半血魔王のクロニクル ~黒き貴公子シリーズ総集編~ 作:古弥須 凱
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るしえるへ
おまえのゆめをのっとった
ねたら、おれのところへこい
いろいろみせてやるから、びっくりしろ
いふ
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おとうとへ
もういじめないから
すこしはなそう
おまえのちちについてこい
いふ
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ちちうえ
わたしは、いふです。
ちちうえと、はは、りーざの子です。
さばとのあと、りんぼにいましたが、もどってきました。
ははと、るしえるこうしゃくを、ゆめのせかいでつかまえています。
ちちうえにみていただきたいです。
ゆめのなかでころしたら、るしえるはしにますか?
それなら、いふがおやくにたてるとおもいました。
おむかえにいきます。
はいれなかったので、よる、けっかいをはずしておいてください。
ちちうえの子 いふ
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*
イフが送った3通のメッセージに返事を返してきたのは、胎児である弟だけだった。
イフの頭の中で、ちろん、と小さなチャイムが鳴る。
イフは自分の額に指を当て、胎児――ルシエルの子から届いた思念を、まるで小さな紙切れのように取り出して広げた。
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件名: Re: おとうとへ
To: イフ [email protected]
From: 真珠の子 [email protected]
本文: ばーか
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それだけだった。
そもそも、真珠の子などという
胎児は、自分だけが真に母であるリーザに愛されていると確信し、兄であるイフを残酷に挑発して、その感情を煽っていた。
生まれてもないうちから、こんなに意地悪なやつがいるだろうか?
彼の半分だけの兄として、イフはむしろ呆れてしまった。
そして残りの2通の
彼らの父親であるルシエルとアスモデールは、それらを完全に無視していた。
そもそも、アスモデールに届いていたかも、わからなかった。
かすかに遠い父の気配をめざして、イフはイメージの中で小さな紙片を圧縮し、すべらせるように空間へ送り出した。
イフの父を慕う心は、そのまま暗い闇に呑み込まれ、海に投げ込んだ小瓶よりも頼りなく沈んでいった。
「くそっ……!みんな、バカにしやがって。俺をなんだと思ってるんだ。俺は皇嗣だぞ」
イフは肉体を持たず、現実の中では、彼の憎悪の対象であるルシエルに対して、何の手段も持たなかった。
しかし、その夢の中では――思う存分に彼をいじめ抜き、その
さて、どうしてやろうか……?
イフの理想の世界のなかで、とびきり惨めな役割を、あの公爵に割り当ててやりたかった。
イフは暗闇のなかで腹ばいになり、考えかんがえしながら、紙片に小さなまるい文字で、彼の物語を書き起こし始めた。
彼の作った
そこでのルシエルは、アスモデールを
辺境伯に落とされ、瘴気と魔獣の蠢く荒れた領地に追いやられ、そこで生き地獄の、屈辱の日々を送っている――という設定だ。
ふむ。
では、彼を王宮に呼びよせ、父上と俺に跪かせ、忠誠を誓わせるというのはどうだろう。
母上の見ている前で、王宮の貴族たちの嘲笑と侮蔑の視線を浴びながら。
負け犬の顔を晒し、みじめに平伏するルシエル辺境伯……
悪くない、とイフは頬杖をついた。
あいつ、弟にも役割をやろうかな、と思いついた。
あの胎児がパチパチと念で攻撃してこなければ、少しは遊んでやってもいい、とイフは思った。
*
ルシエルの悪夢の扉が開いた。
また、イフの夢の中に引きずり込まれていることはわかっていた。
ルシエルがその紫の瞳を上げると……そこは、彼がいつも出仕する、見慣れたサタン王宮の内部だった。
(これは、どういう夢なんだ……)
大広間は黒曜石と赤い魔晶で飾られ、蒼い月の光が天井のドームを透かして淡く降り注いでいた。
貴族たちは黒・金・紫の礼装で埋め尽くし、低いざわめきが波のように広がっている。
会話の断片から、ここがアスモデールの嫡子――まだ6歳の皇嗣イフの、辺境守護大公叙任式典だとわかった。
かつて自分より遥かに身分の低かった者たちが、今は嘲るような目つきとひそひそ話を投げかけてくる。
みじめな落ちぶれ者、元公爵のルシエル辺境伯……それが、この夢の中の自分の立場だった。
魔力は……完全に封じられている。
この世界が、イフの夢の中である以上、自分になにか有利な点は期待できなかった。
イフの声が聞こえた。
(俺の世界へようこそ、公爵。――いや、ここでは辺境伯だ。
今日の夢はすこし、趣向を変えてみたぞ、ルシエル卿。
昨日の千年ドラゴンに
(ふざけるな、これは、なんの茶番だ!)
(大人のくせに、子供相手にそう感情的に怒るなよ、
あんたが上手に演じてくれれば、少しは母上の姿を見せ、声を聞かせてやってもいい)
中央の玉座に、アスモデールが座っている。
赤い瞳が静かに輝き、口元には満足げな薄い笑み。
その隣、少し離れた位置に……王妃リーザが座っている。
(リーザ……!)
思わず叫びそうになるのを、必死で抑えた。
金髪は優雅に結い上げられ、穏やかな微笑みを浮かべている。
だが瞳は固く凍りつき、視線は玉座前の小さな少年――イフにだけ注がれていた。
まだ6歳の皇嗣イフ。
彼の父譲りの白い髪は丁寧に梳かれ、赤い瞳が好奇心とプライドで輝いている。
小さな体に重厚な黒金のローブを纏い、胸にサタン王家の紋章が輝く。
アスモデールがゆっくり立ち上がり、声を張った。
「我が子、イフ。本日この時より、お前は辺境守護大公として、魔界の果てを護る任を負う。
誓え。この父と、そして魔界の民に忠誠を。」
イフは小さな手を胸に当て、幼いながらも凛とした声で誓詞を誦じた。
「我、皇嗣イフは、父アスモデール陛下、そして魔界の民に永遠の忠誠を誓います。
辺境の瘴気も、魔獣の牙も、すべて我が身をもって防ぎ、魔界の安寧を守り抜きます。」
広間が一瞬静まり、すぐに貴族たちの拍手と歓声が爆発した。
「皇嗣イフ万歳!」
「若き大公、魔界の未来だ!」
「なんと立派な……!」
アスモデールは誇らしげに頷き、リーザは固い表情のまま、優しくイフの頭を撫でた。
イフは母の手の温かさに目を細め、胸を張った。
式典の後半。
忠誠の儀式が始まる。
数多の辺境伯が子息を連れて、イフの前に並ぶ。
幼いイフは玉座の前に立ち、貴族たちが一人ずつ跪き、忠誠の言葉を述べていく。
そして、最後に――
元公爵である、ルシエル辺境伯が、ゆっくりと前に進み出た。
かつての冷徹な美貌は、変わらなかった。
辺境の瘴気と屈辱の日々にやつれ、豪奢な礼装も今はくたびれて見えるが、生来生まれ持った彼の美しさは少しも損なわれていなかった。
アスモデールを冷たく見つめ、そして王妃であるリーザを見た。
リーザは……夢の中でも気高く、美しかった。
ルシエルの現実世界の妻は、この夢の世界で、彼の敵の王妃となっていた。
美しい王妃は全く感情を見せず、ルシエルという存在を完全に黙殺していた。
一切、その視線を向けなかった。
(リーザ……)
これは夢だ、と割り切って、ルシエルは無言のままイフの前に跪いた。
貴族たちの視線が一斉に集まる。
嘲笑、侮蔑、同情、好奇――さまざまな感情が渦を巻いた。
アスモデールが静かに命じた。
「ルシエル辺境伯。皇嗣イフに忠誠を誓え。」
ルシエルはゆっくりと頭を下げた。
声は低く、しかし堂々と響いた。
「……我、ルシエル辺境伯は、皇嗣イフ殿下に対し、永遠の忠誠をここに誓い奉る。
瘴気の果て、魔獣の荒野においても、殿下の御命に従い、魔界の安寧を命を賭して守護し抜く所存にございます。」
広間が一瞬静まり返った。
やがて誰かのくすくす笑いが漏れ、次第に嘲笑の波が広がった。
「元公爵が……恥ずかしげもなく」
「リーザ王妃の、かつての想いびとだったとか」
「今は辺境伯か……実に皮肉なものだな」
リーザは表情を変えず、ただ静かにイフの頭を撫で続けていた。
イフは小さな手で母の手を握り返し、跪くルシエルを見下ろして、満足げに小さく微笑んだ。
「王妃よ。ルシエル辺境伯に、声をかけてやったらどうだ?彼とは、特に親しい昔なじみだろう」
アスモデールが、さも今思いついたように、傍らのリーザに声をかけた。
あのサバトの夜、リーザの恋人だったルシエルは敗者として血の海に沈み、アスモデールが勝者として彼女を手に入れた――その記憶を、静かに突きつけるような口調だった。
リーザは表情を変えなかった。
跪いたルシエルからは、彼女の美しい横顔だけが見えた。
「何も……わたくしには」
ただ、それだけ言った。
たとえ夢の中でも、王妃リーザの冷徹な態度は、ルシエルを深く傷つけた。
「では、彼の子に声をかけてやれ。健気に、その父に付き従っている」
(子……? 俺の子とは……?)
ルシエルは、突然の言葉に息を呑んだ。
リーザが、ゆっくりと――初めて――視線をこちらに向けた。
静かで優しい声が、ルシエルとその背後の少年に向けられる。
「……ルシエル卿のご子息。遠路はるばる、お父上と共に王都までよく参りました。
そなたの名を、わたくしに教えて?」
ルシエルの背後から、幼い男の子の声がはっきり響いた。
「ルシエル辺境伯の子、セオドアにございます」
ルシエルは、はっとした。
今まで、そこに誰かがいたことすら気づいていなかった。
「セオドア、面をあげて。わたくしに顔を見せてちょうだい」
夢の中の息子――セオドアは、緊張しながらゆっくり顔を上げ、リーザ王妃を見つめた。
短く切り揃えられた金髪、父譲りの薄い紫の瞳。
面差しは、ルシエルにそっくりで、美しかった。
王妃は優しく見つめ返し、穏やかに微笑んだ。
「イフと、同じ年頃ね。王宮にいる間、この子と遊び友達になってくれたらうれしいわ」
「身に余る、光栄にございます」
セオドアは少しつっかえながらも、礼儀正しく答えた。
その幼さにしては、なかなかしっかりしている。
諸侯たちの間に、わずかなざわめきが広がった。
アスモデールが、口の端に冷酷な笑みを浮かべたまま、横槍を入れた。
「王妃とルシエル卿が"昔なじみ"であるように、俺も――卿の子息セオドアの母親とは"近し"かった。
もとは俺の
広間のざわめきが、ぴたりと止まった。
「彼の領地は遠く、寂しい。せめてもの慰めにと、お前と同じ金髪の女を選んだのだ、リーザ。
ルシエル卿も、満足してくれたろう? 彼の子セオドアは、お前のように美しい金の髪だ」
言葉の棘が、ルシエルの胸を抉った。
お前の妻は、お前の子の母は――すべてリーザの「まがいもの」だ、という残酷な事実を、アスモデールはあえて口に出して突きつけた。
(なかなか、いい設定だろう?)
イフの念話が、嘲るように頭の中に響いた。
(下劣極まりないな。子供のくせに、よくこんなことを思いつくものだ)
ルシエルの感情は、怒りを振り切って、むしろ冷静さを増していった。
(俺は、"おはなし"が好きなんだ。そこはきっと、母上に似ている。
母上も、子供の頃、自分の中でいろいろな"おはなし"を思い浮かべていたそうだ)
イフの念話が、少しだけ低くなった。
(母上も、子どもの頃は、ひとりぼっちで寂しかったと……そう言っていた)
*
イフを辺境守護大公に叙任する長い儀式が、ようやく終わった。
玉座の列がゆっくりと動き出す。
アスモデールが悠然と立ち上がり、赤い瞳を広間に一瞥しただけで、貴族たちのざわめきがぴたりと止まった。
その隣にリーザ王妃が続き、美しく結い上げた金髪が揺れる。
最後に、イフが小さな足取りで立ち上がり、黒金のローブを翻して母の手を取った。
6歳の皇嗣は、母の指を握りながら、満足げに微笑んでいる。
その笑みは無垢で、残酷で、どこか大人びていた。
アスモデールがゆっくり玉座から降り、リーザとイフを従えて退場する。
諸侯たちは一斉に膝をつき、頭を垂れた。
その中で、ルシエル辺境伯はまだ跪いたままだった。
アスモデールは振り返らない。
リーザも、息子イフの手を握りしめたまま、一度もこちらを見なかった。
イフだけが、最後に一度だけ、ルシエル父子の方を振り返った。
赤い瞳が好奇心と嘲笑で輝き、母の手を引いて歩きながら、小さく、誰にも聞こえない声で呟いた。
「……ばーか」
その一言は、広間に残されたルシエルとセオドアには届かなかった。
諸侯たちが立ち上がり、ざわめきが再び広がる中、ルシエルはゆっくり立ち上がった。
セオドア――この夢の世界で生まれた“彼の子”が、不安げに父の顔を見上げる。
アスモデールから下げ渡された、不幸な運命の女との間に、おそらく愛もなく生まれたであろう子。
ルシエルはこの“まがいもの”の息子に視線を落とし、かすかに苦い笑みを浮かべた。
「セオドア、か……。子が息子だったら、俺がつけようと考えていた名前だな」
かつてリーザは、自分たちの子はきっと金髪で、ルシエルのように美しい紫の瞳を持つだろうと言った。
セオドアはその通りの容姿でありながら、この世界では彼とリーザの子ではなかった。
セオドアは、じっと紫の瞳を父に向けている。
かつての幼い頃の自分と同じ、孤独に傷つき、愛を乞う寂しい瞳。
父に愛されないことを知りながら、それでも縋りつこうとする瞳だった。
「父上……」
その声は、リーザの胎内から聞こえた本当の我が子と、まったく同じ響きだった。
遠くで、この悪夢の広間の扉が、重く閉まる音が響いた。