※この作品はR-18です。

半血魔王のクロニクル ~黒き貴公子シリーズ総集編~   作:古弥須 凱

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18話 兄弟喧嘩〈アーマゲドン〉 下

「うるさいな……お前らは皆、うるさいんだよ!!いつも、わーわーうるさいんだ!!」

 

セオドアの魔力が、さらに暴走する。

 

次の瞬間、セオドアの魔力が爆発的に増幅し、地面が割れ、空気が震える。

 

胎児の内に眠っていた、おぞましい潜在能力を、ルシエルの血だけではない、何かが呼び覚ましていく。

 

セオドアの小さな体が、黒い影に飲み込まれた。

 

彼の周囲に、赤黒い血の膜が浮かび上がり、セオドアの柔らかな肌を覆い尽くす。

 

濡れた金髪が頰に張り付き、血の雫が光る。

 

完璧な輪郭の幼い顔立ちが、痛みと憎しみでわずかに歪む。

 

まだ幼い少年の顔は……息を呑むほど妖艶だった。

 

その背中から、巨大な大鴉の翼が生えていた。

 

黒い羽は濡れたように艶めき、深い闇のようにゆっくりと広がる。

 

体はまだ幼い人間の形をほぼ保ち、白い肌に血の筋が走る。

 

その変化は、異様に大きな大鴉の翼だけだった。

 

大鴉は咆哮を上げ、空を裂いた。

 

「……セオドア……お前は……」

 

ルシエルは声を震わせながら、イフに向き直った。

 

「イフ……なぜだ。あれは、お前の力なのか?なにかまたおまえの物語(シナリオ)をいじったのか」

 

「……お前の子のことなど俺が知るか!」

 

イフは、母に泣きすがりながら、震える声で答えた。

 

「俺は……俺はただ、母上を守りたかった……!この王国は母上の中に作った、俺だけの楽園だった。

でも、セオドアはそれを壊した……お前と同じだ……!

お前と同じように、残酷で……母上を傷つけるだけの怪物(モンスター)なんだ……!」

 

セオドアが翼を一振りするだけで、森は灰に変わり、王宮の残骸は粉々に砕け散る。

 

リーザの精神はさらに傷つき、咳き込むたびに押さえた手から血が滴り落ちる。

 

イフは、ルシエルに抱かれたまま苦しむ母を見やり、血まみれの顔を上げた。

 

赤い瞳が、恐怖と絶望で揺れる。

 

「もうやめろ……!母上が……母上が死んでしまう……!」

 

彼は懇願しながら、セオドアに向かって叫んだ。

 

「少しは、聞け!聞いてくれ……!この世界を壊したら、母上まで壊れるんだ!

母上は……母上は俺の宝なんだ!

弟よ、たのむ……母上を殺さないでくれ!」

 

だが、大鴉はもうなにも聞いていない。

 

――なにも聞こえていなかった。

 

理性の光は完全に失われ、ただ破壊だけを繰り返す。

 

黒い翼が一閃するたび、世界が削られていく。

 

ルシエルは、ガラスの破片が刺さった、背中の痛みを無視して立ち上がった。

 

苦しむリーザをそっと寝かせる。

 

「必ず、助ける」

 

そう呟き、巨大な大鴉となった我が子(セオドア)を見上げた。

 

混乱と恐怖と、そして……初めての父としての絶望が、そこにあった。

 

かつて、一度だけルシエルも大鴉の姿に変化したことがあった。

 

あのサバトの晩、アスモデールに完膚なきまでに叩きのめされ、血の海に堕とされた。

 

そこで半血の魔王は、母から受けた人間としての血と涙を流し尽くし……あの異様な姿に化身した。

 

それを、まだ生まれてもいない胎児……セオドアはやってのけた。

 

しかし、その姿を制御するだけの理性は、まだ彼には生まれていなかった。

 

完全に、本能にのっとられ、ただ破壊と混沌が生み出す快感に酔い知れていた。

 

イフが言うように……彼の子はまさに怪物(モンスター)だった。

 

イフはルシエルに向きなおり、叫びたてた。

 

小さな体で、必死に立ち塞がる。

 

「お前の子が、母上を殺してしまう!お前がなんとかしろ!!お前は父親だろ!!

母上は……母上は俺の宝なんだ!あいつなんかに……母上を殺させない!」

 

イフの声は涙で震え、赤い瞳が必死に輝く。

 

その姿は、ただのまぼろしではなく、母を失いたくない一人の子供そのものだった。

 

そして、ぎゅっと口を結んだあと、ルシエルを睨みつけた。

 

「物語を、かきかえる」

 

イフの声が、はっきりとルシエルに聞こえた。

 

「ルシエル辺境伯は、その魔力を取り戻し、息子のセオドアを殺す」

 

ルシエルは、咄嗟にイフの胸倉をつかんだ。

 

「取り消せ、イフ。この物語(シナリオ)はだめだ。やり直せ」

 

イフは涙を拭いて立ち上がり、必死に魔力を集める。

 

「少なくとも、お前に魔力は返した。

俺の物語(おはなし)が気に入らないなら、自分で書き換えろ、公爵。

俺は、あいつと戦う。……母上を守る」

 

大鴉(セオドア)は再び咆哮し、彼の陣はさらに大きく、黒い炎を吐き出し続ける。

 

リーザの呻きが、かすかに聞こえる。

 

ルシエルは、拳を握りしめた。

 

その痛みも、取り戻した魔力も、全てがもうどうでもよかった。

 

「……俺の子が……怪物なら……俺が、止めるしかない」

 

彼はゆっくりと立ち上がり、大鴉となって咆哮する息子の……セオドアの姿を見上げた。

 

その背後で、イフが震える声で呟いた。

 

「公爵……お前が止めるなら、俺も手伝う」

 

「そうだな、お前の黒い棘で、セオドアを足止めしたい。できれば2秒。……最低でも1秒は欲しい。今はうじ虫の手でも借りたい」

 

「お前は本当に大人げない男だ、公爵。お前が俺の父だったらと思うと、ぞっとする。」

 

イフが呆れた声を漏らした。

 

「俺の父の、偉大さを見習うべきだ」

 

「アスモデールに会ったこともないくせに、良く言う。

……奴は、お前が思うほど立派な男ではない。

俺は奴と殺し合った仲だ。

その俺が言うんだから間違いない」

 

「お前らは、親子そろってば(・)か(・)だな。

俺の父だから偉大なんだ。……お前にはわからないのか」

 

イフは、血に濡れた顔をあげて、まっすぐにルシエルを見返した。

 

「皇嗣たる俺……イフの父だから、偉大なのだ」

 

イフの声は震えていたが、言葉ははっきりしていた。

 

まるで、自分自身に言い聞かせるように声を張った。

 

ルシエルは初めて、この気高くも頑なな、迷い子を憐れんだ。

 

「ふん……」

 

ルシエルが、初めて小さく笑った。

 

自嘲とも、諦めともつかない、乾いた笑いだった。

 

「確かに、お前はアスモデールの息子だな。

その……傲岸不遜なところが、よく似ている。

そしてお前のよく回る頭は、確かにリーザに似ているかもしれない。

認めたくないが……今ふとそう思った」

 

「大人のふりをして、俺を憐れむのはやめろ。

母上さえ助かれば、お前たちなどどうでもいいんだ」

 

イフの小さな手が虚空を掴むように開き、黒い霞が再び渦を巻く。

 

「いでよ、黒い棘……あいつを、束縛せよ!」

 

地面から無数の黒い棘が突き上がり、セオドアの翼と体を絡め取る。

 

大鴉の咆哮が響き、棘の束縛を弾こうと身をよじり、魔力を集約する。

 

セオドアの紫の瞳が、愉悦から一瞬の混乱に変わる。

 

怒りに燃え、棘を操るイフめがけて突進してくる。

 

ルシエルは、その隙を逃さなかった。

 

転移魔法の陣を短く切る。

 

魔力を取り戻した体を駆り、三度に分けて、空間を飛び移りながら攪乱する。

 

「公爵、棘が――切れる!!」

 

イフの声とほぼ同時に、ルシエルはセオドアの正面に躍り出た。

 

黒髪を散らし、大鴉となった我が子の目の前に、彼はゆっくりと右手を伸ばした。

 

陣は切らなかった。

 

そのまま高く頭上に振り上げ、じっとセオドアの顔を見つめる。

 

「セオドア……」

 

右手が青白く輝き、魔力が集約する青い波が立った。

 

「お前、ふざけるのもいい加減にしろ――――――――!!!!!!!!」

 

魔王として持つその膨大な魔力を一撃に込めた……怒りの掌底を喰らって、大鴉のセオドアは地面に叩き落された。

 

ルシエルは……魔界的にも今のご時世では敬遠されがちな……「感情が抑えきれず、拳が先に出る」タイプの父親だった。

 

その衝撃音に、援護射撃していた側のイフですら、うわ……と思わず引くレベルだった。

 

あれが俺の父でなくて良かった、と思わず思う。

 

会ったことはないが、少なくとも俺の父(アスモデール)なら……まずは俺と対話を試みてくれるだろう。

 

……あの野蛮な公爵のように、いきなり息子を殴りつけたりはしないはずだ。

 

 

*

 

 

セオドアは……彼の本体はまだ胎児のはずだが……完全に意識を失って伸びていた。

 

うう…と声をあげて首を振っている。

 

リーザが見ていなくて良かったと、内心ひやひやで、ルシエルは息子(セオドア)を見下ろす。

 

彼の妻……リーザは、夢の中の息子であるイフのために、毅然として彼との愛を捨てる決断をした女だった。

 

これを目撃されていたら、確実に離婚問題に発展していただろう。

 

とにかく今すぐに、セオドアの暴走する魔力を抑え込まなければならなかった。

 

その額に、手を伸ばし、こめかみを強く掴む。

 

セオドアの濡れた金髪が指の間から零れ、血の雫がルシエルの掌を濡らす。

 

「セオドア……お前は俺の子だ。だから、強い……

だが、お前が最強になるのは、もっと大きくなってからでいい。

それまでは、まだ眠らせておこう」

 

うすく開いた紫の瞳で、セオドアは父を見据えた。

 

「…………」

 

ルシエルは深く息を吸い、わずかに唇を動かして詠唱した。

 

公爵家に伝わる、古代の圧縮秘術(LZH)。

 

それは、膨大な魔力を一瞬で「畳み込み」、無限の連鎖を有限の結節に変える古(いにしえ)の技法だった。

 

「――虚空の折り畳み(LZHコンプレス)を発動する」

 

ルシエルの声が低く響くと同時に、セオドアの体から溢れ出すどす黒い魔力が、まるで糸を引くように逆流し始めた。

 

黒い炎が渦を巻き、翼の羽が一枚一枚剥がれ落ちる。

 

魔力の奔流が、ルシエルの掌を中心に螺旋を描き、高速で「折り畳まれ」ていく。

 

膨大な魔力の連鎖が、無数の参照点で圧縮され、重なり合うたびに密度を増していく。

 

セオドアの咆哮が、次第に途切れ途切れになる。

 

「……や……めろ……!」

 

最後の抵抗のように翼が震えたが、すでに魔力の流れは逆転していた。

 

ルシエルの掌の下で、セオドアの体がゆっくりと縮小し始める。

 

巨大な大鴉の翼が、まるで紙のように折り畳まれ、黒い影が内側に吸い込まれていく。

 

「――連鎖参照(LZ77)……頻度符号化(Huffman)……

魔力の無限展開を、有限の結節へ還元せよ。」

 

ルシエルの詠唱が続くたび、セオドアの体から放たれていた黒い炎が、まるで巻き戻される映像のように逆流し、掌の中に収束していく。

 

赤黒い血の膜が薄れ、濡れた金髪が乾き始め、幼い少年の輪郭が再び現れる。

 

最後に、セオドアの胸元に淡い光の護符が浮かび上がった。

 

表面に古代の紋様が刻まれ、内部で圧縮された魔力が、静かに脈打っている。

 

セオドアの紫の瞳から、暴虐の光が消え、ただ穏やかな眠りだけが残った。

 

ルシエルは息を吐き、額に汗を浮かべながら、息子の額から手を離した。

 

セオドアのこめかみには、父親の指のあとがはっきりと残っていた。

 

「これで……お前の暴走は、封じられた。」

 

護符は静かに輝きを収め、セオドアの小さな体は、胎児の頃のように穏やかに眠りについていた。

 

ルシエルは、ゆっくりと立ち上がり、崩れゆくアトリウムの残骸を見回した。

 

「……イフ。お前の物語は、もう終わりだ」

 

イフは母にすがりついていた。

 

リーザの頬に顔を寄せ、震える声で呟いた。

 

「夢が、終わってしまった。もうここには居られなくなった。……セオドアのせいだ」

 

イフはもう、ルシエルの顔すらも見なかった。

 

「そして、……お前のせいだ。公爵」

 

「そうだ、あきらめろ。うじ虫。

負け犬なら地面(した)を見ていろ、勝ちたければ顔をあげて前を見るしかない。

辺獄(リンボ)がお前の居場所なら、そこへ帰るしかあるまい」

 

「行ったこともないくせに、簡単に言うな。

あそこはとても寂しい……冷たいところだ。俺はもう帰らない」

 

手の甲で、涙をぬぐってリーザに語り掛けた。

 

「母上といる間、わたしはとても幸せでした。

……いつかきっと、イフは母上をお迎えにあがります。

ちゃんと肉体を持った……魔族に生まれ変わる方法を探します。

そうしたらまた、イフと一緒に暮らしましょう」

 

「下らないことを言うな。うじ虫。

……リーザは、俺の妻だ。おまえの母には、ならん」

 

やりきれない思いが、ルシエルの中にも確かにあった。

 

彼の選択が、この幼い悪魔(ディアボロ)の子の運命を変えたことは、ゆるぎない事実だった。

 

きっと振り返って、ルシエルを睨みつけた。

 

紅玉(ルビー)のような赤い眼が、悔しさの涙にぬれていた。

 

「お前にも、お前の息子にも、俺のきもちは判らない。

……これでもう、俺には父も母もなくなった」

 

立ち上がって、イフはすべてに背を向けた。

 

「ルシエル公爵。お前の妻と子をつれて、さっさとあっちへ帰れ。

夢が終われば、母上は目覚める。弟も……また成長しはじめるはずだ。

だが、俺はあきらめない。

 

いつかかならず肉体を得て、お前たちから母上を取り返してやる。

次こそ、俺が勝つ。

セオドアにもそう言っておけ」

 

最後にもう一度、母の顔を見ようかと迷ったが、イフはその思いを断ち切った。

 

「俺の物語(おはなし)は、……これで終わりだ」

 

その声と同時に、すべてが暗転し、消え失せた。

 

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