※この作品はR-18です。

半血魔王のクロニクル ~黒き貴公子シリーズ総集編~   作:古弥須 凱

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17話 兄弟喧嘩〈アーマゲドン〉 上

アトリウムでルシエルが意識を取り戻した時、すでに、無言で血まみれのイフが立っていた。

 

黒いローブは焼け焦げて糸を引き、頬から首までひどい火傷を負っている。

 

白い髪も一部は焦げて丸まっていた。

 

「イフ……!!」

 

血だらけの息子……その惨状に声を失っている王妃リーザの前に立ち、イフが声を絞り出した。

 

「ははうえ……もう、この男と逢うのはやめて下さい」

 

リーザの手を掴んで、じっとその顔を見た。

 

「もう父上を、裏切らないで」

 

小さな涙をぽろぽろと流した。

 

「お願いです、母上。この男とはもう逢わないと、そう言ってください。

この男は、母上を破滅させる。……わたしは母上を失いたくない」

 

じっと、おさない瞳で王妃にすがった。

 

イフの罠だ。

 

「リーザ、騙されるな!こいつはお前の息子じゃない、ただの幻だ!」

 

彼女を引き起こそうとした瞬間に、烈しく弾き飛ばされ、アトリウムのガラス壁に叩きつけられた。破片が背に喰い込む。

 

ルシエルは……また魔力を封じられた辺境伯に戻っていた。

 

リーザは、硬直していた。

 

彼女の犯した不義の罪を、息子は知っていた。

 

「わたしは……母上が望んで産まれた子ではないと、知っているのです」

 

「何を言うの、イフ……!」

 

「それでも母上は、わたしを愛してくださった。

……だから、イフは、母上にこうして裏切られるのがつらいのです」

 

リーザの目から、はらはらと涙が溢れた。

 

心身ともに傷ついた息子を抱きしめた。

 

「イフ、私を……母さまを許してちょうだい。

母さまが愚かだった。……わたしは、間違っていたわ」

 

声を震わせてリーザが泣いている。

 

王妃は……不義の罪を認めた。

 

イフは母を抱きしめ、赤く燃える瞳で間男……ルシエル辺境伯を睨んだ。

 

「父上には、なにも言いません。

ルシエル卿は、彼の領地へ返します。もう二度と、この地を踏むことはない。

それでいいですね、母上」

 

強く、念を押した。

 

リーザは、涙ながらに頷いた。

 

そして、感情を押し殺した瞳を、ルシエルに寄越した。

 

「聞いたでしょう、ルシエル。もう去って。……あなたとはもう二度と会わない。すべて、終わったわ」

 

彼女の、意志の強さを誰よりも知っているルシエルだった。

 

強い心を持ち、気高く、決して心を折らない……。

 

ルシエルとの愛を捨て、母としての責任を選んだ。

 

彼女らしい選択ではあった。

 

しかし、ここはイフの作った架空の世界であり、彼らの堕ちた不義の愛も、すべて幻だった。

 

このまま夢に囚われていれば、現実のリーザはいずれ、胎児と共に衰弱死する。

 

それがわかっていて、イフは狡猾に、母としての真心を直接、揺さぶった。

 

「だめだ、リーザ!奴にだまされるな!このままここにいたら、お前も腹の子も死んでしまう」

 

リーザは聞く耳を持たなかった。

 

「ルシエル、わたしにはこの子に対して責任がある。あなたへの愛よりも、それは重いわ。

私はこの子を愛している。他のなによりも、誰よりもイフが大切なの」

 

その言葉に、イフの目におもわず涙があふれた。

 

何よりも、彼が望んでいた言葉だった。

 

俺は、愛されている。

 

その確信を得て、彼は母にすがりついた。

 

イフが魂として生じてからの、長いさすらいの中で得た、初めての勝利だった。

 

「母上……!」

 

呼びかけると、リーザは優しく彼を見つめてくれた。彼を抱き寄せ、額にやさしく口づけた。

 

彼の物語の、おわりが見えてきた。

 

イフは、父に見守られ、母に愛されて、この王国で幸せに暮らす。

 

おしまい。

 

――母の命が、現実で燃え尽きる、その時まで。

 

ルシエルが、痛みに呻きながら吐き捨てた。

 

「イフ、お前がやっていることは、リーザを苦しめているだけだ。

……彼女が死ねばこの夢も終わる。お前はまた辺獄(リンボ)へ戻るしかない。もうやめろ、リーザを解放するんだ」

 

「いやだ、俺は母上とここで暮らす!!」

 

ルシエルに言われるまでもなく、イフはその”現実”を知っていた。

 

母にすがりつき、見も世もなく泣き叫んだ。

 

「他に行くところはない!ここだけが俺の場所だ。

母上だけが、俺を愛してくださる……!夢が終わるなら、終わる時までここにいる!!

母上がいればそれだけでいい……!母上は俺のものだ……!!」

 

まぼろしの皇嗣の感情が爆発する。

 

そこから生じた凄まじい轟音が、アトリウムのガラス屋根をすべて吹き飛ばした。

 

いや、イフの力ではなかった。

 

「うるさいんだよ、イフ……!」

 

手のひらから放った、その凄まじい怒りの雷撃。

 

ぱりぱりと音を立てる、雷の残滓をその表面に弾かせて……セオドアが立っていた。

 

切りそろえた金髪、父ゆずりの美しい紫の瞳。

 

そしてその声色には、胎内でイフを拒絶した、あの冷たさを宿していた。

 

彼は……イフの物語から消し去られたはずの、セオドアその人だった。

 

 

*

 

 

「真珠の子……なぜ来た!ここは……俺だけの王国だ!お前に、入る権利は与えていない!!」

 

怒りに燃えて、イフの白い髪が逆さ立った。

 

「は。お前が手紙に書いて寄越したじゃないか。父について来いと」

 

くすっと笑った……その表情はほかの誰よりも、彼の父親に似ていた。

 

「俺は、おまえの書いた物語(シナリオ)には縛られない。お前が来るより、ずっと前から母の中にいるんだ。

その夢を操る力は、母上から継いだものだろう?ならば、俺だってできる。」

 

残酷な光を帯びて、彼の異父兄へその小さな指先を向けた。

 

「お前なんかより、ずっと俺は強い。見ればわかるだろ、ばーか」

 

美しく、残酷な、魔王を継ぐ者の微笑みだった。

 

イフの赤い瞳が、怒りと屈辱で燃え上がった。

 

白い髪が逆立ち、焦げた部分がぱちぱちと小さな火花を散らす。

 

彼はゆっくりと立ち上がり、黒いローブの裾を払う。

 

その小さな体から、皇嗣としての威厳が溢れ出る。

 

アスモデールの血を引く誇りが、傷ついた体を支えていた。

 

「ばか、だと?……お前如きが、俺を嘲笑うのか、真珠の子」

 

イフの声は低く、震えていた。

 

「俺は好きなように嘲笑うさ。弱い奴は大っ嫌いだ。

みじめだし、うっとおしい。

肝心な時に役に立たない父親も大っ嫌いだ。

さんざん待ったが、結局おまえひとり殺せない」

 

切りそろえた前髪の下に、残酷な瞳が光っている。

 

ルシエルをちらと横目で見て、凍り付く彼の表情をむしろ愉悦(たの)しんでいた。

 

「母上を救えるのは、俺だけだ。お前らはみんな脇役だ」

 

イフは……ぎゅっと唇を結んだ。

 

しかしそれは怯えではなく、抑えきれない決意の表れだった。

 

母を奪われまいとする執念が、彼の瞳を紅玉のように輝かせる。

 

ここは俺の王国だ。母上は俺のものだ。

 

お前のようなまがいものが、入る隙などない。

 

セオドアはくすっと笑い、金髪を靡かせて一歩近づく。

 

紫の瞳に残酷な光が宿り、指先で小さな陣を刻み始める。

 

「ばーか。お前はただのまぼろしだ。母上は俺のもの、俺は真珠の子だ」

 

その言葉が、イフのプライドを切り裂いた。

 

皇嗣として生まれるはずだった俺が……この世界でようやく手に入れた母の愛を、お前に奪われるものか。

 

「なにが真珠だ!お前の心は真っ黒だ。お前は黒真珠だ!」

 

イフの小さな手が、虚空を掴むように開く。

 

黒い霞が湧き上がり、無数の槍が切先をきらめかせる。

 

「いでよ、虚空の槍(ヴォイド・ランス)!あいつを……貫け!」

 

槍が一斉に飛び出し、セオドアを狙う。

 

セオドアは軽く身を翻し、波動で軌道を歪め、槍を叩き落とす。

 

だが、イフは止まらない。

 

次の瞬間、地面から黒い棘が突き上がり、セオドアの足を絡め取ろうとする。

 

ギリギリの間合いでセオドアが跳びのき、反撃の炎球を放つ。

 

イフは黒い盾を展開し、かろうじて防ぐが、衝撃で後ろに吹き飛ばされる。

 

息を荒げながら、イフは立ち上がる。

 

母の優しい微笑み、あの温かな抱擁。

 

それを失うわけにはいかない。

 

「母上は……俺のものだ! お前なんかに……渡さない!」

 

イフの叫びとともに、黒い霞が渦を巻き、セオドアを包み込もうとする。

 

セオドアの陣が輝き、炎の渦で霞を焼き払うが、棘が再び足元から迫る。

 

二人は睨み合い、魔力が空気を震わせる。

 

ギリギリの鬩ぎあいが、火ぶたを切った。

 

イフの決意は、母を守るための必死の抵抗。

 

セオドアの目は、ただ残酷に笑うだけだった。

 

まるで、イフの物語の結末を……彼はすでに知っていると言わんばかりだった。

 

「いつまで主役のつもりだよ?……兄上(あにうえ)」

 

はじめて、はっきりとイフを、兄と呼んだ。

 

「お前の破滅はもうはじまってた。俺の魂がうまれ、肉体をまとったその瞬間に」

 

より苛烈な光を放って、セオドアの掌からぱりぱりと未生の雷撃が形づくられていく。

 

「まがいものはいらない……俺だけが本物だから」

 

一閃放つだけで、凄まじい威力の電流がほとばしり、イフの肉体を大地へ叩きつけた。

 

額を土に付けたまま、立ち上がれなかった。

 

こほ…と小さく咳をしただけで、口の脇から血が流れ落ちる。

 

彼の異父弟(おとうと)は……化け物だった。

 

彼の父の美しい容姿。

 

その完全な模倣(コピー)でありながら、セオドアはその幼さゆえに、父親よりもさらに残酷で、独善的だった。

 

唇をもちあげて、にや……と笑った。

 

「だから、さっさと死んでろよ、ばーか」

 

セオドアの小さな手から次々と放たれる雷撃は、イフの小さな体を容赦なく貫き続ける。

 

イフは悲鳴を上げて後ろに吹き飛び、森の木々に叩きつけられた。

 

白い髪が泥と血にまみれ、赤い瞳が痛みで揺れる。

 

「やめろ…!!やめろ……!」

 

セオドアは一瞬も止まらない。

 

次の瞬間、彼の周囲に巨大な魔法陣が浮かび上がり、黒い炎の渦が巻き起こる。

 

胎児が知るはずもない、高位魔法の陣をやすやすと切り開き、イフを苛烈に責め立てた。

 

魔力をもたない辺境伯のルシエルは、ただ彼らの激しい術式合戦を見守るしかない。

 

ただ、この状況はあまりにも異常だった。

 

炎は森を焼き、湖を蒸発させ、アトリウムの残骸を溶かす勢いで広がっていく。

 

セオドアはすべてを焼き払い、灰燼に帰していく。

 

「いいものを見つけた。これがお前の父の正体か?……ただの人形だ」

 

その掌に、白くバサバサと長い髪の帝王、アスモデールを模った布人形が浮かんでいる。

 

「お前は父親なんか知らない、イフ。誰からも愛されない。まがいものの子が、人形ごっこをしていただけだ」

 

ふっと息を吹きかけると、少し怒り顔のアスモデールの布人形は炎に包まれ、あっという間に灰になった。

 

「やめろ……おれの父上だ……俺は皇嗣なんだ……」

 

ついに堪えきれず、イフは手の甲であふれる涙を拭った。

 

なにもかも全てを、真珠の子は燃やしてしまう。

 

「こんなのは、みんなはりぼてだ。……お前の夢なんて何もかも、まがいものだ!」

 

「やめろ――!やめろ!!ここは俺の世界だ!」

 

絶叫を無視して、セオドアは目につくものをすべて破壊する。

 

「あははははははは、燃えている。兄上、見てみろよ。

お前の王国は、ぜんぶグラグラだ。こんなのは最初から紙模型(ペーパークラフト)だった。

あっという間に燃えてしまった」

 

森は炎に包まれ、王宮の塔が崩れ落ちる。

 

イフの「おはなし」の世界が、次々と砕け散っていく。

 

「やめろ……!ここは母上の精神(こころ)の中なんだ……!お前は母上を壊している……!」

 

イフの叫びに、ルシエルは初めて、リーザの苦しみに気づいた。

 

リーザはアトリウムの残骸に膝をつき、胸を押さえて激しく苦しんでいる。

 

顔は青ざめ、唇から血がにじむ。

 

「リーザ……!しっかりしろ!!」

 

慌てて、彼女を抱き上げる。

 

しかしもうすでに、リーザの精神は激しく傷つき、肉体が耐えきれなくなっていた。

 

「セオドア!!止めろ!!これ以上、イフの世界を壊すな……!

ここはリーザの夢の中なんだ!……お前の母まで、壊れる!!」

 

ルシエルの叫びは、セオドアにはもう届かなかった。

 

真珠の子は、彼の血脈からとめどなく溢れ出す、どす黒い魔力に包まれていた。

 

……彼の眼は愉悦と破壊に染まり、理性の光はそこから完全に失われていた。

 

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