※この作品はR-18です。

半血魔王のクロニクル ~黒き貴公子シリーズ総集編~   作:古弥須 凱

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エピローグ後編 「鏡写し」

サタン王宮の回廊は、夜の闇に沈みながらも、常に微かなざわめきに満ちていた。

 

蒼い月の光が黒曜石の床を淡く照らす中、侍従や衛士、貴族の従者たちが、柱の陰や扉の隙間から、ひそひそと囁き合う。

 

「…見たか? あの小姓の少年、イフリートとかいうのを」

 

「殿下の傍らに、いつもある。あの顔立ち、赤い瞳…あまりにも殿下に似すぎている」

 

「殿下の私生児のひとりだろうが……誰も素性を知らないらしい」

 

「たしかにあの少年は、まさに殿下のお若いころを思わせる」

 

「…しかし、たかが落とし子に、あの殿下がそこまで特別扱いするだろうか」

 

「確かにそうだ。気に入らなければ、正統なお血筋のお子様たちですら、容赦なく処断してこられた方だ」

 

「落とし子如きを、あのようにこれ見よがしに連れ歩かれて……」

 

「それにしても、サタン王家の血が濃すぎる。あの美しさは、ただの小姓のものじゃない」

 

「そうだな…殿下は、あの少年を特別に可愛がっている。ご側室との夜伽の際にまで、伴われると聞いた」

 

「夜伽に伴われる…? そこまでとは……」

 

「どうやら、見せつけるだけではないらしい。時にはあの小姓も交えて……」

 

一人が、震える指で唇を押さえた。

 

「しっ、声が大きい。殿下の耳は、誰よりも鋭い」

 

回廊の奥、玉座の間へと続く長い廊下の影で、二人の侍従が息を潜めて囁き合う。

 

「しかし、誰も口に出せない。殿下に聞かれたら、即座に灰になる」

 

二人は互いに顔を見合わせ、慌てて口を閉じた。

 

遠くから、アスモデールの足音が近づいてくる。

 

美しい金髪を短く切りあげた少年・イフリートを従えた、ゆっくりとした歩み。

 

衛士たちが一斉に頭を下げ、息を潜める。

 

そして、同じサタン王宮の長い回廊で――。

 

ルシエル公爵は、従者のナサニエルを従え、小議会への出席のため、本宮の議事室へと向かう途中だった。

 

公務用の黒と紫の重厚な礼装を纏い、紫の瞳を伏せ、黒いマントを翻しながら歩く。

 

ナサニエルは主人の背後に控え、無言で周囲を警戒している。

 

突然、廊下の曲がり角から、低い笑い声が漏れた。

 

「あぁ、ルシエル卿。こんなところで会うとはな」

 

アスモデールだった。

 

黒と赤の威厳あるローブを纏い、白くばさばさとした髪を流し、赤い瞳を面白げに細めている。

 

その傍らに、小姓の少年が控えていた。

 

ルシエルは足を止め、静かに一礼した。

 

アスモデールはくすりと笑い、面白半分に近づいてくる。

 

「いやいや、ちょうどいい。小議会に向かう途中か?最近は、随分と忙しそうだな。…子が生まれたとか聞いたが」

 

ルシエルは顔を上げず、抑揚のない声で答えた。

 

「恐縮に存じます。先日、無事に男子を儲けました。セオドア……と名付けました」

 

アスモデールはさらに面白がるように、身を乗り出した。

 

「ほう、セオドアか。どうにも、かわいい名だ。彼の誕生を寿ごう、ルシエル卿」

 

いつもの嘲るような赤い瞳を光らせて、アスモデールは続けた。

 

「麗しのリーザ姫の乳は、良く出ているかな?あの豊かな胸乳なら、さぞたっぷりと、溢れるほど出るだろう。

…ずいぶん産み月が遅れたようだが、俺も内心、案じていたぞ。なにせ卿のことは、弟のように思っている俺だからな。」

 

ルシエルはいつものように内心の怒りを隠し、表情は変えず、深く頭を下げる。

 

「殿下のお言葉、痛み入ります」

 

そして初めて、アスモデールが伴う小姓の姿に気付き、ルシエルは一瞬、息を飲んだ。

 

美しい蜂蜜色の金髪は少し左右に散らばり、赤い瞳は静かに輝いていた。

 

小姓の礼装を纏った姿は、その髪色を除けば、まるでアスモデールの少年期そのままを思わせる。

 

疑いようもないほど、この主従(ふたり)は、そっくり同じ容貌をしていた。

 

(イフ……!)

 

あの幼い悪魔の子、涙ながらにリーザにすがったイフは今、アスモデールの傍に、美しい小姓の姿で立っていた。

 

アスモデールは、公爵が凍りつく様子を、ただ面白がりながら眺めていた。

 

満足げに笑い、傍らのイフリートに視線を移した。

 

「イフリートという。最近、私の小姓として召し上げた子だ」

 

小姓の少年は、静かに一歩前に出る。礼に則って、若き魔王に会釈した。

 

イフリートの……美しい金髪が揺れ、赤い瞳がルシエルをまっすぐ見据える。

 

ルシエルも、彼を鋭く見つめ返した。

 

あの夢の中から姿を消した、リーザの幻の息子。

 

そのイフが今、若い肉体を纏って、ルシエルの目の前に立っていた。

 

アスモデールはくすりと笑い、ルシエルに近づいて囁くように言った。

 

「イフリートはいろいろと事情のある子だが、ルシエル卿の方にも、この子となにやら経緯があると見える。

……まぁ、ゆっくり思い出を語り合え」

 

そう言い残し、アスモデールは悠然と背を向け、歩き出した。

 

黒と赤のローブが翻り、足音が遠ざかる。

 

残された回廊に、イフリートとルシエル、そしてナサニエルだけが立っていた。

 

(我が君(マイロード)――この金髪ハリネズミは、まさに、奴の複製(コピー)すね。)

 

ルシエルの口の悪い従者、ナサニエルがいつも通り、背後から念話で毒づいた。

 

(ああ、生き写しだ……気味が悪いほどに)

 

(アスモデールの野郎、自分の若い鏡像(イメージ)を自慢げに連れ歩くとか……。ガチでキモすぎっすね。

歩きながらシコってるようなもんすわ)

 

ルシエルの見ている前で、小姓の少年イフリートが、薄く口の端を持ち上げ、にや……と静かに笑った。

 

(ナサニエル、油断するな。

この少年は……盗聴防止(ジャマー)を避けて直接、お前の感情を読もうとしている)

 

ルシエルの短い叱責に、若い下級悪魔にすぎないナサニエルは、ハッとして身を固くした。

 

主人とのプライベートな念話には、ルシエルが盗聴防止(ジャマー)を掛けているが、ナサニエルの正直すぎる思念を覗かれてしまっては意味がない。

 

ナサニエルは慌てて、せめてもと精神の障壁(ヴェール)を厚く張り直し、沈黙した。

 

冷たい紫の瞳で、ルシエルは目の前の小姓を睨みつけた。

 

イフリート……それは、烈しい焔を自在に操るという魔性の名前だった。

 

この美しい少年は――アスモデールのナルシシズムの極みだった。

 

サタン帝王の嫡子たる彼の、若く美しい姿……。

 

その完璧な鏡像(コピー)を常に傍らに置き、”己が永遠に美しく、強いのだ”というアスモデールの自己陶酔を補強するための道具だった。

 

イフリートは彼の父(アスモデール)の所望する、その役割に完璧に応えていた。

 

ルシエルが、口火を切った。

 

「おい、うじ虫。お前は……なぜ王宮(ここ)にいる……」

 

小姓の少年は、答えなかった。ただ、控えめに目を伏せている。

 

「アスモデールが、お前にその肉体を与えたのか……?」

 

答えない。

 

「何を企んでいる……答えろ!……イフ!」

 

イフは、ただ短く、念話で返した。

 

(俺は母上に誓ったぞ、公爵。

……いつかきっと、イフがお迎えにあがります、とな)

 

「おい、ふざけるな。俺も言ったはずだ。リーザは俺の妻だ。お前の母には、ならん」

 

(俺の物語(おはなし)を楽しみにしててくれ、公爵。

お前の子はまだ赤子だが、俺はもう既に……子供ではない。

 

俺は、新しい肉体を得、ひとりの魔性の男として生まれ変わった。

イフはもう、俺の前世にすぎない。

……母上(リーザ)もまた、いまは俺の母ではない……)

 

その赤い瞳には、もう幼さの欠片も残っていなかった。

 

(……俺は、お前からリーザを奪う。

そして、俺の子を孕ませる)

 

にや……と、美しい顔をゆがめて、薄く微笑んだ。

 

「イフ……!お前は……!!」

 

ルシエルは一瞬、息を詰まらせた。

 

(わかるだろう、公爵。

俺がリーザを抱くことで……本当の俺の肉体が生まれる)

 

「リーザは……お前の母だぞ……!」

 

(さっきと話が違うぞ、公爵。俺の母にはならない、とお前は言った。

そのとおりだ。もう俺の母ではない。――リーザは恋人となって俺に抱かれ、俺の子……俺自身を宿すのだから)

 

「おぞましい考えだ」

 

(お前は、異母の姉とまじわった。

――それは、おぞましくないのか?)

 

ルシエルは怖気立った。

 

まるで鏡の向こうから、彼自身の過去が語り掛けてくるようだった。

 

言葉が喉に詰まり、紫の瞳が一瞬揺らいだ。

 

イフリートという少年として、既に生まれ変わっているイフは……

怒りと衝撃に凍り付くルシエル公爵の前で、ふたたび沈黙した。

 

二度と心を開かず、ルシエルの念話をも受け入れなかった。

 

「……失礼いたします」と、小姓のイフリートは、丁寧に頭を下げた。

 

ルシエルは、去っていく少年の後ろ姿を、呆然とただ黙って見送った。

 

「我が君(マイロード)、お時間が」

 

彼の忠実な従者としてナサニエルが声をかけ、若き魔王はああ、と短く答えた。

 

しかし、その視線は……少しも動かすことが出来なかった。

 

彼の父であるアスモデールに従い、イフリートは、その若々しい背を向けて、サタン王宮の奥へと歩いて行く。

 

リーザと同じ、美しい金の髪が輝き、最後に静かに、その暗闇に溶け落ちて消えた。

 

 

【 了 】

 

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