※この作品はR-18です。

半血魔王のクロニクル ~黒き貴公子シリーズ総集編~   作:古弥須 凱

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19話 最終回 真珠

イフの夢から解放され、昏睡から目覚めたリーザは、順調に快復していた。

 

腹の子も、また成長し始めた。

 

ルシエルの念話には、あいかわらず無視して答えなかった。

 

少し、いやかなり、あの掌底(いちげき)でぶっとばされたことを、根に持っている様子なのは、ありありと伝わる……。

 

余計な告げ口をされても困るルシエルは、いまはただ、短い愛情表現だけを息子に送ることにしていた。

 

(みな、お前を待ち望んでいる)

 

(………………)

 

素直でないところは、明らかに父親に似ていた。

 

しかしリーザは、大きくなる腹を優しく撫でながら、熱心に童話などを読んでやる。

 

「この子は、本が好きな子になるかもしれないわ。物語を読んであげると、トコトコと小さい足でキックするの。きっと楽しんでくれているのね」

 

ルシエルの想像する息子は……童話に退屈してどんどんと足を踏み鳴らす、小さなセオドアの姿をしている。

 

もし。それがイフなら……

 

しかし勿論、そんなことは口にしなかった。

 

イフは、もういない。

 

「私は子供の頃、ずっと本だけが友達だった。一人で詩を書いたり、おはなしを自分で作って楽しんだ。

だからこの子には、私がたくさんお話を読んで、一緒に寄り添ってあげたいの」

 

リーザの瞳は優しく、想像のなかの子を抱き寄せている。

 

リーザは、あの夢のことを何も覚えていなかった。

 

彼女が愛した子であるイフのことも、アスモデールの王妃であったことも……。

 

そして辺境伯に落とされたルシエルと交わした、激しい不義密通の愛も、すべて彼女の中には存在していなかった。

 

イフは……完全に消え失せた。

 

これで良かったのだ、とルシエルは自分を納得させたかった。

 

ただ、こんなことは想像したくなかったが……

 

イフであればきっと、リーザの膝に甘え、一緒に物語を楽しみ、彼の母の読むおはなしに、うっとりと聞き惚れているだろうと思った。

 

「お腹の子は……俺の夢に出てきた。自分のことを、真珠の子と呼んでいた」

 

自分の夢の中でと、ルシエルはあえて嘘をついた。

 

リーザは、ハッとして夫の顔を見た。

 

決して明かすつもりのない秘密を暴かれた……そんな表情だった。

 

「そう……聞こえているのね、ちゃんと」

 

今になってやっと、リーザが胎児に付けた、その呼び名の意味がわかっていた。

 

真珠は……傷から生まれる。

 

長い時間をかけて、少しずつ異物を包みこみ、形成されていく宝石だった。

 

痛みの結晶であり、その代償となって得られる宝。

 

真珠(ラ・ペルラ)。

 

リーザは胎児を、密かにそう呼んでいた。

 

彼女がすべてを投げうって手に入れた、唯一の宝。

 

最愛の夫を傷つけることを恐れ、ただその心の中でだけ、我が子をそう呼んだのだ。

 

人間界から彼への愛のためだけに、全てを捨てて嫁いできたリーザ。

 

彼女に対して、ルシエルは真に向き合えていなかった、と今なら理解できる。

 

リーザを手に入れ、所有する悦びに奢り、彼女が払った犠牲について、少しも思い至らなかった。

 

――我が君(マイロード)は今も、リーザ様のお心より自分の支配欲を優先している。

 

彼の遠慮のない、なさすぎるほど正直な従者・ナサニエルが突きつけた言葉が、今になって思い起こされた。

 

リーザの美しさを自分の領地で諸侯に見せびらかし、まだサバトの傷が癒えない彼女の肉体から、"初めて"を奪おうと強引に迫った。

 

夢の中で……彼は欲望のままに孕った妻を犯した。

 

その過去は、今さら変えられない。

 

彼はいまもって自己中心的な夫であり、未熟な父親だった。

 

ただ少なくとも、そのことを自覚できる様にはなっていた。

 

――たぶん、少しは。

 

「この子は、俺たちの宝だ」

 

白い手を取って、一緒に彼女の腹の上に重ねた。

 

「俺たちで守り、ひたすらに愛してやろうと思っている」

 

その瞳には、いつもの冷たさは浮かんでいなかった。

 

リーザは、微笑んだ。そうね、とだけ答えた。

 

「だが……子供におまえを全部取られてしまったら、俺はさびしくて死んでしまうかもしれない」

 

突然、こどもが拗ねる様に、ルシエルがその黒髪ごと頭を押し付けてきた。

 

まぁ、と呆れて、リーザはその髪を抱き寄せた。

 

「あなたが一番こどもね、ルシエル。そんなことで、本当に魔王が務まるの?」

 

「俺の様な"こども"でも務まるんだ。魔王なんて大した存在(こと)ではないんだろう」

 

時々こんな風にこじらせ、自嘲めいて言うあたりが、この若く恐ろしい魔王のかわいいところだった。

 

「あなたは良い、優しいお父さんになれるわ」

 

「とても、そんな気がしない。……自信がない」

 

イフの夢でとはいえ、すでに一度、胎児である我が子に、一撃喰らわせていることは黙っていた。

 

「生まれる前からそんな気弱なことでは困りますわ、公爵さま。

私は、元は王女なのよ。

その夫がこんな状態(こと)では、すこし考えなければいけないわね」

 

彼女の回転の良さ、その言葉にいつも救われる。

 

「そうだな……俺は、お前にわざわざご降嫁いただいた身だ。

愚痴など許されない」

 

「わかればよろしくてよ、ルシエル。

いえ、ルシエル公爵……リーザ姫は、接吻を所望するわ」

 

所(・)望(・)されて、ルシエルは妻に長い接吻を与えた。

 

抱き寄せ、長い舌をからめる。

 

自然と、下半身が固くこわばる。そして、――困った。

 

「俺はかつてないほど幸せだが、……こればかりは生き地獄だ」

 

リーザの腹の膨らみを、どこか恨めし気に見てしまう。

 

が、ぎゅっ……と優しく掴まれて、若い夫であるルシエルは思わず息を漏らした。

 

「ばかなひとね、方法はたくさんあるわ」

 

彼のしらぬ間に、ひそかに成熟しはじめている若妻の声だった。

 

童話の本を傍らに置きなおし、リーザは彼女がいちばん愛するひとを、その寝台に招いた。

 

 

*

 

 

ルシエルは、妻の献(・)身(・)に満ち足りていた。

 

とても、良かった。

 

なぜか気恥ずかしく感じて、言葉にはしなかった。

 

そして、夢の中でアスモデールの妻となっていたリーザに烈しく詰め寄った自分を思い出していた。

 

リーザの裏切りを責め、サバトで彼女を救えなかった事実を責められた。

 

二人で負った傷から血を流し、それを舐め合い、はげしく愛し合った。

 

その体験は、ルシエルにとって、必要な通過儀礼だったように思えた。

 

リーザをそっと抱き寄せた。

 

彼女に何か、優しい言葉をかけたかった。

 

そして今は、はじめて素直に、口に出せた。

 

「お前は、俺が初めて本当に愛したひとだ。

俺の初めてはお前なんだ。

それだけは、誰にも奪えない」

 

それ以上は、言葉にならなかったが、彼の愛する女性(ひと)はそれを受け取ってくれた。

 

リーザの瞳に涙が浮かんでいた。

 

「私の初めても、あなたよ。

ルシエル。わたしも、初めて愛したわ。

それからずっと、ずっと愛しつづけている」

 

ただ抱き合って、互いの温もりを感じ合った。

部屋は、再び静寂に還った。

 

 

*

 

 

月が満ちて、公爵家に新しい生命が生まれた。

 

ルシエルはすでに知っていたことではあるが、男の子だった。

 

父として、家門(いえ)に相応しい名前を与えた。

 

セオドア。

 

それが、この世に生を受けた、ルシエルの息子の名前だった。

 

リーザは、その子をテオと愛称で呼んだ。

 

テオは、父譲りの美しい紫の瞳をしていた。

 

そして……意外なことに、テオはこちらも父と同じ、黒い髪だった。

 

まさに、彼の父の生き写しの姿を持って、テオはこの世に生まれ落ちた。

 

夢の中でのセオドア……美しい金髪の少年と、この子は違うのかもしれない。

 

そう思いながらも、ルシエルはその事実に、気がついた。

 

夢のセオドアが暴走したとき、ルシエルは、彼の額を押さえつけてその膨大な魔力を封じた――

 

その痕跡であるかのように、テオの額には、母と同じ色の……いく筋かの金髪が残っていた。

 

テオを抱き上げ、父親となったルシエルは、自分と同じ瞳を見つめた。

 

息子もまた、見えていないはずの目線をよこす。

 

(父も母も、お前を待ち望んでいた)

 

念話で語りかける。

 

テオはまだ黙っていたが、根負けしたのか、短く返した。

 

(父上、……俺はずけずけと踏み込まれることを好みません)

 

なんとも、可愛げのない第一声だった。

 

俺の子らしい、とルシエルも半ば呆れつつ、その頬にふれた。

 

その肌は、ふにゃふにゃと柔らかく、温かかった。

 

(俺は赤子ですから、常に睡眠と乳を欲しています。

……父上に抱かれていては、それが叶いません)

 

じっと、見えもしない眼で、その父を睨んでいる。

 

苦笑して、そっと母であるリーザに抱き渡した。

 

「可愛いわ……テオは、あなたにそっくり」

 

そうだな、と短く同意だけを返して、ルシエルは微笑んだ。

 

無垢な赤子のふりを……いや、無垢な赤子であるテオは、一心に乳を飲んでいた。

 

魔界の最も旧い家柄の一つ、ルシエル公爵家の嫡子として。

 

この赤子は、父と母の愛情を受け、幸せに……育つことを約束されていた。

 

テオの物語は、いま始まったばかりだった。

 

満ち足りて、小さくあくびをした。

 

ルシエルとリーザに見守られ、この美しい赤子は小さな口をぴくっと動かした。

 

そして、にや……と幸せそうに笑った。

 

 

 

【 完 】

 

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