とルシエル様の過去によって……姫君を、自ら処断せざるを得なかった……。

 

ベアトリチェ様が、サタン陛下のご嫡子たるアスモデール殿下の婚約者(フィアンセ)であったからだ」

 

レジナルドの瞳が、わずかに揺れた。

 

彼はすでに、断片的にその過去を知っていた。

 

ベアトリチェの禁断の愛。

 

異母の美しい姉弟が、公爵家にもたらした破滅――。

 

アルフレッドの声は、涙で濡れた。

 

「サタン帝王に、領地の一部を返上し、先代のハデス公は自身の隠居を申し出られた……」

 

老家令の指が、シーツを強く握りしめた。

 

嵐の雷鳴が部屋を震わせる中、彼の言葉は、静かな激情を帯びていた。

 

「この醜聞(スキャンダル)で、名家から嫁がれた正室の娘、純血として生まれたベアトリチェ様を失った。

 

側室の子で、人間との半血(ハーフブラッド)の若いルシエル様が爵位を継いだことで……家門は後ろ盾を失い、危機に瀕している……現実を見据え……お前に、ルシエル様を支えてほしい……」

 

表向き――ベアトリチェの死は事故として片付けられていた。

 

先代の公爵のこれまでの功績が考慮され、かろうじて家門(いえ)としての体裁だけは残った――。

 

公爵家の現状を

顧みるに、本来であれば早急に、ルシエルが魔界のいずれかの名家から純血の妻を迎え、婚家の支援でふたたび家門の隆盛を図るしかないはずだ。

 

いま人間界から、あえてリーザを”妻”として迎えることは、魔界でのルシエルの立場をさらに悪化させるのは明らかだった。

 

アルフレッドの目から、涙が一筋、零れた。

 

老いた魔族の顔は、苦痛と後悔に満ちていた。

 

レジナルドは、強く彼の手を握った。

 

この老人を、せめてもの安らぎのなかで見送りたかった。

 

「私はリーザ姫を、王宮で直接お見掛けしました。

美しく強く、そして賢い方でした。

あの姫君なら、ルシエル様の孤独を癒し、家門の未来を支えてくださるはずです」

 

「それは……良かった……。私は、あの方に……ルシエル様に幸せになっていただきたい。――それだけが私のねがいだ」

 

レジナルドは、静かに頭を下げた。

 

胸に熱いものが込み上げ、視界がぼやけた。

 

敬語を崩さず、しかし声に温かみを込めて、言葉を絞り出した。

 

「閣下(ミスタ・アルフレッド)……お約束いたします。私、レジナルド・チェンバースは、ルシエル閣下を支え続けます。

短い人生のすべてを、この家門に捧げます。」

 

アルフレッドは、満足げに目を閉じた。

 

「ありがとう……レジナルド……お前は……良い男だ……」

 

部屋に、静かな息遣いが満ちた。

 

アルフレッドの指が、最後にレジナルドの手を優しく握り返した。

 

それは、長い忠誠の証のように、温かく、しかし儚く感じられた。

 

「この魔法護符(アミュレット)をお前に授ける……。

火喰鳥(ヒクイドリ)の依り代で、魔力を持たない人間のお前を守ってくれるはずだ。もう、私には必要なくなった」

 

それは、楕円形をした、古びた銀製のペンダントだった。

 

表面には赤銅色の炎のような文様が彫られ、中央に小さな火喰鳥の卵の欠片が埋め込まれている。

 

裏面には古魔族文字(ルーン)で「焔は守り、灰は還る」と刻まれていた。

 

「ベアトリチェ様は、私が連れていく……ルシエル様を、どうか頼む……」

 

嵐の音が、窓を叩く中、老家令アルフレッドの命は、静かに尽きていった。

 

レジナルドは、涙を拭うことなく、盟約書面を胸に抱き、部屋を後にした。

 

ルシエルへの報告を済ませた後、すぐにまた、嵐のなかを人間界へ戻らなければならなかった。

 

魔界の夜は、まだ深く、嵐は収まる気配を見せなかった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。