半血魔王のクロニクル ~黒き貴公子シリーズ総集編~ 作:古弥須 凱
「うるさいな……お前らは皆、うるさいんだよ!!いつも、わーわーうるさいんだ!!」
セオドアの魔力が、さらに暴走する。
次の瞬間、セオドアの魔力が爆発的に増幅し、地面が割れ、空気が震える。
胎児の内に眠っていた、おぞましい潜在能力を、ルシエルの血だけではない、何かが呼び覚ましていく。
セオドアの小さな体が、黒い影に飲み込まれた。
彼の周囲に、赤黒い血の膜が浮かび上がり、セオドアの柔らかな肌を覆い尽くす。
濡れた金髪が頰に張り付き、血の雫が光る。
完璧な輪郭の幼い顔立ちが、痛みと憎しみでわずかに歪む。
まだ幼い少年の顔は……息を呑むほど妖艶だった。
その背中から、巨大な大鴉の翼が生えていた。
黒い羽は濡れたように艶めき、深い闇のようにゆっくりと広がる。
体はまだ幼い人間の形をほぼ保ち、白い肌に血の筋が走る。
その変化は、異様に大きな大鴉の翼だけだった。
大鴉は咆哮を上げ、空を裂いた。
「……セオドア……お前は……」
ルシエルは声を震わせながら、イフに向き直った。
「イフ……なぜだ。あれは、お前の力なのか?なにかまたおまえの
「……お前の子のことなど俺が知るか!」
イフは、母に泣きすがりながら、震える声で答えた。
「俺は……俺はただ、母上を守りたかった……!この王国は母上の中に作った、俺だけの楽園だった。
でも、セオドアはそれを壊した……お前と同じだ……!
お前と同じように、残酷で……母上を傷つけるだけの
セオドアが翼を一振りするだけで、森は灰に変わり、王宮の残骸は粉々に砕け散る。
リーザの精神はさらに傷つき、咳き込むたびに押さえた手から血が滴り落ちる。
イフは、ルシエルに抱かれたまま苦しむ母を見やり、血まみれの顔を上げた。
赤い瞳が、恐怖と絶望で揺れる。
「もうやめろ……!母上が……母上が死んでしまう……!」
彼は懇願しながら、セオドアに向かって叫んだ。
「少しは、聞け!聞いてくれ……!この世界を壊したら、母上まで壊れるんだ!
母上は……母上は俺の宝なんだ!
弟よ、たのむ……母上を殺さないでくれ!」
だが、大鴉はもうなにも聞いていない。
――なにも聞こえていなかった。
理性の光は完全に失われ、ただ破壊だけを繰り返す。
黒い翼が一閃するたび、世界が削られていく。
ルシエルは、ガラスの破片が刺さった、背中の痛みを無視して立ち上がった。
苦しむリーザをそっと寝かせる。
「必ず、助ける」
そう呟き、巨大な大鴉となった
混乱と恐怖と、そして……初めての父としての絶望が、そこにあった。
かつて、一度だけルシエルも大鴉の姿に変化したことがあった。
あのサバトの晩、アスモデールに完膚なきまでに叩きのめされ、血の海に堕とされた。
そこで半血の魔王は、母から受けた人間としての血と涙を流し尽くし……あの異様な姿に化身した。
それを、まだ生まれてもいない胎児……セオドアはやってのけた。
しかし、その姿を制御するだけの理性は、まだ彼には生まれていなかった。
完全に、本能にのっとられ、ただ破壊と混沌が生み出す快感に酔い知れていた。
イフが言うように……彼の子はまさに
イフはルシエルに向きなおり、叫びたてた。
小さな体で、必死に立ち塞がる。
「お前の子が、母上を殺してしまう!お前がなんとかしろ!!お前は父親だろ!!
母上は……母上は俺の宝なんだ!あいつなんかに……母上を殺させない!」
イフの声は涙で震え、赤い瞳が必死に輝く。
その姿は、ただのまぼろしではなく、母を失いたくない一人の子供そのものだった。
そして、ぎゅっと口を結んだあと、ルシエルを睨みつけた。
「物語を、かきかえる」
イフの声が、はっきりとルシエルに聞こえた。
「ルシエル辺境伯は、その魔力を取り戻し、息子のセオドアを殺す」
ルシエルは、咄嗟にイフの胸倉をつかんだ。
「取り消せ、イフ。この
イフは涙を拭いて立ち上がり、必死に魔力を集める。
「少なくとも、お前に魔力は返した。
俺の
俺は、あいつと戦う。……母上を守る」
リーザの呻きが、かすかに聞こえる。
ルシエルは、拳を握りしめた。
その痛みも、取り戻した魔力も、全てがもうどうでもよかった。
「……俺の子が……怪物なら……俺が、止めるしかない」
彼はゆっくりと立ち上がり、大鴉となって咆哮する息子の……セオドアの姿を見上げた。
その背後で、イフが震える声で呟いた。
「公爵……お前が止めるなら、俺も手伝う」
「そうだな、お前の黒い棘で、セオドアを足止めしたい。できれば2秒。……最低でも1秒は欲しい。今はうじ虫の手でも借りたい」
「お前は本当に大人げない男だ、公爵。お前が俺の父だったらと思うと、ぞっとする。」
イフが呆れた声を漏らした。
「俺の父の、偉大さを見習うべきだ」
「アスモデールに会ったこともないくせに、良く言う。
……奴は、お前が思うほど立派な男ではない。
俺は奴と殺し合った仲だ。
その俺が言うんだから間違いない」
「お前らは、親子そろって
俺の父だから偉大なんだ。……お前にはわからないのか」
イフは、血に濡れた顔をあげて、まっすぐにルシエルを見返した。
「皇嗣たる俺……イフの父だから、偉大なのだ」
イフの声は震えていたが、言葉ははっきりしていた。
まるで、自分自身に言い聞かせるように声を張った。
ルシエルは初めて、この気高くも頑なな、迷い子を憐れんだ。
「ふん……」
ルシエルが、初めて小さく笑った。
自嘲とも、諦めともつかない、乾いた笑いだった。
「確かに、お前はアスモデールの息子だな。
その……傲岸不遜なところが、よく似ている。
そしてお前のよく回る頭は、確かにリーザに似ているかもしれない。
認めたくないが……今ふとそう思った」
「大人のふりをして、俺を憐れむのはやめろ。
母上さえ助かれば、お前たちなどどうでもいいんだ」
イフの小さな手が虚空を掴むように開き、黒い霞が再び渦を巻く。
「いでよ、黒い棘……あいつを、束縛せよ!」
地面から無数の黒い棘が突き上がり、セオドアの翼と体を絡め取る。
大鴉の咆哮が響き、棘の束縛を弾こうと身をよじり、魔力を集約する。
セオドアの紫の瞳が、愉悦から一瞬の混乱に変わる。
怒りに燃え、棘を操るイフめがけて突進してくる。
ルシエルは、その隙を逃さなかった。
転移魔法の陣を短く切る。
魔力を取り戻した体を駆り、三度に分けて、空間を飛び移りながら攪乱する。
「公爵、棘が――切れる!!」
イフの声とほぼ同時に、ルシエルはセオドアの正面に躍り出た。
黒髪を散らし、大鴉となった我が子の目の前に、彼はゆっくりと右手を伸ばした。
陣は切らなかった。
そのまま高く頭上に振り上げ、じっとセオドアの顔を見つめる。
「セオドア……」
右手が青白く輝き、魔力が集約する青い波が立った。
「お前、ふざけるのもいい加減にしろ――――――――!!!!!!!!」
魔王として持つその膨大な魔力を一撃に込めた……怒りの掌底を喰らって、大鴉のセオドアは地面に叩き落された。
ルシエルは……魔界的にも今のご時世では敬遠されがちな……「感情が抑えきれず、拳が先に出る」タイプの父親だった。
その衝撃音に、援護射撃していた側のイフですら、うわ……と思わず引くレベルだった。
あれが俺の父でなくて良かった、と思わず思う。
会ったことはないが、少なくとも
……あの野蛮な公爵のように、いきなり息子を殴りつけたりはしないはずだ。
*
セオドアは……彼の本体はまだ胎児のはずだが……完全に意識を失って伸びていた。
うう…と声をあげて首を振っている。
リーザが見ていなくて良かったと、内心ひやひやで、ルシエルは
彼の妻……リーザは、夢の中の息子であるイフのために、毅然として彼との愛を捨てる決断をした女だった。
これを目撃されていたら、確実に離婚問題に発展していただろう。
とにかく今すぐに、セオドアの暴走する魔力を抑え込まなければならなかった。
その額に、手を伸ばし、こめかみを強く掴む。
セオドアの濡れた金髪が指の間から零れ、血の雫がルシエルの掌を濡らす。
「セオドア……お前は俺の子だ。だから、強い……
だが、お前が最強になるのは、もっと大きくなってからでいい。
それまでは、まだ眠らせておこう」
うすく開いた紫の瞳で、セオドアは父を見据えた。
「…………」
ルシエルは深く息を吸い、わずかに唇を動かして詠唱した。
公爵家に伝わる、
それは、膨大な魔力を一瞬で「畳み込み」、無限の連鎖を有限の結節に変える
「――
ルシエルの声が低く響くと同時に、セオドアの体から溢れ出すどす黒い魔力が、まるで糸を引くように逆流し始めた。
黒い炎が渦を巻き、翼の羽が一枚一枚剥がれ落ちる。
魔力の奔流が、ルシエルの掌を中心に螺旋を描き、高速で「折り畳まれ」ていく。
膨大な魔力の連鎖が、無数の参照点で圧縮され、重なり合うたびに密度を増していく。
セオドアの咆哮が、次第に途切れ途切れになる。
「……や……めろ……!」
最後の抵抗のように翼が震えたが、すでに魔力の流れは逆転していた。
ルシエルの掌の下で、セオドアの体がゆっくりと縮小し始める。
巨大な大鴉の翼が、まるで紙のように折り畳まれ、黒い影が内側に吸い込まれていく。
「――
魔力の無限展開を、有限の結節へ還元せよ。」
ルシエルの詠唱が続くたび、セオドアの体から放たれていた黒い炎が、まるで巻き戻される映像のように逆流し、掌の中に収束していく。
赤黒い血の膜が薄れ、濡れた金髪が乾き始め、幼い少年の輪郭が再び現れる。
最後に、セオドアの胸元に淡い光の護符が浮かび上がった。
表面に古代の紋様が刻まれ、内部で圧縮された魔力が、静かに脈打っている。
セオドアの紫の瞳から、暴虐の光が消え、ただ穏やかな眠りだけが残った。
ルシエルは息を吐き、額に汗を浮かべながら、息子の額から手を離した。
セオドアのこめかみには、父親の指のあとがはっきりと残っていた。
「これで……お前の暴走は、封じられた。」
護符は静かに輝きを収め、セオドアの小さな体は、胎児の頃のように穏やかに眠りについていた。
ルシエルは、ゆっくりと立ち上がり、崩れゆくアトリウムの残骸を見回した。
「……イフ。お前の物語は、もう終わりだ」
イフは母にすがりついていた。
リーザの頬に顔を寄せ、震える声で呟いた。
「夢が、終わってしまった。もうここには居られなくなった。……セオドアのせいだ」
イフはもう、ルシエルの顔すらも見なかった。
「そして、……お前のせいだ。公爵」
「そうだ、あきらめろ。うじ虫。
負け犬なら
「行ったこともないくせに、簡単に言うな。
あそこはとても寂しい……冷たいところだ。俺はもう帰らない」
手の甲で、涙をぬぐってリーザに語り掛けた。
「母上といる間、わたしはとても幸せでした。
……いつかきっと、イフは母上をお迎えにあがります。
ちゃんと肉体を持った……魔族に生まれ変わる方法を探します。
そうしたらまた、イフと一緒に暮らしましょう」
「下らないことを言うな。うじ虫。
……リーザは、俺の妻だ。おまえの母には、ならん」
やりきれない思いが、ルシエルの中にも確かにあった。
彼の選択が、この幼い
きっと振り返って、ルシエルを睨みつけた。
「お前にも、お前の息子にも、俺のきもちは判らない。
……これでもう、俺には父も母もなくなった」
立ち上がって、イフはすべてに背を向けた。
「ルシエル公爵。お前の妻と子をつれて、さっさとあっちへ帰れ。
夢が終われば、母上は目覚める。弟も……また成長しはじめるはずだ。
だが、俺はあきらめない。
いつかかならず肉体を得て、お前たちから母上を取り返してやる。
次こそ、俺が勝つ。
セオドアにもそう言っておけ」
最後にもう一度、母の顔を見ようかと迷ったが、イフはその思いを断ち切った。
「俺の
その声と同時に、すべてが暗転し、消え失せた。