※この作品はR-18です。

半血魔王のクロニクル ~黒き貴公子シリーズ総集編~   作:古弥須 凱

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9話 小競り合い

ルシエルは馬車の座席に深く沈み込み、窓の外をぼんやりと眺めていた。

 

魔獣討伐の帰路はいつもより長く感じられ、身体の芯まで疲労が染みついている。

 

今朝から三度、転移魔法を酷使したせいか、魔力の脈動が鈍く、頭の奥に鈍い痛みが響いていた。

 

もう一日に何度も屋敷と往復する余力は残っていない。

 

それでも、リーザと子のことが頭から離れない。

 

昏睡の母と、成長を止めた胎児。

 

あの微かな鼓動が、今日も止まっていないことを祈るしかない。

 

馬車の車輪が石畳を噛む音が、単調に響く。

 

外はすでに薄闇に包まれ、魔界の蒼い月が雲間から冷たく顔を覗かせていた。

 

御者席から、ナサニエルの声が念話で届いた。

 

(我が君(マイロード)。主領地に差し掛かりました。

 

どうしましょう……もし、お疲れでなければ……てか、もうヘロヘロでしょうけど。

 

お屋敷でないところへご案内してよろしければ、そちらへ向かうこともできます)

 

ルシエルは小さく息を吐き、憮然として窓枠に額を預けた。

 

(どういう意味だ、ナサニエル。屋敷で、妻と子が待っている)

 

ナサニエルの声はいつも通り、遠慮がない。

 

(昨日のマイロード、めちゃくちゃ女中頭(ミス・アルマ)のお尻ガン見してましたね)

 

(お前は本当に、良く見ているな。――レジナルドの後任でなければ殺してる)

 

(声かけんのかなぁって思ってましたけど、なんもなかった風でしたね)

 

(この状況でどうやったら声が掛けられるんだ。俺だってそこまで馬鹿じゃない。リーザを裏切るわけにいかない)

 

(じゃあどうすんすか。これすか)

 

御者席で、ナサニエルが何かあけすけな動作をしているのは伝わった。

 

(選択肢は、他にないだろう。信頼できる、口の堅い、幼なじみに頼るようなものだ)

 

(公爵様のご身分ともなると、手淫(マスカキ)も文学的なんすねぇ……。

 

ま、そうなると――

俺の馴染みの楼(みせ)にお連れするくらいしか思いつかねえし。

いまのマイロードは、そんなんじゃとてもご満足いただけそうにないんで。

 

この話は、聞かなかったことにしてください。このまま、屋敷に戻ります)

 

ナサニエルはどこまでも裏表なく、ずけずけと、まるで気軽な友人のように踏み込んでくる。

 

それが腹立たしくもあり、内心を打ち明ける友をあまり持たないルシエルにとって、わずかに心地いい。

 

(ミス・アルマはめちゃくちゃ美人さんですけど、マイロードにはずいぶん年上のお相手に見えますねえ。

 

包容力っつーか、彼女の母性的なところを求めちゃうんでしょうね)

 

(お前の精神分析はいらんぞ、ナサニエル。ミス・アルマは優しいが……俺はもう夫の立場だ。妻以外には頼らん)

 

(その割には、めちゃくちゃミス・アルマのお尻見てたじゃないすか。まぁ確かに綺麗な尻ですわ、ムチムチして)

 

(おい、いやらしい眼でアルマを見るな。大事な女中頭(ハウスキーパー)だ)

 

ルシエルは、この不毛な会話にくすりと小さく笑った。

 

疲労で固まった口元が、ほんの少しだけ緩む。

 

(……くだらない話だな。おまえと話していると楽しい。

 

ただ最近、なにもかも嫌になることがある。

 

肉体の疲れと、……欲求不満と、幸せだったはずの未来が消えてしまうような不安とで、このところ、あまりよく眠れない。いやな夢ばかりみて飛び起きる)

 

(マイロードのご判断も、最近はだいぶ無茶苦茶すわ。

 

一日にあんなに空間転移を連発してたら、いくら魔王だって死んじまいますよ。

 

リーザ様とお子様が待ってるのに、父上がぶっ倒れてたら洒落ならねえっすわ)

 

ルシエルは目を閉じた。

 

ナサニエルの言葉は辛辣さに満ちているが、根底には彼を思いやる心情が滲んでいた。

 

(……お前は、やさしいな)

 

(まぁ、どうでしょう。俺はあんまり”売り”がないっすからね。

 

レジナルドさんみたく、完璧な従者なんてとてもなれない。

 

俺は未熟だからこそ、全部さらけだして言っちゃうんです。

 

それがマイロードのためになるなら、遠慮なく言います。

 

まぁ、我慢できなくなったら、殺してください。今日だけでマイロードに5回も殺すって言われてんですから)

 

馬車が緩やかに減速し、結界の淡い光が窓から差し込んできた。

 

公爵邸が近づいている。そのまま門をくぐり、静かに停まった。

 

ナサニエルが御者席から降り、扉を開ける。

 

冷たい夜風が車内に流れ込み、ルシエルの黒髪を揺らした。

 

「さあ、我が君(マイロード)。リーザ様とお子様がお待ちです」

 

ルシエルはゆっくりと立ち上がり、ナサニエルの肩を軽く叩いた。

 

言葉はない。

 

ただ、その一瞬の仕草に、感謝と信頼が込められていた。

 

二人は闇の中、公爵邸の灯りへと歩を進めた。

 

 

*

 

 

ルシエルはリーザに腕枕をして眠っていた……確かに眠っていた。

 

しかし、彼らの寝室のなかで、小さく諍う不思議な気配がある。

 

夢ではない――二人が寄り添うベッドの上、柔らかなシーツの感触と、リーザの体温は現実の証だった。

 

だが、体は鉛のように重く、指一本動かせない。

 

金縛りに遭ったように、意識だけが浮遊している。

 

目だけは開いていた。

 

薄暗い寝室のランプが揺れ、リーザの穏やかな寝顔を照らしている。

 

その腹の上——膨らみの頂点、臍の辺りから、異様な光景が広がっていた。

 

見知らぬ、白い髪の男児がそこにいた。

 

幼い体躯で、リーザの腹に膝立ちになり、細い指先を臍の上からゆっくりと沈めている。

 

指はまるで水面に溶けるように、皮膚を透かし、子宮の奥へと吸い込まれていく。

 

リーザの腹は静かに上下するだけで眠ったまま、何も感じていない。

 

腹の中から、小さな抵抗の閃光がぱちぱちと弾ける。

 

(やめろ、俺にさわるな……!ばか!……あっちいけ!)

 

ルシエルに「うるさいな」とだけ言った、あの子の声だった。

 

まだ未熟な、紫がかった小さな光が、羊水の中で逃げ惑う。

 

白い髪の少年の指が、リーザの胎内を泳ぐように追いかけ、つかもうとする。

 

「おい、逃げるなよ。大人しくしろ…って」

 

胎内からルシエルの子が放つ、静電気のような閃光が散るたび、少年の動きがわずかに弱まる。

 

「痛(イテ)ッ!おい止めろ、パチパチするな」

 

ルシエルは、目の前で行われている状況が理解できない。

 

この少年は何者なのかすら――

 

白い髪の少年――イフが、ルシエルの視線に気づいた。赤い瞳を光らせ、ニヤリと笑った。

 

「おい、お前の父が見ているぞ」と、胎児に声をかけた。

 

その瞬間、ルシエルの頭の中に、必死で訴えかける胎児の念話が突き刺さって来た。

 

(父上、たすけて!)

 

あの拒絶の冷たい言葉とは一転して、必死の声で父に訴えかけてくる。

 

(イフが、俺を殺そうとしてる!)

 

(イフ?この……白い奴がイフなのか?お前を殺そうとしているのか?)

 

身動き一つとれないルシエルだが、念話だけは出来た。

 

白い髪の少年――胎児がイフと呼ぶ男の子は、赤い瞳をむけて、にやにやとルシエルを嘲り笑っていた。

 

その表情は、どこかで見た……誰か思い出せない人物に、確かに似ていた。

 

「公爵、邪魔しないでくれ。子供のケンカに親がでるなんて、みっともないだろ」

 

ルシエルの子は、リーザの中でまだパチパチとあえかな抵抗を続けている。

 

(たすけて!つかまってしまう!……こいつ(イフ)に喰われる!)

 

目の前で、自分の子が、自分の妻の胎内から引きずり出されようとしている。

 

ルシエルが声を出そうとしても、喉は動かない。

 

体が動かない。

 

ただ、見ているだけだ。

 

(なんだよ、……父上の役立たず!)

 

胎児は憤慨して、自力でなんとかしようと思いなおしたのか、ぱちぱちという頼りない静電気のような光が、突然激しい一閃の雷撃となってリーザの胎内から迸った。

 

額にまともに一撃を食らって、イフが弾き飛ばされた。

 

イフが倒れた瞬間、知らぬ間にルシエルの体を縛っていた魔力拘束が緩んだ。

 

ルシエルは跳ね起き、咄嗟に張った防御陣を二面、重ねてリーザの周囲に引き起こした。

 

「おい、うじ虫。どこから入って来た」

 

ルシエルの冷たい声が、身を起こそうとしている少年に向けられる。

 

「おれの子を虐めるとは、いい度胸だな。子供でも容赦せん」

 

手のひらをイフに向けて開き、滅せよ、と念じた。

 

空間が歪み、イフの身体を粉々に砕くはずの奔流が渦巻き――そして何も起きなかった。

 

「ああ残念。俺には滅するカラダがないんだよ、公爵。あんたのせいだ」

 

今度はイフが返した。小さな手のひらをルシエルに対して開き――

 

その声が響く前に、ルシエルは寝室の壁に叩きつけられた。

 

「ああ、だめだ。全然足りない」

 

がっかりして、イフは自分の手をみた。

 

「父上なら、一撃でころせるのに。俺は弱い」

 

(やめろ、イフ!――父上をいじめるな!ばか!)

 

父の張った防御陣の向こうに隠れて、胎児は怒っている。

 

イフも次の雷撃を食らうまいぞと警戒しながら、遠巻きにルシエルの張った陣に近づいた。

 

触れるまでもなく、高位術式の強固な防御陣とわかる。

 

公爵家のみに伝わるという、古代詠唱(エイシェントチャント)。

 

それが二枚重ねとなれば、いまのイフでは、肉体はなくとも触るだけでダメージを受けそうだ。

 

もう、胎児には触れない……。

 

父親の張った安全地帯の中から、ほっとまずは安心したのか、胎児は勝ち誇ったように、ばか!ばか!とイフに悪口雑言をなげてくる。

 

(イフ、俺の父上は本当は強いんだ。それに俺のことを守ってくれる)

 

胎児は少しばかり、調子に乗りすぎていた。

 

(……お前なんか、だれも助けてくれない)

 

イフの赤い瞳が、暗闇の中で激しい憎悪の焔で燃えた。

 

胎児を掴みだすことは出来なくても、イフにはまだ復讐の方法があった。

 

激しい衝撃を受けて叩きつけられ、まだ意識がもうろうとしているルシエルを見下ろし、イフは呟いた。

 

「ルシエル公爵、お前の息子は礼儀を知らない。

 

それは、お前が礼を知らず、破廉恥で、クズ野郎だから、その子もそうなのだ。

 

お前は、母上にふさわしい男ではない。

 

生きていていい存在でもないんだよ、公爵。

 

惨めな負け犬として死ぬべきだった――あのサバトの晩に」

 

イフは、うつろな瞳を開いたルシエルの額に指を這わせ、そのまま自分の掌で掴んだ。

 

片手ごとゆっくりと浸し、ルシエルの思念の中へ指先を潜らせていく。

 

「おい、やめろ……」

 

脳内(あたま)を弄り回される――

 

「夢のなかへおいで、公爵」と、イフは冷たく言った。

 

「そこで母上が待っている。……俺の父・アスモデールに抱かれ、その子である俺を、深く愛してくれている」

 

赤い瞳がはっきりとした侮蔑の光を帯びて輝いた。

 

「そこが本来あるべき世界だった。――お前がみんな壊した」

 

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