半血魔王のクロニクル ~黒き貴公子シリーズ総集編~ 作:古弥須 凱
公爵の馬車は、西の魔森の奥深くにひっそりと佇む高級娼館「黒曜館」の前に停まった。
蒼い月の光が霧に混じり、黒い森の木々が不気味に揺れている。
ここは魔界でも指折りの隠れ家とされ、貴族や高位の魔族しか足を踏み入れない場所だ。
ルシエルが独身時代に、時折訪れていた場所でもある。
馬車の扉が開き、ルシエルが降り立つ。
黒いマントが夜風に翻り、紫の瞳が月光を冷たく反射する。
傍らに控えるナサニエルは、いつもの毒舌を飲み込んで、ただ静かに従う。
館の
「公爵閣下、お久しぶりでございます。
一番のお部屋と、閣下のお好みの
ルシエルは無言で頷き、奥の部屋へ通される。
部屋は豪奢で、赤と金の絨毯、燭台の炎が揺らめき、窓からは森の闇と蒼い月が見える。
ベッドの傍らに、薄絹をまとっただけの美姫が待っていた。
長い黒髪を優雅にすべらかし、穏やかな微笑みを浮かべた、包容力のある美貌。
年齢はルシエルよりかなり上だろう。
彼女はゆっくりと立ち上がり、ルシエルの前で腰をかがめ、頭を下げた。
「公爵閣下……お待ちしておりました」
「まだ、この娼館に
シルヴィアは、没落したかつての貴族令嬢という出自を持ち、彼女の慎ましやかな美貌と熟れた肉体は、ルシエルの好みに一致してた。
ルシエルはベッドの端に腰掛けてマントを脱ぐと、そのまま無造作に投げ捨てた。
「……ナサニエル、お前も来い」
無感情に、そういい放った。
ナサニエルは扉の外で待機していたが、やれやれという顔で部屋に入る。
「俺、いります?……まぁ、おっしゃるままにいたします、
シルヴィアは少し驚いた様子を見せたが、すぐに微笑みを戻す。
「お求めとあらば……お二人とも、お相手いたしますわ」
ルシエルはシルヴィアの肩に手を置き、ゆっくりと引き寄せる。
無言で唇を重ね、舌を絡ませる。
シルヴィアは慣れた手つきでルシエルの胸板に手を這わせ、優しく、しかし確実に彼の欲望を煽る。
「閣下……お疲れのようですね。すべて、私にお任せください……」
ルシエルは目を閉じ、シルヴィアの首筋に唇を埋める。
甘く噛み、舌を這わせる。
ナサニエルはベッドの脇にいて、ただ腕を組んでぼんやりと見ている。
ルシエルが視線を向けると、ナサニエルはちょっと肩をすくめて、シルヴィアの背後に回った。
彼女の肩からドレスを滑らせると、シルヴィアの白い肌が露わになる。
ナサニエルはその背中を優しく撫で、か細い肩に口づけを落とした。
シルヴィアは振り返り、まだ年若い従者である青年、ナサニエルに微笑む。
あなたも大変ね、とでも言いたげな優しい表情だった。
ナサニエルは苦笑する。
シルヴィアとナサニエル……彼ら二人は共に、ルシエルの快楽のための
念話として伝わらないように気を付けながら、ナサニエルは内心で呟いた。
(やべーな、
使用人に対して、主人が特別、過剰に親密さを示し始める時は、何よりも警戒しなければいけない。
屋敷の
自分の食卓の皿から、美味い肉を投げよこして床で喰わせ、お前だけは特別な
そして今まさに……ナサニエルが置かれている状況がそれだった。
ルシエルは確かに、扱いにくい主人だった。
冷たく全てを拒みながら、ひたすらに愛を渇望する……。
(まともに向き合ったら、破滅する……。
あの人、人間の身で良くやってたな……マジ尊敬するわ。生きて魔界を出られたことすら奇跡だろ)
あの時、森の中で気だるそうにタバコを咥えて、レジナルドは言い切った。
「尽くしてもええけど、のめり込んだらアカン。……そこはきっちり線、引きや。」
屋敷を遠く見やりながら、ふぅっと長く紫煙を燻らせた。
「……
何もかも、奪い尽くそうとしはる。まったくの無自覚でそれやから、
そのレジナルド自身が、彼の主人への忠義にのめり込んで見えたのが、なんとも皮肉だった。
それ、レジナルドさんが言っても説得力ないすわ、とナサニエルに遠慮なく指摘されて、彼は笑った。
「せやねん、俺はそこをようせんから、今こんなんなっとるわ。」
*
部屋に静寂が戻る。
裸のナサニエルは、エサを投げ与えられる前の犬のような気持ちで待っていた。
(……タバコ、もってくりゃ良かったな)
大きな葉巻ケースが置かれたベッドテーブル。
ナサニエルが通うような安い
しかし行われている行為は、どの娼館でも変わらなかった。
ナサニエルは、主人の均整のとれた裸体を眺めていた。
主人はシルヴィアをベッドに押し倒し、その両脚を割りひらく。
その秘部はすでに濡れていて、前戯も不要だった。
自分の陰茎をシルヴィアの秘部に押し当て、ゆっくりと体重をかけていく。
熱く締めつける肉襞が彼を包み、ルシエルは低く呻く。
「……あたたかい……」
シルヴィアは脚を絡め、深く受け入れる。
ルシエルは腰を激しく動かし、シルヴィアの奥を突き上げる。
喘ぎが部屋に響き、ルシエルはシルヴィアの髪を掴み、唇を奪う。
ルシエルは無言で、腰を振り続ける。
シルヴィアの身体がくねり、喘ぎ、その娼婦としての技巧が、男の絶頂を甘く促す。
なにも制限されず、なにも我慢する必要がなかった。
高まりを迎え、シルヴィアの奥深くで、激しく射精した。
大量の精液が女の内部を満たし、シルヴィアは甘い声を上げてわななく。
彼女を抱きしめ、息を荒げながら何度も突き上げながら、最後の一滴までを絞り出す。
シルヴィアは、まだ執拗に上下するルシエルの髪を撫でている。
「閣下……いっぱい
ルシエルは目を閉じ、何も答えなかった。
ひと時の快楽を得て、あふれる欲望を放った。だが、まだその全てではなかった。
ただ、シルヴィアの胸に顔を埋め、静かに息を吐く。
「次は、
外では、蒼い月が森を照らし続けていた。
ルシエルは、ただ現実から逃れるためだけに、ここに来たのだった。
*
馬車は霧の深い森の道を、魔力だけで静かに滑るように進んでいた。
ルシエルは窓際に寄りかかり、目を閉じたままだった。
黒髪が額に張りつき、呼吸はまだ少し乱れている。
シルヴィアの残り香が、狭い車内に薄く漂っていた。
ルシエルは、御者席のナサニエルがいつものように念話で、遠慮なく話しかけてくるのを待っていた。
しかし、この帰路上のナサニエルは、彼の主人に対して一切、接点をもとうとはしなかった。
(………………)
今夜のルシエルの振る舞いについて、何かしら彼なりの意見を持っているのは明らかだった。
馬車の車輪が石畳の継ぎ目を越えるたび、軽く揺れる。
その振動が、沈黙をさらに重くした。
ついに耐えきれず、ルシエルから声をかけた。
(今夜は、すまなかった)
(悪いとは思ってるんすね、
このナサニエルという男は、第一声からこれだった。
(お前を巻き込んで、悪かったと思ってる。……今は)
(マイロードは、
思わず、ルシエルは視線を窓に逸らした。
(そういうつもりではなかった)
(じゃどういうつもりなんすか。
俺いやなんすよ、他の男が出したとこにそのまま突っ込むの。
あーゆう店だからこそ、女の子と一対一でその場かぎり、ちゃんと向き合って楽しみたいタイプなんすよね)
(ただ、そうしたくなっただけだ)
(
女を
沈黙が、重苦しかった。
(あー、なんかムカついてきたんで、すんませんけど一服しながら帰らせてもらいます)
(……俺にも、一本貰えないか)
(安タバコっすよ)
返事はなかったが、小窓から主人に手渡した。
ナサニエルは指先に召喚した小さな焔で、自分のタバコに火をつける。
肺まで吸い込み、ふうぅっと長くくゆらしながら、ルシエルの底知れない孤独に、背中で向き合った。
(
(そうだな、――お前とはじめてかも知れない。
妻に対してすら、本当にすべてをさらけ出しているとは言えないだろう。
弱いと思われたくない自分がいる)
(リーザ様には魔王だ公爵だって恰好つけて、弱いところを見せたくなくて。
落ち込んだらミス・アルマや、さっきの
(少しは言葉を選んだらどうだ、ナサニエル。
レジナルドが教えてくれた言葉がある。
お前の言葉はまさに、”
(俺も、マイロードも
そう言われて、今日はじめて、ルシエルは苦く笑った。
(俺は
アスモデールの嫌味より、お前の辛辣な言葉のほうが、俺の”かよわい心”をえぐるぞ、ナサニエル)
(だからっすよ、マイロード。本音と、甘えは違うんす。
……そこだけは俺、きっちり線、引かせてもらいます。
仕事だから、やれっていわれりゃやりますけど、穴兄弟みたいな馴れ合いはごめんすわ。
これ言えるだけ、俺はちゃんとマイロードと向き合ってるつもりっす)
「……そうだな、俺が悪かった」
念話ではなく、言葉にしてルシエルが言った。
その情け容赦ない、辛辣すぎるナサニエルの言葉は、決してルシエルを見捨てないという、彼なりの信義を伝えてくれていた。
その気持ちが、今のルシエルの荒んだ心を少しだけ癒してくれるようだった。
(眠りたくないのに、一日が終わってしまう。……また悪夢を見るのが怖い)
(しょせん夢っすよ、マイロード。現実のほうがよっぽど恐ろしい。
今日だって、現実をみたくなくて、あの
夢と現実……今、どちらが恐ろしいかを、ルシエルは比べることが出来なかった。
イフの夢が、彼をとらえて離さなかった。
窓縁で、雑にタバコをもみ消す。
眠気覚ましには、紫煙はほとんど役立たなかった。
重く沈み込んでいく疲れと、空虚な快楽が与えた気だるさ、そして馬車の振動が、ルシエルをまたあの悪夢の世界へと引きずり込んでいった。