※この作品はR-18です。

半血魔王のクロニクル ~黒き貴公子シリーズ総集編~   作:古弥須 凱

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31話 領土交渉

 

【挿絵表示】

 

 

 

十二夜の夢は、いつものように静かに扉を開いた。

 

ルシエルは、魔界の第一礼装を纏っていた。

 

漆黒の外套に銀糸の刺繍が施され、胸元には公爵家の紋章が輝く。

 

腰には細身の儀礼剣、背には黒い翼を模したマントが広がり、彼の姿はまさに「魔界からの外交使節」そのものだった。

 

紫の瞳は冷たく、しかしどこか緊張を帯びている。

 

扉を押し開くと、そこはオルヴェス王国の謁見の間だった。

 

天井は高く、柱は金箔で飾られ、玉座の背後には王家の紋章が刻まれた巨大なタペストリーが垂れている。

 

月光がステンドグラスを通り、床に青白い光を落としていた。

その玉座に座るリーザは、王女ではなく、まるで女王のように堂々としていた。

 

深い青のローブに銀の冠を戴き、金色の髪はゆるやかに編み込まれ、胸元は優雅に開きながらも、威厳を損なわない。

 

彼女の瞳は茶色がかった柔らかさを持ちつつ、底知れぬ深さを湛えていた。

 

ルシエルはゆっくりと進み出て、謁見の礼を取った。

 

右膝をつき、頭を深く垂れる。

 

声は低く、しかし明確に響いた。

 

「オルヴェス王国の高貴なる王女、ルイーゼ・ディノクタス・オルヴェス殿下。

 

魔界七十二柱の魔王の一柱、ルシエル公爵、本日、貴女の御前に参じました。

 

どうか、謁見をお許しくださいませ。」

 

リーザは玉座から静かに見下ろす。

 

彼女の視線は穏やかだが、その奥に冷たい光が宿っていた。

 

「……ルシエル公爵閣下。よくぞお越しくださいました。

 

私は貴方の従者に、十二夜の夢の中で直接お話し合いを求めました。

 

その約束通り、礼節をもってお迎えいたします。どうぞ、お顔を上げてください。」

 

ルシエルはゆっくりと立ち上がり、紫の瞳をリーザに向けた。

 

「ルイーゼ殿下……このような形で謁見を願うこと、誠に恐縮に存じます。

 

私の従者、レジナルド・チェンバースが、貴女に不敬を働いたこと、深くお詫び申し上げます。

 

彼の行為は、私の指示によるものであり、すべて私の責任です。」

 

リーザは静かに微笑んだ。

 

「そうですか。私は王女として、貴方がた、主従の行為を許すことはできません。

 

とても卑怯で、下劣で、浅ましく――”立派な殿方”がなさることとは言えませんわ」

 

『立派な殿方になったら、結婚してあげる』という、幼い日のルークとの約束を今になって持ち出し、リーザは初手から残酷に詰め寄る。

 

これでは、取り付く島もない。

 

「しかし、私は人間として、貴方の心を理解したいとも思っています。

 

だからこそ、今日は対等に話し合いましょう。

 

貴方は魔界の公爵。

 

私はオルヴェスの王女。

 

ここは夢の中。ですから、偽りなく、貴方の本心を聞かせてください。」

 

ルシエルは静かに息を吐き、紫の瞳をリーザにまっすぐ向けた。

 

「わかりました、殿下。私は……貴女を、愛しています。

 

それは、支配欲ではなく、本物の愛です。

 

従者を頼り、夢の中からあなたに近づいたのは、私の弱さです。

 

貴女に拒否されるのが怖かった。だがそれは、卑怯な方法(やりかた)でした。」

 

(――意外と素直なのね)と、リーザは玉座の上から、この美しい魔界の公爵を見下ろした。

 

何度も夜通し愛し合い、激しい性愛の契りを交わした相手と、こうして慇懃に向かい合う茶番を、リーザは密かに楽しんでいるのかも知れなかった。

 

「貴方は、私に何度も妻になれと仰ったわ。

 

でも私はオルヴェスの王女。貴方は異国(とつくに)の公爵閣下。

 

貴方が望まれるものは――少し大きすぎると思いませんか」

 

意地悪女め、と心から愛する女性を、内心でルシエルは罵った。

 

「たかが公爵」では身分が足りないと、リーザ姫ははっきり口に出して言ったのだ。

 

ルシエルは静かに息を吐き、紫の瞳をリーザにまっすぐ向けた。

 

声は低く、しかしこれまでで最も素直に響いた。

 

「……確かに、公爵では足りません。貴女は王女であり、王位継承者。

 

私は魔界の公爵に過ぎない。

 

身分だけを見れば、私の望みは大きすぎる……その通りです。」

 

「ですが、殿下。身分や領土、政略……そんなもので測れるものではないでしょう?

 

私は、貴女を『王女』としてではなくリーザという一人の女性として、愛しています。

 

幼い日の約束を、今も覚えています。

 

『立派な殿方になったら、結婚してあげる』……と。

 

私はまだ、そういう存在にはなれていません。

 

でも……だからこそ、貴女に、こうして直接、向き合いたかった。

 

貴女の前に立っている今、私はようやく、貴女に本当の気持ちを伝えられる立場になったと思っています。」

 

あのプライドの高い若き魔王が、今や何もかも振り捨てて、リーザにただひたすらに愛を懇願している。

 

「公爵の身分では足りないなら……、むしろ爵位など捨てて、一人の男として貴女の傍にいたい。それが、私の答えです。」

 

彼の瞳に嘘はなかった。本心から彼女を愛しているのがわかる――。

 

リーザはそれを無視し、儀礼的に微笑んだ。

 

「魔性の殿方は、嬉しがらせをおっしゃるのがお上手ね。

 

貴方のように美しい男性(ひと)からそう口説かれて、悦ばない女性などいないでしょう。

 

――でも、ここからは、きちんと貴方とお話したいわ、閣下。

 

貴方と夢の中でこうして向き合って、現実の話をしましょう」

 

リーザは毅然とした態度を崩さず、魔界の公爵に向き直った。

 

「ルシエル公爵閣下、今後、私の夢に立ち入らないでいただきたいの。

 

――私は、貴方とは結婚はいたしません。

 

一国の王女として、己の責務に基づいて行動いたします」

 

「殿下、答えはノーです。

 

貴女の夢は、いまや私の夢でもある。

 

私は自由に、貴女の夢の扉を叩き、貴女は私を受け入れ、――私を愛し始めている。

 

十二夜の夢の続く限り、私があなたの夢を訪れることを、誰も阻むことは出来ません」

 

ルシエルは、夢の世界の”実効支配”を主張する。

 

リーザの夢は、ルシエルの夢でもあった。

 

彼らが終わりのない性愛の悦びを交わし合う、秘密の楽園として、すでに機能していた。

 

「ルイーゼ殿下、貴女はいずれ、真に私を受け入れてくださると信じています。

 

私は、貴女をわが妻とし、魔界で共に生きたい」

 

「魔性の世界に生まれた者は、長い命を持つと聞きました。

 

貴方は――わたしに永遠の命を下さるの?」

 

どう答えるべきか、ルシエルは迷った。

 

人間であった母プロセルピナは、彼を産んでまもなくに亡くなっていた。

 

同じように魔界に生きる人間であるレジナルドも、彼自身の寿命からは逃れられない運命だ。

 

答えたくない。しかし、嘘はつけなかった。

 

「いいえ、殿下。人間の定められた寿命を、――伸ばすことは出来ません」

 

「では、私を妻として手に入れても、貴方はいずれ”人間である私”をすぐに失うわ。

 

貴方が深く愛してくださるほど、その痛みはきっと辛い痛手となるでしょう」

 

美しい蝶やかげろうを捕えても、そのはかない命はかわらない――リーザは容赦なく、ルシエルの甘い理想を突いた。

 

「貴方が魔界のご身分を捨ててもいいと仰ったことは、一人の女として、とても嬉しく思います。

 

でも――現実的に、身分を捨てられるはずもないことは、私自身も良くわかっていますわ」

 

ルシエルを制してそのまま続けた。

 

「魔界では契約がすべてと聞きました。――私は、貴方と契約を結びたいと思います」

 

このくだらない”謁見ごっこ”など、もう沢山だ。

 

魔界の公爵としての口上などかなぐり捨てて、ルシエルがこらえきれずに吠えた。

 

「契約だと!……どういうつもりだ、リーザ」

 

「契約は契約よ、ルシエル。私たちのこれからを決めましょう。

 

私は貴方とは結婚しない。

 

その代わり、この十二夜の夢が続く限り、そのなかでは貴方を永遠の恋人として、心から愛し続けるわ」

 

愕然とするルシエルを、リーザは冷静に見降ろした。

 

「わたしの夢の世界を、あなたと共同統治するということよ。

 

その代わり、私の”現実の人生”に本当の自由が欲しいの。

 

――オルヴェス王国の姫としてではなく、ひとりの女性としての人生でいい。

 

愛する人と巡り合い、結ばれ、子供を産み、育て、時が来たら人間として幸福に死んでいきたい。

 

ルシエル、私に自由をちょうだい。その代償として、私は夢の中であなたの所有物(もの)になるわ」

 

ルシエルは激しい怒りに震えて、リーザを見返した。

 

「妻ではなく、愛人(ミストレス)になってやるというのか」

 

「王女は愛人(ミストレス)にはならないわ、ルシエル。王女が公爵(デューク)を寵臣(おきにいり)とすることはあってもね」

 

「話にならない。もちろんこんな契約は認められない。

 

お前は俺のものだ、リーザ。お前の人生すべてを手に入れなければ意味がない。

 

他の男との子を抱く、お前の姿など見たくない」

 

交渉は決裂し、ルシエルは、即座に場を立った。

 

胸を貫く残酷な痛み。女という生き物のなんと無慈悲なことか。

 

――リーザという美しい竜の焔にめらめらと焼き尽くされ、彼の魂がただれた。

 

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