※この作品はR-18です。

半血魔王のクロニクル ~黒き貴公子シリーズ総集編~   作:古弥須 凱

71 / 97
16話 消し去る

今日のセオドアは、いつもよりもさらに動作が鈍く、何を話しかけてもほとんど、うわの空だった。

 

道すがら、何度も転ぶ。

 

足元がふらつき、まともに歩けてさえいない。

 

夢から覚めたように時々はっと目を見開き、その時だけ卑屈に「殿下、待ってください」と繰り返した。

 

「なんだよ、お前。しっかりしろ、ばーか」

 

イフは苛立ち、その横腹を蹴り上げてやる。

 

セオドアはあっと声をあげて、森の斜面を転がり落ちた。

 

「いつも鈍なお前だが、今日は尚いっそうひどいな。俺は、おまえの父のために、わざわざお前と遊ぶ時間を取ってやっているんだぞ」

 

勝ち誇り、ルシエルの息子を見下す悦びに、イフの表情は輝いていた。

 

「お前の父親は、お前を差し出した。どうぞ、好きにいじめてくれとな。

お前のことなど愛していないからだ。

自分の"おたのしみ"の方が、お前よりずっと大事なようだ」

 

くっくっと、くぐもった冷酷な笑いを張り付け、土まみれで立ち上がるセオドアに、辛辣な言葉を投げた。

 

「上がってこい、セオドア。お前はノロくてかなわん」

 

セオドアは彼の父親にさえ見捨てられた、イフの遊び道具だった。

 

だからこそ、徹底的にいじめ抜かれた。

 

面白半分でイフの術に追い回され、火炎や雷撃で脅され、失禁しながら泣き叫ぶための役割を与えられていた。

 

「ルシエルは今ごろ、俺の母の胸に甘えて、泣きすがっているだろう。

不義密通がバレれば死罪とわかっていて、俺の母まで巻き込んだ。

なんて自分勝手な男だ」

 

……セオドアは、ぺっと口の中の土を吐き出して向き直った。

 

切り揃えた金髪は乱れ、ちぎれた木の葉が刺さったままだった。

 

「父はそういう男なのです、殿下」

 

紫の瞳に冷たい光を宿し、急におとなびた口調で、セオドアが言った。

 

「愛する女のためなら、すべてを捨てる。他になにも要らない。破滅すら恐れない」

 

にや……と笑った。

 

「わたしの父とは、そういう男なのです」

 

イフは身構えた。

 

鼓動が早まり、さっと冷たい汗が流れた。

 

「お前は……セオドアじゃない」

 

異変を感じた瞬間、イフの周りの空間が歪み、湧き上がる魔力が風を巻き込んだ。

 

警戒の針を立て、キッと睨みつける。

 

「真珠の子か!」

 

イフの声が鋭く響いた。

 

弟への呼び名が、確信の叫びに変わる。

 

冷たい汗が背筋を伝い、鼓動が早まる。

 

手のひらの上で、ぱりぱりと音を立てて雷撃が生まれ始める。

 

「真珠の子、弟よ……お前なのか?!俺の物語を乗っ取ったのか!?」

 

その言葉に、セオドアの顔をした存在がゆっくりと口を開いた。

 

「真珠の子……?訳のわからないことを言う」

 

その表情は、もう完全に子供のものではなかった。

 

セオドアもまた、片手をかざし、術陣を刻み始めた。

 

「イフ、今日の戦いごっこは、なかなか楽しくなりそうだ。

俺の手札(レパートリー)を全部並べてやる。

公爵家に伝わる、古代詠唱(エイシェント・チャント)の蔵出しだ」

 

白金の光が流れ、その指先に収束していく。

 

瞳に、残酷な暗い闇を浮かばせて、セオドアの顔をした魔王が微笑んでいた。

 

「……公爵!お前が入っているのか!」

 

確かに、セオドアに浮かんでいる残酷な微笑みは、ルシエル公爵その人だった。

 

「精神を分けるのは、俺の得意技だ。

本体でリーザを抱き、セオドアとしてこうしてお前について来た。

まぁ、俺にとっては、そう難しくもない」

 

彼の前に浮き上がる魔法陣の巨大さを見れば、セオドア……いや、ルシエルが束ねる魔力の強大さが一目でわかった。

 

馬鹿な、とイフは絶句した。

 

彼の筋書き(シナリオ)のなかに、こんな設定はない。

 

ルシエルの軟弱な息子、情けない期待外れの後継者。その役割だけを、セオドアには与えたはずだった。

 

そのセオドアの体を、ルシエルが乗っ取った――。

 

「……ただ、今日の夫婦の営みは、あまりにも良すぎたな。

そ(・)っ(・)ち(・)に気を取られて、お前と何を話したかも覚えていない。

快楽に果てる時には、一瞬完全に落ちてしまった」

 

イフの十八番を奪って、セオドア(ルシエル)はそう残酷に煽り返した。

 

「子供相手に、あまり下品な話をするなよ、公爵。……お里が知れる」

 

「なかなかに手厳しい。

では、我が家門(いえ)に伝わる詠唱を披露いたしましょう、皇嗣殿下。

子供には少し、刺激が強いが」

 

陣が溶けるように収束し、烈しい稲光となって爆ぜた。

 

初手からまともに受けてイフの小さな身体が一瞬で痺れ、硬直した。

絡みつく電流に締め上げられて軋み、まともに立っていられない。そのまま吹き飛ばされ、大地に叩きつけられた。

 

「……あ…………あっ……」

 

ピリピリと舌まで痺れ、肺が酸素を受け入れない。

 

うぅッと声を振り絞って、体を縛る雷の残滓を振り払い、よろけた。

 

膝をつきながらも、イフは誇り高い皇嗣として声を張った

 

「この……無礼者め!……お前を、処断してやる」

 

リーザの夢の世界だけに巣食う、まぼろしの子。

 

その夢が、現実の母を衰弱させ、死に至らしめるのがわかっていても、彼だけの王国に固執し、しがみついている。

 

哀れだが、ルシエルにとっては排除すべき対象でしかなかった。

 

「俺は、子供のケンカに出ていくタイプの父親だろうな。

いま、自分でも良くわかった」

 

自嘲しながら、次の陣を切っていく。

 

セオドアの体から、いくらでも魔力が湧き上がり、みなぎった。

 

「少しも容赦しなければという感情が湧いてこない。

こんなに大人気(おとなげ)ない俺の、息子をいじめたお前が悪い。

あきらめるんだな、うじ虫」

 

ようやく立ち上がり、白い髪を逆立てている皇嗣イフを冷たく見下ろした。

 

「そんなはずがない……!セオドアが古代詠唱を使えるわけがない、そんなことは俺は書いてない!」

 

黒いローブから差し上げた手で、イフもまた、黒い叢雲を呼び寄せようとしていた。

 

「ずるをするな!ここは俺の世界だぞ!公爵……!!」

 

「お前のルール通りだ、イフ。お前は辺境伯としての俺から魔力を奪い、幼いセオドアには魔力を残した。この子をいじめ、貶めたいがために」

 

ぞっとするほど、冷たい瞳だった。

 

「お前は、俺の魔力の強大さを知って、俺を恐れた。リーザを守る防御陣に、お前は触れられなかった。

お前は、俺を畏怖した。

だからこそ、セオドアの心を弱くした。俺の血を引いているのに、軟弱で卑屈な心のせいで、宝の持ち腐れにしたかった。

そうすることで、余計に俺を失望させようとしたからだ」

 

イフの設定(プロット)は、セオドアを確かにそう形づくっていた。

 

そしてルシエル自身も、己の子の情けない様子に、明らかに失望して見えた……それなのに、なぜ、今――。

 

「お前の失敗は、俺の血脈を封じずに、この子の弱さを彼の"心のせい"にしたことだ。

そして今、俺はセオドアの心を乗っ取っている。

俺の精神(メンタル)は鋼じゃ効かんぞ、イフ。

なにしろお前がいう通り、この俺という男は悪魔(ディアボロ)のなかでも特に礼を知らず、すこぶる破廉恥で、いちばんのクズ野郎だからな」

 

苛立ちの声を上げ、イフが叫んだ。

 

「いでよ、虚空の槍(ヴォイド・ランス)……あいつを貫け!」

 

上空にみるみる黒い霞が立ち、無数の槍が切先をきらめかせ、鋭い軌道をルシエルに定めた。

 

金髪を靡かせて飛びのき、波動で全ての軌道を歪め、叩き落とした。

 

「この子の身体には、俺の血が流れている。その設定さえあれば、俺には充分すぎてつりが出る」

 

唖然とするイフを見下ろして、"まがいもの息子"は微笑んだ。

 

輝く金髪と、その父譲りの美しい……紫の瞳。

 

「俺もわずかに200と数年しか生きていない……そして、今だに自分の魔力の底が知れない。」

 

確信を持って、ルシエルはその事実を口にした。

 

「セオドアは強い。この子は俺の子だ……俺と同じ血を受けている」

 

古代詠唱の奥義(アーカイブ)は尽きなかった。

 

押して、押して、押しまくる。

 

セオドア(ルシエル)は容赦なく、上位魔術を繰り出し、イフの小さな体を打ち据えた。

 

イフも必死で彼の術……その年齢にしては充分すぎる威力で攻め立てる。

 

しかし、ルシエルはあのサバトの晩に、彼の父であるアスモデールと苛烈で壮絶な一騎打ちを経験している。

 

アスモデールの命をその手で引きちぎる、その直前まで詰め寄ったルシエルからすれば、イフの術はいくら巧みでも、年相応のそれに過ぎなかった。

 

血に塗れ、電撃に打たれた筋を頬にいく筋もつけて、イフは肩で息をしていた。

 

立っているのがやっとで、望まないのに、片方の目から涙が流れる。

 

「諦めろ、イフ。もう夢の時間は終わりだ。辺獄(リンボ)に帰れ。そこがお前にはお似合いだ」

 

これで、終わりにするために、セオドア(ルシエル)は最大の陣を刻み始めた。

 

転移魔法だ……イフを、またあの寂しい、虚無の、何もない世界へ送り返すための空間が、そこに口を開き始めている。

 

「いやだ!ここは俺の世界だ!俺がすべてを支配している!お前のものじゃない……!」

 

イフは怯え、血に塗れて泣き叫んだ。

 

哀れな子。

 

この世界でのリーザが、彼女の唯一の宝と呼び、愛し慈しんだ息子だった。

 

しかし、冷徹な魔王であり、夫であり、胎児の父となったルシエルは、イフに対する憐憫は持ち合わせなかった。

 

「お前は生まれてこなかった。最初からいなかったんだ、イフ。

……誰も、お前を愛する者はいない」

 

そう最後に、冷たく言い放った。

 

転送の陣が収束していく……イフの小さな体を飲み込もうと、うねり始める。

 

イフの赤い瞳が、自然にこちらに向いた。

 

額から流れる血の赤さと溶け合い、ただ紅玉(ルビー)のように輝く。

 

「物語を、かきかえる」

 

イフが呟いた、その言葉の意味を、一瞬、ルシエルは理解できなかった。

 

「セオドアはいなかった。

ルシエル辺境伯は、子を為さなかった。

母上を、リーザを愛していたから、まがいものの妻を抱かなかった。」

 

イフの筋書きが、書き直された……今、ここで。

 

ルシエルが、冷たい手向けとして、イフに放ったその言葉を、逆に筋書き(シナリオ)として乗っ取った。

 

「だから、セオドアは生まれてこなかった。最初からいなかったんだ。

お前が、母上への愛を捨てなかったから。……ルシエル、そうだろう」

 

ルシエルの前から、一瞬で陣が消えた。

 

いや、体が消えたのだ。

 

セオドアが……彼の息子がこの夢の中から消え失せた。

 

「……馬鹿な!」

 

ルシエルの叫びを、誰も聞かなかった。

 

精神を預けていた容れ物が消え、ルシエルは、一瞬で闇に落ちた。

 

最後に、イフの声だけがその耳に届いた。

 

「少しもおかしくない。

そうだ、セオドアは生まれなかった。これでいい。

……この筋書き(おはなし)は、完璧だ」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。